12 寮の夜、搭の夕べ
訓練や任務を終えた騎士たちは、街に住まうものは行きつけの酒屋で。騎士寮に住まうものは酒や料理を自分で用意して部屋飲みするものが多い。
翌日が非番ともなれば、それは顕著なわけで。
「――で、ですねサジェス殿下。アイリス嬢が何と言ったかわかります?」
「知るか」
アクアジェイル特産の透明な醸造酒の瓶を傾け、サジェスがくだを巻いた。グラスがちいさいので一気飲みはしていないが、ペースは早い。顔色は変わらず、むしろ普段より冷徹なので、相手が気心知れたキキョウでなれけばとっくに逃げ出していただろう。
キキョウは酒肴の薫製魚をつまみながら、にこにこと続ける。
「『では、最近の殿下が夜歩きをなさらないのは、キキョウ様のおかげだったのですね』と」
「よし。その解釈をぶち壊そう。どけ、行ってくる」
「だめですよ」
がし、と、遠慮なくキキョウがサジェスの二の腕を掴んでいる。見るものが見れば、そこにごくごく薄い魔法の皮膜が視えたかもしれない。
「この、不粋者め……!」
「貴方が不埒なんです」
堂々巡りの腐れ縁。
四年前から二年前まで、好き放題にアイリスの部屋に翔んでいたサジェスが足止めを食らうようになった元凶の青年は、どこか辟易とこぼした。
――母親同士が仲が良かったおかげで、次期公爵であるルピナスとも、可憐なアイリスとも幼馴染みとなれる栄誉に浴せた。その繋がりで、未来の国王陛下となるサジェスと友誼を結べたのだと思っている。
将来的にはルピナスの片腕に。
引いては、サジェスにとって信の置ける臣に、と願っている。だから。
(あのかたを諦められるのに)
はあぁ……と、長大な溜め息をついたキキョウは、ぽんぽん、とサジェスの肩を叩いた。
「妬かないでくださいよ。馬で相乗りしたこと」
「!! …………妬いてないッ」
「姫、すごく可愛かったですよ」
「殺す」
「まぁまぁ。閣下から言われてるでしょ。『姫に求婚するのは、デビュタントまで待て』って」
「わかってる……。あのアイリスを前に、言葉での求婚をひたすら抑えてるんだ。血涙もののお預けだぞ。お前こそ、わかるか? この辛さが」
「貴方の辛さ云々はともかく、あのかたの寝所に入り浸るのは、もうやめてください……。『何もない』一択としても、外聞的に気の毒過ぎます」
「力づくで抑えているくせに」
「当たり前です」
力づく――――障壁魔法。
キキョウが生まれつき身に備えたその能力は、王家のギフトほどではないにせよかなり稀有だ。
こうして王子をバリアで包むのは、王子自身への護りと北公息女アイリスへの守護を意味している。
不可視の障壁で魔力の流出を遮り、彼がアイリスの部屋に翔ぶのを防いでいるのだ。(※夜通しは不可能だし、短時間であってもくたくたになるが)
「お可哀想に。本来なら引く手数多な身の上ですのに。みんなそういう目で、あのかたを見るんです。それが、いったい何を意味するかわかっておいでですか」
「……」
「孤立です。先の茶会だって――」
「グレアルドか」
カタ、とグラスをテーブルに置いたサジェスが声色を変える。冷徹のさらに上。つめたいのに灼熱を思わせる苛烈さだった。
反射で背筋を伸ばしたキキョウが頷く。
収集した情報と合わせ、国王名代である彼には全て話すべきだろう。さらさらと、母から聞いた茶会の様子を報告した。顛末も。すると。
「内々の、夜会参加の差し止め通知。やるな、アイリス」
にやっと頬を緩めるサジェスが、若干為政者の雰囲気をまとう。
キキョウは呆れ顔になった。
「ご心配ではないんですか」
「下手な手出しや口出しが逆効果なことくらい、わかってる。北都に常駐できない俺にできることは限られてるし。……アイリスが、自身の裁量でさばけるなら何よりだ。それより」
言うだけ言って、ぐっと酒杯をあおった。底に残っていた少量を流し込み、椅子から立ち上がる。足元はしっかりしており、酔いを感じさせなかった。
「お待ちを。どちらへ?」
「夜風に当たりたいだけだ。心配しなくても、どこにも翔ばない。わかるだろう? 自分の術が外されれば」
「はい。まぁ、そうですが」
先に休めよ、と言い置いて、王子は露台のある続き部屋へと姿を消した。
* * *
「もうだめ……! 死んじゃいそうよ、ルピナス」
「えっ。なんで? あだ名??」
「そうよ!」
息もたえだえ。顔を真っ赤にしたアイリスがめずらしく、身も世もなく寝台にうつ伏せて枕をぎゅうぎゅう締めにしている。
いや。彼女が寝台で儚くなりそうなのは比較的よく見る光景なのだが(※縁起でもない)
そんなこと、と呟いたルピナスが苦笑とともに寝台に歩み寄る。見舞いがてら夕食前などに姉の部屋に寄るのは、幼いときからの日課になっていた。
寝台に腰かけ、自分と同じ藍色のまっすぐな髪を撫でる。いいこ、いいこ。
「そんなに悪い意味じゃないよ? むしろ、憧れてる騎士は多いっていうか」
「うそ。ううん、本当でも困る……どうしましょう。どんな顔して外を歩けばいいの」
「? 今までと同じでいいだろう。結構、アイリスが来てくれるとみんな喜ぶから。体調が良くて、気分が向いたときは足を運んでほしい。これは、弟としてというより、騎士団の一員としての願いかな」
「うう」
さらり、と指で梳いた髪の間に真っ赤な耳が見える。それでも、こくり、と僅かに首肯しているのを認めて、ルピナスはホッと胸を撫で下ろした。
それから、ふいに思い出したように付け加える。
「ダンスのおさらいもしたほうがいいな。私も。今度、一緒に練習しよう」
「…………うん」
わかったわ、と、蚊の鳴くような声でこちらを向いたアイリスは、まだ恥ずかしそうに瞳を潤ませていたが、思ったよりもしゃんとしていた。