XIV. In Lacu nimboso
真っ暗な暴風雨の中を落下しながら、サンドラは飛竜を呼び、その背に着地する。そうして態勢を立て直してあたりを見回すと、そこは湖の上空のようだ。夜なのと豪雨とで視界は極めて悪いが、ときおり閃く稲光があたりの様子を伝える。森と高い崖に囲まれた黒い湖だ。他の五人は湖に落ちたのだろうか。サンドラは旋回しながら湖面を探し、まず白い布切れを見つける。降りて近づくとそれはシルキアの白い衣だった。彼女は波立つ湖面に浮かせた金の【王錫】に辛うじてつかまっている。ジャンも同じ【王錫】をつかんでいるが、こちらは黒い衣なので湖面に溶け込んでいる。サンドラは二人を飛竜の背に引き上げる。三人も乗せるのは本当にぎりぎりだ。まして、魔導師二人の服は余った布地が水を吸ってひどく重い。引き上げるのも一苦労だった。飛竜はよろよろと飛び、なんとか岸辺に辿りつく。サンドラは二人をそこへ降ろし、他の三人を探しに空へ戻る。すると向こうの湖面から、落ちてからどうにか箒を取り出したミラベルが飛び上がる。横殴りの暴風雨にはかなり苦労しているようだが、彼女は泳いでいるロランを見つけたようだ。サンドラもそちらへ行き、二人に岸辺の方向を伝えてから、残るエディを探しに行く。旋回して探すと、エディは岸辺にかなり近いところの湖面を泳いでいた。水を吸った服を着たままとは思えない、見事な泳ぎぶりだ。サンドラはエディに近づいて、嵐に負けないよう、大きな声を出して言う。
「そのまままっすぐ! 岸までもう少しよ!」
エディは泳ぎ切った。岸に上がってから、エディは雷に怯えて丸くなる。雨脚がかなり強い。サンドラは再び高く上がって、雨宿りできる場所を探してみる。最悪の場合森へ入るしかないが、真っ暗な夜に勝手の分からない場所の森に入って朝まで過ごすのはできることなら避けたかった。崖の方に、身を隠せる岩の窪みなど見つからないだろうか。崖沿いに探していると、崖のかなり上の方に洞穴があるのを見つける。降り立って飛竜に雷を吐かせ、その光で中の様子を探ってみる。思いのほか深さのある横穴のようだ。深さがあるとはいえ奥の壁まで見通せたので、内部に危険はなさそうと判断する。崩落の危険はあるかもしれないが、見たところ硬そうな岩でできていて、夜の森の中よりはましだろうとサンドラは思う。サンドラは再び空へ戻り、反対側の岸辺でずぶ濡れになっている飛べない四人を順番に運びにかかる。服が重たい魔導師二人は離れたがらなかったので、ジャンの方をサンドラが、シルキアをミラベルが担当して同時に運ぶ。それでも重いので、飛べる二人は閉口する。魔導師二人を洞穴へ降ろしたところで、ミラベルの箒が宙に持ち上がらなくなる。ミラベルは箒の先の水気を払いながら困った表情で言う。
「雨か雷でおかしくなっちゃったみたい。どうしよう」
サンドラの飛竜も騎手以外の人を乗せて運ぶのはそろそろ限界だ。サンドラは一瞬考えてすぐ結論を出し、ミラベルに言う。
「次は一度に運んじゃうから、ミラはもういいわ。こんな天気で飛ぶなんて慣れてないでしょうにありがとう。箒、乾いたら直るといいけれど。じゃあ行ってくるわね」
そう言ってサンドラは岸辺まで滑空する。ロランとエディのところに着くと、二人にこう言う。
「そろそろ運搬は限界だから、文句言わないでね」
よく分からないながら嫌な予感がしてロランは天を仰ぐ。エディはそれどころではない。サンドラは、雷が怖くて震えているエディをまず飛竜の背に乗せる。飛竜はそれから一度飛び上がって、戻ってきて、ロランを鉤爪のある後脚でさっとつかみ、高く舞い上がる。ロランは嫌な予感が当たったと思いつつおとなしくぶら下げられている。洞穴の前まで来ると、サンドラはロランに言う。
「離すから飛び降りて!」
冗談じゃないと思いつつロランは身構える。するとすぐに飛竜の鉤爪が彼の背中を離す。ロランはよろめきながらどうにか着地して、その鉤爪がそこに降りて来る前に、さっさと段差を乗り越えて洞穴の中に入る。入り口のそばの岩の壁にもたれかかって座り、勘弁してくれとため息をつく。荷物を確認してみると、不思議な旅行鞄含めすべて無事だった。サンドラはエディを洞穴に降ろすと、自分も降り、飛竜を空に放って言う。
