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XVI. Viam faciam

 降り積もった落ち葉で森の地面は柔らかく、樹間も適度で厄介な下草もない。木漏れ日に風が吹いて揺れ、さわめく木々のよい香りがする。森に入って少し進み、まわりをのんびり見回してミラベルが言う。

「素敵な森じゃない。ずっとこんな感じならいいんだけど」

シルキアが誰にともなく言う。

「妖魔が出るかもしれないって」

 後ろを歩くロランが茶化して言う。

「少なくともあんたらはその仲間だろう。あんたの王様になんとかしてもらえ」

 シルキアは王様の方を見る。ジャンはロランへ適当に返す。

「魔物同士がみんな友達とも限らないものでな」

 ミラベルがまた棘のあることを言う。

「あんた、友達少なさそうだものね」

 ジャンは落ち着いて返す。

「君もそういうのは難しい性格ではないか」

 ロランは笑っている。言い返せないらしく、ミラベルはなげやりに言う。

「ああそう。悪かったわね」

 ミラベルが落ち葉を蹴飛ばして舞い上げていると、シルキアが歌うように言う。

「ミラベルは私の友達」

 ちょっと不意を突かれてミラベルは振り返る。先ほどから先頭2人に遅れているので、すぐに前を向いて、歩きながら言う。

「そうか。あんたは私の友達なんだ」



 歩き進めるうちに、だんだん木々は蜜になり、足場に起伏が出るようになった。倒れて朽ちてゆく大きな木があちらこちらにある。崖のような斜面もある。木の根や蔓が茂ってきて、一見進めなさそうに見える場所を切り拓いて進まなければ先へ行けないような局面も発生する。サンドラとエディはほぼ変わらない歩調でさくさくと先へ進む。倒木の枝を払いながら、サンドラがエディに尋ねる。

「こういうの、ずいぶん慣れているのね。森のそばに住んでたって言ってたかしら。【ルー=ガルー】だから?」

 倒木の反対側に先回りしたエディは答える。

「だろうな。ここだっていかにも狼が出そうな森だろ。おれも狩りは森でしたし、森は好きだったよ。小柄なわりに力はあるし、持久力もあるから、こんな地形に向いてるんだろ」

 先へ進みながらサンドラが言う。

「狭い隙間に入れるのは便利ね。森で狩りをするって一人で?」

 エディは答える。

「そう。群れで狩りをする本物の狼は、おれのそばには寄ってこなかった。村の人たちに殺されないで済んだのは、おれが村はずれにいれば狼除けになったからかもしれない」

 サンドラはへえと感心して思わずこう言う。

「便利ね。狼にしか効かないの? その忌避効果」

 エディはしばらく考えて答える。

「あんまり考えたことないな。便利か。他の動物にも避けられるとか、もしかしたらあるのかもな」

 サンドラは言う。

「【影】はだめだったみたいだけれど、魔獣が避けてくれたら便利よね。もちろん本気で期待してるわけじゃないわよ。夢物語ねきっと」

 エディはサンドラに聞いてみる。

「魔獣って、顔合わせのときにも言ってたけど、どんなやつなんだ? 普通の動物とはなんか違うんだろ?」

 サンドラは答える。

「明確な区別があるわけじゃないのよ。でもそうね、大まかな判別法としては、【霊弦の旋律】に影響を受けるかどうかかしら」

 エディが【霊弦の旋律】について「何だそれ」と当然聞き返すと、サンドラは教えてくれる。

「リノリアの楽師が使う特別な旋律を【霊弦の旋律】というの。魔獣はその旋律に感受性を持つ獣。【霊弦の旋律】には、守護の旋律だけでも色々な種類があってね、町や村や色々な要所は、彼らの旋律を使って魔獣や【影】から守るのよ。竜遣いの力だけではなくてね。魔獣も【瘴気】には影響を受けているみたいだから、ある意味【瘴気】に対抗する手段でもあるのかしら」

 エディは狭間の城の塔の上で聴いた撥弦の調べを思い出し、「それってこんなの?」と覚えている旋律を口ずさんでみる。サンドラは少し驚いた様子で、「どこで聞いたの?」とエディに聞く。エディが経緯を答えると、サンドラは納得して言う。

