XVIII. Cuneus Continentis
光が消えると、そこは薄明かりの部屋の中で、三人の出迎えが待っていた。
「ようこそ、【大陸の楔】帝都サンブリアへ」
まずそう言ったのは、到着したばかりの六人がかつて属していたどの文化圏の標準とも異なる、変わった服装をした若い男だ。男の左後ろには護衛と思われる帯刀した男が立ち、右後ろには秘書だろうか、ルパニクルスの説明係とよく似た服装の若い女が控えている。女は小さな薄い板を右手に持っていて、それをふと見て最初の男に言う。
「第一エネルギーの要求量が増大しました。かなり早いペースです。このままでは——」
言われた男は女の方を見て冷静に聞く。
「どこの区域だ?」
女は板を見て「下層枢密区174-6」と言ってすぐ、無表情にこう続ける。
「第一エネルギー、ブラックアウトです」
護衛の男が舌打ちして「またかよ」と呟く。最初の男は困った顔をして肩を落としてから、何事かと様子を窺っている六人の客人に向き直って言う。
「失礼いたしました。帝都はちょっと大変な状況でして。ご覧の通りまた暫くは半停電状態ですので、ご不便をおかけいたします。とりあえずここから出ましょう。ああそうだ、何か預かってきたものがありませんか? 私は、グスティドール帝国最高顧問のユレイド・ルクレティウスです。若過ぎるとお疑いならライセンスコードをどうぞ」
ユレイドは懐から秘書の女が持っているものと似た板を取り出し、怪訝な顔をしている六人を見て、今更気が付いたように言う。
「端末はお持ちではありませんよね。ライセンスコードを提示しても無駄でした」
預かった品を持っているミラベルは、困った様子のユレイドを見て、ロランに聞いてみる。
「本当にこの人が最高顧問だと思う?」
ロランは頷いて「どうやらそうらしいな」と返す。ミラベルは鞄から奇妙な金属片を一つ取り出し、前へ出てユレイドに渡す。ユレイドはそれを受け取ると、持っている端末の端にその金属片を差し込む。暫く画面を見て、何か感動した様子で頷いて言う。
「よかった。これできっとなんとかなります」
ユレイドは金属片を端末から外し、「無事確認できました。ありがとうございます」と言ってミラベルに返す。返してもらっていいのかと不思議な顔をして受け取ったミラベルに、ユレイドはこう言う。
「データは受け取りましたから、記録媒体の方はお返しします」
ユレイドはミラベル以外の五人にもこう言う。
「とりあえず会議室でお話をさせてください。予約済みの会議室はこちらです」
部屋の出口へ向かうユレイドを追って歩き出しながら、サンドラが呟く。
「ずいぶん変わったところに来たみたいね」
ロランも眉間に皺をよせて「そうだな」と頷く。エディはこれから向かう『会議室』がどんな場所かを想像している。ジャンとシルキアは『第一エネルギー』について何か考えている。解放されていた部屋の扉を抜けると、弱い橙色の光に照らされた薄暗い通路に出る。揺らがない光源は足元にあり、通路の両脇に等間隔で並べられているらしい。通路に出ると、ユレイドは左へ進みながら客人に注意してこう言う。
「薄暗くて申し訳ないです。今は第二エネルギーの方も絞られているので、非常灯しかありません。足元にご注意ください」
ミラベルは光源に注目する。魔力の炎とも違った明かりのようだ。ルパニクルスの照明に似ているかもしれないが、それよりもかなり弱い光だ。屋内の廊下がこのくらい暗いのはミラベルにとっては普通のことだったので、ミラベルはユレイドに聞いてみる。
「いつもはもっと明るくしてるってこと?」
ユレイドは歩きながら答える。
「はい。いつもこんなに薄暗いわけではありません。普段はもっと明るいですよ。バランサーさえ復旧できれば、すぐに明るくできます」
それを聞いていたロランがユレイドに質問する。
「バランサーっていうのは何なんだ? 今はそれの調子が悪いから、エネルギーを使えなくなってるのか?」
ユレイドは「端的に言えばそうです」と言って続ける。
