II. Le Chasseur
ここから右へ一つ角を曲がり四十三番目の塔への階段を三階半上った踊り場の先の隠し通路の先五番目の扉の奥の部屋に【覗き屋の小部屋】がある。エディはそれだけをぶつぶつと繰り返す。何度も何度も繰り返し呟きながら道順をたどろうとする。口に出して呟いていないと、その先の言葉まで何度も何度も繰り返されるからで、自分で呟いていればその部分は聞かなくて済む。普通ならとても一度では記憶できないような複雑な道順だが、まるで脳裏に直接書き込まれたかのように、一字一句が刻まれて離れない。「右、四十三番目の塔、階段、三階半、踊り場、隠し通路、五番目の扉」、そこまで省略してからようやく右の角を曲がる。それからエディははたと気づく。「四十三番目の塔」というのは、まさか廊下を歩いて四十三番目の塔ではないだろう。四十三番目の塔かどうかは、どうやって判別できるのか。どうしようと呟きながらも、エディはとりあえず歩き出すことにする。
しばらくするといかにも塔へ続きそうな扉のない入り口が見える。中には階段室が続く。入り口の前で立ち止まって見ると、縁門の上に小さな金属板があり、そこに「四十三」と彫って刻まれてあるのを見つけた。「四十三番目の塔」は、おそらくこれのことだろうと判断し、階段室へ入る。やはり階段は石造りだが、ここは螺旋階段ではなく、踊り場がありそこで折り返す階段だ。窓は一つもない。入り口の階から上へ上がると、上の階には出口もなく、壁に掛かった蝋燭の明かりのみになる。薄暗くて空気は冷たい。エディは踊り場の数を数えながら言われた通り三階半上るが、そこはなんの変哲もないただの踊り場だ。
隠し通路だとエディは呟く。隠し通路。隠し通路なのだ。壁を隅から隅まで調べる。まったく分からないけれど調べる。どこか押したら動くんじゃないかと、片っ端から石を押してみる。燭台を眺める。どこにも何も変わったところはない。何もない。見つからない。見つからないんじゃだめなんだとエディは焦って頭を抱える。どうしようか。もしかしたら、階段を上るときに、窓も出口もないせいで踊り場の数を数え間違えたのかもしれないと思う。多く間違えたか少なく間違えたか。エディは少し考えて、少なく間違えたのかもしれないと思う。一つ上の踊り場へ行く。上ってからさらに上を見あげると、その上の踊り場には出口があった。だがもちろん隠し通路という趣ではまったくない。入ってきたのと同じ、普通の出入り口だ。エディはそこでも壁中を調べて回るが、やはり何も変わったところは見つけられなかった。
エディは、やっぱりさっきのは、少なく数え間違えたのではなくて、多く数え間違えたのかもしれないと思う。踊り場を二つ下る。階段室の出入口が見えなくなり、エディはなんとなく不安になる。ここでも壁中を探して、何も見つからないので、いよいよ途方に暮れる。次の手がもう分からなくなると、急に不安がどんどん強まり、一度元の出入り口に戻ろうと思い立つ。エディは階段を下る。どんどん下ってゆく。下へ、下へ、どんどん。下へ進んで最初に出くわす出入口が最初に入ってきた場所のはずなので、階数は数えずに下りて来たのだが、エディはどうもおかしいと思う。下っても下っても出入口が見当たらない。絶対ここだったはずと、出入口があったはずの壁を調べ始めるが、やはり最初から壁だったとしか思えない佇まいで、わずかな苔のようなものまで生えているようだ。
