17 はじける綿雲
デビュタントを終えて。
(一応)成人になって。
ふつうであれば貴族令嬢たるもの、社交シーズンはあちこちの夜会に顔を出して、人脈を築くものだというが。
「……ルピナス。知ってる? 言いたくはないけどわたくし、この間の夜会で、ほかのご令嬢と全然お話ができなかったの……」
「うん。知ってる。で? 今日の差し入れは何」
「あ、えっと。綿飴よ。初めて作ってみたの。一つ一つはちいさいけど。どうぞ?」
「! うわっ、すごい。ちいさいけど、ふわっっふわ。色もたくさん。ありがと、いただきます」
綿飴を潰さないように指でつまみ、ぽいっと口に入れる弟の横顔に、アイリスは嬉しくなって微笑んだ。
――……ほのぼの。
本日、第一隊の大半は北の国境へ遠征に出払っている。そのため、ルピナスやほかの若年の騎士見習いは大半が居残り。いつもよりは覇気に欠ける組手や木剣試合をしていた。
そこに、侍女一人を供に連れたアイリスがバスケットを片手に現れたとなれば、当然のように休憩となる。
観客席が無人だったため、一番下の地続きの席をすすめられたアイリスは、素直にそこに掛けた。当然のようにルピナスが隣に腰を下ろしている。
三段目の席では、いただきまーす、と元気な声をあげて、自分たちよりもやや幼い少年たちが綿飴の包み紙をひらいていた。アイボリーのそっけない油紙のなか、それらは白やピンク、ひよこ色、ミントグリーンの四色に分かれている。
じつは、それぞれ味が違うのだ。それに――
ふと、ルピナスは怪訝そうに首を傾げた。
「ん? なんかコレ、なかに別の飴がある?」
「正解。試験的に“はじける宝石飴”の欠片を入れてみました」
「わっ、すげぇ!! パチパチする!」
「ふぁふわぁああっ!!?」
少年たちは、それぞれ目を丸くしながら、それでも口から飴が飛び出さないように手で押さえたり叫んだりと忙しい。でも、どの子も楽しそうだ。
クスクス、と笑ったアイリスが、いたずらを成功させた子どものように種明かしをする。
「王都でね、流行ってるんですって。その……たくさん送ってくださって。レシピも」
「ははぁ」
ぴん、と来たと言わんはかりに、ルピナスは姉に流し目を遣った。
アイリスは反射で怯む。
「サジェス殿下だね。前、小型竜が来てた。そいつの首にぶら下がってた筒?」
「そう」
「ふーーん」
「……なによ」
「何でも?」
含みを持たせた口調。視線を逸らしたルピナスは二個目をつまみながら、しみじみと続けた。
「さっきのさ。アイリスがボッチなのって、全部殿下のせいだよ。わかってる?」
「……そうなの?」
「そうだろ。ほかに何が?」
うーん、と、アイリスは考え込んだ。
いわゆる友達がいない理由。それは。
「わたくしが、人付き合いが苦手だからとか」
「あるかもね。体調が比較的いいときでも、自分から公邸の外に出ないし」
「そうそう。知らないかたたちの輪に入るなんて、ぜったい無理だわ。でも」
「? でも?」
シャワシャワシャワ……と、遠くで秋の訪れが近いことを知らせる蝉の声がした。空は高く、風が気持ちいい。
アイリスは、その、どこまでも晴れた蒼穹のかなたに視線を馳せた。
「たまにでいいの。ときどき、自分が大事に心にしまっていることを、お互いに話せるひとが、いたらいいなって」
「……私じゃだめ?」
「あなたは弟だもの」
「そっか」
「そうよ」
しんみり。
弟の言う通り、自分は、いままであまり『外』を必要としなかった。それが。
「ちっ。やーーっぱり、サジェス殿下のせいだよね。むかつく」
「え」
ぱくん、と、いつの間にか四色目の綿飴も口に入れたルピナスが立ち上がった。緩んだ空気のなか、率先して軽い足取りで石畳の修練場に戻り、木剣をとって“演舞”と呼ばれる型の練習を始める。
ヒュン、ヒュン……と、小気味のよい音が鳴る。
凛としたまなざし。繊細さすら感じさせる、綺麗な剣筋。まだまだ上達の素地を見せる若い騎士見習いどのは、もう自分と瓜二つとは思えなかった。
そうして、しばらく見とれていたのだと思う。
「お嬢様、そろそろ……」と侍女に促され、アイリスはようやくハッとした。そこそこの時間が経っていたのを悟り、申し訳なさそうに周囲に断りを入れる。足早に騎士団本部を出た。
「あつ……」
「左様でございましょう。帰りましたら、すぐに冷茶と、お召し替えを」
「ありがとう」
滅多に汗などかかないのに、額がじわっと汗ばんでいる。なるほど、『そろそろ』とは、体力の限界を意味していたらしい。
(わたくしより、周りのひとのほうが、わたくしに詳しい)
こんな至らない自分に、未来の王妃などむりだと、ごく自然に思う。
なのに求婚されてしまった。
母に報告もせず、自分の一存で断った。
――――それを、いまも誰にも告げられないでいる。
だから、心の真芯にあるサジェスへの想いなどは、輪をかけて口にするわけにいかない。
もちろん本人にも。
たとえ、友人が出来たとしても。
“先日は君を想うあまり、逸ってしまってすまない。晩秋から冬にかけて北都に滞在する。できれば、いままでと変わらず、会ってもらえると嬉しい”と。
宝石のような色とりどりの飴には、王子からの手紙も添えられていた。
それが、あまくて、痛くて。
パチン、パチンとはぜる珍しい飴よりもずっと、胸の深い場所で暴れるものだから。
(本人に、きちんと伝えるしかないのかしら……)
アイリスはもう一度、手を空にかざして見上げた。