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XXI - ii. Nightmare Cage

「起きろよ。家に帰る時間だ」

 どこかで聞いたような声でそう言われるのを聞いたミラベルは、反射的に起き上がり逃走の構えを取る。どこかへ駆け出そうとして我に返る。あたしは今何をしていたんだっけ? 大体、ここはどこなんだ。とりあえず知らない場所なのはたぶん確かだ。

 辺りは静まり返っている。声の出所は見当たらない。着ているものは誕生会の白いドレスで、かぎ裂きも血の染みもない。密かに走りやすさを考慮して選んだ庭園の泥の跡一つない靴は、群青色の毛足の短い絨毯を踏んでいる。窓のない部屋だ。対して扉は同じ面に三枚。天井に平たい光源が一つ。殺風景でなにもないのに、張り詰めたような急かされるような、どこか嫌な雰囲気。なんだか嫌な場所だわと、彼女は自分で自分を抱き、身を震わせる。なにかが起こっている。そんな気がしてならない。

 ミラベルは並んでいる三枚の扉を一つずつ調べてみることにする。とりあえず、出口を探したい。部屋から出た先に何があるのかは、まったく分からないのだが。左端の扉に近づいてみて、彼女は落胆する。これは扉ではない。壁紙に精巧に描かれた、ただの絵だ。あまり真に迫っているので、遠目には本物でないと分からなかったのだ。その隣の扉、つまり中央の扉も、見ればただの騙し絵だった。気が急いているミラベルは、その仕打ちに無性に腹が立って、扉の絵の真ん中を思い切り蹴とばす。壁紙の向こうは石か何かのようで、壁はびくともしない。どうせ、右端の扉も同じだ。そう思って近づいてみると、意外にもその扉だけは本物の扉のようで、木目のある鏡板にも金属製のドアノブにも触れることができた。鍵穴は一見したところ見当たらない。そのドアノブに触れたときに静電気が走り、その対策をすっかり忘れていたミラベルは舌打ちして下品な悪態をつく。そんな言葉を口に出すとかつては叱られたことを思い出し、もっと挑戦的に、もっと酷い言葉を追加で並べ立ててみる。これで少しはすっきりした。すっきりした勢いに任せ、彼女はもう一度ドアノブに触れる。右へ回して引いて開かないので、押してみて、それから反対周りでも引いて押してみるが、どうやら扉には鍵がかかっているようで、引っかかって開かない。

 ミラベルは「何なのよ!」と叫びながら、扉の上の方を拳でどんと叩いた。すると、扉の向こう側から、怯えた様子の娘の声で応えがある。

「あの、この扉は、こちらからも開かないんです。鍵穴はあるのだけれど、この部屋には鍵が見当たらなくて。どちら様ですか? 扉のそちら側は、どうなっているの?」

 ミラベルは先ほどの悪態を思い出して恥ずかしくなりながら、聞こえてきた声に答える。

「あたしはミラベルよ。扉のこちら側は、何にもない部屋。出入口はこの扉だけ。つまり閉じ込められてるの。気が付いたら一人でここにいて、ちょっと頭に来てるところ。あなたは誰なの?」

 声は答える。

「私はユリア。ユリウス家の長女だからユリア。テオドロスの妹です。状況はあなたとほとんど同じよ。気が付いたら一人でここにいて、ドアは開かないし、仕方がないから、ジグソーパズルで遊んでいるの。そうね、ここにはジグソーパズルとテーブルと椅子、それから開かないドアが三つあるわ。このドアと、あとの二つはただの騙し絵。あなたもここへ来られたらいいのに」

 それでは、本物の扉はこちらと向こうの二部屋合わせても目の前のこの一枚だけで、この扉を開けられたとしても、繋がった二部屋の外には出られないことになる。それなら一体、ミラベルと扉の向こうのユリアは、どこからどのようにしてこの閉じられた空間に入ったことになるのか。ミラベルは落胆しつつ、気になったことを聞いてみる。

「ジグソーパズルって何?」

 扉の向こうから答えがある。

「ばらばらになった絵を、元通りに組みなおす玩具よ。ここにあるのは、たぶんわりと大きいからまだ全然組み終わらなくて、元が何の絵だかもまだよく分からないの。あなたがこちらへ来られたら、一緒に遊べるのにね」

 声は本来の落ち着きを取り戻した様子だ。ミラベルもだんだん落ち着いてきて、もう一度ドアノブを回してみてから、扉の向こう側へ問う。

「鍵穴はそちら側にあるけれど、鍵はそちら側にもないのね?」

 間を置かず回答がある。

「ないわ。たぶん。探す場所もないのよ。机の下にも、椅子の下にも、上にもないわ。ポケットの中にも」

 ミラベルは扉を壊す決心をした。壊すと決めたら、問題は壊し方だ。魔法の杖は今手元にない。よって高出力で消し飛ばすのはなしだが、この程度の扉なら、そこまでしなくても開けられるだろう。ドアノブを中心に小規模な爆発を起こせば、たぶんその辺りにある錠の機構も一緒に消えてなくなるはずだ。危ないけれど。発動する魔法の術式まで決めると、ミラベルは扉の向こうに向かって、「この扉をぶっ壊すから、ちょっと——いや、念のためだいぶ——離れててくれる?」と注意を促す。

 少し間を置いて、「離れたわよ!」という返事が戻るのを確認して、ミラベルは先ほど決めた位置に魔法を放った。籠った爆発音がして、白煙が上がり、壊れたドアノブは床に落ちる。扉は僅かに向こう側へ傾き、ミラベルがそっと押してみると、大きなテーブルと椅子のある景色が白煙の向こうに見えるようになった。こちら側と点対称の部屋。破錠は成功だ。出力の妙で、余計なものまで燃やさずに済んだ。テーブルを挟んで向かい側に避難していたユリアが、呆気にとられた様子で言う。