「充電しておいで」
黄色い飛竜は雷鳴の向こうへ消えてゆく。サンドラは洞穴の奥の方へ向かう。
「ひどい目に遭ったけど全員無事だったわね」
手元に光源の火の玉を浮かせ、飛べなくなった箒の隅々を点検しながら、ミラベルが言う。乾かしたら直るかどうか、気にしているのだ。彼女は飛ぶ手段をこの箒しか持っていない。ずぶ濡れのまま壁にもたれて座っているロランは、隣で丸まっているエディをつつきながら言う。
「おれは一度くたばったかと思ったぜ」
雨の中立派な泳ぎを披露したはずのエディは、やはり雷鳴が恐ろしいようだ。俯いて震えているので、子犬が怯えているようで、とても情けない。溺れかけたシルキアはまだ呆然としている。サンドラが彼女に声をかける。
「お嬢さん、大変だったわね。怖かったでしょう?」
雨の中働いたサンドラは、あまりいつもと調子が変わらない。彼女も濡れているが湖には落ちていないうえ、悪天候の中を飛ぶことにも慣れている。シルキアは珍しくあまり余裕のない様子で答える。
「すごく怖かった。ありがとうサンドラ」
シルキアがそう言うと、傍らで彼女を慰めるジャンも、心底参ったと重ねる。
「ああ、今回は参ったな。君がいなければ、我々もあのまま沈んでしまっただろう。私からも礼を言おう。ひどい目に遭った」
それを聞いてミラベルは意外そうに言う。
「あら、あなた参ったとか言うのね。お礼を言えるのも意外だわ」
棘のある言い方だが、ジャンは相手にするでもなく返す。
「魔力を失った現状では、我々もただの人だ」
洞穴の外はまだ激しい雷雨だ。服は濡れて冷たい。どうしてこんなことになったのか。ロランが思い出したように毒づく。
「デイレンのくそったれめ。なんであんなところに門の出口があるんだよ」
ミラベルも怒った様子で、「ほんとよまったく」と返す。サンドラもロランの疑問に同意して言う。
「それは問題よね。だいたいここが、私たちの目的地かどうかも怪しいわ。それはともかく——」
サンドラは稲光に照らされたずぶ濡れのみんなを見回して、洞穴の外へ目をやってから続ける。
「火を焚いて服を乾かした方がいいわ。見たところ水は流れ込んでこないようだし、煙の抜ける隙間もあるみたいだから。濡れた服を乾かして、着替えがあるなら着替えましょう」
ミラベルがそれを聞いて提案する。
「火を焚く前に着替えましょう。女性は洞穴の奥の方。男はみんな出口を向く」
サンドラも頷く。
「いい考えね。白黒のお二人もそれでいいかしら。旦那さんはともかく、他の男性に見られるのは嫌でしょう」
ジャンとシルキアが顔を見合わせて頷くと、みんなはそれぞれの荷物を【展開】しにかかる。支給された便利な鞄の大きさはみんな同じなので、下着以外の衣類をそれほど多く持ってきている者はいない。着道楽のミラベルが一番多いが、それでもドレスは動きやすいものが二着と、ゆうべの晩餐会で身に着けたようなよそ行きが二着だけだ。スカートを膨らませるペチコートの類も、嵩張るので一種類しかない。ミラベルは替えのドレスに着替えようか迷って、サンドラに聞いてみる。
「ドラ、上着は着替える? 下着だけ新しいのにする?」
サンドラは少し迷って答える。
「服の構成が違うから何とも言えないけれど、シャツと肌着以外は替えがないから、他が乾くまではしばらくそれだけの恰好になるわね。ミラは色々たくさん持ってきているの?」
ミラベルはそれを聞いて安心して言う。
「じゃあ私も下着でいる。ここには誰も怒る人いないもの」
洞穴の奥と入り口側に分かれ、それぞれが水を吸って重くなった服を脱いで絞り、身体を拭いて新しい下着類を身につけると、次は火を焚く番である。下着のスリップ一枚のミラベルが洞窟の真ん中あたりに杖を持ってきて言う。
「下着姿だと寒いわ。明るくなるのは嫌だけれど、火を使うわよ」