とにかく一度ここから出たい。エディは上へ行くことにする。上にも出入口があるのを見た。上りながら今度は、踊り場を踏んだ階数を数える。踊り場が一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十、ここでやはりおかしいと思う。五階分上がってもまだ出入口の階には辿りつかないのだろうか。エディはさらに上ってゆく。せめて、一番上に辿りつければいいと思った。どんどん上る。慌てて上る。身体は疲れを忘れている。こんなに階段を上っても息が上がらず身体が疲れないなんて、あきらかにおかしいのだが、エディは階段のことが気になってそのおかしさにも気がつかない。二十、三十、四十、五十まで数えて、エディは呆然とする。踊り場の数は建物の階数の二倍だ。日暮れ前に上ったあの高い塔でも、これほど上りはしなかったはずだ。踊り場の数と建物の階数がずれているのだろうか。わけが分からなくなり混乱してくる。エディは恐慌に陥って、階段を駆け下る。下る。下る。どんどん下る。ぜんぜんだめだ。どこにも出入口がない。さらに下る。どこまでも下る。本当に地獄まで辿りつきそうだ。本当に地獄へ行くのだろうかとエディは恐ろしくなったが、もっと恐ろしいことに気づき愕然とする。上へ行っても出口はなかった。それではこの空間は、無限に長くてどこへもつながらない、すべてを貫く一本の管なのではないか。一本の管! いよいよ恐慌が頂点に達し、エディは膝から崩れ落ちる。がたがた震えながら、怖い怖い怖いというそのことしか考えられない。情けないことに涙まで出てくる。ああ、やっぱり嫌なことが起こった、もうだめだと思う。すると背後から、初めて聞く声で軽く呼びかけられる。
「おい、犬っころ。どうした」
エディが振り向くと、上り階段の半ばに、どことなくだらしない印象の長髪の男が立っていた。男は呆れた様子で言う。
「なんでまたこんなとこで泣いてんだ。とんでもなく情けねえぞ」
今のエディには、この男が救世主のように思えた。「泣いてねえよ」と言いながら袖でこっそり涙を拭い、男を見あげて聞く。
「あんたどこから来たんだよ」
男は飄々と答える。
「上から来たんだよ」
エディは聞く。
「天国とかか?」
男はおかしそうに吹き出して「死なせんなばかやろう」と言い、エディに聞く。
「なんで天国なんだ。なんでそんなに混乱してる?」
言いながらエディのそばへ近寄ってくる。近寄って、しばらくエディの顔を眺めて、うんうんと一人で頷く。男は楽しそうに言う。
「面白いことされてるな。さしずめ【無限階段の呪い】か。誰にやられた? 当ててみようか。この嫌あな感じは、ヴァンパイアだな。こんなところにはいかにもいそうだ。どうだ、当たったか?」
エディは驚いて尋ねる。
「なんでそんなに色々分かるんだよ? ヴァンパイアかどうかは分かんないけどさ。【無限階段の呪い】だって?」
男はやれやれと言って答える。
「とにかく俺には分かるんだよ。それを活かしていろんな依頼を引き受けてたくらいだ。ちゃんと解いてやるから安心しろ。おまえ、立てるか?」
安心したエディはそれを聞いてようやく、自分が地面にへたりこんだままでいることに気づく。慌てて立ち上がり、身なりを整える。男はエディに聞く。
「いつかけられたか心当たりはあるか? 直近でおまえに近づいたやつは誰だ。名前は分かるか?」
エディは考えながら答える。
「たぶんあのときだと思う。黒い服を着た魔術師の男にこの塔の場所を教えられたときだ。誰かのそばへ寄ったのはあれが最後だ。耳元で囁かれたから距離も近かった」
エディは続けて「名前は——」と言って記憶を遡り、女中に指示を解除するか問われたときのことをよく思い出してこう言う。
「幽霊みたいな女中には『ハルトラード様』とか呼ばれてたけど、あんた知ってるか?」
ハルトラードねえ、と思案顔になって男は答える。