「なあに、爆発? 爆弾でも持っていたの?」

 ミラベルは扉の残骸を後ろに、胸を張って答える。

「爆弾って、魔法が使えない人達が戦場で使うやつ? あたしは魔女だから、そんなものいらないわ」

 ユリアは調子を合わせられる娘のようで、ぱちぱちと拍手をしてミラベルを喜ばせる。盛り上がったところで、ユリアはミラベルに問う。

「魔女って、本当にいるのね。ねえ、道具がなくても魔法が使えるの? どんなことができるの?」

 ミラベルはテーブルの上に広がっているばらばらの欠片を気にしながら答える。

「魔法の杖があればもっと色々なことができるけれど、なくても、何か燃やしたり、宙に浮かせたりはできるわよ。ちょっとだけだけれどね」

 テーブルの上には、似たような小さな欠片——描かれている絵が微妙に違う、よく見れば形も少しずつ違う——がたくさん散らばっている。散らばっているもので全部ではないようで、残りの欠片は平たい盆の上に山盛りに積み重なっていた。ミラベルは手近なところにあった欠片の一つを魔力で掬い上げ、目の前にふわふわ浮かせたままユリアに質問する。

「これが、ジグソーパズル?」

 ユリアは神妙に頷いて、ミラベルに椅子を一つ勧めながら言う。

「そうよ。それはジグソーパズルのピース。ばらばらになった大きな絵の一部、のはず。一緒に完成させましょう」

 ミラベルはおとなしく勧められた椅子に腰かけて、改めてテーブルの上を見渡す。真ん中に大きな長方形の板が置かれていて、この板の上に絵を完成させる手筈らしい。二つか三つの欠片が組み合わさったものが幾つかと、四つの辺のどこかに当てはまると思われる一方が直線の欠片が幾つか、板の上に置かれている。どのような絵になるのかは、これだけではまだ見当がつかない。バターのような黄色の欠片と、黒か濃い紺の欠片が多いようだ。ユリアは盆の上の山から適当な量のピースを両手で掬い取り、ミラベルの前の空間に置いて依頼する。

「端っこのピース——こんな風に、一方の端がまっすぐになっているピース——を探しているの。角がある四隅のピースが見つかればラッキィ。見つけたらこの板の上に並べて、他にも組み合わさりそうなのがあったら組み合わせてみるの。そうしたら、少しずつ出来上がるはず」

 ミラベルは「大変な遊びなのねえ」と呆れつつ、言われた通りに探し始める。何度か盆からピースを取り直し、目的のピースを幾つか発見し、四隅の一つと、まぐれで幾つかの組み合わせを発見した頃には、単純なようで小さな達成感もある作業にすっかり夢中になっていた。暫く黙って作業を進めていたのだが、ユリアの方はパズルに集中しながらもミラベルに話しかける機会を伺っていたらしい。見つかった端のピース同士の組み合わせを試しながら、彼女は疲れた様子で口を開く。

「会合で兄様がした話、どう思った?」

 どの話のことかとっさに思いつかなかったミラベルは、そのままの問いを返す。

「どの話?」

 ユリアは躊躇し、ピースの組み合わせに一つ成功した勢いで答える。

「駆け落ちの話」

 ミラベルは返答に困る。どこまで聞いてよい話なのか分からない。テオドロスの話を聞いてどう思ったか? どう思っただろう。分からないのでこう答える。

「あたしはやったことがないから分からない。家出ならしたけれど、そのときは一人だったから」

 ユリアは興味をそそられた様子で尋ねる。

「家出ってどのくらい続いた?」

 ミラベルは見つけたピースを板の上に並べて答える。

「今までずっと。時間は測り方が分からなくなっちゃった。でももう絶対戻らない。絶対に」

 先ほど聞こえた謎の声——あれは夢うつつだったのか?——を思い出したミラベルは、『絶対に』につい力を込めた。ユリアは「戻らないで済んだのね」と驚き混じりに確認すると、更に質問してきた。

「どうやって抜け出したの? どうして戻らないで済んだ? 時間の測り方が分からなくなったって、どういうことかしら」

 ミラベルはこれまでの経緯をなるべく搔い摘んで話す。ユリアはその奇妙な物語を興味深く聞き、話が一段落すると、長い溜息をついてこう言った。

「大変な話ね。でも、それなら本当にもう戻らなくて済みそう。私達は連れ戻されちゃったの。これからどうなるのかも分からない。どうしたらいいのかも分からない」

 今ならいいかなと思い、ミラベルはユリアに質問してみる。

「そっちの事情を聞いてもいい? 話したくなかったら、言わなくてもいいけれど。話したら、すっきりすることもあるかも」

 ユリアはこくりと頷いて、自分の話を始めようとした。しかしその話は、「私はね——」と言いかけたところで、いつの間にか現れた闖入者の「その話、僕も聞きたい」という無遠慮な一言によって遮られる。壊れた扉の向こうから現れたその男は、エメラルドグリーンの長衣を羽織り、その下からは派手な色模様の絹地の衣装を覗かせていた。足元は、裸足に布地の突っかけ履きだ。ユリアがさっと立ち上がり、強い口調でその人物を問い詰める。

「お兄様、説明してください。この状況はどういうおつもりですか?」

 緑色の闖入者——テオドロスだ——は、それは全く心外だという素振りで逆に聞き返す。

「なんで僕に聞くの? 僕はこの状況には関係ないよ」

 ユリアは語気を弱めず彼に問う。

「どこからここにいらっしゃったの? どうしていらしたの?」

 テオドロスは両手を挙げて降参の仕草をしながら、相変わらずどこかふざけた調子で答える。

「パジャマのまま廊下に締め出される悪夢を見ていて、その辺のドアを開けたら、たまたま開いて君達がいたんだ。——あれ、でもなんかこのドア、壊れてる? 開けたときにはドアノブもあったし、こんなにボロボロじゃなかったんだけどな……。さっきの廊下もなくなってるし。まあいいや。とりあえず、何でも僕の陰謀だと思わないでくれよ。一体これまでに、僕が君に何をしたって言うの?」

