V-iii. Jean et Silkya
サンドラの口から魔王様と聞き、ロランは思わず笑いを漏らす。魔王様。そうだ、ハルトラードはいかにもそんな雰囲気の男だ。妙に泰然とした暗い雰囲気に、翻る重たい黒衣。おともの女妖まで侍らせている。おともの女妖のシルキアは、隣のハルトラードにもたれかかったままの恰好で、子どもがお気に入りを説明するような調子でサンドラへこう言ってよこす。
「魔王様じゃなくて夜王様なの」
サンドラは不思議な表情で微笑む。ジャンはシルキアの顔を見て低い声で優しく言う。
「ややこしくするな」
それから前を向いて、アンドロイドのエリクに聞く。
「我々は一人分の枠なのだろう? 混ぜて話した方が早そうだ」
エリクは答える。
「はい。あなたたちは一人分です。ご自由にどうぞ」
それだけ聞くと、まわりの物問いたげな視線も気にせず、夜王様は陰鬱に語り始める。
「私の名前はジェザード・ラルフテス・ハルトラード。こちらではジャンで構わない。キーワードは【ヴァンパイア】と【夜】だ」
一つ区切ると、彼の胸元の少女が話し出す。
「わたしはシルキア。シルキア・ハルトラード。キーワードは、【サキュバス】と【月】だって」
エディが息を飲む。ロランは、ほらなという視線をエディへ投げる。月だなんてそれじゃしかたないじゃないかとエディは思う。ミラベルは【サキュバス】は一旦置いておくことにして、ジャンに聞く。
「【ヴァンパイア】って人の血を飲むの?」
ジャンが答える。
「ヴァンパイアは人の血を飲む生きものの総称だ。そういう単一の種族がいるわけではない。たしかに私は人の血を飲むが、私はつがいの血しか求めない」
そう言ってシルキアを見やる。シルキアは嬉しそうににこりと微笑む。さらに続けて「他の血では魔力を維持できないのだ」とも聞き、ミラベルはへえと目を丸くする。何か考え込んでいたサンドラが発言する。
「【サキュバス】っていうのは、大人の女だと思っていたわ。でもそれもきっと、そういう単一の種族がいるわけじゃあないのね?」
内心大いに面白がりながら成り行きを見ているロランは、おお、ねえさんサキュバスに突っ込んでくれたな、と思う。シルキアは、やはり【サキュバス】というラベルとはかなり開きのある幼い調子でサンドラの問いに答える。
「サキュバスは、精を吸う妖怪、の総称。わたしも欲しいのはつがいだけ」
はっきり言われて、エディはまったく消えてなくなりたくなる。ミラベルが頬を赤くする。サンドラは動じずさらに問う。
「じゃあ、それがなくなったらどうなるの?」
シルキアははっきりと答える。
「寂しい」
おお、と場がどよめく。ロランがへらへら笑いながらジャンに言う。
「それだけで済むのはこの城にいるからだろうな。普通はどうなるんだ、旦那」
ジャンが考えて答える。
「魔力が枯渇して休眠に入るだろうな。何百年も起きられないまま、そのままどうなるかは分からない」
ロランが言う。
「試したことがないからってやつか」
「そうかもしれない」
とジャンは言う。他に出ないようなので、次の項目へ進む。ジャンは滔々と話し始める。
「どこから来たかか。この城へ来て随分と経つが、ここへ来る以前は、ハルトラードという小さな城塞都市にいた。夜空だけを公転する、雲の上の城塞都市だ。夜城ハルトラードともいい、私はそこの王であった。シルキアは王妃ということになる。王の家系は少し特殊でな。我々には寿命がない。魂があって生命を持たない。代々の王と王妃は死なない。世に飽きて眠りにつくだけだ。王と王妃が眠りにつくと、次の王が現れる。どこから来るのか誰にも分からない。何代も前の王が目覚めるのだとも言われるが、記憶もなければ誰にも分からない。現れると我々はつがいを求める。何千年もかけて魔力を集め、自らの魂を二つに割るのだ。王のつがいは王妃となる。私のつがいもそうして生まれた」
淡々と言い終わると皆を見回す。
「二人分の回答になっただろうか」
エディは話に衝撃を受けてまったく何も言葉にならない。あの半月の夜の魔法は、シルキアをどこかから召喚したのではなく、ジャンが自分の魂を割る魔法だったのか。ああそういえば、床に描かれていたあの図形、あの円の内側に二人ともいたよなとエディは思い至る。それじゃあまったく、もうどうしようもない。他のみんなも、浮世離れした幻想的な話に引き込まれている。サンドラがシルキアに言う。
「夜の城の王だから、夜王様なのね」
シルキアがそうだよと頷く。ロランは吐き捨てるようにこう言う。
「血だの精だのは、魂を割るなんて無茶なことしたせいでそんなことになったんだな。早い話が歪みだ」
歪みと言われたジャンは、貴族然とした平坦な声でこう答える。
「我々はそういう生き物なのだ」
サンドラが聞く。
「王様がお城をほっぽり出してこんなところにいていいのかしら」
ジャンが答える。
