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XIII. Insomnia longa

 馬車を降りた場所は、宮殿に入るときに降りる停車場ではなく、宮殿の裏手にある、ほとんど森や林の中のような一画だった。草地にところどころ大理石の建材や古い道の名残、壊れた柱が転がっているような場所で、廃墟とも遺跡とも捉えかねる雰囲気だ。出迎えの従者にサンドラが尋ねる。

「王宮の中にあるんじゃなかったの?」

 事情を聞かされていないので困っている様子の従者の代わりに、フォデルが答える。

「ここも王宮の敷地内だ。ちょっとよそと言い方が違うのかもしれないけれど。それに噂だと、扉の先は王宮の建物の地下に続いてて、もっと行くと地下水脈の迷路へ続いているって」

 サンドラはなるほどと頷いて言う。

「やっぱり狭いところを少し歩くことになりそうね。予備の武器を持ってきてよかったわ」

 サンドラはグレイヴを使えないことを予想して、もともと持っていた護身用のダガーの他、エディが持っているのと似たような短めの剣を腰に帯びている。これは狭間の城の武器庫からもらってきたものだ。フォデルは、剣術の稽古で使い慣れた剣を持ってきている。ジャンはやはり棒を持っているが、ルパニクルスの課題のときに使っていたものよりも短く、材質も木ではなく鈍い黄金色の金属のようだ。装飾もついた分、これなら王笏に見えそうだが、彼はやはりこれを、魔法の杖としてではなく、相手を殴り倒す武器として使うのだろうか。シルキアはやはり武器になるものは特に持っていなさそうで、ジャンが長い衣の上に羽織っている真っ黒なマントの端を右手で少し掴んでいる。後ろから、もう一台の馬車を降りたエディ、ロラン、ミラベルが来ると、従者は古い道を通って七人を森へ導く。木々の間を抜けると、開けた空間があり、デイレンの文官が三人とそれぞれの従者が六人、そして問題の『開かずの扉』があった。その扉には、みんな唐突な印象を受ける。複雑な紋様が全体に彫り込まれた大きな大理石の扉で、真ん中に線が見えるのでそこで両開きになるらしい。一見、扉だけがそこに独立して立っているように見えるが、よく見ると材質の違う暗い色の石でできた建屋の壁に、白い扉が組み込まれていることがわかる。この建物の中に下り階段があるのだろうかと、それぞれは想像する。一行の姿を認め、扉の前にいた三人の文官のうち一人、髭を生やした白髪の老人が言う。

「お待ち申し上げておりました。ルパニクルス使節団のみなさま」

 壮年の文官が七人に言う。

「この扉の先が【守護者】の禁域であると伝えられております。公式の使節が五名揃ったときに、扉は自ずから開くそうです」

青年の文官が七人に促す。

「扉の前へどうぞ」

 三人の文官と従者たちは七人に場所を譲り、後ろへ下がる。使節ではない立会人のフォデルも、少し下がる。六人が扉の前に並ぶと、狭間の城で会合の時間になるとどこからか聞こえてきていた、あの音叉を振ったような音が、扉から響く。重たい石の扉は、内側から誰かに押されて開いたのように、外開きに開いてそのまま止まる。中は真っ暗で、外からの光に照らされてようやく、そこに石の下り階段があることが見えてくる。ロランとエディはやっぱりまた地下への下り階段かとげんなりする。フォデルは興奮して気合を入れる。ミラベルは何か気味の悪い化け物が出るのかもしれないと憂鬱になる。他の三人は特に表情を変えない。若者の文官が言う。

「【守護者】には三人の従者がいて、招かれざる者を拒むと言います。祝福がありますように」

 壮年の文官が言う。

「最奥への道すがら、人の姿を見かけたときには、十分注意してください。ここはこのとおり長く閉ざされており、この扉の他に出入口はございません。そう伝えられております」