「種類には詳しくないけれど、確かそれは、守護の旋律の一つよ。あのお城もそうやって守られているのかしら。そうでないとしても、もしかすると、いつの時代かのリノリアの楽師が、いつの時代かの【探索】の使者として、お城のずれたところにいるのかもしれないわね。貴方はそれとすれ違ったのかも。なんだか壮大な話」

 開けたところに出て二人は一度立ち止まり、サンドラは傍らの倒木に腰かける。エディは立ったまま何か警戒している。サンドラも何かに気が付いて言う。

「後続を待とうと思ったけれど、そういう暇はないみたい」

 サンドラは立ち上がり、開けた場所の中央に移動してあたりを警戒する。エディもサンドラと背中合わせに立つ。エディは、最初の【守護者】の場所へ向かう前、どこか場違いな雰囲気の三人の文官のうち、老人が言った『蛇の眷属にご注意召され』という警句を思い出す。地下で蛇は見かけなかった。あの警句は、今この場にも続いているのだろうか。サンドラは不意に飛竜を出して宙へ舞い上がる。急にとり残されてつい空を見るエディは、何かが左側から飛び掛かってくる気配を感じ、反射的に前転して逃げる。背後で衝撃音と、何かとてつもなく大きなものが暴れて木々をなぎ倒すような音が聞こえるが、エディは振り返らずまっすぐ逃げる。木々の間に身を隠してからようやく振り返ると、見たことのない大きさの大蛇がのたうつところが少しだけ見え、すぐに閃光が弾け、先ほどとは違う爆音が轟くので、エディは頭を両手で抱えてしゃがむ。ずっとそうして震えていると、サンドラに呼ばれる。

「エディ。何やってるの? 逃げてくれたのはいいけれど、そうやって目をそらしてたら危ないでしょう」

 エディは顔を上げて前を見る。返り血で汚れたサンドラが、呆れた様子で見下ろしている。エディは急に恥ずかしくなって立ち上がって言う。

「逃げてごめん。蛇はともかく雷に驚いて。ごめん。ありがとう」

 サンドラは沈黙の後、エディに謝る。

「おとりにしてごめんなさい。手っ取り早かったから」

 エディは「そういうことだったのか」と納得してから、逃げたときの進行方向を指して、サンドラに言う。

「たぶんあっちに水場がある。血って早く洗わないとなかなか取れないだろ」

 サンドラもそちらの方向を見て言う。

「あらそう。じゃあちょっと行ってみましょう。どうせ進行方向もあちらだし。それにしても後続は遅いわね。どうしたのかしら」



 後続はサンドラとエディほど順調に歩を進めてはいないようだった。森の浅いところでも先行との開きはあったので、深くなってからはなおさらである。ちょっとした崖のような起伏をよじ登りながら、ミラベルは文句を言う。

「あんなにどんどん先へ行っちゃうんじゃ、どこ進んだらいいか分からなくなっちゃうじゃない」

 先がつかえているので、後ろの三人は暇な様子でそれを眺めている。ミラベルもそれなりに身軽なので、特に助けが必要というのでもないのだが、後続三人よりも単純に遅い。これまでにも、そんな場面は何度かあった。

特に苛立つふうでもなく、何気ない調子でジャンが提案する。

「順番を変更した方がよいのではないか」

 ロランもそれを聞いて頷く。

「俺もそう思うな」

 そしてロランはこう続ける。

「正直なところ、俺はミラベルお嬢さんよりかあんたたち二人組の方が問題になりそうだと思っていた」

 しかし、ジャンもシルキアも予想に反してうまく進む。ばさばさと翻る長衣も、どういうわけだか邪魔にはならない。歩き疲れる様子もなくシルキアは軽い足取りで行くし、ジャンは【王錫】をうまく使って高いところへもひらりと登る。登ってからいとも簡単にシルキアを引き上げるのだが、それを見ているとロランは、この娘には体重がないのだろうかとつい思う。ミラベルがこの崖を登り終えた後も、王様夫妻はいとも簡単にこれを登った。登った先で、ジャンはミラベルに声をかける。

