Ⅹ. Dominus Pupae
「馬車の轍を辿ってまいりましょう」
ベルナルドに言われ、四人は歩き出す。狭い道を辿りながら、ジャンは「他に車はないのか」とベルナルドに文句を言う。横柄な発言だとエディは思うが、先立って歩くベルナルドは気にする様子もなく、軽く謝りながら言う。
「申し訳ございません。あいにくこちらの屋敷には馬車はあれしかございません。馬が無事で幸いでした」
気をつけて歩きながら、ロランは気になったことを聞いてみる。
「さっき、騎兵隊に捕らえられた女囚たちの件でおたくの主人が『召し出しを受けた』って言ってたよな。どうしてわざわざ呼び出されたんだ?」
ベルナルドも歩きながら答える。
「今回の件で招集がかかったのは当家の主人だけではありません。このようなご時世ですから、宰相は家臣たちを常に探っておられます。そういった政治的な駆け引きの世界では、当家の主人は比較的等閑視されてきました。だからこそ国交のない外国の貴族の娘を娶ることも許されたのでしょう。しかし、今回の件でその風向きが変わったことは明白です。ガラドニック伯自らが積極的に囚人の開放を求めれば、リノリア残党との密通を疑われるでしょう。そこで、あなた方使節のお力が必要なのです。ガラドニック伯があなた方六名の保証人となり、あなた方の要求を宰相に取りなす形式にするのです。そちらの書状の仕掛けがあれば、あなた方の身元については話が通る手筈なのでしょう? 簡単なことだと思いますが、いかがでしょうか?」
話を聞くうちに、ロランは面倒くさくなってきた。貴族というやつらはどこの世界でも、くにゃくにゃくにゃくにゃとどうでもいいような駆け引きをして遊んでいるものなのだなと思う。いつの間にか、こちらの頼み事を聞かせる話から、こちらがうまく使われる話になっていることも、ロランにはどうも気に入らない。どこかで何かを間違えただろうか? もうどうでもいいかと、ロランは適当に頷いて言う。
「こっちは目的を達成できるならどうでもいい。あいつらはどこに放り込まれているんだ。どこかの地下牢か拷問部屋か?」
ベルナルドは、凍り付いた建物の隙間から見える——おそらく被害がなかった地域の——いかにも堅牢そうな建物の壁を指差して、答える。
「私が聞いている情報では、収容場所はあちらの建物です。【王国の監獄】と呼ばれている場所で、主に政治犯が収容される牢です。部屋の格は分かりませんが、おそらく他からは隔離された独房でしょう。地下室はないはずです。拷問部屋はあるはずですが、彼女たちを拷問にかけるのは難しいでしょうね。魔法が使えなければまず無理でしょうし、そんな力量のある魔導士がこの国にどれだけいるか甚だ疑問です。おとなしく閉じ込めておくのがせいぜいだと思いますよ」
自国の魔導士に対してずいぶん辛辣な言いようだ。ロランは、あの二人はなぜ捕まったのだろうかと改めて疑問に思う。エディは少し安心する。そういえば、サンドラもミラベルも強かった。そう思ってから、やはりエディも、二人がそもそも捕まってしまったことを不思議に思う。ジャンとシルキアは、ベルナルドの後ろ髪の三つ編みを気にしている。ジャンはシルキアに言う。
「私もやってみようか」
シルキアは楽しそうに笑って答える。
「わたしもお揃いにしたら、わたしのが一番長い」
ロランは、後ろの和やかなやりとりを聞いていて、王族は貴族とはまた違った調子でずれているのかもしれないと思う。そして、ではデイレン王国の王はどんな人物なのだろうと思い至り、ベルナルドに聞いてみる。
「ここの国王陛下はどんな人間なんだ。あちこち征服して回ってるって話からすると、野心家なのか?」
ベルナルドは少し考えて答える。
「いいえ、ロドルファス七世陛下は御年九つででして、親政は難しいため、母后のルネ様が摂政を務め、宰相のジェオルジーニが補佐をしています。拡大政策は宰相のお考えでしょう」