 最後に老人の文官が言う。

「蛇の眷属にご注意召され」

 先にサンドラが中へ入っていく。彼女はミラベルを手招きして自分の横につけ、道中の明かりを確保する。フォデルがついて行こうとすると、シルキアがフォデルに言う。

「預かりものは障壁の中にいなさいだって」

シルキアは淡く輝く障壁を張り、隣のジャンと前のフォデルを壁の内側に入れ、そのまま階段を降りる。渋々といった面持ちで、ロランとエディも階段を降りる。エディは落ち着かなげに剣の柄を触る。前を歩いているシルキアの障壁のおかげで、あたりは淡く明るい。これだけの光源があれば、エディにもロランにも十分だった。石の階段を下り切っても、さらに通路が続いている。切り出した石材で補強された、人工の地下通路だ。入り口が密閉されていたからだろうか、蝙蝠や鼠といった恒温動物の気配もない。道は左側に緩く曲がりながら続いているらしく、進むにつれて徐々に下り、だんだん深くなってゆくようだ。しばらく順調に進むと、道の雰囲気が変わる。そこからは上下左右の石組みの覆いがなくなり、元の岩肌が剥き出しの洞窟のようになっているのだ。剥き出しの岩の所々に透明な結晶のようなものが覗き、触ると尖っているので危ない。壁の結晶を見つけた辺りで、まずサンドラが警戒し始める。彼女は剣を抜いてこう言う。

「【瘴気】が近いわ。何か出そうだから気を付けて」ミラベルも警戒する。フォデルは城壁の内側でそわそわしてシルキアに言う。

「障壁を広げられないのか?」

 シルキアが困ると、ジャンが代わりに返す。

「あまり無駄遣いできない。奥でもっと大変な仕事がありそうだ」

 エディも不穏な空気を感じる。ロランはエディに言う。

「俺たちは後ろに気を配れ」



 サンドラが最初に斬ったのは王宮の衛兵の【影】だった。衛兵の【影】は二人一組でいきなり目の前に現れ、槍ではなくサーベルを持って攻撃してきた。一人はミラベルが火球を何度か投げて片付け、サンドラに切りかかってきた方は、しばし剣戟のうちに倒され地に溶ける。武器を持った相手に本気で襲いかかられたことのなかったミラベルは、まだ震えている。火がついたときの相手の反応は、【影】とはいえ本物の人間のようだった。違うのはたぶん、死体が残らないことくらいだ。牢獄で魔導士に反撃したときも、服の裾に火をつけた程度で、殺す気で燃やしたわけではなかった。ミラベルが怖気づいたのを見てとったサンドラは、ミラベルを抱き寄せて左肩に手を置き、「よく頑張ったわね」と優しく言ってから、「フォデルと代わりなさい」とはっきり言いつける。ミラベルは足手まといになるのが分かるので、おとなしく従って場所を代わり、障壁に入る。シルキアがミラベルに言う。

「私も接近戦は嫌い」

 ジャンもミラベルに「ここから魔法を打てばいい」と言う。フォデルが振り返って言う。

「援護射撃頼む」

 サンドラも「頼むわよ」と言うので、ミラベルは少し元気になって頷く。先へ進むと、間を置かず次の【影】たちが現れる。今度は三人の魔導士の【影】だ。交代したばかりだが、射程範囲の短い武器しかない前衛二人には不利な相手だ。だがサンドラは身を低くして相手の懐に突っ込んでゆく。【影】の動きがたいてい遅いことを知っているのだ。先手必勝で一人片付ける。残りの二人が同時に魔法を放つ。黒色の炎がサンドラのコートをかすめる。いや、一発は背中に当たったはずだが、彼女の黄色のコートは燃えない。サンドラは「耐熱繊維よ」と言いながら二人の背後に回り込み、まとめて切り伏せる。出遅れたフォデルが「無茶なことするなあ」と呟く。最後尾の方も、もはや安全ではなかった。ロランは、急に湧いて出て背後から錫杖で殴りかかってくるふざけた道化師の【影】に手を焼いている。この【影】は消えては現れ消えては現れと、存在が安定しないのだ。隙だらけなようなのに、こちらの攻撃がまったく当たらない。後ろ向きに歩きながらうまく立ち回ればこちらに致命傷を与えてくることもないのだが、他にも何か隠し持っていそうでいらいらする。この【影】のせいなのか分からないが、ときおり生首のようなものが上から落下してきて、けたけた笑いながらこちらの行動を遮るので、それらも切り捨てるか遠くに弾き飛ばすかしなくてはならない。エディはこの生首の処理に追われている。蹴飛ばそうとした首の一つに噛みつかれそうになって、エディは思わず身を引く。見れば見るほど気持ちが悪い。障壁のある中央は呑気だ。障壁の上を転がってきた生首の一つを見て、シルキアは目を丸くする。ジャンが指先でぴんと弾く真似をすると、生首はぱっと消える。面白かったらしくシルキアが笑う。ミラベルは前衛の援護射撃に集中する。味方に当てないよう注意が必要だ。魔導士の【影】は、もう躊躇なく燃やせるようになった。監獄での出来事を思い出すと勝手に身体が動くくらいだ。おかげで、サンドラは不利な相手に無茶な突撃を仕掛けなくても済むようになった。フォデルは確かにそれなりに戦えるらしく、奥へ行くほどひっきりなしに湧いて出る【影】たちとうまく渡り合い、次々に倒してゆく。彼の剣技は【影】の兵士たちの戦い方と同じデイレンの正統派だ。【影】たちはフォデルよりも数段遅いので、彼は【影】たちの攻撃を危なげなくかわすことができた。そうして進んでいくうちに、前方が突き当りとなる。石の扉だ。ロランが道化師の【影】をようやく頭から一刀両断にする。道化師の右半身と左半身は、しばらくそのままゆらゆらと漂っていたかと思うと、ロランから少し離れたところできれいにくっつき、再び元の姿になる。ロランが舌打ちすると、道化師は優雅に一礼して、消える。ロランとエディはしばらく身構えているが、道化師は現れず、忌々しい生首ももう落ちてこない。二人は拍子抜けして同時に呟く。

