XXIV-ii. Post Meridiem II
テオドロスはロランに、新しい推理ゲームの始まりでも期待するような調子で「じゃあ最高顧問の責任範囲についても、何か推測はある?」と尋ねる。ロランは面倒くさくなって「俺はそこまで考えちゃいないから、答えがあるなら勿体つけないで話せ」と素っ気なく返す。テオドロスはちょっとがっかりしつつ了解し、最高顧問の実態と魔原動機の更新について、認識している範囲内での説明を始めた。
「最高顧問っていう役職は、帝国の最初期からあるらしい。一番大事な責務はたぶん、ルパニクルスとの折衝で、元々そのために設けられた役職なんだろうと僕は認識している。帝国がルパニクルスと付き合うのは、この帝都サンブリアの中央庁舎にあるバランサー、もとい【守護者】の維持管理のためだ。帝都が【大陸の楔】って呼ばれているのは、都市の形が楔っぽいからだけじゃなくって、この大陸が暗黒化しないように繋ぎ止めてるらしい【守護者】がここにあるからじゃないかなあ、と思うのは、【守護者】のことを聞かされてるパトリキ階級だけだろうね。ユリウス家もルクレティウス家もパトリキの家系だから、僕もユーリも元々【守護者】の件は知ってたよ。パトリキでも官僚でもない平民は、ルパニクルスのことも普通は知らないはずだ。
バランサーは魔原動機と永久電池との調整役だけれど、その二つの動力源からエネルギーの供給が行われていないと、やっぱり正しく機能しないらしい。バランサー自体が正しいサイクルで再起動されててても、魔原動機か永久電池のどちらかがいかれたらお終いってことで、その二つの管理についても、最高顧問の責任範囲になった。そこから敷衍して更に、帝都に残る他のロストテクノロジー全般についても、最高顧問が最高責任者になったみたいね。ユーリが会合の最後に気にしてたのはそのことだよ。
ユーリは最高顧問になりたくてなったんじゃない。十年ごとに最高顧問を選びなおすルーレットで、意外なお鉢が回ってきただけだ。そのルーレットには、またものすごく胡散臭いところがあるんだけれど、今その話、聞きたい?」
テオドロスは【最高顧問のルーレット】の疑惑についてぜひ話したそうだったが、脱線が長くなりそうなのでロランはそれを断り、「それは後でいいから魔原動機の更新について聞きたい」と先を促した。テオドロスは残念そうに肩をすくめて続ける。
「永久電池は放っといても大丈夫で気持ち悪いくらいなんだけどね、魔原動機は三十二年に一度、更新が必要らしいんだ。更新の時期に当たった最高顧問は、どこかかから——まあ大体うち、ユリウス家の関連からなんだけど——インディゲナの女の子を調達してきて、何年かの準備期間ののちに、魔原動機の内陣で殺す。喉笛を掻き切って殺すのは最高顧問が自分でやらなくちゃいけない。ユーリの最大の憂鬱はそれなんだろうな。どうして誰か他の人にやらせちゃいけないのかは、僕には分からないけれどね」
僕なら喜んで代わるのに、と続きそうな気がしたのは、ロランだけではなかった。テオドロスとは付き合いの長いリコリスも、彼なら嬉々としてその滅多にない体験ができる機会を代わり、躊躇も思い煩いもなく職務を果たし、全てが済んでもまだ鼻歌を歌っていられるだろうと思っている。ユレイドではおそらくそう快調には進まない。彼はおそらく人並みに苦しみ、そのうえで正しく責務に身を捧げるだろうが、仕事が終わってからはどうなるか分からない。生々しい記憶をうまく処理して立ち直るかもしれないし、傷を残して病んだまま人が違ったようになるかもしれない。
話しながらテオドロスは、隣で静かに耳を傾けている少女——見かけの年頃からすると人柱にはまだ早いシルキア——と、彼女の隣で他人事のような態度を崩さず話を聞いているジャンに関心を向け、彼らがどんな反応をするかしないかを窺っていた。話し終わっても彼らは何一つ反応を返さなかったので、テオドロスは厄介な出来心を開放して、シルキアに話しかけた。
「話、退屈じゃない?」
子どもにこんな話の感想を聞くなんてとリコリスは呆れている。ロランはシルキアが見た目通りの子どもでないのを知っているので、どうなるか楽しみに見ている。シルキアはテオドロスの顔を見て首を横に振り、普段と変わらない調子で問い返した。
「更新、テオは見に行くの?」