「一刻も早く復旧させたいのですが、問題が重なってしまって複雑なのです。みなさんの目的である【守護者】は、バランサーに組み込まれた機構のはずなので、それを活動化していただくことで、元々の不調はおそらく解消するでしょう。しかし、そうしていただく前に幾つか障害があります。込み入ったお話なので、会議室に着いてからお話ししましょう」
面倒くさそうだなとロランは思う。サンドラは、お話が終わったら何か美味しいものが食べられるかしらと少しだけ期待している。ミラベルは、今回は【守護者】に意思がなさそうなのでほっとする。エディは落ち着かない様子であたりを見回している。ジャンとシルキアは、照明の照度はこのくらいで十分だと囁き合っている。ユレイドは少し先の広い空間に見える、蛇腹の鉄柵で遮られた扉を指して言う。
「会議室は中層窓側を押さえましたので、中に入れば明るくなります。エレベーターで上へ参りましょう」
扉の前に着くと、護衛の男が鉄柵を開け、ユレイドは端末を扉の脇の操作盤にかざす。鐘を鳴らすような音が響き、扉は中央で左右に分かれて開く。中はやはり薄暗い非常灯で照らされた、正方形の床の狭い空間だ。九人が中に入るなら少し狭そうに見える。秘書の女が先に中に入り、内側の操作盤に触れて言う。
「定員は十名です。狭くなりますが非常用ですのでご容赦ください」
ユレイドは客人六名に「中へどうぞ。セキュリティは万全のはずです」と言って促す。ルパニクルスの闘技場で乗った昇降機のようなものかしらと思いながら、サンドラとミラベルが中へ入る。ジャンとシルキアが後に続き、少し警戒しているロランとエディも乗り込み、最後にユレイドと護衛の男が中へ入る。護衛の男が外側の鉄柵を閉め、秘書の女が操作盤に触れると、入り口の扉が音もなく閉まり、少しして一同は自分の体重がひととき重くなったような感覚を覚える。エレベーターのちょうど中央の位置にいて壁際を確保できなかったエディは、戸惑って一瞬ふらつき、立て直してからそれほどでもないかと思い、誰にともなく問いかける。
「なんか今変な感じがしなかったか? これで上に移動してるのか?」
ユレイドが答える。
「エレベーターは初めてですか? 驚かせてしまってすみません。はい、今はこれで上に登っています。省エネルギーモードの非常用ですので、中層の目的階までは少し時間がかかります。もう暫くお待ちください」
暫くここに閉じ込められるのかとエディは心細くなる。扉の方を向いて立っている護衛の男がユレイドに問う。
「このエレベーターは大丈夫なんだろうな?」
ユレイドが秘書の女を見ると、女は操作盤の表記と自分の端末を見比べて答える。
「エレベーター・セブンエルは、優先度高の第二エネルギー利用で問題なく送電されています。不具合も報告されておりません」
護衛の男は納得してまた扉の方を向く。ユレイドが護衛の男に言う。
「第一エネルギーが落ちているのは痛いが、エレベーターには予備電源もある。レガート、他に何を心配しているんだ?」
レガートと呼ばれた口ひげの男は暗い表情で答える。
「ちょっと嫌な予感がしただけだ」
それを聞いてエディはますます不安な気持ちになる。そして、ユレイドが何か言おうとしたところで、その悪い予感は当たってしまう。突然、上昇し始めたときとは反対方向の負荷がかかり、みんな身体が一瞬浮くような感覚を覚えたかと思うと、扉は開かないまま照明が落ちて、狭い空間は真の暗闇になる。エディは驚いて床にしゃがみ、ミラベルが小さく悲鳴を上げる。護衛のレガートが懐からフラッシュライトを出し、電源を入れる。ミラベルはレガートが出した強い光を見てほっとする。こんな狭いところで火をつけていいか、彼女は迷っていたのだ。ユレイドと秘書の女は端末を出して何か操作する。端末の画面が放つ青白い光に照らされながら、ユレイドは端末に話しかける。
「最高顧問のルクレティウスだ。重要指定のエレベーター・セブンエルが停止している。優先度高で送電を再開せよ」
端末から無機質な声が聞こえてくる。