 ユリアは眉を顰めて俯き、それから心底嫌そうにそっぽを向いてこう返す。

「白々しいことをおっしゃるのね。それはご自身の胸の内によく聞いてみるといいわ」

 テオドロスは腕組みして言い返す。

「いいや、君に聞いた方が早そうだ。どうしてそんなに腹を立てているのか、どうしてずっと避けられているのか、僕にはさっぱり分からない。あのね、言っておくけれど、本当に分からないんだからね。僕のことを、まともに空気の読める人間だと思っちゃいけない。空気の読める君なら、そんなこともう分かるだろう。さあ、はっきり言いたまえ。一体何に腹を立てているんだ。聞いたうえでそれが事実なら、それなりに対応しようじゃないか」

 ユリアはいかにも悔しそうに俯いて黙っている。事情は分からないながらユリアを応援したい気分になりつつ、ミラベルはどうしても看過できないことを指摘する。

「あのちょっと、喧嘩する前に、『さっきの廊下もなくなってるし』ってどういうこと? テオドロスさんはどこから来たって言った?」

 テオドロスはふっと微笑んで腕組みを解くと、またもや芝居がかった仕草で髪をさっとかき上げてミラベルに言う。

「テオでいいよ、ミラベルちゃん。よそよそしくされると悲しくなっちゃうよ。僕達はもうお友達じゃない」

 最後は軽く片目を瞑って見せる。やっぱりこの人はすごく変な人だと思いつつ、ミラベルは曖昧に微笑んで言い直す。

「ええと……それじゃあテオ、貴方がそこから来たって言う廊下は、なくなっちゃったの? その壊れた扉で繋がってるこの二部屋は、出入口なしの状態に戻っちゃったってこと?」

 テオドロスは満足げにうんうんと頷いて、後ろの扉をちらりと振り返ってから答える。

「廊下はなくなってるね。僕が開けてここに来たはずの何の変哲もないドアも、この壊れたドアに変わっちゃったみたいだ。誰が壊したの? ここはどこ? 出入口なしかどうかは、これから確認してみよう」

 そう言うや否や、テオドロスは壊れて開け放しになっている扉の向こうにいなくなる。よもや消えてしまったのではとミラベルが様子を見に行くと、ミラベルが最初にいた部屋はまだそこにあり、テオドロスもそこにいて騙し絵の扉二枚を鑑賞していた。彼は絵の扉から離れたり、また近づいてみたりして言う。

「すごいね。完璧な騙し絵だ。これはどう頑張ったって開きっこないよ。壁なんだもん! ねえ、唯一本物のドアを壊したのは、君かい?」

 陽気に問いかけられて、ミラベルはどんな顔をして答えたものか分からなくなる。つい言い訳めいた口調で答える。

「最初この扉には鍵がかかっていて、開けられなかったの。私はこっちの部屋、ユリアは向こうの部屋にいて、知らない場所にばらばらでいるのは不安だったから、仕方なく扉を壊したのよ。鍵がどこにもなかったから。鍵をかけるなら、その鍵を近くに置いとかない方が悪いんだわ!」

 言い切ったところで、ユリアが様子を見に来る。一人だけ取り残されるのは不安だったようだ。ユリアは疲れた表情で、二人に言う。

「向こうの騙し絵も見る? 見たら、パズルの続きをしましょう。兄様も、手伝って」

 『パズルの続き』という言葉に、ミラベルとテオドロスは揃って顔を見合わせる。テオドロスが聞く。

「テーブルの上のあれ、ジグソーパズルだよね。そういえばなんで、二人ともパズルに夢中になってるの? なんでジグソーパズルなんだろう? 楽しそうだけれど」

 今度はミラベルとユリアがお互いの顔を見て考える。どうして二人して没入していたのか。思えば解答は明白だった。先に遊び始めていたユリアが答える。

「どうしてジグソーパズルなのかは分かりません。とにかく部屋にあれがあって、他にできることがなにもないから」



 騙し絵の扉を一通り確認し、テーブルの上のジグソーパズルを見たテオドロスは、山からピースを適当に掬っては戻し、掬っては戻ししながら、困った顔をして言う。

「うわあ、これは難しそうなパズルだね。同色系のピースがいっぱい。無策じゃ時間がかかるかもしれないよ。無策な方が、遊びとしては面白いんだけれど」

 ユリアはぶすっとしている。ミラベルはテオドロスの発言に少々期待して聞いてみる。

「無策じゃなければ早く出来上がるかもってこと? 何か策があるの?」

 テオドロスは「こういうのあんまりやったことない?」とミラベルに質問を返す。ミラベルが「ない。こんな遊び初めて見た」と言って首を横に振ると、テオドロスは妹にも同じ質問をする。ユリアはその質問には答えず、考えうる策について刺々しい口調で先回りして言う。

「未決のピースを色と形で分けておくのでしょう? これからそうしようとしていたの」

 テオドロスはユリアの態度を気にするふうでもなく、「僕の妹は僕の次に賢い」と褒めてさっさとピースの仕分けを始める。分けながら分類法についてミラベルに説明し、具体的なピースを例として示す。形による分け方の他、色別では白か黄、黒か紺、その他、の三種類に分けようと決まり、ユリアもそれに異は唱えなかった。