「何だったんだよ」

 サンドラが二人に声をかける。

「扉があったわよ」

 ロランが返す。

「さっさと開けようぜ」

 ここに入ってきたときの扉と同じように、六人が扉の前に並んで立つと、扉はゆっくりと外向きに開く。中は真っ暗だ。ミラベルがまた前へ出、サンドラと二人で中に入る。残りのみんなも後に続く。水の流れる音が聞こえてくる。全員が入ると、石の扉はゆっくりと閉まる。ミラベルの魔力の火であたりが明るくなってみると、そこはデイレン王宮の謁見の間を二回りほど大きくしたくらいの、広間のような空間だった。これまで通ってきた通路より天井も高く、また道中でよく見かけた透明な結晶のようなものがここでは大きく育ち、壁にも天井にもびっしりとそれらがあるのが分かる。床は大理石の石畳で覆われ、奥の半分ほどは湖のような水たまりになっている。どこからか水が流れ込んできているようだ。湖の中央には、石材でできた大きな椅子が玉座のように据えられた島がある。その島の上に、白色の寝間着を着た銀髪の女が一人座っている。女は眠っているようで、ぐったりと背もたれにもたれたまま動かない。サンドラとフォデルが同時に叫ぶ。

「エレン!」

「母上!」

 二人は湖の縁に走り寄り、玉座の上の人物をもう一度よく見てから顔を見合わせる。サンドラが聞く。

「ちょっと年を取ったけど、あれはエレンよね?」

 フォデルは心配そうな顔で頷いて言う。

「ああ、あれは母上だ。間違いない。きっと、いなくなったときの恰好のままなんだ」

 【影】ではないとサンドラも思う。あれはエレノールだ。フォデルが湖に飛び込もうとして壁にぶつかり、そこに見えない障壁があることに気付く。サンドラも試すがやはり弾かれる。この広さなら大丈夫と判断して、サンドラが飛竜を呼ぶ。驚くフォデルをよそに雷竜は雷撃を放つが、障壁に変化は見られない。飛竜が引っ掻いても雷撃を放っても、壁は壁のままらしい。次はミラベルが出てきて、壁に向けて火炎を放つ。障壁は燃え上がった。炎が、湖を包む障壁全体に燃え広がってゆく。うまくいったのではと思われたが、その炎もやがて消え、後には見えない壁が残っている。もしや、牢獄での障壁のように攻撃が跳ね返ってくるのではと身構えたミラベルは、サンドラとフォデル連れて離れたところに移動するが、しばらく待ってもなにも戻ってこないのでほっとする。しかしこれではお手上げだ。サンドラが振り向いてジャンに言う。

