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XVII. Alae argenteae

 蛇の毒の採取が済んだらしくロランとエディがこちらに来たので、サンドラとミラベルはなんとなく離れる。ジャンとシルキアはあの血生臭い場所でロランとエディの作業を結局最後まで見ていたらしく、後からついてくる。物騒な瓶を鞄にしまったロランがサンドラに尋ねる。

「道はもう近くか?」

 サンドラは茂みの向こうを指して答える。

「すぐそこ。妙な道よ。歩くのは楽そうだけれど誰が整備しているのかしら。草も木も道を避けているみたい」

 ロランは適当な岩に腰掛けて適当なことを言う。

「森の中の神殿だろ? 草木も避ける邪神がいたりしてな」

 エディが泉の水で手を洗いながら言う。

「嫌なこと言うなよ。ルパニクルスの地下にいたようなやつが出たらどうするんだ」

 水を手にすくって遊んでいるシルキアも言う。

「あれは嫌い」

 一緒に遊んでいるジャンが言う。

「あれはこんなところにはいない」

 エディは気になってジャンに尋ねる。

「あの化け物は何だったんだ?」

 ジャンは手短に答える。

「昔祀られていたもので、地下神殿が閉鎖される原因になったものだ。餌を与えても仕事をしないうえ、地下をおかしな穢れで満たした。手に負えなくなったので地下神殿ごと封印したらしい。アンデッドは巻き込まれた者たちだろう」

 エディは、アンデッドになった大勢が地下神殿の閉鎖の際に生きていたのかもう死んでいたのか気になったが、聞きたくないので聞かないことにする。質問する代わりに感想だけ言う。

「ほんとに趣味悪いな」

 ジャンも「同感だ」と一言返す。各自しばらく休憩し終えたところで、サンドラが立ち上がって一同に言う。

「先へ進みましょう。道中何か起こらなければ、そんなに遠くはないはずよ」

 茂みをかき分けてみると、白色のきれいな道までは本当にすぐそこだった。道は茂みを抜けたところから右と左どちらにもまっすぐ伸びているが、サンドラは右を指差して言う。

「建物があったのは向こうよ。反対側は行き止まりだったはず。そうだったわね?」

 聞かれたロランも頷いて言う。

「きっとその行き止まりに本来の門の出口があったんじゃないかと思うが、わざわざ確かめに行ってもどうしようもないからな。目的地らしい建物のある方へ行くぞ」

 ロランとサンドラは合流する前にあった出来事について話し合いながら、さっさと先へ歩いて行ってしまう。ミラベルはなんとなく一人で歩きたくなって、一行の一番最後に回る。エディは何か考え込んでいたが、思いついたようにシルキアの隣へ行き、その向こう側にいるジャンに話しかける。

「あのさ、あんたと仲直りしたいと思って。あのときはごめん」

 反対側に回らなかったのは、まだ勇気が足りないので一人分間を空けておきたかったからだ。一番後ろを歩いているミラベルにもこの発言は聞こえたので、彼女は驚いてついさりげなく耳を澄ます。いきなり仲直りしたいと言われたジャンは、わざと不思議そうに言う。

「はて、我々は喧嘩をしていたのだろうか?」

 その態度にやはり少し腹が立って、エディは強めに言う。

「最初からわだかまりがあっただろ。少なくともこっちは、あんたの前でどういう顔していればいいか分からなくて困ってたんだ。そのなんか困る感じ、もうやめたいんだよ。からかわれたことはもう忘れるからさ、おれがした失礼も水に流してもらっていいか?」

 ジャンはどうしようかと悩む様子でしばらくして言う。

「知らないふりをしたらまた怒られるのだろうか」

 大した計画もなかったエディは、返し方が分からなくなって沈黙する。エディがもう諦めて引き下がろうとしたときに、二人の間で話を聞いていたシルキアが右隣のジャンに問う。

「王様。エディがきっと気にしていることを、わたしが話してあげてもいい?」

 ミラベルが聞いていることにも気付いているジャンは、あまり話してほしくないらしく、おおいに困った様子でしばらく黙ってから、感情の読めない表情に戻ってシルキアに言う。