「おまえの言う『黒い服を着た魔術師』とやらなら、そんな感じのやつを見たかもな。夢だったかもしれねえが確かに見たぞ。おまえが聞いた名は『ハルトラード』のとこだけか」と言って、エディの返事は待たずに「まあなんとかなるだろう」と続ける。たぶん姓だけなので、なんとかなるかどうか本当は怪しかったが、不安になられると厄介なので黙っておくことにしたらしい。男はエディと向かいあって立つと、自分の胸のあたりの高さのエディの額に人差し指と中指で軽く触れ、目を閉じて何か呟いた。同じく目を閉じていたエディは、ぱっと光が散ったような気がして目を開ける。
「これで治ったのか?」とエディが聞くと、男はにやりと笑い「おうよ。俺様は天才だからな」と自信ありげに頷く。それから続けてエディにこう聞く。
「おい、分からなくっても別にいいんだが、最初にこの階段室に入ってきたとき、おまえ階段を上ったか? 下ったか?」
エディはすぐに答える。
「上った。三階半上ったはずだった、けど」
男は三階半という妙な正確さに思いめぐらしながら、下りの階段を指さしてエディにこう言う。
「じゃあそこの階段を下ってみろ。そこがおまえの入ってきた出入口だ」
やったようやく外に出られるぞと喜びつつも、エディはロランを見あげ、少し躊躇いがちに言う。
「あのさ、念のため、あんたもついてきてくれない?」
男はエディを見て鼻で笑い、「下りるのが怖きゃここから見てみろ。ほら」と言って下り階段の先の出入り口が見える位置を示す。エディは恥ずかしくなりながら位置を移動して階段の先を見、心の底からほっとした。出入口がある! 薄暗いが、それでも出入口が見える。思わずまたへたりこみそうになるのをこらえて、男に礼を言おうとして気づく。まだこの男の名を聞いていなかった。
「ほんとにありがとう。あんた名前は? おれはエディ。エドガー・ロンバート」
男は胸に手を当てて答える。
「俺はロランだ。ロラン・セニエール」
一緒に階段を下りながら、ロランはエディに尋ねる。
「この塔に何か用事でもあったのか?」
エディは暗い顔をして、もしかしたらとロランに聞いてみる。
「ロラン。あんた、隠し通路の見つけ方って分かるか?」
隠し通路と聞き、ロランは眉間に皺をよせる。エディが入ってきた出入口からいったん階段室の外に出、二人でそこに立ち止まってから、ロランは言う。
「なぜそんなものを探している? ハルトラードとやらに探せと言われたのか?」
エディはそうだと頷く。そしてますます暗い顔をしてこう言う。
「『四十三番目の塔への階段を三階半上った踊り場の先の隠し通路の先五番目の扉の奥の部屋』って言われた。隠し通路が見つからなくて、ずっと探していた」
エディの尋常でない様子にロランは訝しげに考え込んでから、エディに答える。
「協力してほしければ事情を教えろ。おまえは、なんでそんなものを探しているんだ。洗いざらい吐け」
エディは観念して、これまでの事情をつっかえつっかえロランに伝えた。ロランはますます考えこんで、言う。
「俺が見たのと同じ情景をおまえも見たらしいな。こっちへ来るときになんか混ざったのか。ありそうだな。ここは変な場所だ」
後半は独り言のように呟き、話し終わって死人のような顔をしているエディを見やる。エディは言う。
「あんたも見たなら分かるだろ。あの男はものすごく不吉だ。何するか分かんないだろ」
ロランは答える。
「いい勘をしてるじゃねえか。確かににあれは不吉なーーというか、だいぶやばそうな魔法のにおいがしたな」
それからロランはうってかわって軽い調子で、エディに問う。
「それでおまえ、そこへ行ってどうするつもりだ。覗くのか?」