「ミラベル。順番を交代しないか」

 進む方向に迷って立ち止まっていたミラベルは、振り返って言う。

「何よ。あたしまだそんなに疲れてないわよ。あなた、自分ならあたしより早く進めるって言うつもり?」

 登ってきたロランがミラベルに言う。

「その通りだ。別にお前が悪いわけじゃない。お前の補助魔法も大したもんだが、こいつらは反則だからな。ちょっと場所を交代してみろ」

 ロランは「いいから、ほら」と言ってミラベルを手招きする。ミラベルは渋々従う。ジャンとシルキアが前へ出て、ミラベルと交代した。交代してみてすぐにジャンが立ち止まる。

「待て。先頭の二人はどこへ行った?」

 ミラベルは怒り顔でロランに言う。

「ほら! どっち行ったらいいか分かんなくなったって!」

 ロランも立ち止まって真剣な顔をしている。「静かにしろ」と鋭い口調でミラベルを窘めると、あたりを見回して耳を澄ませる。しばらくして言う。

「あいつらの痕跡がなくなった。場の匂いも変わった。今変わったな? 分からないか魔法使いども」

 言われて魔法使いの三人は顔を見合わせる。まずジャンが答える。

「さっぱり分からないな」

 聞いてロランはため息をつく。

「おまえが前に城の塔で誰かを嵌めた呪いとほとんど同じだろうが。似たようなことをやられても、される方だと分からないのか?」

 問われたジャンは、心当たりがある様子で改めてまわりを見回す。

「あの無限階段の呪いか。それなら、かかった場にもう入ってしまっていて分からないのは当たり前の話だ。今、この場にそんな呪いがかけられているのか? 同じ景色が何度も現れて、ようやくそれと思い当たる呪いのはずだが、君にはその前に分かるというのか」

 ロランが答える。

「まやかしはすぐに分かる。こういうときは立ち止まるのが一番だ。繰り返しの範囲がまだわからん上に、慌てるとますます抜け出せなくなる」

 ミラベルは二人の会話を聞いていて、今朝の腹立たしさが戻るのを感る。無限階段の呪いだなんて、よくもまあ他人事のように言うと思う。ミラベルが渋い顔をしているのを見て、ロランが尋ねる。

「珍しく黙ってるみたいだが、口に出さなくていいのか? 何か言いたいことがありそうだ」

 ミラベルは不機嫌なままロランに返す。

「言わない。でも一つ教えて。ロランは嘘も分かるのよね? じゃあこの人はーー」とジャンの方を指して「嘘をついてないのね?」

 ミラベルはとても真剣に聞いているのだが、ロランは何かとても面白かったらしく、吹き出して笑い出す。ロランはミラベルに睨まれながらしばらく大笑いして、ミラベルとジャンを見比べながらようやく言う。

「そんなこと気にしてたのか。おい旦那、あんた、とんだ嘘つきだと思われてるぞ。まあ、人には誰にでもやらかしちまった過去があるよな」

 そう言ってロランはまた堪えきれずに笑い始める。シルキアはなりゆきに驚いて目を丸くしている。ジャンはきまり悪そうな表情でロランに言う。

「何でも疑ってかかるのは君だろう」

 ロランは「怪しげななりをしている方が悪い」と返すと、急に真面目な顔になってミラベルに言う。

「ミラベルには後で判別する方法を教えてやろう。とりあえず、今のところこいつは嘘をついてはいない。今のこの状況も、こいつらの悪ふざけではない」

 判別する方法というのは何なのか、ロランにあれほど笑われたのはなぜなのか、よく分からないながらも、ミラベルはとりあえず頷く。ジャンもまた、判別する方法とは何なのかよほど聞きたそうな様子だったが、また何か蒸し返されるのも嫌なようで黙っている。場を仕切りなおしてロランが問う。