テオドロスはシルキアと目を合わせてみて、相手の印象が定まらないので不思議な気持ちになる。そこにいる存在は確かなのに、存在に辿り着くまでにぼやかされて煙に巻かれるような、少なくとも彼がこれまでに感じたことのない感覚だ。物理的な視力とは別の、何か精神的な見る力——理解する力か?——を妨害されているようでもある。テオドロスは友人達が夢の中および【交霊会】中に感じたような性的な惑乱には陥らなかったが、非常に興味深い事項としてこの不可解な印象を受け止めた。彼は和やかに質問に答える。
「見に行くよ。君も行く?」
シルキアはまた首を振り「わたしは行かない」とはっきり答えた。答えはそれだけかと思ってテオドロスが理由を問おうとすると、それより少し早く、シルキアはロランに話を振って言う。
「ロランも更新を見に行けば、視察に行けなくても、魔原動機をちゃんと見られるね」
よかったねとでも言いたげな口調だ。嫌味でもなさそうで、辞退した二人を除けば、【探索】の六人の中で唯一見学の機会を逃しそうなのがロランなので、ただそのことを気にしていたようだ。明らかにずれた感性の持ち主らしいので、リコリスは安心する。テオドロスの嗜虐的な鉤爪はこの娘にはきっと通用しない。急に問われたロランは、単に見たいか見たくないかの二択なら前者に傾く微妙な好奇心を指摘されたようで、若干の決まり悪さを感じる。稼働している魔原動機を見ること自体はやぶさかではないとして、更新の現場まで見たいだろうか? 自問して否と言い切れないことに気付いた彼は、軽い困惑を含む視線をシルキアに向けて尋ねる。
「いや、その更新っていうのが見学できるもんだとしたって、あんたが行きたくない理由次第じゃ、俺も行きたくないけどな。なんで行かないんだ?」
テオドロスもそれを知りたかったので、シルキアに注目する。回答を期待されているシルキアは、いつの間にか困った状況になっていることにふと気が付いた、という表情で「どうしよう」と小さく呟く。儚げな少女が困る様子を見て、テオドロスは心中に愉悦の徴表を捉える。リコリスやユリアが口出しする前に、ジャンが一言で事態を収拾した。
「答えなくてよい」
それを聞いたシルキアは機嫌よく微笑んで「じゃあ言わない」と言うや、不満げなテオドロスと諦め顔のロランからはもう関心を外してしまった。諦めの悪いテオドロスはなおも追求しようとしたが、そもそも本題からは一本外れた外れた話であるうえ、これ以上は不毛と見たロランが制する。テオドロスが妙な気を起こしてシルキアに話しかけたりするから、こんな脱線が起こったのだ。ロランは話を元に戻そうとして言う。
「交渉役のうち二人は向こうにとって札付きだってことが、とにかく分かったよ。はっきり言って、接触段階から挫折したって仕方なさそうな話じゃないか? 署名して書簡を送ったとして、それがちゃんと届いて開封してもらえて反応が返ってくる目算は、どのくらいあるんだ?」
同じく脱線に辟易していたアランが答える。
「返事は来るだろう。交渉の場が設けられるかは分からない」
テオドロスも仕方なく本題に戻ってきて言う。
「つまりそれは相手次第か。託宣がうまく機能してくれるといいねえ」
うまく機能していないから魔女に乗っ取られていて、ロランを閉鎖区域に呼びたい魔女がこちらに都合のよい託宣を出してくれればいいのに、という話なのだが、相手次第な部分が残るのは今のところどうしようもなさそうだ。テオドロスはロランに尋ねる。
「僕達が対峙しなきゃいけないのはどんな相手なの? 地下組織を盾にしてるみたいな、招待状の主。魔女なんだっけ?」
その件については急に口の重いロランは「本人はそう言ってたな」と返し、少しの間黙ってから仕方なくその先を続ける。
「あいつは自分のことを【幻星の魔女】なんて言ってやがって、人を騙して陥れるような陰気な幻術がことさら得意だった。『【雲】をかける』ってよく言ってたな。あいつがいるとき、天気はいつも曇りか雨だ。砂漠でも放り込んだらどうなってたんだろうって、ちょっと考えたこともあるが、どうせ砂嵐にでもなって、恵みの雨になんかならねえだろうな。【雲】は霧になる。巻かれると気が触れる霧だ。それで領地の人間に殺し合いをさせるのがいたくお気に入りだった。そういう女だ」
テオドロスはRPGの強敵の話を聞くときと同じ真剣な顔でその話を聞き、「へえ」と感心したように頷いた。それから今度は攻略法を求めて続けざまに尋ねる。
「【雲】をかけて自分が偽物の星になるって魔法なんだね。その幻術についてもっと知りたいな。防ぐ方法とかないの? 霧は毒ガスみたいな感じ? 気が狂う前に気付いて避けたりは無理?」