エディはそう聞かれてはっとして沈黙する。そこへ辿りつくことだけ考えて、それからどうするのかはまったく何も考えていなかった。行って何ができるというのか? 本当に覗くのか? もし、魔術師の言うことが本当で、本当にそんな部屋があって、そこへ辿りついたとして、覗いてそしてどうするのか。何もできないのではないだろうか。そんな疑問が今さら脳裏を駆け巡り、エディは慌ててロランに尋ねる。
「おれはシルキアを助けたい。ロラン、あんたなら鎖をはずせるか? 魔法の鎖らしい」
ロランはあっさりと答える。
「無理だな。足を切り落とさなくちゃ無理だ。部屋の鍵が開く保証もない。あいつ本人が鍵をかけたら、ここの使用人にだって開けられないだろう。女中が鍵を開けたっていうのは、あれが倒れてるあいだに、使用人がかけた鍵なんだろ? 本人が起きたら自分で鍵をかけなおすと思うね」
身も蓋もない話にエディは絶望する。「じゃあどうしたらいいんだよ」と情けない声で訴えると、ロランはエディの肩を片手でぽんぽんと叩いてにやっと笑い、気軽な調子でこんなことを言う。
「【覗き屋の小部屋】とやらに行ってみようぜ」
えっ、だから行ってどうするんだよと面食らっているエディをよそに、ロランはさっさと階段を上り始める。エディは一瞬迷ってから追いかける。ロランは階段をさくさく上りながら言う。
「おまえの話を聞いて興味が出てきた。本当にそんな隠し通路があるのか。おまえを罠にはめるための嘘か。隠し通路が本当にあるなら、その先には何がある?」
興味本位としか思えない言いように、エディは返す言葉がない。軽い足取りのロランを追ってゆくとあっという間に、三階半上った踊り場に着く。ロランはまずそこをぐるりと見回して、「うん、言われなきゃ分からんが、なんかありそうだな」と呟く。それから目の前の壁の何か所かを、こぶしでとんとんと叩いてみる。「やっぱなんかあるぞ」と言って、いったん壁から少し離れ、しばらく黙って考え込む。エディはその様子を黙って見守る。ロランはしばらくそのままでいて、ふいにまた壁に近づき、そこにかけられた燭台を調べる。矯めつ眇めつそれを眺め、うんと頷いてから、ロランはろうそくの火をふっと吹き消した。あたりに闇が下り、上下の踊り場から漏れてくる光があるにしろ、ほとんど暗闇と言っていい状態になる。エディが驚いて立ちすくんでいると、岩が引きずられるような重たい音が微かに響く。「当たりだな」とロランが言う。エディが目をこらして見ると、燭台の下の空間に真っ黒な闇がぽっかりと口を開けているのが見えた。いくら夜目が効くとは言っても、まったく闇ではエディにも何も見えない。これでは中に入れないし、そもそもロランは大丈夫なのかとエディが思うと、何かをシュッと擦るような音がして、あたりが急に明るくなった。ロランがどこからか取り出した手燭に、小さな火を灯したのだった。他の蝋燭から火をもらってくる様子はなかったはずなので、エディは気になって聞いてみる。
「どうやって火をつけたんだ?」
ロランは軽口をたたきながら答える。
「探検しようってのにおまえは明かりも持ってこなかったのか? 便利なもんがあるのさ。ほら」と言って、ロランはエディに、小さな金属の筒のようなものを見せる。なんだか分からないので見ていると、ロランはその筒の上部の部品に親指をかけ、さっきのシュッという音とともに筒の先に火をつけて見せた。火はすぐに消える。「なんかすごいな」とエディが感想を言うと、ロランは自慢げな様子でそれをしまいながら「そうだろ。これはまだ誰も持ってない最新式だからな」と威張る。エディはふと思いついて言う。
「あのさ、最初に火を消す前に、こっちの手燭に火を移しとけば、あんなに暗くならなくて済んだんじゃないか? いきなり真っ暗になったら危ないかもしれないだろ」