「さてどうするか」

 ミラベルはふと上を見上げて、何かを見つけてみんなに言う。

「見てあれ」

 三人が上を見上げると、枝の間の空を、何か輝くものが、空に円を描くように、くるくると飛び回っているのが見える。尾羽の長い銀色の鳥だ。よく見ると二羽か三羽が、同じところを回っているらしい。ミラベルはそれを見たことがあった。ミラベルは声を落として言う。

「あたし、あんなの本の挿絵で見たことある。森に出る魔物よ。魔力に惹かれて寄ってきて、魔法使いを迷わせて、弱ったところを取って食べるの。どうしよう。あんな所じゃ木まで燃やしちゃうし、そもそも魔法じゃ効かないかも」

 ロランは少し考えてミラベルに聞く。

「魔法使いが三人もいるから三羽も寄ってきたってことか?」

 ミラベルは首を横に振って言う。

「あたしの読んだ話では、あれは目くらましで、本当は一羽のはず。たぶん」

 ミラベルはロランのクロスボウを見て尋ねる。

「それで撃ち落とせる?」

 ロランは矢のいらないクロスボウを背中から下して聞く。

「本物を撃ち落とせば解決するのか?」

 ミラベルは少し考えてから、「たぶんそう」と頷く。本で見ただけなので心もとないのだが、ロランは「とりあえずやってみよう」と頷く。弦を思い切り引くと、やはり何もないところで固定される。この操作は間抜けな感じがしてまだ慣れないなと思いつつ、ロランは地面に片膝をつき、上へ照準を合わせる。日の光はまだ眩しくない。ただし、鳥は銀色なので光を反射して鬱陶しい。たぶん本物はあれだなと目星をつけるも、くるくる回転しているのでそれもまた鬱陶しい。曲芸の玉のようだ。昨日の道化師の【影】がまた脳裏にちらついたところで、ロランは確信を持って引き金を引く。反動があり、見えない矢が放たれる。鶏を絞めたときのようなひどい叫び声が空間に響き、あたりが一瞬銀色の光に包まれる。当たったかなと判断して、ロランは言う。

「落とした鳥はどこだ?」

 ミラベルが言う。

「当たったみたいだけれど鳥は消えちゃった。本のお話だと矢だけ落ちて来たって話だけれど、それもないわね」

 矢はもともとないから仕方ないなとロランは思う。しかし鳥については惜しく思う。羽根でもとっておけば何かに使えたかもしれない。ジャンは「ひどい鳴き声だったな」と呟く。シルキアは「狩人さん、お見事」と言って拍手する。呪いも無事に解けたようで、向こうの方に、草や枝葉を除けて作った通り道も見える。そちらへ少し進むと、今度は木の根の絡まった場所が長く続く。木の根は、通りやすいようサンドラたちがいくらか除けてくれてはいたが、それでも簡単な道ではない。そんな場所に足を取られることもなく楽に乗り越えてゆく王様夫妻を見て、後に続くミラベルはぼやく。

「あれはたしかに反則だわ」

 ロランも言う。

「どういう理屈か分からんが、あれはちょっと真似できねえよな」

 ロランは効率の良さそうな道順をミラベルに指示して、続ける。

「ルパニクルスの地下神殿では、あの男あんな棒でアンデッドを殴りまくってどうにかしてただろ。あれは重いし、取り回しも難しい武器だ。障壁があって背後は安全でも、力押しで来るアンデッド相手にあれだけ素早く立ち回れるなら、魔法なんか使えなくなったって大抵の相手とは渡り合えそうだ。あの立ち回りも補助魔法なのか?」

 ミラベルも思い出して答える。

「そういうふうには見えなかったけれど。殴ってたのは思いっきり物理だったわね。二人ともちょっと圧されるくらい魔力を感じるのに、魔法で遠隔攻撃しないからあのときは驚いたわ。なんか、がっかりした」