「好きにしなさい」

 何のことだろうと怪訝な顔をしているエディに、シルキアはいつもの淡々とした調子ではっきり告げる。

「あのとき王様が言ったことはね、覗ける場所があるのは嘘。あとは本当」

 いきなり話を端折って言われたエディは、しばらく混乱して言葉を失う。後ろで聞いているミラベルも、エディと同じくらいか、もしかするとそれ以上に混乱して思考停止する。沈黙するエディの反応を待たず、シルキアは悲しそうに付け足す。

「でもわたしは、その後しばらくいなくなられたことの方が悲しかった」

 それからいつもの調子に戻ってこうも言う。

「されたことはそのうち気に入ったからいいの」

 ジャンは読めない表情のまま、黙って歩いている。後ろで聞いているミラベルは、ようやく何か悟ったような気になる。話がずれているのは、感覚がずれているからだ。単に考え方が違うというより、感覚の違いの方が大きい気がする。この人たちはこれで普通の生き物で、考え方も感じ方も、きっとミラベルとは全然違う。おそらくエディとも、違う。せっかく話したのにエディが受け止めきれていないのに気付いたシルキアは、やはり淡々とこう言う。

「王様は怒っていたから、あんなことを言ったの。階段の呪いは本気じゃないよ。本気なら、エディは今も階段にいる」

 エディは少し肝が冷えて、シルキアの話はあのとき隠し通路の先でロランが言った通りだと思い出す。だんだん頭がすっきりしてきたエディは、口に出していいか躊躇ってから、言葉を選んで一つ尋ねる。

「無理矢理になったのは、おれが怒らせたせいなのか?」

 シルキアはすぐに「違う」と否定してから、間を置いて簡潔に言う。

「それはそういうものなの」

 聞いていられなくなったのか、ジャンは下を向いて呟く。

「そろそろやめてもらえないだろうか」

 シルキアは「じゃあ、やめる」とあっさり言って話を切り上げると、右隣の王様と左隣のエディに聞く。

「仲直りできた?」

 もしかして仲直りさせるために言っていたのか、とミラベルはやっぱり衝撃を受ける。同じく頭がついていかないエディは、とりあえずもういいことにして、最初と同じように素直に謝る。

「ごめん。おれが立ち入ったのが悪かった」

 ジャンは「過ちは誰にでもある」とだけ言って自分は謝らない。エディはもうそれでいいと思いつつ、仲直りできたのかどうかについてはよく分からない気持ちでいると、シルキアがエディに得意げに言う。

「よかったね。仲直りできたよ」

 ミラベルはもう驚かない。この子がそう言うならたぶんそうなのだと思う。エディも面食らいつつそういうことにして、「そうか。それならよかった。ありがとうな」とシルキアに返し、なんとなく後ろへ下がる。下がるとミラベルがいるので、エディは驚いて小声で言う。

「聞いてたのか?」

 ミラベルは呆れつつ小声で返す。

「あたしが後ろにいることは、たぶん、あんた以外は二人とも気付いてたと思うわよ。内緒話なら小声でしなさい」



 先頭を歩くサンドラは、銀色の鳥に出くわした経緯をロランから聞いて言う。

「私とエディは魔法が使えないから、狙われて罠にはまらないで済んだってわけね。その程度で済んでよかったけれど、先が思いやられるわ」

 今回はミラベルに知識があったが、誰も対処法に心当たりがない相手がこの先出現したら厄介だとサンドラは思う。ロランも同感のようで言う。

「知識が足りなくなって詰まるのは予想してたからな。城に本が山ほどあっただろ。調べ物ができないか探ってみたんだが、どれも読めない言語でどうしようもない。デイレンでもらった手紙も、あれは何だ、見たこともない書き文字だ。あれで、ねえさんが読み上げた通りの内容が書いてあったのか? よく話が通じるぜまったく」