乗り気なテオドロスに押されつつ、どうしても気乗りしないロランは最初の問いから答える。
「残念ながらあいつの幻術だけは俺にも見破れない。防ぐ方法なんかあったら、一番教えてもらいたいのは俺だ。とりあえず、あいつの発言には信用のおけるものは一つもない。端から全部疑ってかかった方がいいし、何か動揺を誘うようなことをよく言ってくるが、まともに聞くな。あいつの前では感情を殺せ。人間でなくなった方が生き残りの可能性は高い」
この戦略はロランの実体験に基づくものだが、いつも完全なその場しのぎで、将来を踏まえた対抗策ではない。相手から感情的な反応がなくなると、より効果的な刺激を与えるべく意欲を燃やし、かえって精力的に謀略を練るのが魔女の常だった。この世に魔女が存在している限り、苦難はロランに訪れる。殺しても復活し、別世界に逃亡してもこうして関わってくるのなら、もはや何をやっても——自殺したらどうだろうか?——最終的な解決にはならないかもしれないという絶望は、宿命めいた強制力をもって彼に諦観をもたらしていた。
ロランの気鬱を尻目に何か考えている様子だったジャンが、静かな口調で尋ねる。
「君のまやかしを見破る能力は、その魔女と関わりのあるものだろうか」
魔女の幻術を見破れないと言ったところから推測したのだろうか。ロランは思い切り嫌そうな顔をして黙る。しかし、わざわざ口に出して認めるのが嫌なだけで、特別隠したいような事柄ではないので、少しして彼は渋々答えた。
「そうだ。俺は大昔にうっかりあの女の血を飲まされたことがある。そのせいだろうな」
ロランにとって、生家での出来事はほとんど全て思い出したくもないことだが、そのときのことは特に酷い部類の一つだ。往時の彼は若く、今よりも迂闊だった。何の気なしに飲まされたものにおぞましい相手の血が含まれていたことをあえて聞かされたのは、今では便利に使っている力の発現に気付いてそれに戸惑ってからだ。力に気付いたきっかけも、ロランの思うところによれば、魔女の悪意に満ちている。夜半にたびたび彼を訪れたすばらしく美しい夢魔の娘は、血を飲まされたその夜から醜怪な魔物に変わり、彼は望んで耽溺する夢と少しの慰めをそれきり失った。
テオドロスは詳しく話を聞きたそうだったが、ジャンはそれ以上追及せず「それで、魔女の霧とは?」と話を元に戻す。彼にとっても魔女の話は未知なのだ。テオドロスに根掘り葉掘り聞かれるのはロランも願い下げだったので、ありがたく思いつつ霧についての見解を答える。
「霧は厄介だぞ。あんたとそこのサキュバスならどうにかできるんじゃないかと思ってたが、交渉の場にはあんたらはいない。【雲】が霧になると言ったが、閉め切った屋内にでもあいつは無色の霧を出せる。火山ガスみたいに臭いがあったり、身体に何か影響が出るわけでもない。頭がおかしくなる前に自分で気付くのはまず難しい」
ロランはそこで話を止め、ジャンに問う。
「入場制限のある交渉の場にはいない。だが、閉鎖区域であれと対峙するときには、あんたらは協力してくれるのか?」
協力する気があるからこの話し合いの場に留まってくれているのだと、この場の皆はなんとなく認識していた。しかし、エリクが言った、魔女にはあまり関わらせない方がいいというルパニクルスの演算結果もある。その結果の根拠は誰にも分からないが、分からないのでいたずらに無視もできない。皆の期待を浴びつつ、ジャンは変わらない調子で答えた。
「表には出ない。だが、外側から場の統制は見守ろう。この地や《β世界》について調べたのは【探索】の行き先がここと聞かされてからだが、ゆうべ訪れた感覚では、我々にも陣取り合戦の利はありそうだ。方法はアランに聞けばどうにかなるか?」
アランは頷いた。ロランは少しずれたところに驚いて尋ねる。
「こっちのことは元々知ってたんじゃなかったのか?」
アランからインディゲナの起源についての話を聞いているテオドロスも、ロランと同じことを疑問に思いつつ、別の失礼な質問を重ねる。
「統制争いができるなら、どうして昨日はやられっぱなしだったんだろう?」
ジャンは鬱陶しい虫を見るような目でテオドロスを見た。アランが呆れ半分憐み半分といった態度でテオドロスに声を掛ける。
「まるで『正規の手順』を踏んだようだとゆうべ言っただろう」