「それには訳がある。ハルトラードの王城の地下には、都市の心臓がある。心臓という他に表現が難しいのだが、都市のすべてを支える機関だ。これが機能しなくなれば、都市の民はみな眠りにつく。都市の軌道も変わる。夜だけをゆく都市であったものが、今では流されるまま漂っている。永久機関のはずだった心臓の機能は衰退していた。もう動かなくなるだろうと、何代も前から予想され、そのときには静かに最後を迎えようと、民もみな覚悟していた。私が王である間に、それが止まるときが訪れたのだ」
ジャンはそのときを思い出したのか軽く溜息をつく。そして続ける。
「心臓が止まれば、魔力を得ることも難しくなる。だが私はつがいを得たかった。心臓の止まった都市を去り、この城を訪れたのはそれが理由だ」
サンドラがさらに聞く。
「その心臓、とやらを直そうとは思わなかったの?」
ジャンは答える。
「何代も前の王のころからそうした努力を気の遠くなる年月続け、その果てに無理と分かったからみな覚悟したのだ。生半可な覚悟ではない。都市は疲弊していた。もう十分だと、みな静かな眠りを望んでいた。もしかしたらそれが心臓の止まった理由かもしれない。歴代の王が眠りにつくようにな。私は求められない王だ」
最後は少し喋り過ぎたとジャンは思う。サンドラは考え込む。それほど長い年月というのが想像もできなかったからだ。飽きて眠りにつく、というのもまるで想像できなかった。ジャンは言う。
「もういいだろうか。次は得意分野か」
エリクが頷く。ジャンは考えて続ける。
「魂を割った際にほとんどの魔力を失っている。まだできることもあろうが、地上の魔導師とさして変わらないだろう。逆を言えば、地上の魔導師と変わらない程度の魔法なら使えるはずだ。シルキアも同じだ」
地上の魔導師って、あまり馬鹿にしないでよねとミラベルは思うが、それは言わないことにして、代わりにこう尋ねる。
「二人の得意な魔法はなあに? なんのエレメンタルの魔法?」
ジャンが答える。
「私のエレメンタルは『夜』だ」
シルキアも答える。
「わたしのエレメンタルは『月』、だと思う」
ミラベルはどちらのエレメンタルも知らなかった。もしかしたら、エレメンタルという言葉の使い方が違うのかもしれないと思う。他に質問も出ないようなので、最後の項目へ移る。ジャンは話し始める。
「最後はなぜ【探索】に参加するかか。有り体に言えばルパニクルスとの取引の結果だ。この城自体はルパニクルスの持ちものではないが、魔力含む動力はルパニクルスの地下機関に負うところが大きい。魔力を大量に消費する際は許可を得なければ中途半端なところで供給を止められてしまう。許可を得る代わりに【探索】に参加しろと条件を付けられ承諾してしまった。以上だ」
サンドラが驚いて質問する。
「この城はルパニクルスのものではないの?」
ジャンは「この城は誰のものでもない」と言うと、アンドロイドのエリクに「そうだな?」を同意を求める。エリクが答える。
「所有権という点ではその通りです。この城は狭間にありますから、ルパニクルスの支配圏内ではありません」
それを受けてジャンはさっぱりとこう言う。
「だから居心地が良いのだ」
ロランはなるほどなあと頷いている。サンドラはさらに聞く。
「貴方はルパニクルスや【探索】のこと、この城のことを以前から知っていたのかしら?」
ジャンは答える。
「【崩壊期】についてや、ルパニクルスが【探索】をしていることは、ハルトラードではごく普通に知られていることだったので、私も知識として持っていた。この狭間の城も知られていて、行き来する通路がかつてはあった。代々の王の隠れ家のようなものだな」
エディはそれを聞いて納得する。ジャンはこの城を以前からよく知っていたのだ。エディやサンドラのようにいきなり連れてこられたわけではないので、ここでのふるまい方に慣れているのだろう。よく知っていたから、あんな悪戯ができたのだ。ロランが言う。
「旦那の境遇もそうだが、この城がルパニクルスのもんじゃないっていう話は俺も知らなかった」
続けてエリクに尋ねる。
「魔力っていうのはここではインフラストラクチャーみたいなもんなのか? 場を維持する力みたいになっているのか? 他の人間も間借りしてるようなもんだとなると、その分はどうなる。それも対価を請求するのか?」
エリクが答える。
「いいえ、普通は何も請求しません。この場所はルパニクルスにとっても便利な使い道がありますし、動力の提供は公共の場への投資のようなものなんです。インフラストラクチャーという表現はこの場所については正確ですが、普通の方は、魔導師であってもその場自体の魔力を消費することはありません。ジャンさんは型破りな使い方をされたので、シルキアさんと今ここにいるだけで莫大な魔力を吸収しています」
ロランが呟く。
「とんだエナジーヴァンパイアだな」
ジャンはエリクに鷹揚に言う。
「代償は支払うのだからもうよいだろう」
エリクが答える。
「はい。契約は済んでいますから、履行していただければ何の問題もありません」
ロランがジャンに言う。
「終わらない旅なんざ、ずいぶんでかい代償だぜ。よくのんだな」
ジャンは大きなお世話だと言いたげに答える。
「もともと終わらない人生だ。これで少しは面白いこともあるだろう」
そしてシルキアの頭を撫でて言う。
「王妃と旅に出るのもよい」