 また少し方向を指示してからロランが言う。

「物理で殴るあの棒は、魔法の杖じゃないんだろ。今持ってるあれは何だ。あれもただの棒か?」

 ミラベルは答える。

「たぶんね。あたしの知ってる魔法具じゃないわ」

 ロランはさらに問う。

「いわゆる魔法の杖ってのを持たない魔法使いはおまえのとこでは珍しかったのか? デイレンの魔導士連中も、杖なんか持ってなさそうだったぞ」

 ミラベルは色々思い出しながら、少し悲しそうに答える。

「デイレンの人たちは魔法具を持ってたけれど、それは杖じゃなかったわね。色んな装飾品だったと思う。あれについて、色々聞いてみたかったな。魔法の杖を持たない人は、あたしのとこでは珍しかったわ。魔法具に魔力を固定して、いつでも使えるようにしておくと便利だから。そうすれば疲れないし」

 ミラベルは「でも」と言って付け加える。

「魔法具に固定しておける魔力なんて、普通は大したもんじゃないのよ。もともとすごく大きな魔力の総量を持っている人は、杖なんて用意しようと思わないかもしれないわ。魔法具で節約できるレベルの魔力なんて、微々たるもんだと思える人はね」

 ロランはなるほどと考えて言う。

「あいつらはそういう手合いなわけか」

 ミラベルは「たぶんそうなんじゃない」と答える。それから少し考えて、また以前あったことを思い出して続ける。

「あたしが前に聞いたときには、邪魔になるって言っていたわね。でもそういうものを使うっていう発想がそもそもないようにも聞こえた。なんか、文化の違いっていうやつなのかも」

 ロランは「ああ、そういうのは大きいだろうな」と頷く。難所を抜けて場が開けてきたところで、ミラベルは思い出したようにロランに質問する。

「ねえ、さっき言ってた、判別する方法ってなに?」

 ロランは心の中で面白がりつつ、表向き真面目に答える。

「ああ、なんか本気で気にしてるらしいからふざけないで教えてやるが、あいつの言うことが嘘か本当か判別するいい方法がある。俺にはその手を使うまでもなく分かるが、おまえには役立つだろう」

 ミラベルが「どうするの?」と聞くと、ロランはこう答える。

「ジャンが真偽の疑わしいことを言ったら、その場でシルキアに聞いてみればいい。さっき俺に聞いたように『この人は嘘をついているか』と」

 一風変わった回答を聞いて、ミラベルは訝しげに尋ねる。

「どういうこと?」

 ロランは少し迷ってから答える。

「こういうのは理屈で考えないもんなんで、説明しろと言われると難しいんだが、まず、あの二人はお互いの考えていることがだいたい分かる。次に、シルキアが何を答えても、ジャンは怒りも叱りもしないだろう。シルキアは、ああ見えて意外と、自分から嘘をつくたちでもなさそうだ。嘘に口裏を合わせろと言われれば協力しそうだが、あの男がわざわざそういうことをさせるとも思えない。ぜんぶ勘だな」

 言われたことをしばらく考えてミラベルは言う。

「それが本当ならいい考えのように思えてきたけれど、あなたエディの件どう思う?」

 聞かれてロランはまた笑いそうになるが、こらえて答える。

「城の塔の無限階段のあれか? あんな情けない話が女の子にまで伝わってるんだなと思って、ついおかしくなっちまってな。エディから聞いたのか?」

 ミラベルは「そう」と頷いて続ける。

「あたし、それ聞いてあの人を信用できなくなった気がする。だってあんまりじゃない。エディはきっと、シルキアのことちょっと好きだったのよ。それをあんな……」

 ミラベルが先を濁すと、ロランは茶化さずに言う。

「それは難しい問題だな。さっき、文化の違いとか言ってただろ。俺たちには、文化の違いだけじゃなくて種類の違いみたいなのまである。普段見て分からなきゃ意識しないだろうが、エディは満月でおかしくなるルー=ガルーだろう。シルキアは夜の王妃で、月の力の塊だ。エディが初見で呆けるのも道理だよな。だが、夜の王妃は夜の王妃で、それはやっぱり夜のものだ。だからあんまり単純な話じゃない」