「エレベーター・セブンエルで不具合の報告はありません。優先度高の第二エネルギー利用で問題なく送電されています」
ユレイドは鋭い声で「上の人間を出せ」と言う。しかし通信はそこで途絶えてしまったようで、応えはない。ユレイドはまた端末を操作して、それでも繋がらないらしく、困った表情で秘書に言う。
「この端末で繋がらないなんて、どうなっているんだ。君の端末では制御室に接続できるか?」
秘書はやはり青白い光に照らされながら、首を横に振って言う。
「いいえ。こちらからの接続を拒否されます。また、データ上では、エレベーター・セブンエルが優先度高の第二エネルギー利用で問題なく送電されていることは事実です。データとこの現状との間で、何か行き違いがあるようです」
ユレイドは難しい顔をして考え込む。奇妙な狭い空間の中で沈黙が続き、エディはなりゆきが分からないながら、絶望的な気分になる。床に手をついて絶望しているエディの様子を見て、サンドラは少し笑う。エディは笑われたことに気付いていない。ロランは気付いてサンドラに小声で話しかける。
「おい、余裕だな。確かにこいつはちょっと面白いけどな」
サンドラはなるほど余裕のありそうな表情でこう言う。
「雷だけじゃなくて囲われたところも苦手なのかしら」
内緒話に気付いたエディが我に返って、床に座ったまま二人に言う。
「あんたら平気なのか?」
ロランが答える。
「慌てても仕方ねえだろ。今すぐ死ぬわけじゃないんだ、考えろ」
考えろと言われるまでもなくずっと考えていたミラベルは、思いついたことをおそるおそる口にする。
「エレベーターって、この部屋が箱みたいになっていて、それを上へ持ち上げればいいのかしら」
ユレイドがそれを聞いて頷く。
「そうです。動力が切れているらしいので今は動きませんが、縦方向のシャフトの中にこの箱があり、それを持ち上げたり降ろしたりする仕組みがエレベーターです」
それからユレイドは秘書の女に聞く。
「今箱がある位置は分かるか?」
女は端末を操作して答える。
「下層二階から下層一階の間です。データと現状の差異が懸念されますが、上昇から停止までの経過時間からも、おおむね間違いないのではないかと」
ユレイドは「あと少しか」と呟いて、暫く考えてから、申し訳なさそうな顔でミラベルにこう聞く。
「クレアローゼさんならこの箱を持ち上げることができますか? あと半階持ち上げて下層一階に出られれば、階段で中層地上階に出ることができます。中層地上階に出られれば、そこから会議室のある階までは別の移動手段を使えるのですが、いかがでしょうか?」
渡した金属片に個人情報も記録されていたらしい。ミラベルは不安げな顔で「ミラベルでいいわよ」と言ってから、壁にもたれて遊んでいるジャンとシルキアに言う。
「手伝ってくれない? 大きいし重そうだからあたし一人じゃ無理だと思うの。あんたたち、できるでしょ?」
シルキアはミラベルを見てこう聞き返す。
「ミラベルは今困っているの?」
質問と状況の不釣り合いは無視して、ミラベルは真剣に答える。
「そう、困っているの。あたしも、他のみんなも。手伝ってくれる?」
シルキアは暫くミラベルの顔を見てから「それなら手伝う」と言って頷くと、右手にミラベルの左手を、左手にジャンの右手を取って、歌うように言う。
「王様とわたしがお手伝いをして、ミラベルにやってもらおう。わたしはコンデンサー。ミラベルならきっと大丈夫」
ジャンは少し不安そうな表情でミラベルとシルキアを見比べると、ユレイドの方に質問を投げる。
「最高顧問。先ほど第一エネルギーが落ちた原因は判明したのか?」
聞かれたユレイドは端末も見ず秘書に確認もせず、即答する。
「既知の不具合です」
ジャンはそれを聞いて何か納得したようで、「分かった。力を貸そう」と言って頷く。シルキアが繋いだ手を少し上に持ち上げて「はいどうぞ」と言うと、ミラベルは左手から何か重たい、冷たいような異質な力が流れ込んでくるのを感じて戸惑う。いつも親しんでいる魔力とはかなり勝手が違っていて、右手の杖に固定した魔力とも馴染まない。借りた力を使おうとしてみるのだがうまくいかず、ミラベルはシルキアとジャンに言う。