テオドロスは「ああそうか」と納得した様子で引き下がった。インディゲナは、帝国の専用機械を利用するという正規の手順なしに、《β世界》にトリップできる。彼らには利用に必要な市民ライセンスがないので、実際にはその正規の手順でのトリップができないのだが、もしできたなら、インディゲナとしての能力は機械の複製漏れとなり、既に実力を証明済みのアランでも無力な存在になってしまうに違いない。
臣下が虫を払ったのを見て、ジャンはロランの問いに答える。
「あのときは聞き覚えのない地名だったな。ハルトラードはどこにもあり、どこにもない。狭間の城のようなものだ。落ちた民の末裔がここにいたとして、この地のことを私が知っている理由にはならない」
それを聞いて今度はアランがもの問いたげな顔をする。ジャンは聞かれる前に彼の顔を見て答えた。
「血の記録は君の上にも残されている。私はこの土地の名を知らなかったが、今日までの経緯は君の上の記録から補完させてもらうことができた。地上を知る機会は愉快だ」
アランは誘われるように問う。
「私の上の血の記録を、私も読むことができますか?」
ジャンは表情を変えずに否と答え、不穏な提案をする。
「読めば君の器は壊れる。量の問題だ。死の間際に全て分かるよう、呪をかけようか?」
またとんでもない魔法を休暇中に使おうとしている気がして、ロランは少しだけ心配になる。この戦力に倒れられると確かに困るのだ。霊薬は残り少ない。恐ろしげな言葉に不安を浮かべるユリアとは反対に、アランは喜色を表し「そうしていただけるなら、是非に」と頷いた。何か裏があるかもしれないとは思わないのだろうかと、ロランはこれもまた心配する。テオドロスは魔法を見る機会の到来に期待の面持ちだ。リコリスもテオドロスと同じ顔をしている。
ジャンは黙って右手を差し伸べて、祝福する司祭のようにアランの額にかざし、少しして離す。呪をかける動作はだだそれだけだ。アランは一言礼をして厳かに言う。
「死を恐れない理由が一つ増えました」
悲観と楽観の極大が一致したような言い様を聞き、ユリアは余計に不安そうな顔をした。見ていてもよく分からなかったテオドロスは、後でアランに話を聞こうと思う。リコリスはもう少し複雑な感想を持ち思案顔だ。ロランはこの呪いの行方についてどうにも不吉な想像をしながら、今の一瞬でどれだけの魔力が消費されたのか気にしている。例のごとく気軽な調子で使われた魔法だったが、その内容は壮大に聞こえた。ロランが注意して見ていると、案の定と言うべきか、ジャンは急に疲弊した様子で溜息をつき、話し合いの終わりどきに言及した。
「もうこれ以上話し合っても何か進展はないだろう。今決まっている内容で封書を送り、反応を待つのはどうか?」
ロランはその意見に同意する。テオドロスも頷いた。他の者達からも特に反論はない。
こうして話し合いはお開きとなったところで、テオドロスが自分の端末の表示を見て思い出したように言う。
「そうだ、ユーリから伝言。国王夫妻とセニエール氏は上で端末もらえるって。ユーリが見栄を張って最新機種」
どんなものか見に行こうと、座り通しが厭になってきていたリコリスとテオドロスはさっさと席を立つ。彼らにとって新しいものは、過去から来たロランにとっても間違いなく新しいものだ。帝国人が重宝している端末という珍奇な代物には元々興味をそそられていたので、ロランはリコリスにせっつかれるまでもなく一緒に席を立った。
ちょっとした喧騒の中で、アランも封筒に封をして立ち、傍でそれを見るともなしに見ていたジャンにそっと尋ねた。
「なぜ、あのとき反対されたのですか?」
ジャンは一緒に立ち上がりながら「何のことか?」と聞き返す。単に質問が伝わらなかったと受け取ったアランは、質問の内容を補足して言う。
「あの女を殺すなと伝えられたように見えました」
ゆうべの《β世界》での出来事だ。ルパニクルスの手先として働かされていた女が死を願ったとき、アランは遠くにいたジャンから、そんな助言——確かに命令ではなかった——を受け取った気がした。もしそれが事実なら、助言の根拠を知りたいと彼は思うのだ。あのような苦境に陥ってもまだ生きなければならないとは考え難く、そもそも彼の考えでは生は義務ではない。それでは、どういった思惑の上に、殺すなという助言があったのか? あれからそれだけ気になって仕方なかった彼は、息をつめて答えを待つ。
ジャンは歩きながら、やや素っ気ない口調で答えた。
「身代わりにされるのが落ちだったからだ」