ロランは「うるせえ。何も準備してこなかったやつが言うな」と言いつつ、理由を教えてくれる。
「こういうのは一度暗くならないとだめなこともあるんだ」
ほんとかよと内心思いつつ、エディは隠し扉の先の空間を見る。先ほどはまったくの暗闇で何も見えなかった場所だが、今はそこになんと、狭い下り階段が続いているのが見える。階段の先はまだ見えない。ロランもそちらを覗きこんで、「下の階からつなげないでわざわざここから下るのか。わざと複雑にしてあるみたいだな」と言いながら身体を屈めて入り口をくぐり、下へとゆっくり下りてゆく。エディは恐々と後に続く。狭くて急な階段を気をつけて下りてゆくと、しばらくして床に突きあたった。広めの通路が先へ続いているようだ。ロランは手燭をエディに渡す。それから「おまえはこれを持ってついてこい」と言って、警戒しながら暗闇の先へ進んでゆく。少し進むと壁に燭台があるのが見えた。溶けかけの蝋燭もある。ロランはエディに言う。
「エディ、これに火を移せ。手燭の火は消すな」
エディがその指示に従うと、通路が一段明るくなる。通路は右側に向かってゆるく曲がっているようだ。建物の構造がまったく分からないのだが、これは壁沿いの通路なのだろうか。窓は見当たらない。通路のずっと先の方はまだ見えないが、右側に扉がいくつか並んでいるのが分かる。ロランはエディに聞く。
「それで、何番目の扉だって?」
エディは答える。
「五番目の扉の奥の部屋に【覗き屋の小部屋】がある、らしい」
ロランは「そうか」と言って、一つめの扉の前まで歩いてくると楽しげに言う。
「どうせなら全部一つづつ開けていこうぜ。まず一つめ」
エディから手燭を受けとり、ドアノブに手をかけて回す。鍵はかかっていないようで、押すと扉は簡単に開く。中を覗きこんでロランはつまらなさそうに言う。
「何もねえぞ。からっぽだ」
エディも覗いてみると、確かに中はからっぽで、狭い空間が石の壁に囲まれている以外、家具も何も置かれていない。敷物さえ敷かれていないため、どうかすると牢獄のようにも見える。だが扉は普通の木の扉で、特に厳重な鍵がかかるようにも見えない。二人はあえて中には入らず、二番目の扉を見に行くことにする。狭い部屋だっただけに扉同士にもそれほど間隔はない。ロランは一番目と二番目の間の壁にあった燭台にまた火を灯すと、二番目の扉の前にきて言う。
「これが二番目だ」
ドアノブに手をかけて回し、押す。こちらも簡単に開いた。覗きこんだ中の様子は、一番目の扉のときと何も変わらないように見える。何もないがらんどうの少しカビくさい部屋だ。二人は拍子抜けする。ロランは「こりゃ三番目も四番目も同じかもしれないぞ」と言いながらも、三番目の扉まで進む。途中にあった燭台にも、やはり手燭から移し火を灯す。三番目の扉の前まで来た。
「これが三番目」
そう言ってロランが扉を開けるが、やっぱり中はからっぽだった。面白くねえなとロランはぼやく。四番目も同じだろうと思いつつ先へ進み、間の燭台に火を灯すと、明かりに照らされて見えた先の光景に、二人は違和感を覚える。四番目の扉は見えるのだが、その先に五番目の扉がありそうには思えないのだ。四番目の扉の先で通路はおしまいで、突きあたりには石の壁がある。「なあ」とエディが言うと、ロランは「ああ分かってるさ」と頷いて、それでも四番目の扉の前に立って言う。
「こういうのはちゃんとやらないと気が済まないからな。四番目の扉を開けるぞ」
そして開ける。案の定何もないのを確認してから、突きあたりの壁の前に二人で立つ。ロランに「なんにも仕掛けはなさそうだぞ」と言われてエディは食い下がる。
「なんかあるかもしれないだろ。ほらこの、ここにある燭台、これに火をつけると通路が伸びるとか」
