戦士の約束
書き忘れてしまいましたが、BGMは演歌です。
「だから、それじゃ話が通らねえだろうが」
階下から聞こえてきた荒々しい声に、ドライオは目を覚ました。
「俺を舐めてんのか」
野太い怒鳴り声が聞こえてくる。
うるせえな。
ドライオは舌打ちした。
昨夜遅くにこの村の宿にたどり着き、何日ぶりになるか分からない清潔なベッドに横たわったところまでは覚えていた。
気が付けば、窓から差し込む日の光はもうずいぶんと高いところから降り注いでいる。
「ふざけんじゃねえよ」
階下の怒鳴り声はまだ続いていた。
「そんなおかしな話があるかよ」
「ですから」
困り果てたような、別の男の小さな声が間に聞こえた。
「そうおっしゃられても」
「こっちは命を懸けてんだよ」
また荒々しい怒鳴り声。
がん、という何かがぶつかる音。
「おやめください」
懇願するような男の声。
「払うもん払えばこっちだってこんな真似しねえよ」
その怒鳴り声に、ドライオは低く唸ると、ベッドの上で大きく伸びをした。
「ったく」
そうぼやいて頭を掻く。
「うるせえな。眠れねえじゃねえか」
「悪いのはどっちだ。俺か、お前か。ああ?」
初老の村人相手に大声で凄んでいた体格のいい男は、ぎしぎしと階段をきしませて下りてきた男に鋭い目を向けた。
「おい、下りてくるな。こっちは大事な話の途中だ、引っ込んでろ」
そう言った後で、驚いたように目を見開く。
階段を下りてきたドライオの背が、自分よりも頭一つ分近くも高かったからだ。
「お……」
一瞬呑まれたような顔で、不機嫌そうなドライオを見上げた後で、その男は、へっ、と笑った。
「なんだ。あんたも旅の戦士か」
「朝からずいぶんと元気がいいじゃねえか、兄弟」
ぼりぼりと腹を掻きながら、ドライオは低い声で言った。
「おかげで目が覚めちまった」
「そりゃ悪かったな」
男は媚びるような目をドライオに向け、だが、と言った。
「あんただって俺と同じ戦士なら怒ると思うぜ。この村長のふざけた話を聞けば」
村長と呼ばれた初老の男は、凶悪な人相の男がもう一人増えたことで、ますます小さくなっていた。
「村長さんですか」
ドライオは欠伸交じりに頭を下げる。
「どうも。ゆうべからこの村に厄介になってます」
「いえ、そんな」
村長は顔の前で手を振る。
「おもてなしもできず」
「で?」
ドライオは戦士を見た。
「どんな話だって?」
「おう」
戦士は頷く。
「俺はこの村長に、村の外れに黒牙獣が出るからって退治を頼まれたんだ」
「黒牙獣」
ドライオは細い目を少し見開いた。
「そりゃちょいと厄介だな」
「そうだろう」
戦士は得意げに頷く。
「最初の話じゃ黒牙獣は一匹って聞いてたんだ。だが、実際に行ってみたら、獣は二匹もいるじゃねえか。こっちは死に物狂いでどうにか二匹とも片付けて帰ってきたんだ」
「ふむ」
「一匹と二匹じゃ話が全然違う。二匹退治したんだから、報酬は二倍出すべきだ。そうだろう?」
戦士はそう言って、手近の机の脚を蹴った。
がん、という音に、ドライオは、なるほどさっきの音はこれか、と納得する。
「だがこの村長は、出せないときやがった」
「多めにお出しします、と申し上げたんです」
村長は必死の顔で口を挟んだ。
「ですが、もともとの報酬の額も、この村では精一杯のものでした。二倍はとても」
「とても、じゃねえんだよ」
戦士は怒鳴った。
「こっちは命を懸けたんだ。この村のために死にかけたんだぞ」
「なるほどな。そりゃ道理だ」
ドライオは頷いて、ふらりと二人から離れ、床に無造作に転がされていたものを拾い上げる。
「おい、兄弟」
ドライオはそれを持ち上げた。
「これが証拠か」
「おう」
戦士はドライオを振り返って頷いた。
「黒牙獣の爪だ。倒した証拠に切り取ってきた」
「そうか」
ドライオは頷いて、血に染まった鋭い爪を見た。
「なるほどな」
「おら、村長さんよ」
戦士がまた机を蹴った。