「あなたどうにかできる? この状況は何? どうしてエレンがあんなところにいるの? ここにいるのは【守護者】のはずじゃなかったの?」

 矢継ぎ早に聞かれ、ジャンは少し困った表情で湖の島をしばらく見る。そして彼はこう答える。

「代替わりをしたつもりで失敗したようだな。【守護者】はまだここにいる。おそらくは湖の底だ」

 最初の質問は忘れてしまった。ジャンは続けて「代替わりを完成させてやれば丸く収まりそうだ」と言おうとして、やめる。みんなそれほど退屈していなさそうだったので、冗談を言うのはやめておくことにしたのだ。代わりに、ジャンはみんなにこう問いかける。

「【守護者】を起こすのか?」

 何を今さらと、みんな顔を見合わせる。ロランが言う。

「そのために来たんだろ。できるならさっさとやれ。魔力ならゆうべ十分補充したんじゃないのか?」

 するとシルキアが呟く。

「いいけど、恨まれそう」

 ジャンはシルキアに言う。

「機械が不具合を起こしているだけだ。あれに意思はない。早く片付けよう」

 ジャンはシルキアを連れて、湖の縁から数歩離れたところに立つ。ジャンは左手でシルキアの肩を抱き、右手に【王笏】を掲げて湖に言う。

「【守護者】よ。権力の座に於いて汝に命ず。休止状態を解除せよ」

 湖面がざわざわと波立つ。張り巡らされた障壁が一瞬光って消え、代わりに壁や天井の結晶が淡く光り出す。広い空間が結晶の明かりだけで明るくなると、湖面から煙が一つ立ち上る。暗色の煙はしばらく不定形のままもやもやとうごめき、だんだん固まって形になる。ジャンは【王錫】を下ろしてその形と向き合う。湖面に立っているのは、伯爵夫人に仕えるリノリア人の侍女、エミリーの色彩を失った姿だった。エミリーはジャンに言う。

「奥様はよくお休みでございます。休息を乱すことは私が許しません」

 ジャンは玉座で眠る女を差し、こう言う。

「あれは【守護者】ではない。代替わりは失敗している。【守護者】を起こせ」

 エミリーは不定形の煙をサンドラの雷霆そっくりな形の闇色のグレイヴに変え、構えて言う。

「私が許しません」

 ジャンは後方にいるサンドラを指して言う。

「戦いは竜遣いとしろ」

 グレイヴを構えたエミリーはサンドラの方へ滑ってゆく。サンドラも光のグレイヴを出して身構える。サンドラは、自分の【影】とは戦ったことがあった。これは【影】ではないようだが、同じ要領で決着をつけようと先手を突く。初撃では決着がつかず、防御されて両者下がる。ジャンとシルキアは静かにそれを眺めている。他のみんなも手を出さない。加勢して良いものかどうかが分からないのだ。これはサンドラが倒さなければならない敵なのだろうか? 誰か聞けばいいのだが、みんなそんな気になれない。なかなか決着がつかず、何度か危ない局面があったところで、ロランが呪縛から解かれたかのように戦闘の場に飛び込み、エミリーの背後から斬りかかった。エミリーは背中を深く斬られ、傷から黒い煙をこぼす。煙はどんどん流れて消えて、エミリーの姿も薄くなってゆく。エミリーは最後にこう言い残し、消える。

「奥様、申し訳ございません。坊ちゃま、ご武運を」

 聞いてフォデルは嫌な想像をする。【守護者】には三人の従者がいるという話だった。次に現れるのは、自分の姿なのではないだろうか。フォデルの想像は、すぐに現実となる。エミリーが消えると、ジャンとシルキアは再び湖に向かう。シルキアが水面に向かっておいでおいでをすると、また、湖面から煙が立ち上る。暗色の煙はしばらく不定形のままもやもやとうごめき、だんだん固まって形になる。煙から変じたフォデルは、剣を構えてシルキアに言う。

「母上の邪魔をするな。おまえたちはおれが斬る」

 シルキアは眉を顰めて言う。

「本物のフォデルと戦ってから来て」

 そうなると予想して、本物のフォデルはもう身構えている。今度はまわりも初めから加勢する気だ。偽物のフォデルは臆さずそちらへ滑ってゆく。今度は、ミラベルの魔法がまがい物にとどめを刺した。焼けて煙に戻りながら、まがい物はこう言って消える。

「ごめんなさい。親父殿」

 散り際が真に迫っている気がしてフォデルは嫌な気分になる。今死んだら、自分もああ言って消えるのかもしれない。さて、こうなると、次の相手もだんだん見えてくる。フォデルは、自分が相手のときよりもさらに鼓動が早くなるのを感じる。ジャンとシルキアは再び湖に向かい、ジャンが呼びかける。

