15 お察しします
(あの、馬鹿殿下め……!)
キキョウ・エヴァンスは怒っていた。おそらく、当人を前にしても肉声で罵倒できただろう。それくらいむかむかしている。
「? どうしました、キキョウ。怖い顔をして。行きますよ」
「はい」
馬車が止まり、御者によって外側から扉がひらかれる。母であるミズホ・エヴァンスはとうにタラップに足をかけ、降車の構えだった。溜め息であとに続く。
いにしえのアクアジェイルを治めた大公の血筋――ジェイド家は、エヴァンス一族にとってはいまも仰ぐべき主に近い。
尊崇の対象であり、じかに仕える主家。その、大事な大事な姫君が。
「まったく。ほかの男にっていうだけでも業腹なのに。あの派手王子め……。いったい、何をどうしたらアイリス嬢が寝込むほどのダメージを」
「キキョウ。出てますよ、心の声」
「失礼しました」
しっ、と、お茶目な仕草で口元に人差し指を当てた母は、おおらかに笑ってみせた。
ぱち、と手にした日傘の金具を外してレースの布地をひらく。
基本的に、公邸入り口までしか外部の馬車は入れない。そこからは徒歩か、敷地専用の小型車、或いは騎馬での移動となる。
ちなみに、ミズホはよほどの急ぎや畏まった場でもない限りは純然たる徒歩派。ゆえにキキョウも黙々と供をする。
ミズホは日傘を傾け、レース模様が織り成す木陰のようなまだら影の下、涼しげに息子を慰めた。
「仕方がないわ。殿下とてまだ十八歳でいらっしゃる。意中の姫が、やっと成人のお披露目を終えたのですもの。ほんと、上手に忍んで来られたこと」
「母上。おれ、その辺のことは何も喋っていないはずですが」
「あら、そうだったかしら?」
キキョウはおののいた。
――やばい。無意識でどこまで、この北の社交界の首魁に漏らしてしまったのか。
我が母ながら素知らぬふりでの地獄耳が恐ろしく、つい険しい流し目で距離をとってしまう。つまりドン引き。
ころころころ……と、ミズホは愉快そうに笑った。
「わかりますよ。あなたのその情けない顔を見れば。たしか、あなたったら物語の騎士よろしく、がっついたご令息の群れからアイリス様をお救いしてたじゃない。そのあとよね? 踊りの輪から、なぜか、あなただけが出てきた」
「…………よく、見ておいでで」
「えぇそう。それから、ルピナス様がイゾルデ様に『探してくる』と、申し出られて……。閣下は『ちょっと人いきれに当たったようなので、休ませる』とだけ仰ったけれど。概ねお察し、と言ったところね」
「参りました」
もろ手を挙げて、降参の姿勢をとる息子。
勝ち誇ったような歴戦の猛者。
「そ。だから、その辺のこともお聞きしなければ」
こうして(※ミズホだけは)いそいそと語らううちに、アイリスの塔へと辿り着いた。
細い木立が隠す小路の向こう側。彼女の住まいは、景観からして物語のお姫様じみている。とくに、悪者に捕まっているわけではないが。
強いていうなら、生来の病がちな体質に囚われている。どこか儚く、だからこそ遭えると夢のようで。
(――……夏霞。塔の星姫、か)
昨夜の宴で彼女が髪に飾っていた、白い花のように。安易にふれれば散ってしまいかねない、危うい美。楚々と匂い立つ控えめな所作に、けなげな振る舞い。水辺のあやめに似た清らかさ。
それでいて、押しも押されぬ公爵令嬢なものだから憧れる輩が増えて、気づけば一つ二つと呼称が生まれていた。大事な、大事な想いびと。
自分がふれられないものを、堂々と、あの男は何をしでかしたのか。
「おれは、ちょっと……。聞きたくない気もします」
「それもわかるわ」
正直なことね、と、少しだけ労りの色を乗せて、ミズホは背の高いキキョウの渋面を見遣った。
* * *
「あ。エヴァンス伯爵夫人! キキョウ殿も、ようこそ」
侍女の先導で入室すると、真っ先に続きの間から現れたのは、健康的なアイリスと言って差し支えない、ジェイド公爵家嫡子ルピナスだった。
ミズホは淑女らしく膝を折る。隣ではキキョウも騎士の礼を。
「ごきげんよう、ルピナス様。姉君のお加減はいかが?」
「えぇ。とりあえず起きていますよ。どうぞ」
折り目正しく礼を返したルピナスは、盛大な宴を最後までこなした疲れも見せず、爽やかに二人を案内した。
そうして、三人であの手この手で『あのとき、何があったのか?』を聞き出そうとしたのだが。
「いっ……、言えません。たしかに、お忍びのサジェス殿下でしたが。なっ、何も!?」
「……」
「(あったな)」
「(殿、下……!!!)」
すべらかな頬を染め、見ているほうがご免なさい、と思わせられる恥じらいを爆発させる少女に、一同はそれ以上の追及をあきらめた。