「俺はあんたの頼みを聞いてあのおっそろしい化け物を狩ってきたんだ。しかも二匹だ、二匹。最初から二匹だと聞いてりゃそれなりの対策もできたものを、一匹しかいねえなんて適当なことを言いやがって」
「いや、私どもも、まさか魔物が二匹もいるとは」
「まさかだろうが何だろうが、現にいたんだよ」
戦士が怒鳴る。
「俺たち戦士は命を金に換えてんだ。銅貨一枚だってまけねえぞ」
その時だった。
背後から、ぱりん、という乾いた音がして、二人は振り返った。
ドライオの手の中で魔物の爪が砕けていた。
ドライオが握りつぶしたのだ。
「おい、兄弟。こりゃいけねえな」
ドライオは言った。
その口がにやりと歪む。
「黒牙獣の爪がこんなに簡単に砕ける筈がねえ。こりゃ、単なる山狼の爪じゃねえか」
「な」
戦士の顔が赤く染まる。
「てめえ、何を。いい加減なことを言うな」
「ああ、こっちもだ」
ドライオはもう一つの爪を持ち上げると、それも造作もなく握りつぶした。
「こりゃひでえ。黒牙獣と山狼じゃえらい違いだぜ」
「てめえ。この馬鹿力が」
戦士はドライオに向き直った。
「人の仕事にケチつける気か」
「ケチだと」
ドライオが笑う。
「ケチなのはてめえの根性の方じゃねえのか。お前みたいなのがいるから俺たちは迷惑するんだ。旅の戦士ってだけで無駄に警戒されちまう」
ドライオの腕の筋肉が大きく盛り上がった。
その太さに、村長が目を見張る。
巨大なドライオの体躯がさらに一層膨れ上がったように見えた。
「人の仕事の邪魔をしてるのはてめえだろうが」
笑顔のまま、ドライオは低い声で言った。
一歩、戦士に近付く。
「睡眠の邪魔をして、仕事の邪魔をして。ああ、気に入らねえな。どうしてくれるんだよ、兄弟」
ドライオの笑顔が大きくなった。
「俺はこの怒りをどこにぶつけりゃいいんだ」
「ま、待て」
戦士は言った。
「同じ旅の戦士同士じゃねえか」
「同じだと?」
ドライオの笑顔が消える。
「俺とお前のどこが同じだと?」
その顔を見て、戦士が息を呑んだ。
「あんた、まさか」
そう言うと、ぶるぶると震えだす。
「まさか、あの」
「思い出したんなら、それ以上言わなくてもいいだろう」
ドライオは言った。
「そうしねえと、せっかく思い出したことだけじゃなく、何もかも全部忘れちまうことになるぜ」
ひっ、と小さく悲鳴を上げて戦士は後ずさった。
「分かった。報酬は約束通りでいい」
叫ぶように村長に言う。
「最初の金額でいい。早くよこせ」
「おいおい」
ドライオは笑った。
「お前は村長さんと犬退治の約束をしたのかよ」
「い、いや」
「お前が勝手に犬っころを苛めてきただけだろうが」
ドライオはそう言いながらもう一歩近付いた。
「そんなお前の一人遊びに、村長さんが金を払ってやる必要があるのか?」
「そ、それは」
「あるのか?」
ドライオがまた一歩近づく。
壁際に追い詰められた戦士の顔が真っ青になっていた。
「ないです」
ついに戦士は首を振った。
ドライオは大きな熊のような手を戦士の肩に置いた。
戦士はそれだけで息を呑んで、今にも気を失いそうな顔をした。
「そうだな。分かりゃいいんだ」
ドライオは優しい声で言った。
転がるようにして戦士が宿を出ていくと、ドライオは、宿の主人が持ってきた水を飲んでようやく人心地の着いた顔をしている村長に近付いた。
「ところで、村長さん」
「は、はい」
村長が肩をびくりと震わせてコップを取り落としそうになる。
「何でしょう」
「結局あいつの話じゃ、まだ村はずれの黒牙獣は退治されてねえってことになるぜ」
「そ、そういえば」
村長はようやくそれに思い至った顔をする。
「そうでした」
「ちょうど、腕のいい戦士がここにいるぜ」
ドライオは微笑んだ。
「運がいいな。村長さん」
そう言って、ドライオは握りこぶしで自分の胸を叩いてみせる。
「なに、魔物が二匹出ようが三匹出ようが、俺は報酬を増やせなんてけちくせえことは言わねえからよ」
ドライオはひきつった顔の村長に、精一杯愛想のいい笑顔をしてみせた。
「旅の戦士ってのはちゃんと約束は守るんだ。安心してくれ」