「三人目の従者を出すか?」

 湖面から煙が立ち上る。暗色の煙はしばらく不定形のままもやもやとうごめき、だんだん固まって形になる。まがい物の伯爵は、おそらくエレノールと出会ったころの、若者の姿をしていた。なるほどフォデルとよく似ている。若き日の伯爵は、剣を構えて言う。

「わが剣はエレノールのために!」

 フォデルは恥ずかしくなる。サンドラが「あらまあ」と呟く。ミラベルは夫人が少し羨ましくなる。ジャンはまがい物の伯爵に言う。

「おまえはアルマンドではない」

 まがい物の伯爵の剣が振り降ろされる。ジャンはそれを【王錫】で受け止める。二人はそのまましばらく睨みあうが、ふいに、まがい物の伯爵の身体は煙よりも濃い黒いもやに包まれ、言葉も残さず闇に溶ける。剣が床に落ちると、ジャンはそれを蹴飛ばして湖に落とし、水底へこう言う。

「起きろ」

 シルキアもまたおいでおいでをして静かに言う。

「あなたが連れてきたあの女の人、今ならわたしでも止めてしまえる」

 水面が大きく波立つ。下の方で何かかが動くような音がして、何かが下からせり上がってくる。みるみるうちに湖面が二つに分かれ、玉座の島とこちら側との間に、石造りの道ができあがった。ジャンとシルキアは道を渡ろうとはせず、そのままそこに立っている。サンドラとフォデルが駆けてくる。ジャンは二人を制して言う。

「【守護者】を片付けてからだ」

 ジャンがそう言うと、水底から上がってきた何者かの白い手が、玉座の島の端をぺたりと掴む。みんながそちらへ注目する。白い、細い手はもう一本出てきて、何かが島へ這いあがる。全身が出てきてみると、それはミラベルと変わらないくらいの背丈の、おさげ髪の少女だった。ずぶ濡れの少女を見てシルキアが「しっぽが二つ」と呟く。少女は疲れた様子で、ずぶ濡れのままとぼとぼと道を渡り、こちらへと歩いてくる。近くまで来て、彼女はいかにも悲しそうに言う。

「またあなたたちが起こしに来る。私を起こしに来る。私は眠れない。永遠に眠れないの? 今度は代わりを用意しておいたのに、どうして?」

 哀れを誘うその姿に、六人は同情する。同情しない残りの一人のジャンが、少女に冷たく言い放つ。

「おまえは目的をもって造られた機械にすぎない。本分をわきまえろ」

 少女は床にへたりこみ、うずくまって泣き出す。泣いている少女にジャンは追い打ちをかける。

「泣くような心はおまえにはない。休止しているからそんな夢を見る。おまえは機械だ。夢を見るのも不具合にすぎない」

 少女は泣きながら、蚊の鳴くような声で懇願する。

「私を殺して。私を停止して。もう起きているのは嫌。眠っても夢を見るのなら死にたい」

 五人は見ていられなくなって俯く。例外の一人のシルキアは、ジャンが今度はどんな冷たいことを言うのか、これまでの流れからだんだん楽しみになってきたようで、密かに待っている。その期待を裏切らない調子でジャンは言い放つ。

「機械に死はない。停止する必要もない。命令に従え。永遠に起きて【瘴気】を排除せよ」

 少女は泣き止む。急に無表情になって立ち上がり前を向き、抑揚のない声でこう言う。

「承知いたしました。【瘴気】の排除を開始いたします」

 周囲の結晶がさらに明るく輝きだす。もうミラベルの炎がなくても十分どころか、あのルパニクルスの大広間並みにあたりは明るい。少女は表情を変えずに、同じ無機質な調子で言う。

「私の玉座の上の女性を連れて帰ってください」

 さっさとお引き取りくださいの意に聞こえて、ミラベル、エディ、ロランはいたたまれなくなる。サンドラとフォデルはエレノールが心配なので、そこまで気にしていられずに急いで迎えに行く。玉座の上で眠っているエレノールは、触っても冷たく、死んでいるように見えるので、二人は慌てる。二人の様子を遠目に見て、ジャンは少女に言う。

