VI. Apprêter
ミラベルはサンドラの後を追いながら、この先のことを考えていた。飛竜の【影】三体からガラス玉を取り戻すというのは、どのくらい難しいことなのだろうか。ミラベルはそのままサンドラに聞いてみることにする。
「サンドラ、飛竜の【影】三体って、どのくらい強いと思う? どのくらい難しいかしら」
サンドラは答える。
「貴女は飛竜を見たことがないものね。見た方が早いと思う。私のガリーナと戦ってみて、どんなもんだか考えてみましょう」
それから、と言ってサンドラはミラベルに確認する。
「ミラ。貴女、電撃から身を守れる? 防御の魔法とか、何か使える?」
ミラと縮めて呼ばれたことにどきどきしながら、ミラベルは答える。
「身体の表面に薄く防護魔法をかけることならできるわ。金属に触ったときぱちっというやつ、あれも電撃の仲間でしょう? あれが嫌で練習したんだけれど、サンドラの言っている電撃に効くかはちょっと分からない」
サンドラは「じゃあそれも試してみましょう」と言ってから、ふふっと笑いながらミラベルに聞く。
「ドラって呼んでくれないの?」
ミラベルはちょっと赤くなりながら言う。
「これからはそう呼ぶわ。ドラ」
お転婆をするときのドレス——ウエストを絞っていない、膨らまないスカートのおとなしいドレス——に着替え、腰帯に杖を挟み、靴も長靴にして箒も部屋から持ってきたミラベルは、サンドラと一緒に、広い城の中のある一角の屋上に立った。風が強く吹き抜け、ここからは、城を取り巻く広い森もよく見える。サンドラは自分の横の何もない空間をミラベルに示し、「よく見ててね」と言う。ミラベルは注目する。注目していたはずなのだが、瞬きをした自覚もないままに、なにもなかった場所に黄色い飛竜がぱっと現れるので驚く。ミラベルは聞く。
「この子はずっとここにいたの?」
サンドラはいいえと笑って答える。
「ガリーナなら、ずっと私と一緒にいたのよ。出ておいでと言うと、こうやって姿を見せてくれるの。リノリアで人と結ばれる竜は、半分精神体だからね。さあ、さっそく上へ上がって、色々試してみましょう」
そう言うが早いか、サンドラは飛竜の背中に飛び乗り、さっと空へ飛び上がってしまう。ミラベルは慌てて箒に跨り追いかける。サンドラは見事に空中停止したまま、追ってきたミラベルに呼びかける。
「ミラ、なんでもいいから、私たちに攻撃してごらん。ミラの得意な魔法を使って。私たちを捉えられるかしら?」
それだけ言ってさっと遠ざかってゆく。それはすごい速度だ。ミラベルは杖を出して追いかける。飛竜はくるくると旋回する。飛竜がミラベルの射程に入ったと思ったとき、ミラベルは杖の先から高速の火球を打つ。打つ。もう一発打つ。だがどれも間に合わない。火球は空中で大きな音を立てて爆発する。飛竜は今度は高い空へ駆け上がろうとする。どんどん高度を上げる。ミラベルも追いかけるが、ある高度を境に箒が持ち上がらなくなる。ここがミラベルの限界なのだ。それを見て取ったサンドラは、今度は低い空へ降りる。ミラベルも降り、二人はまた同じ高さで対峙する。飛竜はまた旋回する。ミラベルは今度は、単発の火球ではなく連続する火炎放射を放つ。これは飛竜の尾を掠るが、サンドラは涼しい様子だ。しばらく同じような逃げるもの追う者の攻防を続けたのち、サンドラはミラベルにこう叫ぶ。
「私たちも攻撃するから、防いで!」
ミラベルは服と肌、箒の表面に防護魔法をかける。そして、竜って口から火を吹くんだっけ、と思いながら、サンドラが今いるところよりも高く登ろうとする。すると、目の前がちかっと眩く輝き、全身にばちんという強い衝撃を感じて箒の上でうずくまる。ミラベルはそのまま旋回し、飛竜の後ろに着こうとする。追いついて真後ろについて火球を放つ。少々小ぶりな火球だったせいか、飛竜は避けず、帯電して弾き飛ばした。空中で火球が爆発する。巻き込まれそうになりミラベルは慌てて進路を変える。と、再びに雷撃にあって、ミラベルは衝撃でくるくるとロールする。遠心力で頭に血が上る。回る視界のままようやく体制を立て直すと、サンドラはすぐ近くにいて、ミラベルの喉元にグレイヴの刃先を突きつけていた。刃物を喉元に突きつけられるなど初めてのミラベルは、ぞくっとして震えながら「参りました」と言う。サンドラはミラベルから刃先を離して言う。
「上と下から挟み撃ちにすれば、私たち二人でなんとかなりそうね」