ロランはさらに尋ねる。
「【崩壊期】云々の話を知っているのは、あんたのところだけなのか? 宰相はどうだ。囚人をどうしようとしているんだ?」
ベルナルドは「そろそろ宮殿の前庭ですね」と言ってから答える。
「当家だけかは分かりません。表立っては口にしない話です。つまり宰相がどう出るかも、実際のところまだ分かりません。しかし、ジェオルジーニなら、たとえ知っていたとしても処刑に傾く可能性があります。生かして利用する手も考えられるはずなのですが、彼は宰相でありながら中長期的な見方ができない男です。お恥ずかしい限りです」
宰相ジェオルジーニというのは、よほど人望のない人物なのだろうか。国の参謀が短絡的な人間だというのは、かなりまずいことのようにロランには思える。『このようなご時世』という言葉もあったが、何事かがあって、政治不信が蔓延しているのだろうか。
そんな話をしているうちに、宮殿の前庭に着いた。前庭は市民に開放されているようで、市街との間に柵などは設けられていない。ここにも逃げてきた人たちがいる。芝には半分ほど霜が降りているが、宮殿の方は、ここから見える範囲では無事だったようだ。前庭の奥には宮殿の中庭へ続く大きな門があり、槍を持った四人の門衛が何事か話し合っている。四人は避難民たちが一息ついている前庭を通り抜けて、まずベルナルドが門衛に挨拶をする。
「ガラドニック伯爵の使いで参りました。伯爵家付き魔導師のベルナルドです。後ろの方々は、ルパニクルスから国王陛下宛の書状を持って謁見にいらした公式の使節です」
門衛たちは疑わしげに話し合い、ベルナルドに言う。
「ルパニクルスというのは何のことだ。そのような話は我々は聞いていない」
胡乱な視線でじろじろ見られておおいに機嫌を損ねたロランは、宮殿なんてくそったれだと内心悪態をつきつつ、巻かれた書状を門衛に突きつけて、乱暴に言う。
「これが書状だ。こいつがちゃんと上に渡らなかったときに、おまえらがどうなるのかは、俺には保証できねえぞ。持ってけ」
エディは門衛四人に攻撃されそうになったときはどう動こうかと考えている。ジャンとシルキアは後ろの方で何か違うことを話し合っている。ロランが苛々していると、門衛は書状を受け取り、腰帯に挟んだ鐘を手に取って上の方で鳴らす。すると、裏に控えていた使いの少年が駆けて来る。門衛は少年に言いつける。
「国王陛下宛の書状だ。宰相閣下に渡しなさい」
少年は侍従の礼をして駆けて行く。それから門衛は一行に言う。
「通ってよし。中で面倒を起こさないように」
ロランは、ざるみたいな警備をしているくせに偉そうにしやがってと、心の中で毒づく。門を入ると、その先は広大な中庭だ。ロランはベルナルドに言う。
「案内の係はつかないのか? 馬鹿みたいに広い庭だな。どこへ行けばいいのかさっぱり分からん」
ベルナルドも怪訝な顔をして言う。
「門衛が書状を受け取っていましたが、ああいったものは普通、謁見の場で陛下の目の前で宰相に渡されるものです。手違いがあっては大変ですから。門衛に渡してしまって、よろしかったのですか?」
ロランは答える。
「それでいいはずだぞ。元々、門衛に渡せと言われて持ってきた書状だ。通行手形のつもりでいたのに、いつの間に『国王陛下宛の書状』になったんだ。もういい、面倒くせえ。どこでもいいからさっさと連れていけ」
ベルナルドははっとして、「私が思い違いをしていたようです。しかし、書状の呪いは最高権力者に必ず届くようにと……。分かりました。それでは、ひとまず謁見の控えの間へまいりましょう。先に到着しているガラドニック伯とご子息は、おそらくそちらにいらっしゃるでしょう」