 暫く静かに仕分けをしていて、いい加減気詰まりになってきたミラベルが何か話そうかと考えていると、テオドロスが先ほどの話題を唐突に蒸し返す。

「で、僕はユリアにどんな謀略を仕掛けたんだっけ?」

 ユリアは手を動かしながら、黙っていることは諦めたらしい。氷のとげが今突き刺さったような動揺を隠し、とにかく何かを諦めて厳かに話し始める。

「どこまで関わっていらっしゃるのかは正直なところ分かりません。あなたは追っ手を手引きして、私達を捕まえる人達が来るまでの間、私達を足止めしました。さも、味方であるかのような嘘までついて。初めからアランだけは逃がすつもりだったのでしょう。昔からのお友達だからなのか、お仕事に必要だからなのかは、私には分かりません。少なくとも兄様は、私を家に連れ戻す企てに協力しました。今更、私の味方のようなふりをなさらないでください。私達の『不祥事』について、怒っていらっしゃるのなら、どうぞそのまま怒っていらっしゃって。そうなさらないのは、ミラベルさんの前でご自分の印象を気にしていらっしゃるのかしら? あなたは、物わかりのいい兄なんかでは絶対にありえません。未来永劫私の敵です。会合の場で、私をからかって困らせて楽しんでいらした、あれが兄様の本音なのでしょう? あなたは敵です。誰も彼も敵です。私はもう、あなたには何の期待もしません。もう、放っておいてください」

 テオドロスは楽しそうな微笑みを浮かべたまま、静かに妹の言い分を聞いていた。ピースの仕分けをする手は止めていない。ユリアの手はいつの間にか止まっていて、最後に手にしていたピースをただ持ったまま固まっている。ミラベルは話を聞いていないふりを続けることにした。

 ユリアの『もう、放っておいてください』以降はもう言葉が続かないのを待って、テオドロスはどう答えるのかとミラベルが内心気を揉んでいると、彼は答えではなく質問を返した。

「ユリア。僕が君をクランの拠点に匿っていることについては、どう考えているの?」

 ユリアは長い長い溜息をつき、やはり何もかも諦めたかのような様子で答える。

「アランがそうしろと言ったから。私がいなければ仕事はしないと、彼が言ったからではありませんか?」

 テオドロスは一瞬笑いを嚙み殺したいような表情をして、おやと片眉を上げて更に質問する。

「疑問形なの? そう言ったかって、本人に確認したわけじゃないんだ? まあ、いかにも言いそうなことだっていうのは認めるけど。ああ、それを認めたら、そう言われるのを見越して僕が先回りしたって、君には思われるんだろうな。それじゃあどう転んだって、君の解釈では僕は悪者なわけだ」

 言いながらテオドロスはとうとう笑い始めた。何かとても愉快な冗談を思いついて可笑しくて仕方がないとでもいうふうに笑う彼を、ユリアは信じられないという表情で見つめている。先ほどから無理のある知らないふりを続けているミラベルも、この話題でこんなに楽しそうに笑っていられる神経が信じられない。テオドロスは二人の様子を見てようやく笑うのをやめ、比較的真面目な表情を作って話し始める。

「ああ、ごめん。不謹慎だよね。僕、真面目な話ってよく分からないから。深刻かそうじゃないかって、そういうのが分からないんだ。ユリアにとってこれは深刻な話なんだよね。うん、なるべく真面目に話をしよう。あのね、端的に言うと、君は誤解をしていると思うよ。会合であんなこと言っちゃったし、その誤解を解く方法が見つからないんで、さっきはちょっと面白くなっちゃって笑っちゃったんだけど、悪かったね。でも、本当に本当のところ、僕は君の誤解を解くカードを一枚だけ持っているんだ。切り札ってやつかな。だからあんまり切りたくないんだけれど、このまま嫌われっぱなしじゃあやっぱり悲しいから、カードを切ろう。ああでもその前に、もう一つ謝らせてもらえる?」

 ユリアの表情が一層険しくなる。胡散臭いにもほどがある、とミラベルも密かに思う。ユリアが鞭を叩きつけるように言う。

「何のことでしょう? 聞いてから考えますわ」

 ユリアの憤りを前に、テオドロスはまたもや何か茶化したくなった様子だが、努めて抑えて真剣に話す。

「会合の場で君をからかって遊んだことは謝らせてほしい。君が今回の件をこんなに深刻に考えているなんて、思わなかった。思っても、たぶん感覚にずれがあった。そういうずれなら、今でもあると思う。僕は君になることはできない。逆も同じだ。僕にとってあれは本当にただの冗談で、まあついでにちょっと偽装工作で、遊びのつもりだった。僕は何でも遊びのつもりで、何だって、このジグソーパズルと大して変わりない遊びのようにしか思えない。自分の命がかかっていたって、たぶん同じだと思うよ。ずっと昔からそうなんだ。僕達、こんなにちゃんと話をしたの、これが初めてだろう? 男子だ女子だって分かれて育てられるんじゃなくって、普通の家の子みたいに、子どものころからもっと親しく関わる機会があったら、大人になってからこんなに驚かせることもなかったと思うよ」

 ユリアは底に憤りを湛えた複雑な表情のまま沈黙している。ミラベルはテオドロスの言い訳を聞いてどうしても言ってみたいことが一つできたのだが、くだらない内容でかつ場違いだと思ったため、この場では言わずに飲み込むことにする。テオドロスはユリアが何も言わないのを見て、そうなることは織り込み済みだったらしく話を先へ進める。

「さて、謝ったところで、僕とまた口を利くようになるどうかは、切り札の内容を聞いてからでいいよ。どう切り出そうか。よし、こうしよう」

 一拍置いて、テオドロスはユリアを見据え、淡々とその内容を告げる。

「君がさっき婉曲に『不祥事』と呼んだ事象——君とアランが恋仲に陥り、諸々の交渉を持ったこと——について、僕は一切腹を立てていない。全く怒っていない。むしろ歓迎している。してやったりと思っている。万事は僕の思惑通りだ。なぜなら、君達がそうなるように仕組んだのは、初めから僕だったから」

 ユリアはもう訳が分からないという顔で絶句している。前提がまだよく分かっていないミラベルの微妙な表情を見たテオドロスは、ユリアにも幾らかは気を使って、やんわり補足する。