ミラベルが身震いしながら杖を振るうと、杖の先の床に、大きな明るい炎が現れた。サンドラは「便利ねえ」と感心している。みんな火のまわりに何となく集まり、ミラベルがみんなの衣類を壁側に浮かせて干しながら言う。
「みんないろんな服を着てるから、脱いだらどんなになるのか面白いと思ったけど、けっこう普通ね。ちょっとつまらないわ」
そう言うミラベルを見て、ロランが残念そうに言う。
「俺もちょっとは期待してたが発言は控えておこう」
ミラベルは「そういう意味じゃないわよ」とそっぽを向く。エディはロランとミラベルに言う。
「あんたらよくそんなこと言ってられる余裕あるな」
シルキアは干された衣類を眺めながら言う。
「サンドラとロランとエディの服は、なんだか部品がたくさんあるのね」
サンドラが答える。
「上下で分かれているってこと? 羽織もあるし、確かにその分、数は多く見えるわね。そういうの、珍しいかしら?」
ロランが言う。
「別に珍しかないだろう。俺は前から気になってたんだが、なんで魔法使い三人はわざわざそんな動きにくそうな服を着てるんだ? ミラベルのはただ金持ちの娘の服だが、残りの二人のはちょっと面白いぞ。よく見たら、デイレンのベルナルドのやつより邪魔だろう、それ。布が余って絡まりそうだ。歩きにくくないのか」
ジャンは意外だというふうに答える。
「歩きにくいだろうか。あまりそう思ったことはないのだが」
シルキアも首を傾げて言う。
「締めつけがなくて楽だと思う」
水を吸った布の重さよく味わったミラベルが考えて言う。
「濡れるとたいそう重かったけれど、確かに、着心地はよさそうね。丈の長い服って格好いいし。普段もちょっと重そうだし、邪魔そうだけど。でも、これしかないんじゃ飽きちゃいそう。あたしの恰好は、お洒落よ。あたしは自分の好きな服を着るの」
会話がひと段落したところでサンドラが今後の話を切り出す。
「これからどうする?」
ロランが天を仰いで言う。
「どうするも何も、ここはどこなんだ。森の中の神殿の近くなのか? ジャン、分かるか?」
ロランにとりあえず聞かれたジャンは、少し黙ってから首を横に振って答える。
「いや、夜が来たばかりということしか分からない。少し疲れすぎた」
シルキアも続けて言う。
「わたしたちは、あの地下の騒動でいっぱいいっぱい」
二人は見るからに疲れ切っている様子だ。ロランはやれやれと下を向いて言う。
「ままならないもんだなあ」
おまえたち余計なことをして遊んでいたくせにとは、なぜか言わない。そこでエディが唐突なことを言ってみんなの注目を集める。
「たぶん近くだと思う」
ミラベルが間髪入れずに問う。
「なんで分かるのよ?」
問われて初めて気づいたとでも言いたげな様子で、エディはぼんやりと言う。
「分からない。なんで分かるんだろう」
ミラベルは「何よそれ」と拍子抜けした様子で言う。ロランは何か考えている。サンドラはエディに問う。
「近くってどのくらい?このあたりは森のようだったけれど、森を歩く必要がありそう? 少しの距離なら往復輸送できるけど、専門じゃないの。長くは無理よ」
聞いてロランが独り言を言う。
「歩くのもなんだが、飛竜の爪にぶら下げられて飛ぶのも勘弁してほしいところだな」
エディは考えこんでようやく答える。
「飛竜の体力もぶら下がる方の限界も分かんないけれど、たぶん歩かないとだめだと思うな。たぶん。近いけれど、そこまで近くはない。なんか、たぶん、そんな感じだ」
ミラベルは眉を顰めて「頼りないわねえ」と言う。サンドラは根拠は聞かず、ただ「そう」と頷いてみんなに提案する。
「朝になったら、私が先に見に行くわ。この雨は夜明け前には止むわね。今日はもう休みましょう」
それからサンドラはふと入り口の方を見て、尋ねる。
「崩れないように気を遣ってくれているのは誰?」
ミラベルは、どうしてサンドラがそんなことに気付くのか疑問に思いながら入り口を見て、魔力の元を辿って答える。
「シルキアよ。これじゃ休めないわ」
シルキアの隣にいるジャンが「私が交代しよう」と名乗り出る。二人のくたびれた様子を見かねて、サンドラはミラベルに尋ねる。