ベルナルドは迷わず歩き出す。四人は後に続く。宮殿の広大な中庭は静まりかえっている。街中であれだけの騒ぎがあったとは思えない様子で、ここは別世界のようだとエディは思う。竜は王宮を攻撃しなかったのだろうか。ロランも同じことを考える。もし何者かが攻撃を仕掛けたのであれば、なぜ王宮を標的にしなかったのだろうか。狙いは他にあったのか、あるいは無作為な攻撃だったのか。今回の件に【影】や【瘴気】は関係しているのだろうか。サンドラ以外にも、生き残っている竜遣いがいるのだろうか? 不明なことがらはいくらでも湧いてくる。宮殿は恐ろしく華美だ。いたるところに細やかな装飾が施され、見上げるほど高い天井から吊り下げられたシャンデリアは、天上の煌きのようなクリスタルで飾られている。火の管理が大変そうだ。調度は黄金で、天鵞絨の幕や精緻な織物飾りが次々に現れ、とても一つ一つの品に目を止めてはいられない。奇妙な狭間の城は豪華であっても暗く重たい印象だったが、デイレンの宮殿はどちらかというと軽やかな印象で、それはもうとにかく華やかだ。その印象は中にいる人間の衣装も然りで、女たちは裾の大きく広がった釣鐘のようなドレスを着込み、ドレスにも帽子にもフリルやレースがふんだんに使われている。慌ただしくすれ違う男たちが着ているものも色とりどりで、服の裾には華やかな刺繍が入り、皆変わった髪型をしている。くるくる巻いた髪を長く垂らしたその髪型を見て、ロランは少し昔を思い出す。彼は、そんな髪型をした貴族を他でも見たことがあったので、やっぱりどこでも同じだなと改めて思う。エディは宮殿の雰囲気に圧倒されながら、ロランの髪も巻毛で長いのにここの者たちとこうも違うのはなぜかとぼんやり考え始める。ジャンは堂々としている。シルキアは楽しそうだ。ときおり、赤や黄や青の鮮やかなローブを纏った魔導士らしき者とも行き違う。あれがサンドラの言っていた魔道兵だろうかと一同は思う。謁見の間へ続く控えの間の入り口には、やはり豪華な衣装を身につけた衛兵が一人と、緑色のローブの魔道士が一人立って番をしていた。伝言役の小姓も一人いる。ベルナルドが番人たちに礼をして言う。
「ガラドニック伯爵家付き魔導師のベルナルドでございます。ガラドニック伯爵はこちらにいらっしゃいますでしょうか。客人をお連れしたとお伝えください」
小姓が控えの間に入り、伯爵に伝えたらしい。中へお入りくださいと許可が下りる。中に入ると、広々とした部屋の中に十数名の客人がいて、それぞれ思い思いに過ごしている。先着者たちは、誰が来たかなどまったく気にしませんというふうに寛いだり話し合ったりしているが、目だけはちらりとこちらを確認する。端の方のソファーに並んで腰掛けていた上品な男と金髪の若者がこちらを見て立ち上がった。上品な男はベルナルドを呼び、客人四人に挨拶の礼をする。ロランはやけくそで、以前関わったことのある別の宮廷の作法で礼をする。エディはロランの真似をする。ジャンとシルキアは、デイレン風の礼をそれぞれ完璧に返す。壮年の男は、柔らかく微笑んで自分と息子を紹介する。
「ガラドニック伯爵アルマンドと申します。こちらは長男のフォデルです」
金髪の青年が礼をする。彼の方は、どことなく居心地が悪そうに見える。ロランはベルナルドにもまだ名を告げていなかったことを思い出す。四人は一人ずつ名乗るのだが、ジャンとシルキアはなぜか本名を言わず、それぞれ「ジャン・ヴァンサン」、「シルキア・ユークンドル」だと言う。偽名を使いたいならそれはよしとして、覚えて合わせられるかどうか、ロランとエディは心配になる。挨拶が終わると、ガラドニック伯は困り果てたという様子で、周囲を気にしながら落とした声で言う。
「みなさんとの初対面がこのような形になるとは思いもしませんでした。ベルナルドから聞きましたでしょうか。渦中の方は妻の友人なのです。彼女もあなた方と同じ【探索】の一員なのでしょうか?」
四人は肯定する。すると、伯爵は急に厳しい表情をして尋ねる。
「氷の災害とは無関係と考えてよいのですな?」
ロランがやれやれという顔で答える。