「元に戻せ」

 少女は虚ろな目でジャンを見て言う。

「技術的に不可能です」

 ジャンは使えないやつめとため息をつき、島にいるサンドラとフォデルを手招きする。二人は動かないエレノールを二人がかりで抱えて連れてくる。玉座が空くと、【守護者】の少女はそちらへ向かって歩き出し、辿りつくとそこに座って、人形のように前を向く。それを見て、そのまま永遠に座っていなければいけないのかと、エディ、ミラベル、ロランはぞっとする。エレノールがこちら側に運ばれてくると、ジャンはシルキアに言う。

「起こしてやれるだろうか?」

 シルキアは答える。

「わたしはまだ残っているから、大丈夫」

 シルキアはエレノールのそばへ寄って囁く。

「夜がすべての人を待つのであなたはいずれ塵にかえる」

 不吉としか思えない台詞に、見守っているサンドラとフォデルは驚くが、エレノールは目を開けた。フォデルとサンドラを見上げて、エレノールは夢見るようにこう言う。

「やっぱり二人ともいたのね。そんな夢を見ていたわ。アルマンドは、主人はどこかしら」

 フォデルが答える。

「親父殿とエミリーは屋敷で待っているよ。立会人は一人だけだったから、若いおれをよこしたんだ。後で色々話すから、ここを出よう」

 身体に少しずつ血が通っていくような心地で、まず指先を動かしてから、エレノールはゆっくり起き上がる。その様子を見ながらロランがジャンとシルキアに問う。

「【守護者】は『技術的に不可能』だと言っていた。本当に死んでいたのか?」

 シルキアが答える。

「死ななくなっていたの」

 ジャンが補足する。

「【定着】の出来損ないだ。死なないが、動かない」

 サンドラはそのやりとりを聞いていて、だから『塵にかえる』だったのかと納得した。エディはミラベルにこっそり聞く。

「今のって、魔法か?」

 ミラベルは首を傾げて答える。

「たぶん、そう。どこからどこまでが魔法だったのか、なんだか分からなくなってきちゃった。あの人たち二人とも、話し言葉が魔法になってる。それと、何もしないようでも何かが起こる。分からないわ。何が何だか」

 ミラベルは、シルキアがエレノールに何と囁いたのか、後でサンドラかフォデルに聞いてみようと思う。エレノールが立ち上がると、八人は帰途につく。振り返ると、【守護者】の少女は先ほどと寸分たがわない姿勢で、玉座に座って前を向いている。まっすぐ前を見ていて、表情はない。八人中六人が、それを見て悲しくなる。石の扉は、やはり六人が前に並ぶとゆっくりと開いた。帰途はずいぶん楽だ。結晶には明かりが灯り、道は仄明るく照らされている。【影】ももう現れない。【瘴気】が消えたからだ。あのふざけた道化師の【影】も消えてしまっただろうかと、ロランとエディは歩きながら思う。ロランは、あいつがずっと張り付いていたおかげで、他の【影】とは戦わずに済んだのかもしれないとも思う。十分に鬱陶しい腹の立つ相手ではあったが、色々な相手としんがりで連戦になるよりはましだったかもしれない。見ようによっては、あの気味の悪い道化師は楽しくふざけているだけのようにも見えた。【影】というやつがよく分からなくなってきたと思ってから、元から全然分かっていないと思いなおす。エレノールは久々に会ったサンドラとおしゃべりの花を咲かせている。エレノールはサンドラに弾んだ声でこう言う。

「ドラはね、これからもっと英雄になるのよ」

 エレノールはここにいる間、長い夢を見ていたらしい。夢の中には、若き日の伯爵や、フォデル、エミリーの他、古い知り合いやまったく知らない人々もたくさん出てきたのだと言う。サンドラは、何か物語のような、語り部に語られる伝説のような夢の一画に、こんな調子で出てきたそうだ。

「雷の精鋭、飛竜遣いの女が、荒廃した故国の地を後にして、幻のお城に辿りつくの。お城で女は取引をして、故国を救う手段を得るのよ。城で受けた任務を果たしながら、女はついに約束通り故国へ戻り、時を巻き戻して歴史をやり直す。広場に女の銅像が立つの。幾世代も、ずっと長く、みんなが彼女を英雄と称える」