それではあれは自分に対する気遣いだったのかと気付いて、アランは恐縮しつつ礼を述べる。
彼が暗に恐れていたのは、単純に死なないことを肯定するような粗暴な最善説だったので、ジャンの回答は彼に安堵をもたらした。しかし、助言に従わなかった場合のことを考えると、その想像は肝の冷えるものだ。あの場で選択を間違えていれば、今は自分があの女の代わりに、終わりの見えない隷従の鎖に囚われていたかもしれないという考えは、心を芯から冷たくさせるだけでなく、後味の悪さをも呼び起こす。
隣でユリアが同じようにぞっとしない表情を浮かべているのに気付いたアランは、ここに戻ってこられたことを改めてありがたく感じる。ユリアは、交渉人全員が無事に帰還するために役立つという話だったが、少なくともアランにとっては、どこかへ『帰る』ための動機となることは間違いない。
ロランはリコリスとテオドロスと会話しながら、背後のアラン達のやりとりも気にしていた。聞いていないふりをして聞いていた彼は、機を見てリコリス達との会話を抜け、後ろのジャンに小声で問いかける。
「あんたらは、どういう立ち位置で関わるつもりなんだ?」
ジャンは本当に質問が分からない様子で「どういう、とは?」と聞き返すので、ロランは質問の内容を明確にして問い直す。
「助けてもらったお礼なんて概念がおまえらにあるのか疑問だが、とりあえずそこの臣民は身内だから、そうやって気にかけてやったんじゃないのか? 地下組織や魔原動機の人柱は身内か?」
ジャンは「身内……」と語の意味を確認するように呟くと、やはり聞かれていることが分からないのかなかなか答えない。なぜそんなことを問われるのか結局分からなかったらしく、彼はその分からなさをそのまま返してきた。
「君がなぜそんな発想をするのか、よく分からないのだが……。あのとき彼に忠告してやろうと気が向いたことは確かだ。後はどうでもよい。好きに解釈しろ」
故意に言い逃れをしているふうでもないので、ロランは質問が適切でなかったか、自分の方に何か思い違いがあるのかと慎重になる。しかし、どうしても気になったので、彼はもう一つ問いを投じる。
「そのどうでもいい相手かそうでない相手かの境目は、何なんだ?」
ジャンは今度こそどういうつもりかと訝しげな視線をロランに向け、同じ内容を問い返した。
「君は難しいことを聞く。自分で同じ問いに答えられるのか?」
そう言われてロランは黙ってしまう。会話の文脈を踏まえ質問の意図が伝わる前提で問いかけたはずが、伝わっていないのか、はぐらかされているのかどうかも分からない。質問文をそのまま返されても答えられるものではなし、今度も質問に失敗したかもしれない。ロランが考え込むのを横目に、ジャンは簡潔な回答を投げてこの話を打ち切った。
「全て気が向くかどうかだ。私の答えは他にない」
どうやらこの偏屈に聞いてもこれ以上は出てきそうにないと見て、ロランはシルキアにも聞いてみることにする。
ロランにどう思うかと聞かれたシルキアは、やはり不思議そうに彼を見上げ、それでも少し考えて、どうでもよいかどうかの定義を漠然と返した。
「考えたくなるか、考えたくならないか。だから私の答えも、王様と同じ。そのとき気が向く以外に理由がないと、ロランは嫌?」
ロランはどうにも調子が狂う。彼はシルキアの問いに「嫌ってわけじゃないさ」と返してから、「ちょっと不安になっただけだ」と言い足して、自分でそう言ったことについて内省の海に沈みかける。そうして自分は不安なのだと気付いた彼は、それだけ自覚してから、二人にもう一つだけ質問した。
「魔原動機を止めてやりたいと思うか?」
ジャンはちょっと首を傾げて答えなかった。シルキアは、漠然と天井を超えて遥か斜め上方——その視線をまっすぐ正確に辿れば、魔原動力のある庁舎の上層へ着くだろう——を見上げ、そこにどうでもよいものを一つ認めるようにこう言った。
「どうにもならないものは、どうでもいいもの」
どうにもならないものとどうでもいいものは違うだろうとロランは言い返したくなるが、考え直してみると、全く違うとも言い切れない。『どうにもならないもの』は、もしかしたら、『どうにかしたいもの』なのかもしれないが、本当にどうしようもないのなら、どうにかしたいと思ったところでそれは無駄かもしれない。無駄に違いない。しかし、無駄に違いないからと言って、どうでもいいと割り切れるかは別の話だ。