「ユリアが驚くのは無理ないと思う。うちの家ってわりと古い家ですっごく堅苦しいからさ、で、学園の女子寮もすっごく堅苦しかったからさ、もう二人とも身の破滅だって、ユリアはそう思っちゃってたのかもね。だから遠くへ逃げようとしたんじゃない? 相手も相手だし、僕が会合で責めてみちゃったみたいに、ちょっと年齢差もあるし」

 ミラベルは今度は抑えられずに疑問に思ったことを口にする。

「じゃあどうして——」

 終いまで言い終わらないうちに、テオドロスは含みのある微笑みで答える。

「なんか合いそうだと思ったから。現に、ちょっと機会を作ったくらいでさっさとくっついたじゃない。二人とも楽しそうだし。ユリアには婚約者がいた。正確にはその候補だけど。政略結婚の相手だ。ユリア、それが誰に決まりそうだったか、知ってる? 君は誰かから教えてもらってた?」

 ユリアは無言で首を横に振る。テオドロスは両家の子女にはおよそ相応しくない態度でちっと舌打ちをすると、哀れみの眼差しを妹に向けて言う。

「そう。誰が結婚相手の候補者か、誰も君には教えない。君には選ぶ権利がないから。君も知ろうともしなかったんだろう。知りたい? 『不祥事』を起こさなかった場合、ハイスクールを出た後に君が嫁がされるかもしれなかった相手。まあ別に、あいつもそんなに悪い奴じゃないんだけど……」

 末尾の濁し方で、ユリアには漠然と見当がついたらしい。彼女は解釈の難しい顔をして推測を口にする。

「もしかしてユレイドさんですか?」

 テオドロスはぱちんと指を鳴らし、「正解!」と楽しげに告げる。それなら悪くなさそうな相手では——比較的まともそうに見えたし——とミラベルは思う。やはりそれを察したテオドロスが妹に問う。

「どう思う? あれの正妻になったら、君は嬉しかった?」

 ユリアは首を傾げて沈黙する。やっぱり何か嫌なところがあるのかしら、よく知らないけど、とミラベルが意地悪な想像をしていると、ユリアは難しい表情のまま口を開く。

「分からない。全然分からない。それは、もしかしたらって考えたことはあったけれど。嫁ぎ先の候補って、それほど多くはないはずだから。でも分からない。私には分からない。でも今は嫌。その前のことなんて考えられない。お兄様は、どうしてあの人では駄目だと思ったの?」

 テオドロスは鼻で笑って即答した。

「だって全然合わないもん。面倒くさい立前人間と半端な猫被りのユリア。ちょうどいいのは家柄と年頃くらいだろう? あいつは君の正体を知らないし、知ったら不幸だ。結婚したってそれだけで、君はきっとその近くにいる誰かと不倫関係に陥る。いや、そんなふうにも踏み切れないかもしれない。かわいそうだよね。だったら、先にそっちとくっつく機会をやった方が面白そうだ、と思った。嫌なら、踏みとどまれたはずだ。それに君は抜け出したかったんだろう? 窮屈な環境から。もっと早く、助けてやれればよかった。妹は『女の子』で真面目なお嬢様で、環境に順応していると思っていた。でも、そうじゃなかった」

 情報の処理が追い付かない、という様子でユリアが矢継ぎ早に尋ねる。

「私のことをどうやってそんなふうに観察なさったのかしら? ユレイドさんは私と婚約するかもしれなかったことを知っている? アランは、兄様が関わっていることをどれだけ知っているの?」

 テオドロスは、はいはいと片手で彼女を抑えて、ピースの仕分けを再開しながら一つずつ質問に答える。

「こっそり観察し始めたのは、君がハイスクールに入った頃くらいからかなあ。つまり今の校舎に移ってからだね。僕の妹ってどんな子かなあと思って。きっと美人で賢くてとっても素敵なんだろうなと思ってたら、やっぱりそういう評判が聞こえてくるじゃないか。ちょっと変わった子だっていうのに一番ぐっと来たね。で、そういう隠密行動をさせるなら——って、これは後の問いに関わってくるから後で話そう。

 ユーリは知ってると思うよ。君と婚約するかもしれなかったこと。でも、僕がその話を潰そうとしてわざわざちょっかいを出したことは知らない。知らないはずだ。たぶん。うん……」

 テオドロスはあやふやに言葉を切り、腕を組んで考え込む仕草をした。それからユリアとミラベルの顔を見て、秘密の打ち明け話をするような声色で頼む。

「だから誰にも言いたくなかったんだけれど。ユーリにばれたら恨まれそうだから。たぶん恨まれるし、もしもうばれてても、誰も言わなけりゃ、ないことになるはずだからさ。二人とも、言わないでくれる?」

 言葉の意味に思い巡らしつつ、ユリアは冷たい表情で返す。

「一度しっかり怒られた方がよろしいのではありませんか?」

 テオドロスはさして困りもせずからりと笑って返す。

「ユーリにならいつもしっかり怒られてるよ。怒られるのはどうでもいいけど、ご傷心のところもう一人の親友の裏切りまでばらしたら、その方が可哀想なんじゃないの?」

 思うところは様々ありつつも返す言葉が見つからないユリアは、言い返すことをもう諦めて、次の質問の答えを促す。

「それでアランは?」

 誤魔化しに成功したテオドロスはまた仕分け作業を再開しながら話す。

「アランはどっちつかずだな。君の観察を僕に依頼されたことはもちろん知っている。そこまでは、君も本当は知ってたんじゃない? 僕が意図的に仕掛けたのは、『遠くから覗いてるだけじゃなくてちょっと接触してみろよ』って押したところからなんだけど、後は勝手に上手くいったよ。その後の進捗は、僕もちゃんとは確認してないんだよね。本当だよ。悪趣味だろう? そういうの覗き見するの」