 ミラベルはなぜか少し泣きそうになりながら問う。

「じゃあどうしてあんなひどいこと言ったの? なんであんな意地悪したのよ? それが夜の性質だって言うの?」

 ロランは困った様子でミラベルに言う。

「いや、それはあんまり突っ込んでやるなよ。あいつはもう、ああいうことはやらないだろう。大丈夫だ。俺が保証しよう。気の迷うときっていうのは誰にでもある。あれはちょっとなんか特殊だっただけだ。もう大丈夫なはずだ」

 ミラベルは「それなら」と頷いて続ける。

「あなたのことを信じるわ。あんまりこだわる話じゃない気がしてきた。とりあえず、もうあまり気にしないようにする」

 ロランは信じると言われて複雑な気分になる。彼の見たところ、偽りは世の中にあふれている。発言の真偽を判別する能力もないのに、なぜ信じるなどと言えるのだろうと、彼はいつも思うのだ。騙す気があってもそうでなくても、保証するという言葉だけで信じる相手はいくらでもいて、ロランにとってはそのことが不思議だ。いつも無意識に保証するとか信じてほしいとか言ってしまって、相手が肯定的な反応をしてから、彼はその不思議を思い出す。信じろとあえて言わなくても勝手に信じるやつまでいる。ロランは大げさな口調で「信じていただき光栄だ」と返してから、話題を変える。

「ゆうべの火の魔法は助かったぞ。先を行ったやつらは『熱い火は出せない』らしいからな」

 それを聞いたミラベルは驚いて言う。

「そうなの? へええ、意外。熱い火って、火を出す魔法はごく一般的でしょ。熱くない火なら出せるのかしら。変なの。あ、そうだ。濡れた服をなんとかしたのは、基本編じゃなくて、あたしの工夫よ」

 ロランはそうだったのかと感心して言う。

「俺の服なんか落ちる前よりましになったからな」

 ミラベルは信じられないという顔つきで言う。

「やだもう。酒臭いのも汗臭いのもあたし嫌いよ。お城にいる間はちゃんと着替えてよね」

 ロランが「へいへい」などと言っている間に、二人の先を進んでいたジャンとシルキアの姿が見えてくる。彼らは立ち止まっている。ロランは歩きながらそれに気付いて言う。

「あいつらなんであんなところで止まっているんだ?」

 見たところどちらかに何か問題があったふうでもない。二人は向かい合って何か話し合っている。近くへ来たところで、ロランが話しかける。

「何かあったのか?」

 ジャンは進行方向を指して答える。

「向こうの方から新しい血の匂いがする」

 続けて、「あまりうまくなさそうな血だ」とも言う。味の予想は無視して、ロランが言う。

「俺にはまだ分からんが穏やかじゃないな。何がありそうだから固まって進んだほうがいいってことか」

 ジャンは答える。

「君がそう言うだろうとここで待っていた」

 ロランはそうかと返事をして少し先へ進む。空気のにおいを確かめて言う。

「まだ分からないな。もう少し先へ進もう」

 今度はロランとミラベルが先へ立ち、歩いて行く。いくつかの倒木を超えてずいぶん進んだところで、ロランが立ち止まって小声で言う。

「確かに血生臭いな」

 ミラベルも嫌そうな顔をして言う。

「ほんとに血のにおいだわ。あたしこのにおい嫌い」

 ジャンがロランに言う。

「何かの死骸があるようだ。動くものの気配は感じるか?」

 聞かれたロランはしばらく跪き、地に手を当てて耳を澄ましてから、答える。

「鳥や虫の気配だけだな。近くにでかい動物の気配もない。進もう」

 進むにつれ生臭いにおいは強くなる。何か焦げたようなにおいもしてくる。サンドラとエディも通ったはずの場所だが、彼らに何かあったのだろうか。木立が荒らされ、折れて焦げたりしているのが見えてくる。開けた場所に着くと、血のにおいと焦げたにおいは一際強くなり、とうとうその正体も分かった。胴回りが一抱えもある大蛇の死骸だ。大蛇はぐったりとして動かず、大きな頭の上の生々しい傷口から血を流し、曲がりくねって重なる鱗の体のところどころは黒く焦げている。ロランはその様子を検分し、楽しそうに言う。