「貴女も順番を交代できないかしら。火のお世話までしてもらって負担が偏るのは問題だけれど、こればっかりは、魔法が使えない私たちにはどうしようもできないから」
ミラベルは少し考えて答える。
「やり方は少し違うけれど、崖崩れの用心ならあたしにもできると思う。障壁を張るんではなくて、岩を浮かせる方法なら」
ミラベルは眠たそうなシルキアの方を見て、「もう交代したほうがいいわね」と続ける。シルキアは「ミラベル、ありがとう」とお礼を言ってから「お願い」と呟いてふと目を閉じると、もたれた壁をずるずる滑り落ちて、そのまま寝入ってしまった。ジャンが、水を吸わなかった黒いマントで彼女の身体を覆う。彼もまた、「くたびれたら起こしてくれ」と言って、同じマントにくるまり崩れるように眠りに就いてしまう。入り口の用心を慎重に引き継いだミラベルは、彼らの様子を見てため息をついて言う。
「あれじゃそう簡単には起きてもらえないわよね。仕方ないわよね」
雷の恐怖に少し慣れてきたエディが、ミラベルに聞く。
「魔法ってそんなに体力を使うものなのか?」
ミラベルはどう答えたものかと迷ってから答える。
「ものによるわよ。もともとの魔力の量も人それぞれだし。長く走れるとかのいわゆる体力より、よっぽどばらつきが大きいんじゃないかと思うわ。この人たちは、使う魔法がものすごく特殊だと思う。夜と月の魔法なんて初めて見たから詳しくは分からないけれど、元はとんでもない力を持ってたって本当なんじゃないかしら」
エディが更に質問する。
「元はってことは、今のこの二人は弱いのか?」
ミラベルは「ばか」と言ってから答える。
「弱かったらあんなに色々できないわよ。たぶん、今ある魔力の総量と、消費量とが合っていないだけ。あたしの知っている『普通』は、それぞれの総量に合った魔法しか使えないはずなの。この人たちは消費量の大きい魔法を簡単に使う。でも総量がそれに合っていないから、すぐに枯渇して、こうやってしんどくなる。きっと、元の総量は、もっともっと大きかったはず。名残があるもの。器が今の総量と合わない」
エディは目の前の炎と、魔力の炎のおかげかもう乾き始めた衣類を見て聞く。
「ミラベルは疲れないのか?」
ミラベルはため息をついて答える。
「疲れるわよ。疲れたから、火の番代わってちょうだい」
エディは提案する。
「服が乾いたら火を消して、ランプをつけたらどうだろう。おれが持ってるのと、ロランが持ってるのと、二つはあるはずだ。サンドラも持ってるんじゃないか?」
魔女による魔法講義を興味深げに聞いていたサンドラが言う。
「ええ、そうしようと思っていたのよ。一晩中火の番をさせようなんて思っていないわ。入り口の番はどうしようもないけれど、火の方は、服が乾いてから私のランプと交代しましょう。獣も入ってこないでしょうし、真っ暗にならなければいいだけだけよ。ランプに油を足す仕事なら、私にだってできるわ」
それを聞いてエディが言う。
「ランプの番でいいならおれと交代しよう。サンドラはどうせ朝早く偵察に行くつもりなんだろう」
ロランはもう入り口の側で毛布を被って寝入っている。そちらを見て、サンドラは答える。
「それはありがたいけれど、あなたにやってもらうのなら、あれを起こしてさせた方がいいわ」
エディが理由を問うと、サンドラはふっと微笑んで答える。
「あなた旅慣れていなさそうだから。あれと私はたぶん、いつでも寝られるかわりに、いつでも起きられるたちだからいいのよ」
言ってからサンドラはミラベルに謝る。
「ミラ、あなたにはごめんなさい。入り口の方も、雨がやめばもう大丈夫だと思う。雨は夜明け前にやむはずだから、炎をランプに替えるタイミングで、そちらも交代した方がいいわ」
ミラベルは困った顔をして言う。
「ドラに謝ってもらわなくたっていいわよ。服はあと少しで乾きそうだし。ランプの件はお願いするわ」
ミラベルは「でもねえ」と続ける。
「代わってもらうと言ったって、起こすなら、どっちがいいと思う?」