 悪趣味とはどの口が言うのか。ミラベルももう何も言わない。ユリアが思い出したように質問する。

「私達が逃げるのを空港で邪魔したのはどうして」

 テオドロスは「おお、最初の話に戻ったね」と何故か嬉しそうだ。彼は答える。

「それは簡単な話だよ。あのとき僕が足止めしなかったら、どうなってたと思う? 君達はちょっと——いや、だいぶ詰めが甘いもんだから、あそこからちょっと進んだところで捕まってたと思うよ。待ち伏せされてたの気が付いてた? 待ち伏せしてた連中は飛び道具持ってたから、不意打ちされたらアランだって逃げられなかっただろうね。君だけなら捕まっちゃっても僕のところに連れてこられたけれど、あいつが捕まったら、ちょっと——すごく厳しかったと思う。どうなってたかは言わない方がいいかな」

 アランが捕まっていたらどうなっていたのだろう。聞かない方がいいのはなんとなく承知の上で表情に疑問符の浮かんだミラベルに、ユリアが説明する。

「拘束許可証が出ているっていう話、あったでしょう。私も詳しくは知らないのだけれど、拘束されたインディゲナは帝国の研究所へ連れていかれるの。建前は、他の非市民階級と同じで収容所送り。それは建前ね。建前があるっていうことは、表沙汰にできないことが裏側にあるのよ。これは誰でも知っている話だから、表に近い裏側の話。研究所でどんな研究が行われているのかは、兄様かユレイドさんが詳しいと思う。たぶん」

 それ以上の補足はせずに、テオドロスはテーブルの上の状況を見渡して言う。

「仕分が大体終わったら、組めそうなところから適当に組んでいこう」



 時間を忘れて夢中になっていると、主に外枠部分から徐々に絵が出来てきて、どうやらこんな絵柄らしいという憶測も立つようになる。立ち上がって離れたところから絵を俯瞰したミラベルが言う。

「紺色のところは、夜空かしら。星が見えるもの。こっちが上? これは月の半分みたい。下の黄色は、砂? 縮尺が変ね」

 テオドロスが同じように絵を見下ろして答える。

「砂漠じゃない? 夜の砂漠」

 ユリアも同じようにして言う。

「この真っ黒の塊はどこにはまるのかしら? 端じゃなさそうよ。真ん中あたりかしら」

 三人はまた座ってピースの組み合わせを試し始める。ユリアが『真っ黒の塊』と呼んだピースの塊を見て、テオドロスが言う。

「砂漠ならオアシスか油田があってほしいもんだけれど、この黒いのは何だろうね。吸い込まれそうな黒だよ。丸い縁取りがある。昔の井戸かな?」

 ミラベルが訝しげに尋ねる。

「油田ってなあに? 砂漠にあるもの? 砂漠ってお話でしか聞いたことがないわ。砂の海でしょう。海みたいに一面に砂」

 テオドロスは「僕もこういう感じの砂がさらさらの砂漠は飛行機の上からしか見たことがないよ」と言い、油田と原油の利用についても教えてくれる。更に『飛行機』についても「油田からとれる原油を色々加工した燃料を燃やして、空を飛ぶ乗り物」と補足した。

 それにしても、夜空と、砂と、砂地のどこかにあるらしい謎の黒い丸以外は、本当に何にも描かれていない絵らしい。それはピースの仕分けをしていたときから薄々分かっていたことではあるのだが、今手に持ったピースは目当ての場所にはまるか、はまらないかという成功率のとりわけ低い代り映えのしない作業がこうも続くと、さすがに皆うんざりしてくる。テオドロスが「ちょっと休憩」と言って立ち上がり、軽く体を動かしながら、今思い出したかのように言う。

「しかし、この状況は一体何なんだろうねえ。僕の格好はパジャマだよ。およそ人前に出る格好じゃないよ。まあ、僕はパジャマもお洒落だから別に気にしないけれど。ミラベルちゃんはとっても素敵なドレスを着ているよね。華やかで舞踏会の主役みたいだ。ユリアは、なんで学園の制服を着ているの? 可愛いけれど、毎日それを着ていたんだったら、いい加減飽きてこない?」

 舞踏会の主役というのはあながち間違いでもない。これを着て家出をした日、ミラベルは誕生会の主役だった。それは思い出したくないので、彼女は言わない。ユリアは自分の服装を見下ろして、うんざりした様子で言う。

「もう自分では着ないわ。私が今これを着ているのは、兄様がパジャマ姿なのときっと同じ理由。この部屋で気が付いたら、こうだったの」

 テオドロスはなるほどと頷いて、また席に戻り、ピースの組み合わせの試行を再開しながら話す。

「その様子だと、ミラベルちゃんにとってもその服装は何かしら不本意みたいだよね。嫌がらせだとしたら、誰の嫌がらせだろう。それに、どういう仕組みでこの状況が成り立っているのか、よく分からない。もしこの場所が不思議大歓迎の《β世界》だとしても、やっぱり分からない」

 間髪入れずにユリアが言う。

「《β世界》じゃないわ。装置を起動していないし。そんなことができるならの話だけれど、もし誰かが私を《β世界》に勝手にトリップさせたのだったら、アランが気付いて助けてくれるはずよ。だって私達は」

 ユリアはそこで言葉を切るので、テオドロスが何でもないように後を継ぐ。

「うん、さっきまで一緒にいたんだろう。でも今あいつはここにいない。来られない事情があるのかもしれない。もし来てもらったとして、装置の手続きなしにβにトリップしてる人間をαに引き戻せるかどうかは別の話なんだけれど、あいつが今ここにいないのはちょっとまずい気がする。いや——」

 アランがどこかに連れていかれてしまったのではないかと嫌な想像で顔色を青くしたユリアと、ユリアとは違う想像をして不穏な気分のミラベルの顔を見て、テオドロスは軽く微笑んで見せて言う。