「使い方が分からない。あたしじゃこれ使えないみたい。いつものと質が全然違う」
ジャンが「コンデンサーを通してもだめか」と呟く。シルキアも困った顔をして「二人とも全然違うから、身体がばらばらになりそう」と言ってミラベルを見、それからこんなことを言う。
「ミラベル、家出しないでね」
ミラベルが何のことかと考えていると、急に身体の自由が利かなくなってぞっとする。継母に身体を操られたときと同じ感覚だったからだ。どうしてそんなことになったのか戸惑っていると、左手から入ってきた重たい力が今度は外へ出てゆくのを感じる。ミラベルの身体の外へ、そして床へ流れてその下へ、エレベーターの箱の外側へ。力は箱の外側を包む。秘書の女が端末の情報を見てユレイドに言う。
「エレベーターの位置が上昇しています」
シルキアはそれを聞いて「中層地上階で『止まれ』って言ってね」と秘書の女に言う。秘書の女は暫く端末を見守り、地上階の停止位置に到達する直前に「止まってください」と言う。シルキアは二人の手を離さないで、静かにこう言う。
「離したら落ちちゃうから、このまま。扉を開けて」
護衛のレガートが操作盤の下の扉を開け、手動開閉レバーを引くとエレベーターの扉が開いた。ここが地上階だろうか。停止位置はちょうどよかったようで、鉄柵の向こうに非常灯の付いた空間が見える。エディはようやく少し安心して立ち上がる。鉄柵も内側から開けてしまうと、護衛の男は先に外に出て、何かの弾みで閉まってしまわないよう用心のためか扉の片側を押さえながら、中の者たちに早く降りるよう促す。シルキアと手を繋いでいる二人が最後になった他は、中へ入ったときの順で外へ出る。全員が箱の外に出ると、シルキアはミラベルの手を離す。すると、先ほどまで乗っていたエレベーターの箱が、停止した位置まで緩やかに落下する。ようやく解放されたミラベルは呆然として立っている。レガートが鉄柵を閉めながら「自由落下じゃないんだな」と呟く。それを聞いたユレイドがミラベルに「設備を壊さないでいただきありがとうございます」と礼を言っても、ミラベルは小さく頷いただけで何も言わない。顔色が悪いので心配したサンドラが声をかけると、ミラベルは「大丈夫」と言って頷くのだが、無表情のままだ。シルキアはミラベルを少し気にしてから、まだ具合の悪そうなエディに言う。
「階段を上らなくて済んでよかったね」
親切なのか嫌味なのか判断の付かなかったエディは、「そうだな」と曖昧に笑って済ませる。ユレイドは改めて今回の事故についての謝罪をし、功労者三人に礼を述べる。
「来ていただいて早々、本当に申し訳ありません。データと実情のずれについては改めて調査を進めます。脱出に協力していただいた方々は、本当にありがとうございました。ここは地上階です。中層の一番下なので、外に出てリムジンで会議室の階に向かいましょう」
地上階ということで懸案事項を思い出したエディが、ユレイドに確認する。
「外に出る前に確認しておきたいんだけれど、今は夜だろうか、昼だろうか?」
ユレイドは少し迷って答える。
「中層はいつでも昼ですが、自然の空に接している上層はもう少しで日没です」
中層と上層の違いはよく分からなかったが、日没と聞いて少し焦った様子でエディはさらに質問する。
「月はあるだろうか? 丸い月が出ていると、おれは外に出られないんだ」
ユレイドは秘書に「上層の月の出と月齢、天候は?」と尋ねる。秘書は端末を操作して、今夜上層に登る月が満月であることと、出の時刻が迫っていることを告げる。ユレイドはエディに言う。
「ミラベルさんから受け取ったデータ上では、月光を浴びなければ問題は起こらなさそうとのことでした。上層へ上がりさえしなければその心配はないと思うのですが、いかがでしょうか?」
エディは中層がどんなところか分からないので、ユレイドに尋ねる。