泥のように重なって眠る二人を見て思案の後、エディがそういえばと言う。
「火を消したら寒いんじゃないか? みんな薄着だし、一度起きて服を着ないと、具合悪くなるぞ」
ミラベルも考えてああそうかと気付いて言う。
「じゃあどっちみち起こさなくちゃいけないわけね。しょうがない。起きて代わってもらいましょう」
さらに続けてミラベルは言う。
「さあ、そうと決まったら、サンドラ、エディ、二人はもう寝てちょうだい。服が乾いたらみんな起こすから。サンドラ、朝はよろしく。エディ、寝相が悪いと外へ落ちるか火に触って火傷するわよ。はい、おやすみ」
てきぱきと促され、サンドラは洞穴の奥側へ、エディはそのまま入り口側のロランの近くで横になり、毛布を被って眠ろうとする。エディは、火はともかく、ここならいくら寝相が悪くてもロランを外に蹴飛ばすくらいで済みそうだなと、密かに思う。横になると急に眠たくなってくる。ところがいざ眠ろうとすると、誰かに肩をつつかれる。左側にいるのはミラベルのはずだ。なんだろうと毛布から顔を出すと、起こしたのはやはりミラベルだった。何と言いかけると静かにと囁かれる。こちらも囁き声で何だよと聞くと、ミラベルは悪びれもせずにこう言う。
「みんな寝ちゃったら退屈じゃない」
だから相手をしろというつもりのようだ。エディが「サンドラには内緒なんだ?」と訊くと、「当たり前じゃない」と返ってくる。ミラベルは言う。
「心配かけたら悪いでしょ。分かんない? ドラだってくたくたに疲れてたわよ。飛竜で人を運ぶなんて、普段する仕事じゃないのよきっと。私、雨が止むまで火を消さないつもりなの。だからそれまで相手をなさい」
とんでもないことを言うので、エディは尋ねる。
「おまえはいつ休むんだよ」
ミラベルは「雨が止んでから、朝起きるまで」と答える。エディはさらに聞く。
「雨はいつ止むって?」
ミラベルは、「サンドラは夜明け前って言っていたわね」としれっと答える。
「本当かどうか怪しいだろ。着いたときから真っ暗で、雲を読む暇なんてなかった」とエディが言うと、ミラベルに「何も分かっていないのね」と返される。ミラベルはこう続ける。
「サンドラは雷の飛竜遣いよ。天候なら肌で分かるのよ。エレメンタルが教えてくれるでしょ」
そうなのかと、エディが納得したようなしないような顔をしていると、鼻で笑われる。
「また魔法講義する? それもいいけど」
何も知らないことを痛感しているエディは、それもいいなと思って、「じゃあさっきの話の続き」と言う。ミラベルは何か考えこんで、ふと前を見、ぼんやりと言う。
「魔力の総量と消費量が噛み合わない人たちにあんまり無理させると、あれ、そのまま動けなくなって死んじゃうよ」
エディは物騒な話に驚いて、つい口にする。
「エリクシルがあっても?」
ミラベルはエディの口からそんな言葉が出たことに、とても驚いたようだ。
「エリクシルですって。あんたそんなものは知っているのね。あたしは、偽物のほか見たこともないわ。本物がこの世にあるのかだって、疑わしい代物じゃない。魔力を回復させる物質だなんて、そんなの、あるわけない」
エディはミラベルの反応に驚いて言う。
「そんなすごいものなのか」
エディが丘での出来事を思い出していると、ミラベルはその表情を読んで何か勘付いたようだ。
「あんた、もしかして、見たことがあるって言うんでしょ」
ミラベルは「隠したって無駄よ」と言って続ける。
「さあ、どんなまやかしを見たのか私に教えなさい」
ミラベルに「いんちきに決まっているわ。あんた騙されやすそうだもの」とまで言われ、エディは少し悔しくなって話してしまう。
「デイレンの丘から氷の竜を操った後、あの二人は倒れて動けなくなった。ロランがエリクシルの瓶を持っていて、中身を二人に振りかけた」
ミラベルは初耳だと目を丸くして聞く。
「それで二人はどうなったのよ。しばらくしてから回復したの?」
回復までに間があったのなら、少し無理があっても自然回復で片付く話だ。エディは思い出して答える。