 サンドラは驚いた様子で言う。

「あら貴方本なんか読むの? 学者には見えないけれど」

 ロランは「悪かったな」と返しつつ、うんざりした表情で言う。

「読み書きができて困ったことはねえが、教わったときのことは思い出したくもねえな。薄暗い部屋で家庭教師が鞭で叩くんだ。ああ、嫌だ嫌だ」

 サンドラはもう一つ驚いて聞く。

「家庭教師だなんてお金持ちのおうちだったのかしら。どうして危なっかしい狩人になんか、なったの?」

 ロランは「陰気臭い話だぞ。最初から嫌になるくらい陰気臭い話だ」と前置きしてから、涼しい顔で言う。

「十四のときに親父を殺したからだ。親父が何者だったかは、顔合わせのときに言ったな? それから母方の姓を名乗って、あっちこっち点々として、気がついたらそんな感じになってたな。ごろつきの仲間入りだ」

 そういえばロランの父親はヴァンパイアだったとサンドラは思い出す。そのことは置いておいて、サンドラはこう言う。

「ご先祖様みたいに、船乗りにでもなればよかったのに」

 するとロランは渋い顔をして忌々しげに言う。

「無理だ。後妻の呪いがまだ解けねえ。親父の後妻はしょうもない魔女でな、俺にしょうもない嫌がらせを残して死にやがったせいで、俺は海へは出られないらしい。俺が乗った船は、沈むんだ。どうしようもないだろ」

 サンドラは少しの間考えこんで、言う。

「どうにかして呪いが解けるか、この先船に乗る機会が訪れないことを祈りましょう」

 ロランはそれを聞いて笑って言う。

「このまま【探索】で船に乗るはめになったら、一緒に乗った全員仲良く巻き添えだからな。そうなったら、ねえさんと俺だけは飛竜に乗って助かろうぜ」

 サンドラも笑って返す。

「船が沈む前に貴方を海に叩き落としましょ。あら、そのくらいもうどこかでやられたことがありそうね」

 ロランは「ご明察」と言ってこんな話をする。

「船旅には二度挑戦して失敗したからな。最初の失敗のせいで、乗せると船が沈む不吉な客として、俺の風体はもう噂になっていた。最後の船旅は、出発してから岸にたどり着くまで三隻の船を乗り潰した大冒険だったぜ。最初に乗った船では身元が割れて、海に突き落とされた。それでも間に合わなかったらしく、その船は結局沈んだらしい。突き落とされた俺の方は悪運が強いもんで、外国のお人好しの船に拾われた。その船は沈んだ。次に俺を助けた船も沈んだ。それで、海へ出るのはもう諦めたんだ」

 サンドラはちょっと眉を顰めて言う。

「その調子だと、私が助けなくても貴方だけは助かりそうだけれど、よその船を巻き添えにするのは気が引けるわね。船旅はしなくて済むようルパニクルスと交渉しましょう」

 ロランは説明係の女やアンドロイドのエリクを思い出して言う。

「交渉するまでもなくそのくらい心得ていそうだがな、あいつらは。何でも知ってるような口を聞きやがって、気に入らねえ。それなのにこれから行く先での二つめの書状の使い道は予測不能と来た。胡散臭いやつらだぜ」

 サンドラは穏やかな調子で返す。

「私たちもルパニクルスを利用している立場じゃない。私には私の目的があって、貴方は明日のパンの保証が欲しいのかしら? うまくやりましょう」

 ロランはサンドラに尋ねる。

「ねえさんは、目的を果たしたら【探索】から抜けるのか?」

 サンドラは首を横に振って言う。

「いいえ。私の条件だとそれはできないの。その言いようだと、貴方は【探索】から自由に抜けられるくち?」

 ロランは説明係の女な話を思い出し、納得したように言う。

「やっぱり拘束力の強い契約を結ばされた参加者もいるんだな。足元を見やがって下衆なやつらだ。俺はいつでも抜けられるはずだ。エディもそのはずだ。ねえさんはどんなふうに脅されたんだ?」

 サンドラは思い出して静かに話す。

「ルパニクルスは干渉の取り消しができるの。彼らが取り消すと、私が使者として行った干渉は、行われなかったものとして取り消されてしまう。それだけよ」

 ロランは不快げに言う。

「だから死ぬまで付き合えってか。けったくそ悪いな。そんな取り消し云々なんて話は、俺は聞かされてねえぞ。それぞれが説明係からどんな話を聞かされて契約したのか、後でまとめて聞いてみたい」

