11 キキョウとアイリス
「おや。お帰りですか、アイリス嬢」
「キキョウ様」
兵舎を出ようとすると、ちょうど街の方向から戻った第二隊の面々とばったり会った。
全員武装している。
一見ものものしい雰囲気だが、表情は晴れやかなので任務は遂行できたのだろう。
全員が騎馬。
つまり、正騎士のみの編成。剣と、実戦的な魔法に長ける彼らの通常業務とは、すなわち魔獣駆除を目的とする“遠征”だった。
* * *
北公領はゼローナの北の最果て。馬で半日の距離に魔族領との国境線がある。
ここ千年、人間とは異なる姿かたちの彼らとは国交もない代わりに戦争もない。
それでも、かの領域からあふれる“魔獣”と呼ばれるモンスターは強力で、こうして騎士団が定期的に国境付近を見回らねばならない。
魔獣駆除を専門とするハンターや冒険者、彼らを束ねる民間組合がなくもないが、国家としては騎士団が動く。
それを、北公領では“遠征”と称していた。
アイリスは立ち止まり、馬上の騎士たちへと労いを込めて淑女の礼をとる。
「お疲れさまです。皆様や、民に被害は?」
「お気遣いをありがとうございます、アイリス嬢。怪我人はいますが、どれも軽傷ですよ。国境付近の村も全部、無事です」
「それはよかったです……。主神と、あなたがたに感謝を」
「主神と貴女に感謝を」
アイリスが作法に則って祈りを捧げると、騎士たちもしずかな微笑とともに頭を垂れる。
では――と、彼らを迂回して去ろうとすると、ふと、キキョウから再び声をかけられた。
「お待ちを。塔にお戻りなのですよね? よろしければお送りします」
「え? いえ、そんな。それは」
アイリスは、まごついた。
後ろには空瓶入りの箱を抱える兵を二名待たせている。
彼らに視線を流すも、表情に変わりはない。重量そのものは苦ではないらしいが――
「隊長。あとは、明後日の朝まで非番ですね?」
「あぁ。後処理はやっておく。『夏霞姫』を送って差し上げるといい。夜は、実家か? 寮か?」
「帰寮します。おれじゃないと殿下は阻止できないでしょう」
「ははっ。違いない」
「???」
(……夏霞……。殿下を、キキョウ様が阻止??)
よくわからない暗号めいた会話に目を白黒とさせるアイリスをよそに、隊長とキキョウの会話は、ぽんぽんと進んだ。
結局、供をしてくれた兵二名は徒歩で来ることとなり、アイリスはキキョウの馬に乗せられることになった。
「馬は、お乗りには?」
「よく考えると、これが初めてです。すごく……高いんですね」
「怖いですか?」
「それなりに」
間髪いれずに返すと、爽やかに笑い飛ばされる。アイリスは鞍の端を握りながら、じとり、とキキョウを見上げた。
「……失礼。後ろから支えていますし、手綱は私が持っています。こいつは賢い馬ですし、どうぞ、体から力を抜いて――そうそう。お上手です」
あっという間に横座りのかたちで馬上に引き上げられたアイリスは、ようやく視界を馬首の前方遠くに向けられた。
(すごい……)
普段と、見える景色がぜんぜん違う。蹄の振動にふしぎと安心感を覚え、すう、と胸のすく思いがする。
栗毛の馬はやさしい目をしており、いまも穏やかな並足で歩んでくれていた。これなら塔まで五分とかからないだろう。
リラックスすると、キキョウに話さねばならないことが次々に浮かんだ。
「キキョウ様。先日は……その、お口汚しを申し訳ありません。弟から聞きました。殿下発案のトーナメントに参加されたと。準優勝だったのでしょう?」
「あぁ! あれですね。口汚しだなんてとんでもない。美味しそうでした。結局、一かけも食べさせてもらえませんでしたが」
「――えっ」
ほがらかな口ぶりに、思わずぱっと騎手の側を振り向く。その拍子に、わずかに肩とキキョウの胸がぶつかった。
「おっと」
「! すみません」
「いいえ。大丈夫ですか」
「は、はい」
夏だからだろうか。体温を適度に逃がすハーフプレートはマント越しにひやりとした金属の感触を伝える。
キキョウは眩しそうに瞳を細めており、台詞のわりに嬉しそうだった。
それで、アイリスは余計に混乱する。
「あの。菓子は二つ残っていたと……まさか殿下の総取りですか?」
「えぇ」
(さすが、甘党殿下)
ぐるぐると申し訳なさが脳裡を巡る。そんなアイリスに、キキョウはくすぐったそうに笑った。
「また、お元気なときに焼いてください。貴女さえよろしければ」
「もちろんです。それにしても、知りませんでした……キキョウ様も、甘いものはお好きだったんですね?」
「はい。まぁ」
アイリスは前方へと向き直る。サジェスへの小言も胸に秘めた。
よって、キキョウの顔は見えなかった。
「今度、夫人とご一緒に召し上がっていただけるようにがんばります。お非番のとき、いつでも塔にいらしてください」
* * *
到着後、塔からあわてて出てきた侍女の前で、キキョウによって、するりと馬から抱き下ろされる。
「ありがとうございました。乗馬、楽しかったです。どきどきしました」
「こちらこそ。非常に役得でした。今夜は、殿下にたくさん自慢ができます」
「……?」
にやり、と唇の片方を上げたキキョウが見慣れぬ悪人風で、アイリスは首を傾げる。そう言えば――と、思い出した。
「キキョウ様。『夏霞』とは? それに、殿下を阻止、というのは」
キキョウはまだアイリスから手を離していない。さりげなく腰に添えられていたそれをほどき、見上げる瞳に、サジェスと同じくらい長身の騎士はいたずらっぽく微笑んだ。
「『夏霞姫』ですね。ほかに『塔の星姫』というのもありますが……。貴女のことですよ、アイリス嬢。我々がこっそり、慕わしさを込めてお呼びしています。殿下のは、言葉通りです」
――夜間、サジェス王子に“障壁”を施すことで、あのかたの夜遊びを封じているんです、と、しれっと答えられた。