「いや、すぐ回復してたみたいだった。それですぐ動けるようになって、王宮へ行ったんだ。その途中でベルナルドと出会った」
ミラベルはますます驚いた様子で沈黙する。そこまで反応されると思っていなかったエディが、おそるおそる「ロランは忘れてくれって言ってた」と続けると、ミラベルは複雑な顔をしてますます沈黙し、しばらくしてからふいに質問した。
「エリクシルはまだロランが持っているの?」
エディは慌てて首を横に振る。
「いや、分からない。なんで持ってたかは聞いてくれるなって、いや、聞かないことにするってジャンが言ってた気がする。あのときもあいつお礼は言ってたよ」
ミラベルは宙を見て言う。
「もし、本物なら、貴重なものに決まっているわ。とってもとっても貴重な検体よ。解析して製法が分かれば、どんな国の王様だって欲しがる魔法の秘密兵器じゃない。魔道兵士が永久に戦えるようになるのよ。ああ、先生がそれを手に入れたら、喜んだだろうなあ」
エディは話を逸らしたくもあり 『先生』 について尋ねてみる。
「先生って?」
ミラベルは我に返ったように答える。
「子どものころこっそり通っていた、魔法学校の先生よ。私の先生。心配しないで。先生にも他の人にも、今の話をする気はないから。争いに巻き込まれるなんてまっぴらだわ。口が軽いのはあんたの方よ。黙ってなさい。聞かれても、そんな簡単に答えちゃだめよ。いいわね?」
ミラベルに念を押され、分かったと頷いて、エディは迂闊な真似はやめようと決意する。エリクシルのことは、名前だけでも口に出すべきではなかった。やはり、自分は何も知らないやつなのだなと、改めて思う。ミラベルは火を挟んで向こう側に寄り添って眠る二人の魔導師を見て呟く。
「あの二人一度倒れたのね」
ミラベルはぼんやりと続ける。
「竜を誘導したのはあの人たちなんだ。あんな大きな竜を操るなんて、どんな魔法なのかしら。あたしには、何が起こったのかよく分からなかった。あたしも近くで見たかったわ」
あのときの光景を思い出していると、エディは眠くなってきた。新月の時期は眠たくなるのだ。ミラベルに悪いと思い、エディは一度身体を起こす。ミラベルはエディの様子を見て言う。
「あんた、もう眠いんでしょ」
エディは見破られてきまり悪くなる。ミラベルにごめんと謝ると、「もういいわよ。もう寝なさい」と返されて、エディはますます情けなくなる。どうやらそのまま寝てしまったようだ。ミラベルは、ロランの鞄をちらりと見て、何か諦めて、ため息をついた。
雨が止む。夜はまだ明けていない。干していた衣類はすっかり乾いている。ミラベルは立ち上がって一度伸びをして、入り口側へ向かう。眠るエディを跨いでロランの前に来ると、その毛布の塊を軽く蹴飛ばす。ロランは特に驚くふうでもなく半身を起こすと、ミラベルを見上げて挨拶をした。
「おはようお嬢さん。早起きだな」
ミラベルは例の 「静かに」 の仕草をしてから中央の炎を指差して言う。
「あれをランプに替えるのよ。あんたランプ持ってるでしょ。火を消すし服も乾いたから、一度みんなを起こすけれど、ランプの番はあんたがするのよ。サンドラにはやらせたらだめよ」
ロランは少し考えてからなるほどと頷き、素直に鞄を開けてランプと油を取り出した。鞄にも中身にも、前と変わったところは何もなかった。ミラベルはみんなをいったん起こしにかかる。ミラベルが杖を振り、浮かべていた衣類を器用に落とすと、寝ている上に降ってきた布地の重みにジャンとサンドラが目を覚ます。ジャンは衣が乾いていることに気づき、シルキアを起こして着替えをする。湖に落ちて雨に打たれた衣類など、ただ乾かしてもどうしようもない代物になるはずだったが、ミラベルがよほどうまくしたらしく快適な着心地である。起きなかったエディはミラベルに蹴飛ばされて目覚め、服を着てすぐに毛布に戻る。サンドラも身なりを整えるとミラベルと代わろうとしたが、ロランがランプを持って断り、服を着たミラベルと交代した。ミラベルが魔力の炎を消すと、洞穴の中は薄暗くなる。ロランを残し、他のみんなは眠りに就いた。