 サンドラは驚きつつ、少し表情を曇らせてエレノールに尋ねる。

「その竜遣いの女は、国を救ってそれからどうなったの?」

 エレノールも少し悲しそうに答える。

「また旅に出るのよ。契約のために、彼女は、とどまってはいけないから」

 しかしエレノールはまた笑顔になってこう言う。

「でも、彼女は何度でも戻ってこられるの。だから——」

 エレノールはサンドラの顔を見てから続ける。

「私とも、何度でも会えるのよ。私が死んでしまうまで」

 エレノールは、サンドラが前回会ったときよりも、もう十五歳以上年を取っている。長く会わずにいたことをサンドラは思い出す。会いに来なかったのはサンドラの方だ。リノリアとデイレンの戦争の問題もあったが、他にも理由はある。竜遣いは年を取るのが遅い。そうでない者たちが早く年老いてゆくことを、離れているとつい忘れがちになる。また、サンドラはエレノールについて、もうデイレンの人間になったものと考えてもいた。デイレンの人間であるなら、その土地にうまく馴染み、過去のことなどあまり振り返らない方が、また、いつまでも老けない自分のような女友達がたびたび訪れたりしない方が、楽に暮らしてゆけるのではないかと思う気持ちもある。サンドラはエレノールに問う。

「エレンは私に会いたかった?」

 エレノールはどうしてそんなことを聞くのかと驚いて尋ねる。

「ドラは私に会いたくなかったの?」

 そんなはずはないのだが、サンドラは考えて答える。

「私は怖かったの。私だけがいつまでも昔のことを覚えていて、とどまったまま。貴女は遠くできちんと時を重ねて、旦那様がいて子どもを産んで、いつか私を疎ましく思う」

 エレノールは言う。

「身体が年をとっても、過去への感じ方は、少女のころと同じよ。あなたが考えているほど、私たちは違わないはず。私たちは幼馴染でしょう。あなたは竜遣いになって、若いままほとんど時間が止まってしまって。私はそのまま年を取って、生きていられればいつかすぐにおばあさんになる。でも、私の百年はあなたにとっても百年なのよ。時間の長さは同じなの。身体が老けたら過去がどうでもよくなるなんて、よしてちょうだいそんな冗談」

 サンドラは何か荷が軽くなったような気がして、ふっと微笑む。彼女はエレノールに謝って言う。

「私が難しく考え過ぎていたみたいね。ごめんなさい」

 それから、サンドラはエレノールの顔を見て聞く。

「私とずっと友達でいてくれる?」

 エレノールはころころと笑って言う。

「もちろんよ。だからドラ、おばあさんになった私を見ても怖がらないで。私が死んでしまっても、何か負い目に思ったりしないで。私は幸せなの。明日死んでしまったとしても、私は幸せ。あなたに会えたら、もっと幸せよ」

 懐かしい一節にサンドラは微笑み、その一節を繰り返して言う。

「明日死んでしまったとしても、私は幸せ」

 サンドラとエレノールは共通の過去の何かを思い出したらしく、仲良く大笑いする。ミラベルはそれを見て心の底から羨ましいと思う。ミラベルには幼馴染どころか、仲のいい友人が誰もいなかった。ミラベルが寂しそうにしているのを見て、エディが話しかける。

「サンドラたち、すごく楽しそうだな」

 ミラベルはエディに尋ねる。

「あんた、ずっと一人でいたって言ってたわよね。友達、いなかった?」

 エディは即答する。

「いなかった。友達どころか話し相手もいないし、大人にも怖がられてたから、住んでるところを焼き討ちされなかっただけましだって、ロランには言われたな」

 ミラベルはへえと言ってさらに聞く。

「寂しかった?」

 エディは頷いて言う。

「寂しかったからさ、自分と会話してたんだ。独り言。一人きりの家で、自分に話しかけて自分で返事するんだ。虚しいよな。虚しいけどたまにちょっと面白かったりしてさ、癖になってた。外で誰か盗み聞きしてたら、気持ち悪かっただろな」

 ミラベルは想像して言う。

「あたしとは次元の違う孤独ね。誰かいても全員敵なのと、そもそもまわりに誰もいないのと」

 するとエディはもの憂げに言う。

「それならまわりに誰もいない方がましだ。敵しかいないなら、誰も近くにいない方がいい」

 ミラベルも同じことを思ったことがあったが、独り言が楽しみになるほど濃い孤独を味わったことのあるエディがそう考えるのを意外に感じて、こう言う。

「ずっと一人でいたあんたでもそう思うのね。あたしもそう思ったことがあるけれど、やっぱりどっちも嫌。一人になりたいときは一人でいられて、そうじゃないときには誰か味方に会える環境がいいわ」