「雷の災害でなければ無関係なはずだ。あいつも驚いて状況を見に飛び出したか、むしろ止めに入ろうとした雰囲気だったな」
伯爵はふっと表情を和らげて言う。
「やはりそうでしたか。そうでしょうな。私も見ていたのですが、お二人はあれを妨害しに動いているように見えました。おかげで私の屋敷は守られたのです。しかし、他では大きな被害が出ました。原因を突き止めたいところですが、今は無実の者を牢から出すことが先決です。協力していただけますかな」
これにはエディが答える。
「あいつらがいないとこっちも困るんだ。何をすればいいんだ?」
魔導師のベルナルドが横から口を挟む。
「陛下へのご挨拶でガラドニック伯があなた方の身元を保証する旨のやりとりが済んだ後、陛下に請願を出していただきたいのです。よろしいでしょうか?」
ロランはだるそうに言う。
「ここでの請願の出し方なんて知らねえぞ」
ロランはジャンの方を見て聞く。
「『ヴァンサン』、あんたは分かるか?」
特に期待せずただ言ってみただけだったが、ジャンは考えて頷く。
「特に難しいことはなかったように思う。なんとかしてみよう」
ロランは本当だろうかと不安になるが、ジャンとシルキアが正しい礼をしたことを知っているベルナルドは、落ち着いて言う。
「それではヴァンサン様、よろしくお願いいたします」
ヴァンサンことジャンはベルナルドに尋ねる。
「順番はまだ来ないのか。王は何をしている?」
ベルナルドはへりくだって答える。
「侍従に状況を確認してまいります」
ベルナルドは部屋の奥に消え、しばらくして戻ってきて言う。
「国王陛下は母后と宮殿の礼拝堂でお祈りをされているそうです。定例の時間割では政務のお時間なのですが、変則のようです。まもなくおいでになるとのことでした」
ジャンは「何かの密談か」と呟いて近くのソファーに座る。シルキアは「敬虔な人たちかも」と言って隣に座る。ロランは「あんたの見立てだとどっちだと思う?」とベルナルドに聞く。ベルナルドは「密談の内容について祈りを捧げているのでしょう」と答える。全員座って待つ流れになる。エディは、村にあった小さな礼拝堂を思い出す。そこにいても仲間外れにされていることは変わらなかったので、どちらかというと嫌いな場所だったはずだ。人のいるところはどこも嫌いだったが、それでも真面目に祈ったことはある。何を祈ればいいのか、エディにはもう分からなくなった。九歳の国王陛下は、どんな神にどんな祈りをしているのだろうか。ふと気になって、エディはベルナルドに聞いてみる。
「『礼拝堂でお祈り』って、神に祈るってことか? ここでもそういうの、あるんだな」
ベルナルドは答える。
「ロンバート様の『神』も単数なのですね。遠くから来られたのでしょうから、きっと色々違うところがあるとは思いますが、デイレンの国教も一神教です。祈りの意味も、もしかすると同じかもしれません。デイレン国王の権威は神によって授けられるものとされているため、王室は典礼行為を大切にするのです」
エディはしばらく黙ってから、ぽつりと聞いてみる。
「ベルナルドは何を祈る?」
ベルナルドは少し困った様子でしばらく沈黙する。まずいことを聞いたかなとエディが反省していると、そのうち最適な答えが見つかったらしく、ベルナルドは一言で答える。
「よしなに取り計らい給え」
漠然とした回答にエディは少し面食らって言う。
「意味を聞いてもいいだろうか?」
ベルナルドは静かに答える。
「いいようにしてくださいということです。すべての祈りはこの一言に集約されるでしょう。他の人間に聞けば別の回答が返ってくるかもしれませんが、私はそう考えています。ロンバート様の祈りとは違いましたか?」
エディは、たしかにこれは困る質問だなと実感しながら考える。それから暫定的な回答を出す。
「いや、おれはよく分かんなかったんだ。何を祈るのか。希望をくれって言っても、何が希望なんだか分かんなかったから。でも、何が希望かも『いいようにしてください』っていう考え方もあるんだな。希望の本質のような気がする。なんでそんなに希望できるんだろう」