 サンドラも頷く。

「確かにそれは興味深いわね。私は自分のとミラベルのしか聞いていないから。私が聞いていない内容を、他の人たちが聞かされているかもしれないわ」

 ロランは一つ思い出してサンドラに聞く。

「俺はなりゆきでエディと一緒に最初の説明を聞くはめになったんだが、ねえさんはミラベルと一緒だったのか? いや、ミラベルから話を聞いただけか」

 サンドラは最後の部分を否定して言う。

「私は一人で説明を受けたけれど、ミラベルが説明を聞くところにもたまたま同席したのよ。ああ、貴方に初めて会ったのも、そういえば同じ夜だったわね。あのときは素っ気なくしてごめんなさい」

 ロランは初めて声をかけたときのサンドラの弱り切った様子を思い出す。狭間の城へ来る前に起こったことを思えば無理もないことだ。気にするなと返してから、道の端にときおり現れるようになった朽ちた石像を指して言う。

「この先にあるのは神殿だったか。空の上から見たときには、誰かいそうにも見えなかったよな。遺跡なのか? それなら、道がこうもきれいなのはなぜだ。分からねえことだらけだ」

 サンドラも石像を見て言う。

「天使かしら。翼のある人の翼は、やっぱり鳥の翼なのね」

 ロランは怪訝な顔をして言う。

「ねえさんのとこでは飛竜の翼だったのか?」

 サンドラは頷いて言う。

「そうよ。天使の翼が鳥の翼じゃ、頼りないじゃない。もっと強そうでないと恰好がつかないでしょう。貴方のその言いようだと、鳥の翼で表す方が一般的なのかしら」

 ロランは首を傾げて言う。

「強そうな天使か? 言われてみりゃ飛竜の翼の方が頑丈そうではあるが、鳥の翼じゃ弱そうなんてあんまり考えたことはなかったな。ああそうだ、俺も色んな地域を回ったが、ああいう蝙蝠みたいなぎざぎざの翼は、悪魔の翼だ。門柱の魔除けなんかのな。夜飛ぶ蝙蝠からの連想だろうな」

 ロランは、デイレンの謁見の間で魔導士長クローヴィエが『竜は悪魔です』と断言していたことを思い出す。デイレンでは何かそういう信心でもあるのだろうか。単に、演説上の効果を狙った言い回しかもしれないが。悪魔と言われて心外そうなサンドラに、ロランは言う。

「天使なんて見たこともねえからな。羽があろうがなかろうが、どう表現しようが自由だ。大体、天のみ使いなんて胡散臭いぜ。高みの見物の天とやらが、地上に一体何の用だ。おせっかいか。無駄な介入をする暇があるなら、さっさと世の終わりとやらを持ってきてみやがれ。地獄で祝杯を上げてやる」

 ロランのいた文化圏では、良識ある者が卒倒するほど罰当たりな発言だ。サンドラは面白かったらしく笑っている。サンドラは笑いながらロランに言う。

「私は地獄じゃなくて戦士の天国へ行きたいわ。世の終わりって、デイレンの宗教でたまに聞いたけれど、貴方のところでもそういうことを言うのね」

 目的地が近づいてくると、まだその建物が視界に入らないうちに、ジャンとシルキアが立ち止まる。ジャンは後ろを歩いているエディとミラベルを待ち、彼らに言う。

「エディ、ミラベル。先へ行け。我々は最後尾へ回りたい」

 エディが「なんでだよ」と聞くと、ジャンは居丈高にこう言う。

「この先に我々と相性の良くないものがある。前へ出たくないので代われ」

 ジャンはミラベルに対しこうも言う。

「盗み聞きされたくないからでもない。とにかく場所を代わってもらいたい」

 エディとミラベルは顔を見合わせる。ミラベルがジャンに言う。

「盗み聞きは悪かったわね。この先に何か危険なものがあるっていうこと? サンドラとロランに警告しなくていいの?」

 ジャンは即答する。

「危険ではない。嫌いなのだ」

 好き嫌いの問題かよとエディとミラベルはまた顔を見合わせつつ、前へ出て歩く順番を交代する。一体この先に何があるというのだろうか。ひどく気味の悪いものかもしれないと、エディは不安になる。ミラベルは変わり映えしない景色の中を歩くのに退屈していたので、ジャンがあんなにはっきり嫌いと断言するものって何かしらと密かに期待している。前を行くサンドラとロランから少し遅れたので急いで歩くと、サンドラが振り返ってミラベルに聞く。