 エディは深く頷いて言う。

「そうだよなあ。今なんて、一人になりたい時間が削られてる気がするくらい、他人と関わってる環境だもんな。おれはこのくらいでちょうどいいけど、ミラベルは窮屈だったりしない?」

 ミラベルは首を横に振って言う。

「窮屈ではないと思う。むしろ自由。元いたところは本当にひどかったし。操り人形になるのはもううんざり」

 操り人形と聞いてロランが、隣を歩いているフォデルに尋ねる。

「一人目の従者とサンドラねえさんが戦ってたとき、どうして誰も加勢しなかったんだ?」

 フォデルも首を傾げて言う。

「いや、なんか、最初のやつは手出ししちゃいけないような雰囲気があっただろ? なんでかって言われると、困るな。ロラン、あんたは何で途中から加勢したんだ? あれで呪縛が解けたような感覚があったけれど」

 ロランはやっぱりそうかと呟く。ロランは後ろを振り返ってジャンに聞く。

「あんたのせいか?」

 ジャンは「何の話だろうか?」ととぼけるので、ロランは「嘘をつくな」と返す。するとシルキアが答える。

「戦いを観たかっただけ」

 フォデルはびっくりして振り返る。彼はシルキアに言う。

「正直危うい勝負だったぞ? 味方に対してどうしてそんな」

 シルキアは動じずに答える。

「サンドラが格好いいから。戦うところをもっと見たかったの」

 フォデルは面食らって返す言葉がない。代わりにロランがシルキアとジャンに言う。

「ねえさんには黙っとけよ。殺されるぞ」

 シルキアはおとなしく頷く。ジャンは知らない顔をしているが、戦いは竜遣いとしろと言って【影】を差し向け、みんなを呪縛した実行犯は彼だった。こいつらは遊んでいやがるとロランは思う。あのしつこく絡んできた道化師の【影】と同じだ。役に立ちながら面倒なふざけ方をするところがそっくりだ。あの【影】の原型は王宮にいるのだろうか?



 石材で補強された通路まで戻ってくると、結晶の明かりに頼れなくなったので、ミラベルがまた魔力の火を灯す。シルキアも障壁で薄明かりを作る。しばらく進むと、石の扉へ続く上り階段に辿りつく。扉は開いているようで、上から光が差し込んでいる。シルキアが障壁を消す。ミラベルはみんなを先に上がらせて、最後に自分も上がって火を消す。八人が外に出ると、石の扉はゆっくりと閉じる。【守護者】を外へ出さない牢獄のようだと、何人かが思う。来たときにいた三人の文官はおらず、代わりに緑のローブの魔導士が五人いる。ミラベルが彼らに聞こえないように舌打ちをする。サンドラは平然としている。ローブに金の縁取りがある一人が言う。

「【守護者】は活動化されましたでしょうか? 門は開いております。ご案内しますので、ルパニクルス使節団の方々はこちらへおいでください」

 ローブに金の縁取りがない一人は、フォデルとエレノールに丁寧な礼をして言う。

「立会人のフォデル卿と、ガラドニック伯爵夫人。あちらにお帰りの馬車を用意してございます」

 フォデルが金の縁取りのない魔導士に言う。

「彼らを見送りたい。帰るのはその後だ」

 金の縁取りのない魔導士は承知する。八人は、金の縁取りのある魔導士の後について、門のところまで歩く。門と呼ばれるものは、古い石の道を少し先に進んだところ、舞台のように丸く平たく切り出された石の上にあった。狭間の城やルパニクルスで見たのと同じ、複雑な模様のある円だ。円は石の大きさに合わせて大きく、六人がその上に立ってもまだゆとりがありそうな広さだ。ルパニクルス使節団の六人は、門の上に立つ。門に乗る前に、サンドラはエレノールとフォデルに軽く手を振って挨拶する。三人とも別れの言葉は言わない。お互いのお礼は、次に会ったときに言うのだ。魔導士五人が門のまわりを取り囲み、両手をかざすと、円が眩く輝きだす。六人の視界が白い光に包まれる。次の瞬間、六人は真っ暗な暴風雨の中を落下していた。

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