「サンドラねえさんが仕留めたらしいな。この頭を例の武器で貫いて固定して、そのまま空へ上がって飛竜の雷撃でとどめか? それで当人はどこへ行ったんだ。死骸はほったらかしか。これはすげえ蛇だ。ばらして適当な素材を取りたい」

 ミラベルは鱗の模様に身震いして答える。

「気持ち悪いから場所を移ったんじゃないの?」

 ジャンとシルキアは、ちょうどいいところにある倒木に並んで腰掛けている。蛇の死骸には関心がなさそうだ。ロランがカトラスを抜いて蛇の尾を切り落とせないか考えていると、向こうからサンドラとエディが現れる。ロランは振り返りもせずに言う。

「すごいのを仕留めたな。革を持って帰りたいが、難しそうだ」

 サンドラは呆れて言う。

「襲ってきたから対処しただけ。得体の知れない生き物の死骸に触れるのは危険よ。虫も来るし生臭くて不愉快。貴方は呑気ね」

 ロランはサンドラにこう言って返す。

「こんなところで雷撃使って、火事になったらどうするんだ」

 サンドラはあっさりと答える。

「他にやりようがないのなら、不確かさがあっても死ぬよりはまし」

 エディは遅れて来た四人に言う。

「みんな遅かったな。森を歩くのはやっぱりきつかったか?」

 ロランが答える。

「こいつらが思いのほかさくさく進んでくれたおかげで、この程度の遅れで済んだんだ。道中の問題については森を抜けてから話す。とりあえず少し休憩するぞ」

 サンドラが眉を顰めて言う。

「この場所で? すぐ近くに水場があるのよ。顔も洗えるから向こうへ行かない?」

 ロラン以外の面々は賛成の面持ちだ。ロランは名残惜しげに蛇を見て、腰帯の鞄から、きらきら光るガラスの小瓶を取り出した。空き瓶のようだが、ミラベルはそれを見てはっとする。何をするのかと見ていると、ロランはまだ血の流れる頭の方へ近寄ってからみんなを見回し、エディを選んで声をかける。

「エディ、ちょっとこっちに来い」

 何だよとエディが近寄ると、ロランはカトラスの先で大蛇の上顎を少し持ち上げ、太くて先の鋭い牙をエディに示しながら言う。

「上顎を持ち上げておくのを手伝え。毒蛇だから毒牙に触るな。俺はその毒をもらう。だいぶそのへんに撒き散らしてるようだし、どうせ少ししか持って帰れねえだろうが、少しでも取れればまあいいだろう」

 エディはげんなりして言う。

「そんなもん持って帰ってどうする気だよ。毒蛇って、触っても大丈夫なんだろうな」

 エディは文句を言いつつもしょうがないなと手伝おうとする。ロランが手に持っている瓶をずっと見ていたミラベルが、思わず声を出す。

「その瓶、何が入ってた瓶なの?」

 ロランは答える。

「ただの空き瓶だ」

 ミラベルは少しためらってから聞く。

「その瓶を使うつもり? もし……」

 もし霊薬の瓶なら、まだ何か痕跡が残っているかもしれない、とは言えないので口ごもる。先は言っていないはずなのだが、ロランは面倒くさそうに言う。

「誰か喋ったな」

 それを聞いて、エディはついロランに謝る。

「ごめん」

 すると、倒木の椅子でジャンと一緒になりゆきを眺めていたシルキアが、大きめの声で楽しそうに言う。

「言わなければ誰が喋ったか分からなかったのに!」

 久々に声を聞いたのでみんなはっとする。サンドラは何の話だか分からない様子で、静かになりゆきを見ている。ミラベルはしまったと思っているが、ロランは特に気にしている様子でもなく、「馬鹿め」とエディを軽く小突いてからミラベルに言う。