「あらどうしたの? 何か話し合っていたみたいだけれど」

 ミラベルは「さあね」と言って答える。

「なんかこの先に嫌なものがあるんですって。危険じゃないらしいけどあの二人は嫌いなんだって。何かしら」

 サンドラとロランが怪訝な顔をすると、後ろの方からシルキアが大きな声で言う。

「朝が来るのが嫌いなの」

 ますます分からないので、四人は顔を見合わせる。危険ではないらしいのでとりあえず歩き出すと、しばらくして目的の建物が見えてくる。やはり廃墟か遺跡のようだ。人の気配はない。道と同じ白い石でできた建物で、箱型の前面に五つの柱があり、柱の向こうに閉ざされた石の扉が見える。デイレン王宮の敷地内にあった、【守護者】の禁域へ向かう扉によく似た意匠だ。建物の前には崩れかけた石の祭壇があり、やはり崩れかけた二体の天使像に挟まれている。祭壇の上には何も乗せられていない。祭壇の裏から建物へ向かう石段の上に、大きな翼の天使の立像が一つ据えられている。中性的な天使の像には壊れたところも汚れたところもないようで、まだ造られたときのままのように白く輝いているので、周囲との対比で違和感がある。その像を見てロランが呟く。

「わざわざ邪魔な場所に据えてあるな。なんでこれだけきれいなんだ?」

 言った瞬間、六人の視界が転送門を通るときのような白色の光で遮られる。門が起動したのかと思った前方の四人は、転送に備えて身構える。ジャンはただ不快げな顔をし、黒いマントの内側にシルキアを隠す。光がおさまって一同が前を見ると、石像のように動かずにいた天使が蘇り、銀色の輝きを放つ大きな翼を広げ、中空から六人を見下ろしていた。天使は青銅の鐘のような声で下界に呼びかける。

「使者たちよ。話を聞け」

 ロランが大きな声で「何事だ」と返す。天使は厳かに告げる。

「我は第六の複製たる【惰性】である。おまえたちに警告を与えに降りた」

 沈黙している面々を睥睨し、天使はますます謎めいた警句を続ける。

「【曙光の王子】がおまえたちに目を留めた。災いだ。用心せよ」

 告げ終わると、誰の質問も待たず、天使はその大きな翼を一度羽ばたかせる。再び白い閃光が走り、六人の目が見えるようになると、もう天使はそこにいない。最初にあった石像すらなくなっていた。ロランが悪態をついて言う。

「言うだけ言って消えやがったな。あれが天使か? 何だか知らねえが、思った通り横柄なやつだ」

 サンドラが「ああ驚いた」と言いつつロランを宥める。

「用心しろって言ってくれただけじゃない。それにしても分かんないこと言ってたわね」

 サンドラは、後ろの方でまだ不機嫌そうにしているジャンに質問を投げる。

「ジャン。貴方何か知っているんじゃないの? 貴方たち今のが嫌いだったのよね? 教えてちょうだい。何を言われたのか訳が分からないわ」

 ジャンは少し前へ来て言う。

「今の警句の話か? 分かるものか。嫌な気配がすると思っただけだ。【曙光の王子】と言ったな? 不吉な名前だ。関わり合いになりたくない」

 サンドラが釈然としない顔をしているので、シルキアも加勢する。

「わたしたちは朝のにおいが嫌いなの。無粋な朝日と同じにおい。だから嫌だった」

 夜に曙光は不吉だろうなとロランは納得する。彼は念のため確認してこう言う。

「じゃあ、今の警句の内容には、ここにいる誰も心当たりがないんだな。『第六の複製たる【惰性】』が何のことかも、【曙光の王子】が何者でそれに目を付けられるとどうまずいのかも、誰も知らないんだな?」