「あそこには追っ手は来ない。何故とは言わないけれど、僕とパパとの面倒な交渉事に基づいてそれは保証する。ここが《β世界》かどうかも分からない。ただの込み入った悪夢かもしれない。ミラベルちゃんの人間不信な感じの想像は、たぶんもっとありえない。あいつは僕みたいな意地悪じゃないから、回りくどい嫌がらせはしないよ。ユリアを巻き込むのはなおさらありえない。大体、インディゲナは《β世界》では無敵だけれど、自分以外の誰かをトリップさせることはできないんだ。もしそう出来たら、ユリアを連れて逃げるときにそうしただろうね」

 考えを言い当てられたことを恥じて、ミラベルは俯く。彼女を味方するように、ユリアが話しかける。

「知らない人を信用しないのは、正解だと思うわ。疑ってかかるのは安全策だもの。私が兄様を疑ったのも同じ」

 テオドロスは「守りに入るばっかりじゃなくって、疑り深い人間は詐欺師になれるよ」と不穏当な発言をし、二人にこうも言う。

「差し当たっての事実らしきものと、推測とは分けて考えたらいい。つまり二分法じゃない。確からしさには階層がある。疑ってかかるのは一つの戦略で、猜疑心を前面に出すべきか、隠して相手を観察するべきかは、悩ましいところだよね」

 毒気を抜かれたユリアが「それは私達への助言ですか?」と尋ねると、テオドロスは「まさか。僕はそんな爺むさいことはしないよ。パパじゃあるまいし」と鼻で笑ってそれを否定した。



 だらだらと益体もないお喋りを続けているうちに、あれほど先が見えないと感じていた組み立て作業もとうとう終盤となる。井戸のような謎の真っ暗な穴の建物は、高さのある円筒のようで、月夜の砂漠の中央に不気味な口を開けて聳え立っている。他に目立つものは何もない。悪夢にふさわしい不吉さをたたえた構図に冷ややかなものを感じつつ、三人はこの絵が完成した後のこと、やることがなくなってしまった後のことを心配し始める。テオドロスが戯れに言う。

「出来上がっちゃったらさ、全部ばらばらに崩して、もう一回最初から組み立てなおす? ここから出られるまで」

 それは気の進まない話だと、ミラベルとユリアは顔を見合わせる。ユリアが物憂げに言う。

「この暗い穴に落ちると、きっと奈落の底——地獄に繋がっているのよ。そこではきっと、兄様が今おっしゃったみたいに、同じことを繰り返しさせられるの。永遠に」

 テオドロスは面白そうに言う。

「この奇妙な穴の絵は、僕達が今いる場所を俯瞰しているってこと? ブラックユーモアだね。繰り返しの話は、旧大陸の神話みたいだ。地獄は罪人が行く場所だなんて、嘘だと思うよ。みんなきっと、思いつく限りの怖いものを想像してみる遊びが大好きなんだ。僕も色々考えたけれど、繰り返しの永遠は確かに嫌だね」

 残りのピースはもう数えるほどしかない。不吉な連想についてこれ以上考えると気が滅入りそうだったので、ミラベルは別の想像を口にしてみる。

「都合のいいお話か何かだったら、最後の欠片をはめた瞬間に、何かが起こりそうなのにね。それで状況が進むの」

 ユリアが手を止めて「例えばどんなこと?」と聞くので、ミラベルは思い付くままに空想を並べ立てる。

「騙し絵の扉が本物の扉に変わるとか、パズルの絵が本物になって中に入れるようになるとか。扉が本物になるなら、その先は知っている世界のどこかか、この絵の砂漠か、テオが通って来た廊下に繋がっている扉もあるかも。絵の景色が本物になったら、私達みんなこの暗い穴の中に吸い込まれて落ちるのかしら」

 最後の空想はものの弾みだった。口に出してから、実現したら嫌だと思う。不気味な穴のある砂漠に放り出されるのも、考えてみると嫌だ。それでも、ずっとここに閉じ込められたまま永遠を過ごすよりは、ましだろうか。テオドロスはミラベルの話に耳を傾ける間も、まばらになった絵の空隙をそこに合うピースで躊躇なく埋めてゆく。残ったピースの数と、残った隙間の数は、幸い同数のようだ。つまりなくなったピースはない。いよいよ最後となった砂地の一片を手に、テオドロスはそれを隙間の上に持っていって向きを合わせ、そこで手を止めて重々しく宣言する。

「これは運命なのだ!」

 ユリアがくすくす笑いながら「なあに、それ」と尋ねる。ミラベルは、何かの格言とかそういった類の言い回しなのかなとちらりと思う。テオドロスはピースをはめるのをやめてまた軽薄な表情に戻り、答えて言う。

「ジグソーパズルの最後のピースをはめるときってさ、なんか感じない? 運命。これはここをぴったり埋めるためにあるピースなんだよ。ここに、ここだけに収まるようにできてる。最後まで残っていて、ここまで誰もこれをここにはめようとしてこなかったピースなのに、最後には結局、ここにぴったり埋め込まれる定めだ。もし、ピースの数が合わないとか、意地悪で最後だけうまくはまらないとか、そんな展開だったらちょっと嫌だなと思ったけれど、見たところ、これもちゃんとはまりそうだよね。これをここにはめる僕には、きっと幾許かの喜びがある。運命を完成させるんだ。そう思うと、ちょっと抗いたくもある」

 ユリアは聞きながらだんだん真剣な表情になって、沈黙した。ミラベルは言う。

「へそ曲がりなのね。でもなんか、分かる気もするわ。『どうせこうなる』と思うと、なんだか嫌になるの。それが別に悪いことでなくても、『どうせこうなる』がそのまま着々と実現してゆくところを見ていると、違うことをしてみたくなるもの」