二人はいったん屋上に下りて、作戦会議を始める。サンドラが言う。
「火炎放射はかなり強力だと思うわ。火で壁を作れば相手はそこを飛んでこられない。私も少しひやっとしたもの。火球は間に合わないのが難点だけれど、時間差で爆発させるのは考えて使えば使えるかもしれない。防護はぎりぎりね。あの防護魔法をずっとかけっぱなしにしておくことはできる?」
ミラベルは答える。
「できると思う。あれ以上強くすることはできないと思うけれど……」
口ごもるミラベルにサンドラは言う。
「帯電する飛竜の横を一緒に飛んで痺れないレベルなら大丈夫よ」
ミラベルは聞く。
「さっきは手加減して雷撃打ってくれたの?」
サンドラは、あれっ、という顔をして笑いながら答える。
「やだ、私、ミラに向けては雷撃打ってないわよ。帯電したのに巻き込んだだけでしょ」
それから真剣な表情で言う。
「空の上では、逃げてるときでも、敵がどこにいるかはちゃんと見なさい。死角が多いから目を離すととても危険なの。でも、相手の後ろに着こうとするのはいい戦法。真後ろは、相手にとっても死角だからね。ミラの場合真後ろに向かっても遠隔攻撃を放てるのは強みだけれど、それでもできるだけ後ろには着かれない方がいいわ。ミラだって、後ろに向かって攻撃を打つときは無理な姿勢になるでしょう。今言えるのはこのくらいかしらね」
ミラベルはおとなしく「はい」と言う。絶対にちゃんと覚えてできるようになって、当日はサンドラに認められたいと思う。サンドラは、ミラベルがしょんぼりしているのを見、表情を和らげてこう言った。
「私についてこられるだけでもミラはすごいのよ。私は、雷霆の中でも精鋭だからね」
サンドラとミラベルがいる屋上からはだいぶ離れた城内の一角を、説明係の女は煙色の女中に先導され歩いていた。ある扉の前で女中は立ち止まり、「こちらです」と女に言う。両開きの豪華な扉だ。女中は消え、女は扉をノッカーで四回叩く。応えはない。しばらく待つと、扉は開かないまま、廊下に煙色の従僕が現れて女に言う。
「お取込み中なので出直していただきたいそうです」
そして従僕はさらに付け加える。
「ご立腹のご様子でした」
女はため息をついて「承知しました」と従僕に答える。従僕はさっと消えてゆく。ここはシルキアの部屋である。ジャンが中にいることも分かっている。鐘を鳴らしてわざわざ使用人を呼び、出直すようにと言付けたのはジャンの方だろう。女はもう何度もこう言って追い返されている。どれだけ好き者なのだろうと女は思う。女の要件は【探索】の説明ではなく、デモンストレーションの課題についてだった。かなり危険な課題なのだが、彼らは一向に何か準備らしきことをする様子がない。それでよいのか様子を探ってくるよう上から言付かってきたのだが、彼らはこの有様だ。女は諦めて立ち去り、廊下には誰もいなくなった。
ロランが部屋に帰ってくると、ソファーになぜかエディがいた。ロランは「部屋を間違えてるぞ」と言ってよこす。エディは窓の方を指差してこう言う。
「さっきさ、サンドラとミラベルがあっちの空飛んでたぜ。なんか、ミラベルが負けてた」
ロランは言う。
「自分の部屋から見ろよ。ミラベルが負けてたって?」
エディは答える。
「練習試合みたいなのをしてたみたいだった。ここからじゃ見えないとこも多かったけど、明らかにミラベルが劣勢って感じ。攻撃一発も当たってなかったから。でもあの攻撃は当たったら死ぬよな。二人ともすごかった」
ロランがふうんと気のない返事をすると、エディはこう言う。
「なあ、おれたちもああいうのやろうぜ」
ロランは鼻で笑って馬鹿にしたように言う。
「俺がおまえと戦うのか? 武器の選び方も分からんくせに?」
エディは食い下がる。
「だから教えてくれよ。ロランだってちゃんと使える武器持ってきてるのか? いきなり来たんだろ」
そう言われてロランは少し考え込む。霧に巻かれてこちらに来たのは夜警中のことだったので、クロスボウとカトラスは持ったまま来ていた。だがその他は持ってきていない。予備の矢と刃を研ぐ鑢を持っていたのは幸いだったが、小型のナイフの類は置いてきてしまっている。説明係の女が言っていた、『必ず命中するクロスボウ』も気になる。できれば必ず命中するよりも、矢のいらないクロスボウがあればいいと思うが、それは無理だろうか。刃こぼれしないカトラスもあったらいいと思う。ロランはエディに「武器庫へ行くぞ」と言うと、机の上の鐘をちんちんと鳴らした。煙色の従僕が部屋の中に現れると、ロランは「おれとこいつを武器庫へ連れていってくれ」と言う。従僕は「かしこまりました」と言って部屋を出、先へ進む。ロランとエディはその後へ続く。ある狭い階段を上りその先の扉を開けると、そこが広い武器庫だった。武器庫の入り口には