最後は独り言のつもりだったが、ベルナルドは律義に答えてくれる。
「悪いようにはされないと信用しているからでしょうね。信用するのは、信用しないと怖いからでしょう。怖いから信用するのです。信用という罠にさえ落ちてしまえば、恐怖心からは逃れられます。あえて罠に落ちるやり方もあります」
そこで、このやりとりを聞いていたらしい意外な人物が来て口を挟んでくる。ガラドニック伯爵の子息、金髪のフォデル卿だ。彼は伯爵の方を少し気にしてから、伯爵に聞こえないようにだろうか、抑えた声でベルナルドを茶化して言う。
「おい、ベル。なに悪徳聖職者みたいなこと言ってんだよ。異教徒を改宗させる気か? 逆に教会の悪口か?」
貴族らしくない雰囲気の話し言葉なのでエディは意外に思う。仲がいいのか、ベルナルドも少しくだけた話し方で返す。
「こんなところで『ふさわしくないふるまい』をしていると、伯爵に怒られますよ」
フォデルは返す。
「おまえもぎりぎりだよ。宗教の話は宮殿でするな。怒られるぞ。ああ窮屈だ。息が詰まる。さっさとなんとかして早く出たいな。まだか、『まもなく』っていうのは」
それから、フォデルはエディにも少し嬉しそうに囁く。
「エドガーってさ、エディでいい? おれのことも呼び捨てでいいよ。おれ貴族だけど親父と違ってずっと田舎で放任だったから、宮廷のお作法とかだめなんだよ。あんたもそういうのはあんまり得意じゃないと見た。いいだろ?」
エディは改めて驚きつつ頷く。それから何か言おうとすると、ベルナルドが制する。
「そちらの件につきましては、のちほど改めてお話しいたしましょう。少々込み入ったお話ですから、場を改めた方がよろしいかと」
伯爵の視線を気にしたのだろうなとエディは思う。フォデルも「そうだな。そのようにしよう」といささかわざとらしく答え、元座っていたところに戻る。エディはつい笑いがこみあげてくるのを抑える。エディが楽しそうにしているのを見て、今度はロランが寄ってきて小声で聞く。
「なんだ、なんか面白いことでもあったのかよ?」
エディも小声でふざけて答える。
「少々込み入ったお話ですから、のちほど改めてお話しいたしましょう」
エディは「なんだそりゃ」とロランに小突かれる。「あとで教えろよ」と言い残して、ロランも元の場所に戻る。彼も退屈している様子だ。控えの間の面々がいい加減待ちくたびれたあたりで、急に控えの間の奥、謁見の間に続く幕の向こう側が何やら騒々しくなる。内容は分からないが数人の話し声も聞こえ、これは王たちが祈りを終えてようやく謁見の間に来たのだろうかと皆期待する。そのまましばらく待っていると、幕の向こうのざわめきは徐々におさまり、『まもなく』と言われていたときがようやくやってくる。幕のうちから、派手な格好をした侍従が一人出てきて呼ばわる。
「ダリウス公爵、ルパニクルス使節団とガラドニック伯爵、クローヴィエ卿。お入りください」
最初に呼ばれるとは考えていなかったので、ロランは控えの間の他の人々をつい見回す。金糸の縁取りのある白いローブを着た男と、腰にサーベルを帯びた派手な軍装の男が立ち上がり、謁見の間へ向かう。どちらかがダリウス公爵で、もう片方がクローヴィエ卿なのだろう。ロランは作法が分からないので、ジャンを代表のていにして自分とエディは後ろに下がる。真似をすればいいだけなので楽だろうと踏んだのだ。間違えてもそれなら自分だけではない。シルキアはジャンの左斜め後方につく。その順番で従僕が持ち上げた謁見の間の入り口の幕をくぐると、中はやはり恐ろしく煌びやかな部屋だった。芽吹いた枝を握る手を中央にあしらった大きなタペストリーの前に、黄金と赤い天鵞絨でこしらえた豪奢な玉座が据えられている。