 テオドロスは驚いた顔をして言う。

「へえ、この話が通じた。素敵だなあ。ねえ、ミラベルちゃん。当分休暇なら——」

 彼の話を遮り、ユリアが問う。

「それでお兄様。その最後のピースはこれからどうなさるおつもりで?」

 話の途中で邪魔されたことを気にするでもなく、テオドロスは上機嫌のまま答える。

「運命に従ってもらうよ。絵を完成させるんじゃないの? 今のところ、それが一番面白そうだし。何が起こるか何も起こらないか、誰にも分からないんだから。ねえ、どうなるかで、何か賭けない?」

 ユリアは思案顔だ。ミラベルはちょっと困って言う。

「賭けって言ったって、あたし賭けるもの何も持ってないわよ。よその世界のお金ならあるけど。価値もよく分からないし」

 テオドロスは「お金でもいいけどお金じゃなくてもいい」と返し、自分から宣言する。

「僕は『パズルを最初からやり直してもう一度完成させるまで何も起こらない』に賭ける。負けたら、ユリアには『三番目のユリウスクラン拠点の永住権二名分確約』を、ミラベルちゃんには、『いつでも好きなときに他の予定を放り出してでも僕に観光案内させる権利』をあげよう。帝都は楽しいし、僕と一緒だと色々ずるいこともできるよ。さあ、二人はどうする?」

 ユリアは迷って、兄の条件をよく考えてから、やっと決めて宣言する。

「私は、『パズルを最初からやり直してもう一度完成させるまでに、アランが私を元の世界へ戻してくれる』に賭けます。負けたら、兄様には『二度と私に無視されない権利』を、ミラベルさんには——どうしましょう。何が嬉しいかしら?」

 ミラベルは自分の条件を考えている最中だったので、急にもう一つ思考の主題を出されて戸惑う。そもそも、ユリアに何ができるのかをミラベルは知らない。ミラベルが悩んでいると、テオドロスが助け舟を出す。

「《β世界》を案内してもらったら? 僕も案内できるけど、たぶん、ユリアの方が色々知ってる気がする」

 ミラベルが「それでいい?」とユリアに問うと、ユリアも「そんなに色々知っているか分からないけれど、それでよければいつでも」と了承したので決まりとなる。最後はミラベルだ。彼女も宣言する。

「あたしは、『パズルを最初からやり直してもう一度完成させるまでに、三人全員がこの部屋から追加の苦労なしで元の拠点に戻れる』に賭ける。負けたら——って、思い付かないわよ。二人とも、何なら嬉しい?」

 テオドロスが即答する。

「『ユレイドが持っているミラベルちゃんのプロファイルを全部開示してもらう権利』。あいつは変に生真面目だから、僕にも使者のデータを全部は見せてくれないんだ。残りは無理やり覗こうと頑張ってみてもいいんだけれど、どうせなら本人の許可が欲しいなあ」

 何が書いてあるのか知らないけれど、許可しなくたってあなたは結局覗くんじゃないの? と瞬時に思ったミラベルが困惑の表情を見せると、彼女が口を開く前に、ユリアが呆れた様子で兄に言う。

「この賭けの目的がよく分かりました」

 テオドロスは素知らぬ顔で「分からないふりが出来たらもっと賢い」と返し、「それでいい?」とミラベルに問う。ミラベルは先ほど思ったことをそのまま彼にぶつける。

「許可してもしなくてもどうせ覗くような言いぶりよね」

 テオドロスは悪びれもせずに「うん」と頷く。ミラベルはどうでもよくなって返事を投げる。

「いいんじゃない。どうせろくなこと書いてないと思うけれど。後で私も見せてもらおっと」

 テオドロスは満足げに「よし、じゃあ僕の分は決まりだ」と手を打つ。運命のピースは一旦テーブルの上に置かれている。次はユリアが、言いにくそうに躊躇いながら希望を言う。

「私が勝ってあなたが負けたら、『お買い物に付き合ってもらえる権利』が欲しいの。私、自分でお買い物をしたことがほとんどなくて。同世代の女の子と、街でお買い物をしてみたい。着る物とか、アクセサリーとか。駄目かしら?」

 ミラベルが返事をする前に、テオドロスが意地の悪い笑みを浮かべ指摘する。

「それって回数無制限なの? いつでも?」

 ユリアは制限は付け加えず、前提を補足する。

「代金は全部お兄様の負担で」

 テオドロスは軽く両手を広げて、「だろうね。僕が破産しない程度に頼むね」と返すと、ミラベルに向かって言う。

「学園で友達ができなかったみたいなんだ。君も好きなもの買ってきていいから、のんでやってくれると嬉しいな」

 ミラベルはテオドロスに「余計なこと言うなって、よく言われない?」と返して、彼が答える前にユリアに返事をする。

「そんなことでいいなら、私は構わないわよ。賭けのネタにしなくたってよかったのに。受けたわ」

 話はまとまった。テオドロスは満足げに微笑して最後のピースを再び手に取る。彼は、ミラベルとユリアがあっという間もなく、ごく何気ない所作でそれを所定の位置へぴたりとはめ込んだ。



 途端、部屋の中が真っ暗になった。あまりにも唐突だったので誰も声も上げられないうちに、今度は部屋全体が大きく揺さぶりをかけられ、座っている椅子ごと横様に飛ばされて叩きつけられる。誰かが悲鳴を上げた。助けてと叫んだのはユリアだろうか。誰も何かものを掴む余裕もない。強烈な衝撃。何がぶつかったのか、何にぶつけられたのか、どちらが上か下かもまるで分からない。誰もがわけも分からないまま、部屋の中が滅茶苦茶にかき混ぜられるような激震は続き、やがて暗闇に誰の声も聞こえなくなる。

 意識を失う直前に、三人はそれぞれ耳元で胡乱な声を聞いたはずなのだが、その記憶は失われた。

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