 みんな知らないと言う。ジャンは閉ざされた扉を指して「早く先へ行こう」と促す。サンドラも賛成して言う。

「どうせ分からないことは向こうへ着いてから考えましょう。向こうがどんなところかも、私たち知らないわけだけれど。帝都だったかしら。ミラがなんだか変な欠片を二つもらっていたわね。あれが書状になるの? よく分からないけれど、ここにいても仕方がないでしょ」

 ミラベルは腰帯の鞄を探って、二つの欠片がそこにあることを確認する。これが何になるというのだろうか。エリクがなぜそれを自分に手渡したのかも、ミラベルには分からなかった。デイレン宛ての書状はロランが受け取っていたはずだ。ロランはミラベルの疑問を見透かしたように言う。

「俺に持たせたら失くされるとでも思ったんじゃねえのか? 俺はだらしないし、サンドラねえさんは無鉄砲で、エディは頼りないだろ。後の二人は浮世離れしてて不安だ。物を預けるならミラベルが一番ましだったってことか」

 ミラベルは少し考えて「でも」と疑問を口にする。

「無鉄砲以外は同意だけれど、デイレンの書状はロランが預かってたじゃない。あれはどうして?」

 ロランは「知るかよ」と素っ気なく返して石段を登り、石の扉の前に立つ。それから振り返って、まだ石段の下にいるミラベルとエディに言う。

「まず扉を開けるぞ。お前らも来い。デイレンのあの扉と同じ理屈なら、全員揃わないと開かないはずだ」

 情けないと言われたエディは仏頂面で、ミラベルは解せないと言う顔でそれぞれ石段を登る。聳え立つ柱は太く、見上げるほど高い。六人が扉の前に間を開けて立つと、重たい音を立てて扉が開く。中は暗闇だ。扉が開ききると薄闇になるが、奥までは光が届かない。ミラベルは明かりをつけなければと思いつつ先陣を切るのを躊躇う。ジャンは暗くても問題ないのか、シルキアを連れてさっさと中へ入ってゆく。ミラベルはその後に続いて入り明かりをつける。広い空間はほぼがらんどうに見えた。天使の像も神像もない。ただ中央より少し奥の高くなったところに転送門の丸い文様があり、その場所の前面は逆に低く掘り下げられて水のない堀のようになっている。かつては水をたたえていたのかもしれない。ミラベルに続いて入ってきたサンドラが、中の様子を見て言う。

「きっとあの高い所にあるのが門ね。どうやって起動するのかしら。ミラ、分かる?」

 ミラベルは門になりそうな文様の場所に近づいて、観察する。円は力を失っているようで、上に乗ったくらいでは勝手に起動しそうにもない。円の脇に腰のあたりくらいの高さの四角い台座があり、天面に何か図形が刻まれているので、それが鍵になりそうなのだが、それはミラベルの知らない図形で、扱い方が分からない。読み解こうにもすぐに回答を出すのは難しそうだ。困っているといきなり後ろから声をかけられて驚く。

「使い方が分からないのか?」

 いつの間にか後ろに立っていたのはジャンだ。シルキアもいる。ミラベルは「いきなり後ろに立たないでよ」と文句を言ってから、謎の台座の正面を二人に明け渡して聞く。

「あんたたちには分かるの? これの使い方」

 ジャンは【王笏】を左手に持ち替え、右手を台座にかざして言う。

「よくある便利な術式だ。魔導師が一人いれば済む」

 足下の円が白く輝き出す。ミラベルは慌ててまだ円の外側にいる三人を呼ぶ。

「みんな早く。門が起動したわ!」

 ロランが舌打ちする。少々慌ただしくとりあえず全員が円の内側に上ったところで、ジャンは台座に手をかざしたままのんびりと言う。

「門を起動しただけでそう慌てるな」

 ミラベルとロランが何か文句を言おうとしたところで、シルキアがそれを遮ってこう言う。

「はい、出発」

 白い閃光が円の上の六人を包んだ。

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