エディやロランの部屋と同じくらいの広さの空いた空間があり、その先とは柱で区切られている。柱の向こうは向こう側の壁が見えないほど広い部屋で、立ち並ぶ柱の合間に様々な武器が並べられている。望みのものをすぐに探し出せるよう、灰色の奇妙な服を着た係の男が、入り口の居心地のよさそうな空間で椅子に座って控えていた。男は立ち上がり、一礼して言う。
「いらっしゃいませ。私はルパニクルスから派遣されております武器庫の係のものでございます。本日はどういった武器をお求めでしょうか」
ロランは言う。
「鈍らないカトラスと矢のいらないクロスボウ、それからこれくらいのナイフを一本をくれ」
ロランが何を言われるかと待っていると、係の男は「承知いたしました」と言ってぱちんと指を一つ鳴らす。すると煙色の女中が現れ、武器庫の奥へ消えて行く。係の男は「武器庫の刀剣類のほとんどは、刃こぼれのしない永久品です」と言ってからエディに問う。
「ロンバート様はいかがなさいますか」
エディはちょっと情けないなと思いながら、ロランの方を見る。ロランは少し考えてから、エディの代わりに答える。
「取り回しやすいショートソード、刃こぼれしないやつを一本と、『必ず命中するクロスボウ』をくれ」
係の男は「かしこまりました」と言い、先ほどと同じことをする。エディが「必ず命中する矢がいらないクロスボウはないのか?」と聞くと、係の男は「申し訳ありませんがご用意がございません。どちらもたいへん貴重なものですので、どうかご容赦願います」と言って頭を下げる。そうこうするうちに頼んだ品物が二人の女中によって運ばれてくる。二人はそれらを受け取り、武器庫を出る。エディがわくわくしながら言う。
「試そうぜ。ほんとに命中するかどうか。剣の使い方も教えてくれ」
ロランは「分かってるよ。場所を思い出すからちょっと待て」と言い、考えながら歩き出す。エディは黙ってついていく。しばらく歩いて辿りついたのは、ミラベルとサンドラが少し前までいた一角の屋上だった。もうすぐ日が暮れるところだ。ロランは『矢のいらないクロスボウ』を見分しながら言う。
「矢をつがえなくていいっていうのはどういうことなんだ。それじゃ使えないだろう。こういうことか?」
ロランは間抜けを承知で、弓を思い切り引き矢をつがえる真似をしてみる。すると手ごたえがあり、なにもないところに弦が固定される。ロランはそれを構えてみて、台座に刻まれた印を頼りに適当なところに狙いをつけ、引き金を引いた。普通のクロスボウに矢をつがえて撃ったときと同じ手ごたえがあり、確かにに何かが夕空の彼方へ飛んで行った気がするが、見えないので確信が持てない。ロランは言う。
「ここじゃ狙うものがなさすぎるな。おまえのも今試しても無駄な気がするが、とりあえずやってみろ」
ロランはエディに矢のつがえ方と構え方を教える。エディは弦を引くときの固さに驚きつつ、見よう見まねでやってみる。ロランに「よし、そのまま引き金を引け」と言われ、エディはどきどきしながら引き金を引いた。今度はしっかり見える矢が、弧を描いて飛び屋上に落ちた。エディは興奮して言う。
「飛んだ飛んだ。すごいな。しかもこれ、必ず命中するんだろ? おれは無敵だな!」
見ていたロランは冷静に返す。
「『必ず命中するクロスボウ』でなきゃ当たらねえだろうな。引き金を引くときは、引く指以外は動かすな。クロスボウは装填する時間のロスがあるから気をつけろ。おまえのそれはここぞというときに使え」
するとエディは剣を鞘から抜いて言う。
「なら剣の使い方も教えてくれよ。この剣すごく格好いいよな!」
確かにエディに渡された短めの片手剣は素晴らしい品物だった。鞘から抜かれたまっすぐな刀身は諸刃で、銀色に輝いて冷たい気配を纏う。ロランはそれを見て「抜くときに自分の手を切るなよ」と言い、自分もカトラスを抜く。暗くなってゆく空を見ながら、ロランは言う。
「地下牢なんてどうせ暗がりだ。お互い夜目が効くんだから問題ねえな。仕方なく教えてやるからちゃんと覚えろ」