大きな玉座に座っているのは、小さいながらもきちんと国王陛下の身なりをしているらしい、黒髪の少年だった。少年王ロドルファス七世は、手持ち無沙汰にどこか斜め下の方へ視線を置いている。エディは幼い王の顔立ちを見て、いつか会ったことのある誰だか分からない誰かを思い起こすような、不思議な感覚を覚える。玉座の向かって右側の椅子には、摂政である母后のルネが座っている。美しいブルネットの王太后ルネは、襟ぐりを大きくとった琥珀色のドレスを纏い、乳白色の肌が眩しい。玉座の向かって左側には、宰相のジェオルジーニが立っている。ジェオルジーニはこの宮殿の中では比較的地味ないでたちをしているように見えた。ボリュームのある灰色の巻き毛を後ろでまとめ、ほとんど装飾のない黒色のガウンを羽織っている。一緒に呼ばれた白と金のローブの男は部屋の左端へ、サーベルの男は右端へ立つよう案内される。ルパニクルス使節団とガラドニック伯爵は正面でいいらしい。ジャンが先に立ち、堂々と玉座の前へ出てシルキアとともに礼をした。ロランとエディも、前の二人の真似をする。ガラドニック伯爵とフォデルは後ろに控えている。ジャンは玉座の王に向かい堂々と名乗る。
「ルパニクルス使節団のジャン・ヴァンサンです」
シルキアも「同じくシルキア・ユークンドルです」と続ける。流れを理解したロランとエディも同じように名乗ってから、ジャンは話を続ける。
「書状は読んでいただけたでしょうか」
ロランは、王に対するジャンの話し方が、ベルナルドの話し方ほどへりくだってはいないことに気づく。微妙な差だが印象は異なる。これは対等な相手に丁寧に話すようなやり方なのだろうか。王は摂政のルネではなく、宰相のジェオルジーニの方を見る。するとジェオルジーニが侍従から書状を受け取り、王の代わりに話し出す。
「お話の骨子は理解いたしました。王宮に存在する【守護者】を活動化し、さらに別の場所へ向かうための門を開けてほしいというお話ですね。相違ありませんか」
ジャンは一言「ありません」と答える。ジェオルジーニは腕を組んで悩むようなしぐさをして、玉座の上の少年王に尋ねる。
「陛下、いかがいたしましょう」
少年は何か思い出すように答える。
「身元を保証する者がいるかを問う」
シルキアが寸の間、後ろを振り返る。視線の先は、保証人となるはずのガラドニック伯ではなく、さらにその後ろに控えているベルナルドだった。ベルナルドはシルキアの視線に気づいたようで、何か考え込むような顔をする。少年王の答えを聞いたジェオルジーニは、表情を変えず摂政のルネをちらと見やる。ルネは何も言わず、どこか遠くの方を見ている。少しの間沈黙があった。少年王の回答はジェオルジーニの期待したものではなかったのだろうか。しばらくして、ジェオルジーニはジャンに問う。
「デイレン王国の伯爵以上の身分の方で、貴殿らの身元を保証する者はありますか」
ジャンは「身元の保証はガラドニック伯爵が」と答える。ジェオルジーニは後ろに控えているガラドニック伯爵を前に呼び、「まことか」と一言問う。伯爵は前へ出て礼をし、はっきりと答える。
「はい、まことです。ルパニクルス使節団の身元は私ガラドニック伯爵アルマンドが保証いたします」
すると、ジェオルジーニが何か言う前に、玉座の上の少年王が答える。
「承知した」
シルキアがまた何かを気にする。だが今度は振り返りはしない。ジェオルジーニは不機嫌そうに言う。
「陛下は承知されました。ルパニクルス使節団の要求を許可します。他に、陛下の前で述べておきたい事柄はありますか」
ジャンは答える。
「ルパニクルス使節団からデイレン国王陛下に、書状の件とは別の請願があります」
ジェオルジーニは無表情に「どのような請願ですか」と問う。ジャンはやはり泰然とした態度で、請願の内容を述べる。
「サンドラ・ディスベルとミラベル・ユーフィリア・クレアローゼの身柄を引き渡していただきたい。両名はルパニクルス使節団の成員です」