「何も残っちゃいないさ。あれはすぐに揮発するらしい。これがこの世に一つの手がかりでもない」

 ロランは蓋を取った瓶を逆さまに振りながら「だからこれはただの空き瓶さ」と続け、エディに言う。

「ほら早くしろ。蛇はもう動かないからびびるな。腰抜け」

 負い目のあるエディは諦めて大人しく従う。蛇の頭の付け根に片足を置き、ぬるぬる滑るのを押さえながら口元を両手で掴み、ぐいと引っ張る。

「うわ、これ硬いぞ」

「もうちょっとだもうちょっと。ほら、滑って落とすなよ」

 サンドラは先に向こうへ行ってしまった。ミラベルも追おうとして森へ入る。落ち葉を踏むがさがさという足音と葉擦れを頼りに追うと、サンドラの黄色いコートがちらりと見える。ミラベルが呼びかけると、返事が返ってくる。追いついてみると、そこは不思議な森の泉だった。開けた空間の真ん中に大きな岩があり、窪んだ形の底のあたりから水が湧いているらしい。透明な水は岩の淵から溢れてさらさらと流れ落ち、下の地面は苔で湿っている。古い魔法の痕跡を見て取ったミラベルは、感激して言う。

「わあすごい。まるで月の泉ね。夜になるときっと月が映るのよ。こんなところに泉が湧くのは、きっと前にここに来た人が残していった魔法」

 サンドラは少し驚いた様子で尋ねる。

「自然のものじゃなさそうな気はしたけれど、そうなの? いつごろのこと?」

 ミラベルは泉の水の湧くところを覗きこみながら答える。

「きっとものすごく昔よ。何世代も前のすごく古い魔法。昔ここに来た別の【探索】の人かも。地下から水を持ってきて、水の流れを変えたのね」

 大昔と聞いてサンドラは何か考えながら言う。

「こんなふうに残る魔法もあるのね」

 ミラベルは眠れない【守護者】を思い出して憂鬱になる。機械だというあの少女が命令に縛られる理屈は、魔法だけではなさそうな気がする。これからも、ああいう後味の悪い仕事は発生するのだろうか。もしかしたら嫌な役回りかもしれないと思う。元の場所に戻るよりはずっとましだとしても。ミラベルが黙って泉を見ていると、サンドラが自分の考えていたことを話す。

「【探索】は大昔から行われていて、過去の回の組もみんな、ずっと仕事を続けているのよね。死ぬまで。それで、後の組がまた同じところを回ったりして。それは本当に永遠に続くのかしら。一人一人は死なないわけじゃないのよ。年を取らなくても」

 ミラベルは黙って聞いている。サンドラは続ける。

「私はもともとそういうものだったから、『永遠』って言われるのが不思議な気がするのよ。どこかの組がだめになっても、きっと、新しい回の【探索】がまた始められる。そうやって世界中回って、間に合うのかしら、【瘴気】への対応は。デイレンの【守護者】は疲れているように見えた。だめになったら、新しいのに取り換えるのかしら。でもね、少し思うの。もしかしたら、だんだん対応が間に合わなくなってゆくところも含めて、【崩壊期】なんじゃないかしらって」

 不吉な話と言えば不吉な話なのだが、ミラベルはそれも悪くないかもしれないと思う。デイレンの【守護者】のことを考えたからかもしれないが、なげやりな気持ちはずっと以前からあった。全部なくなってしまうなら、それもいいやといつも思っていた気がする。ミラベルはサンドラに聞いてみる。

「サンドラは終わるときのこと考えたことある? 全部なくなるときのこと」

 サンドラは少し考えて返す。

「全部なくなるなんて考えたことなかったわ。考えないようにしていたと思う。そんな終わりがあるんだとしても、私はそれまで生きていない気がする。自分が長生きする想像ができないのよ。なんだかつまらない話をしてごめんなさいね」

 ミラベルは悲しくなってサンドラに言う。

「あたしはドラがいるならこのまま永遠でもいいと思う。死なないでね」

 言ってから急に恥ずかしくなってミラベルは俯く。サンドラはちょっと笑って、ミラベルの肩に手を乗せて言う。

「どきっとしちゃった。ありがとう。永遠でもいいなんて、すごい台詞ね。永遠に一緒に旅をするわけだ。ミラと一緒なら、それも楽しそう」

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