「月が出ていても中層にはその光が全然入らないのか? それなら問題ないかもしれないけれど、そんな状況想像がつかない」
ユレイドはどう説明したものかと考えて答える。
「中層は真昼の空を映す境界膜で覆われているので、建物の外へ出ても上層の月明かりが差し込むことはありません」
エディは「分かった。ありがとう」と答えて引き下がる。まだ少し不安そうなエディに、シルキアが言う。
「狼になったら、会議室で眠るの。大きな竜を眠らせたみたいに」
いざとなったらシルキアがなんとかしてくれるという意に捉え、エディは「そうなったら頼む」とシルキアに返す。ロランは「そのまま二度と目覚めないんじゃないだろうな」と言おうとしてやめる。狼問題が片付いたところで、ユレイドは一同を建物の出口へ導くために歩き出す。下層とあまり変わらない非常灯のみの薄暗い廊下を暫く歩き、途中に何度かあった分厚い鉄の扉のロックを解除して進むと、明るくて天井の高い、広がりのある空間に出る。非常灯がなくても明るいのは、壁の高い位置にある横長の大きな窓と、その下に並ぶガラスの回転扉から外の光が差し込んでいるためだ。ガラス越しに見える外の景色は、これまでにも増して客人たちには見慣れないものだったので、塞ぎ込んでいたミラベルでさえ顔を上げて注目している。ユレイドはそんな客人の様子を見て言う。
「外へ出たらもっと驚きますよ。都市の様子は上から見た方が面白いものです」
それを聞いてサンドラが質問する。
「上から見た方が面白いのは同感だけれど、どうやって上がるの? さっきみたいなエレベーターも階段も使わないのでしょう」
ユレイドは得意げに答える。
「《反発》の力を活用した乗り物に乗って行くのです。帝都以外では需要が少ないようであまり見かけませんが、ここでは、《反発》の対象面を任意の空中に設定して宙を駆け上がれる設計が一般的です。動力についても、第一第二とは独立の各種エネルギーを利用可能なモデルが多いので、うまく選べばバランサーの不調に影響を受けることもありません。庁舎のリムジンはすべてそういった第三エネルギーを利用可能なものです。都市の境界膜も第三エネルギーを利用しているので、この状況でも中層の屋外は明るく、気候も安定しています」
聴きなれない言葉が連発する説明だが、大まかなところに納得してサンドラは言う。
「とりあえず空に浮かぶ乗り物が存在するっていうことなのよね。面白い場所だわここ。それに、こんなに明るいけれど今はもう夕暮れ時なのでしょう。変な場所ねえ。その空飛ぶ乗り物に乗ってみたいわ」
早速行きましょうかとなったところで、護衛の男がユレイドに提案する。
「庁舎の会議室に拘らず、拠点の方に向かった方がいいんじゃないのか? エレベーターの件と言い、庁舎はなんだか様子が変だ」
ユレイドは秘書の女と顔を見合わせてしばらく考えてから、「そうかもしれないな」と頷いて端末を操作しながら客人たちに言う。
「ややこしくなるのでバランサーの件とクランの件は場所を分けてご説明したかったのですが、ここを離れた方がいい気がしてきました。行き先を変更して、中層にある別の場所へ向かいます。リムジンを使うのは同じなので、私についてきてください」
言われた通り彼に従って大きな回転扉を通り抜け外へ出ると、文字通り天となる境界膜を突く柱のような高層ビル群に客人たちが驚く間もなく、扉を出てすぐのポーチにこれまた見慣れない乗り物が待機している。秘書の女が運転手に行き先を告げ、レガートが中を確認して問題なしの合図を出すと、ユレイドは後部座席の扉の中へ客人たちを促して言う。
「中へどうぞ。乗り心地上々の空飛ぶ応接室です」
まず興味津々のサンドラがミラベルを連れて広い車内へ乗り込みながら言う。
「やっぱり変わった装飾の部屋ね。奥へ行きましょう。窓の外がよく見える席がいいわ」