おお、言ったなとロランが頼もしく思っていると、部屋の右端にいるサーベルの男が咳払いをする。いかにも何か意見があるといった佇まいだ。ジェオルジーニが男に向かって声を掛ける。
「ダリウス公爵。何かご意見がおありですか」
公爵は敬礼をして大きな声で発言する。
「陛下。かつて払われた数多の犠牲を、よもやお忘れにならないでいただきたい。今回の事件でもまた、多くの死者が出ております。民の気持ちをお考えになってください」
陛下と呼びかけてはいるが形式上のことで、これは宰相への意見だろうなとロランは考える。当然のごとくジェオルジーニが答える。
「陛下がお忘れになることはありません。陛下は常に情け深く、民の気持ちをお考えになっています」
ちょっとまずい流れじゃないかとロランは思う。お上が『情け深い』という類の語を使うときには、たいてい逆の結果が伴うことを経験則で知っていたからだ。そこで今度は、部屋の左端にいる白と金のローブの男が、もの言いたげに身じろぎして、宰相に目配せをする。宰相は男に声をかける。
「魔導士長クローヴィエ卿。何かご意見がおありですか」
魔導士長と聞いてエディは嫌な予感がして俯く。クローヴィエはわざとらしく咳払いをして話し始める。
「陛下。恐れながら、意見を奏上させていただきます。私クローヴィエは、囚人の釈放に反対いたします。宰相閣下の仰せの通り、陛下は情け深いかたであられます。そうであればなおさら、釈放には慎重になっていただきたい。囚人らを懐柔して、お役に立てることができるのではと提案する者もあるかもしれませぬが、そのような甘言に惑わされてはなりません。竜は悪魔です。悪を利用するなど悍ましいことです。そのような不可能事に挑めば、必ずやまた、手痛い犠牲を払うはめに陥りましょう。どうか、賢明にお考え下さい。悪は絶つべきです」
『情け深い』の適用範囲は解釈次第だ。ロランの経験則はここでも通用しそうだった。場が熱くなったところで、ジェオルジーニは保証人のガラドニック伯爵に問う。
「身元保証人を務めておられるガラドニック伯爵は、どう思われますか」
伯爵は落ち着いて答える。
「では陛下、身元保証人を務める私の意見を奏上させていただきます。ご周知の通り私の妻はリノリアの出身でありますが、囚人がリノリア人であるか否かには関わりなく、ルパニクルス使節団の成員であることが判明したのであれば釈放すべきと考えます。使節団というものはいわば寄留者です。任務のために来て、任務という目的を果たせば去って行くものです。そして、ルパニクルス使節団がここへ来た目的は既にはっきりしており、彼らの携えてきた書状の内容がそれです。囚人が釈放されても、任務を果たせばこの土地を去るのです。彼らの任務が土地の保守に関わることであるならば、いたずらに拘束してその任務を妨げるべきではないと考えます。以上です」
ダリウスとクローヴィエは、玉座の上の少年王に熱い視線を送っている。ジェオルジーニが誰にともなく大きめの声で言う。
「竜遣いが牢の外に出れば、またあの氷の竜が目を覚ますかもしれませんな。任務とやらの片手間に、今度はどんな災厄が起こることか。心配は尽きませんな。民も恐れるでしょう。暴動が起きるかもしれません」
そこまで言って、ジェオルジーニは少年王に問う。
「陛下、いかがなさいますか?」
少年王はしばらく考えて、ジェオルジーニに質問を返す。
「処刑する場合には、どのようにして処刑するのか?」
ダリウスとクローヴィエは嬉しげな顔をする。ジェオルジーニはうーんと唸って答える。
「公開処刑を行うのであれば、最大の効果を得られるよう、よく民の鬱憤を晴らせるような方法がよいのではないかと考えます」
そして、ジェオルジーニは魔導士長のクローヴィエに問う。
「クローヴィエ卿。くだんの囚人二名を、例えば火刑に処すことは技量的に可能でしょうか」
クローヴィエは答える。