ロランは「通路が伸びるってのは、そりゃすごい仕掛けだな」と苦笑しつつも、手燭をエディに渡す。エディは手燭を受け取って、突きあたりの壁の燭台に火を灯す。あたりがさらに明るくなる。しかし、目の前の石壁には、なんの変化も見られない。エディはがくりとうなだれて、ロランの方を見て言う。
「五番目じゃなくてさっきの四番目だったのかも」
ロランはやれやれと憐れみのまなざしで言う。
「おまえはからかわれたんだよ。まあいい。気になるならもう一度中を見るぞ」
四番目の扉をもう一度開ける。今度は中に入ってみる。やっぱり中には何もない。エディはしつこく部屋の壁を調べる。何か仕掛けがあるかもしれないと思って探しているのだ。そんなエディを黙って眺めていたロランは、ふうと溜息をついてエディの背中に話しかける。
「お気の毒さまだな。だけどな、うん。あんまり心配しなくてもいい理由を教えてやろうか」
エディが振り返って尋ねる。
「心配しなくていいってどういうことだよ」
少し間を置いて、ロランは答える。
「あの娘は魔性のものだ。最初ちょっと驚いて無理矢理だったとしても、そのくらいでどうにかなる玉じゃねえ」
エディは頭が真っ白になる。どうにか言い返す。
「魔性のものって、魔法でどっかから出てきたからか? それだけでなんでそんなことが言えるんだよ?」
ロランはいいやと首を横に振り、きっぱりと言う。
「それだけじゃない。あれはそのものが魔性なんだ。おまえはあの娘の毒気に完全に当てられている。言っても分からんだろうが【叶わぬ恋】だ。諦めろ」
エディは毒気という言葉を聞いてまさかと思う。また、【叶わぬ恋】と言われて蹴とばされたような気分になって、呆然とする。おれはあの子に恋をしていたのだろうか。呆然と立ちつくして自問自答を繰り返すエディの肩に、ロランはぽんと手を乗せて言う。
「つらかったな。そんなときもあるさ。一生つらいままなんてことはないんだ。そういうのは必ず吹っ切れるときが来る」
そう言って慰めると、とりあえず上へ戻るぞと言って部屋を出ようとする。とり残されては困るので、エディも続く。蝋燭を一つづつ吹き消しながら、出口へ続く階段まで進む。最後の一つを吹き消したときに、階段の上の暗闇から、隠し扉が開いたときと同じ、石を引きずる音が聞こえた。エディは慌ててロランに言う。
「あれ、扉が閉まったのか?」
ロランは動じずに言う。
「むしろ開いたんじゃないのか?」
ロランは階段を上り始める。エディは背後の暗闇に意識を向けないようにしながら気をつけて続く。狭い階段を上がってゆくと、入ってきた入り口がちゃんと開いているのが見えた。もと来た踊り場に戻ってきた二人は、なんとなく安堵して大きく息を吐く。壁の燭台の蝋燭に元通り火を灯し、扉が閉じてゆくのを見ながら手燭を片付けて、ロランがこともなげに言う。
「ぱっとしない冒険だったな」
エディはぶるっと震えながら言う。
「戻れなくなったらって、ひやひやしたよ。もうあんなとこには潜りたくないな」
言ってからエディはロランに聞く。
「あんたこれからどうするんだ?」
ロランは答える。
「部屋に戻って酒飲んで寝る。もう、このへんの探検は十分だ。いくら歩いたって半分も分かりそうにねえ」
それからエディに目配せして誘う。
「おまえも来ないか? ここのやつらは酒持って来いって言えば、上等のやつを持って来るからな。ふられた日には酒飲んで寝るのが王道だ。しっかり嫌な夢見られるぜ」
エディは嫌な夢は見たくないなと思いながらも頷く。アルコールの類をほとんど口にしたことがないことも、馬鹿にされそうなので黙っておく。そしてこう言う。
「迷子になって部屋に帰れなかったから助かったよ」