また箱に閉じ込められるのかと警戒していたエディも、中が本当に部屋のようで見晴らしのよさそうな窓もあるので少し安心しつつ中へ入る。ロランは、乗り物と地面との間に空いた隙間と、その隙間を覗いて《反発》の力について話し合っているジャン、シルキア、ユレイドを見比べて、「未来予想図みたいなのが出てきたな」と呟きながら乗車する。《反発》についてユレイドから説明を受けて見識を深めた二人と、得意げなユレイド、最後に秘書の女が中へ入って扉を閉め、運転手と助手席のレガートに乗車完了の合図を出すと、車体は静かに斜め前方へ浮上する。揺れも音もなく移り変わる奇妙な景色を眺めながら、ロランがユレイドに質問する。
「第一エネルギーとか第二エネルギーとか言ってたな。どういう区分なんだ」
ユレイドは残りの身上書を確認しながら答える。
「魔力と電力で通じるでしょうか。帝都で言う第一エネルギーと第二エネルギーは、バランサーを通して政府が供給する魔力と電力です。第一が魔力で、第二が電力ですね。動力源はそれぞれ伝説的な永久機関ですが、単なる神話ではなく実在する遺物です。いずれお見せすることになるでしょう。第三エネルギーは、バランサーを通さないその他の雑多な動力をまとめてそう呼びます。その他という雑な括りなので、個人や法人所有のものもあれば、公的に管理されているものもあります。この説明で伝わったでしょうか?」
ロランはなんとなく納得した様子で言う。
「電力っていうのは馴染みのない概念だが、魔力はよく聞くな。ここでも魔力はインフラストラクチャーなわけだ。そうか。それで合点がいった」
ロランは向かいの席に座っているジャンを見る。ジャンはそれに気付いて気軽な調子でロランに問う。
「その先は言わなくていいのか?」
ロランはその態度が気に入らないという表情でこう返す。
「エナジーヴァンパイアめ。見逃してもらえてよかったな」
ユレイドが困った表情でジャンに言う。
「責任は問いませんが見逃したわけではありません。都市機能は限界です。なんとかなりませんか」
ジャンは隣のシルキアと顔を見合わせて、暫く沈黙してから面倒くさそうに答える。
「もう復旧しても問題ないはずだ。自分自身に封印をするのはおかしな気分だな」
シルキアは「封印されるのは慣れてる」とつまらなさそうに言う。ユレイドは両方に対して「ありがとうございます」と謝辞を述べてから、秘書の女に命じる。
「第一エネルギーの供給を再開させろ」
秘書の女が頷いて端末を操作し始めると、ユレイドは心底ほっとした様子でエナジーヴァンパイアたちにこう言う。
「しかし、結構な消費量でしたよ。もうお腹いっぱいになったんじゃありませんか」
するとシルキアが外を眺めながら言う。
「足りなかったから、もっと欲しい」
それを聞いてジャンは困った様子で「まだ足りないそうだ」となぜかユレイドに言う。彼らの個人情報に目を通したばかりのユレイドは、色々考えてしまって返答に困る。ロランはユレイドの代わりに「自前でなんとかしろ」と切り返してから、絞り取られる方も大変そうだなとか、体力を魔力に変換するようなものだろうかとか、変換のレートはどうなっているのだろうとか、余計なことをつい考えてしまう。機嫌を損ねたらしいシルキアが真顔で「王様は冗談が下手」と言う。サンドラと一緒に窓の外を見ていたミラベルも、まったくその通りだと密かに同意する。エディは高いところも怖いようで、それどころではない。リムジンはもうかなり高いところまで上っている。ユレイドが窓の外を指差して言う。
「目的地が見えてきました。あの、煉瓦色の外装に白い螺旋の建物が、第二帝国ホテルです。忌み数で客室階にできない四十一階に、私のもう一つの職場、クランの拠点があります。白い螺旋は各階に車をつけるためのポーチですね。高層階にはポーチがあるのが普通ですが、せっかくの中層の採光を妨げないよう、ああして螺旋状に配置しています。クランについては、着いてから説明させてください」
ユレイドは一瞬迷って続ける。
「散らかっているかもしれませんが、ご容赦ください。ついでに言っておくと、これから向かう場所は政府の設備ではありません」