「すでに拘束されておりますので、可能でございます。竜遣いの光の武器は厄介でしたが、両腕を縛り上げて解決いたしました。火を使う娘の魔法にはこちらの障壁が効くようです。ご用命とあらば万全の準備のうえ対応いたします」
ジェオルジーニは頷いて、少年王に言う。
「私は火刑が派手でよいのではないかと考えます。方法は他にも色々と考えられますが、とりあえずのところ、釈放は不可という方向でよろしいですね?」
良くも悪くも交渉は終わったかなと部屋のうちの者のほとんどが思ったところ、少年王は頷かなかった。彼はジェオルジーニに対し、淡々と問う。
「竜遣いは何もないところから竜を出せると聞いた。今は本気で抵抗していないだけなのではないか。もし、処刑の場で竜遣いが竜を出し、騒ぎになったらどうするのか」
今度はベルナルドが落ち着かない様子で前の方を見やる。ジェオルジーニが驚いた様子で言葉に詰まると、少年王は宰相の発言を待たず、前を向いて、さらに周囲を驚かせる内容をはっきりと宣言する。
「ルパニクルス使節団の請願を受け入れ、二名は釈放とする」
少年王の鶴の一声の後の流れは速かった。虚を突かれたジェオルジーニは寸の間固まりながらも、「承知いたしました」と王に礼をし、釈然としない顔つきのまましばらく考えて、魔導士長クローヴィエに向かって言いつける。
「クローヴィエ卿。【王国の監獄】へ向かい、囚人70番と71番をガラドニック伯爵に引き渡してください。くれぐれも人目につかないように」
呆然としていたクローヴィエは、慌てて「承知しました」と答えてから、ガラドニック伯の方を向いてこう言う。
「今使える車の定員は4名です。あなたと私と囚人二名で満員です」
伯爵は「そうですか」と答えてから少し考えて、部屋の後ろに控えている息子に言いつける。
「フォデル。ベルナルドとともに、客人を屋敷へご案内しなさい」
フォデルが「はい、そうします」と答えると、謁見はお開きとなった。謁見の間を出たところで、それぞれは話し合う。ガラドニック伯爵とクローヴィエは、後を振り返らずさっさと行ってしまう。ダリウス公爵もどこかへ消える。フォデルはベルナルドに言う。
「客人をご案内ってそれはいいんだけどさ、どうやって帰る? うちの馬車だって四人乗りなんだぜ。お客さん四人を先に行かせておれたちが歩くとしたって、着いてから誰が案内するんだよ。伝令の小姓なんかうちにはいないんだぞ」
ベルナルドは「ちょっと困りましたね」と言って考え込む。エディがフォデルに言う。
「おれは歩きでもいいよ。お屋敷がどこかは知らないけど、街の中にあるんだろ?」
それを聞いてフォデルは目を輝かせてこう言う。
「じゃあおれも歩き。戦士と魔導師で分かれようぜ。そっちの強そうな人の話も聞いてみたい。いいだろ?」
フォデルに聞かれたロランは、しょうがねえなと言って頷く。ベルナルドも言う。
「私もこちらのお二人にはお話ししたいことがあるので、それで構いません」
最初から馬車に乗るつもりでいたジャンとシルキアにも、異論はない。ベルナルドは二人に「馬車を出すよう伝えてきます。少々お待ちください」と言ってどこかへ消える。フォデルも「うちの車は古いけれど、馬はいいやつなんだぜ。それじゃあお先に」と言ってエディとロランを連れていなくなる。二人だけ残ったところで、ジャンはシルキアに聞く。
「振り返ったところには何があったか?」
シルキアは考えて答える。
「人形遣いのお兄さん」
ジャンは「黒い服を着た人形遣いか?」と尋ねる。シルキアは「そう」と頷いてから、少しして楽しげに笑って言う。
「人形遣いはわたしの前にもいた。最後のはわたしの王様がやったの」
するとジャンは残念そうに言う。
「あれは、あまりうまくできなかったな。少し不自然であった」
シルキアは静かに首を横に振って言う。
「それでもわたしの王様の方が強い。でもお人形さんは少しかわいそう」




