音物石
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うわっ、びっくりした。最近のゲームって、キャラがしゃべるのね。
――何よ、その「世代間格差を感じる〜」とでも言いたげな目は。
あなたもどちらかといえば、ボイスなしのゲームに慣れ親しんでいるクチじゃなかったっけ?
漫画と同じで、登場人物の声は、脳内での再生が当たり前。それらの作品が、いざゲーム化、映像化された時に、自分の想像上の声と合致しているか否かは、原作を気に入っている人としては、作画と共に、気にする点だと思うのよ。
私が学生の時、周りに結構いたわよ、声優を目指すと言っていた子が。そのうちの何人かは、実際、今もアニメの端役とかで名前見かけて、「頑張ってるなあ」と感じること、しばしばよ。
声、ひいては音って、昔から活用されてきたものだし、まだまだ明かされていない神秘もたくさんあるらしいわ。私の友達も、それに関する不思議な体験をしたのだけど、聞いてみないかしら?
友達は中学生時代の一時期、パワーストーン集めに凝っていたらしいの。いくつか店を回ることもしたけど、直の天然物をゲットしようと、自分で発掘するのも趣味でやっていたとか。
ある時、赴いた晶洞のひとつで。友達は白い雲母の中に混じって、黄色い光を放つ塊を目にしたの。
一見、「コハクかな?」と思ったみたい。樹液が空気を閉じ込めたことを示す白いあぶくが何個も、石の内側に浮かんでいるのが透けて見えたから。
その塊を、友達が手に取った時。
一瞬だけ、耳鳴りがしたらしいの。
「耳鳴りがする時は、この世ならざる者が、近くに迫っている証拠である」。ずっと前に聞いて、それをかたくなに信じている友達は、今日の収穫を抱えて、足早に晶洞の外へ逃げだしたとか。
この時、まだ友達はそのコハクもどきのことを、コハクのひとつとしか思っていなかったそうね。コハクはパワーストーンのアンバーを指す。身体に生ずるエネルギーの循環と活性化の助けになるし、持ち歩けば魔除けになるという話もあった。
ラッキーアイテムとして、友達はほぼ毎日、服のポケットの中へ忍ばせつつ、表面のお手入れも頻繁に行っていたそうよ。
異変に気が付いたのは、発掘から10日あまりが過ぎたころ。
友達はコハクもどきを取り出す時に、しばしば静電気が走るのを感じ始める。コハクが静電気を帯びる性質を持つのは、知られていること。ギリシャで「電気」を意味する、「エレクトロン」がコハクの呼び名であるくらいなのだから。
必要経費だと思いながら、ぬるま湯と柔らかい布を使って、丁寧に表面をメンテナンスしていく友達。けれど、日頃から目にしているからこそ、察することができる変化があった。
石の内側に浮かんでいる無数のあぶく。そのうちのひとつが、すっかり消えてしまっているの。中に閉じ込められた空気が抜けたと考えるべきでしょうけど、コハクもどきの表面を丹念に探ってみても、小さなキズひとつ見当たらないし、触らない。
消えたのが一個か二個だったら、数え間違いで納得していた、と友達。けれども時間と共に、あぶくたちは目減りしていく。それに加えてもう一点、見過ごせない事態が起こり始めたの。
それは自分の声。友達の声は、自分が知るものでなくなり出したそうなの。
自分が発し、身体の中で響いているのを聞く分には、特に変わりないと思っていた。ところが、まずは家族が「風邪でも引いたんじゃない? 声が変な感じよ」と指摘してきたの。彼女は熱とかだるさとかの自覚症状がなく、にわかには納得できなかったけど、頻繁にうがいをすることにしたそうね。
けれども、この声の変化はやがて学校のクラスメートたちに知られるほど、明らかな変化となっていった。最初のうちは声の違和感を進んで伝えてくれていたクラスメートたちだけど、そのうち、呼び掛けただけでは誰も反応を返してくれなくなる。
聞き慣れない声で、とっさに友達のそれだとは思わなかった、というみんなの意見。相変わらず、自分が自分で聞く分にはおかしいとは感じない。「みんなにはめられているんじゃ」とさえ考え始めるほどになり、思い切ってケータイで録音した声を流してみて、愕然としたみたい。
元々の友達の声は、それなりにきれいなソプラノで通っていたし、自分でもひそかに誇らしく思っていたそうよ。それが今では、2オクターブくらい低めで、アルトまっしぐら。これまで作ってきた清楚系お嬢様キャラとは程遠い、だみ声で子供や旦那を叱り飛ばす、肝っ玉母ちゃんに近くなったとは、友達の談。
――これじゃあ、人前で口をきけたもんじゃない。
友達はそれから、毎日、マスクを着けるようになり、めったなことでは人と会話をしないよう心掛けるようになったとか。
それから数ヵ月後の休日。友達は色々なパワーストーンの力に頼ったけど、いまだに自分の声を満足に治すことができずにいた。その日も遠くの店まで出かけて、電車で帰ってくるところだったの。
車内の座席は埋め尽くされていたけれど、立っている人はそこまで多くない。
座っている人は、そろいもそろって顔をうつむけ、「寝入っていますよ」と言わんばかりの姿勢。服からのぞく手は、土方の仕事をしていたのか、ところどころで皮がむけて、指の間や爪の中に湿った土がこびりついている。
急行の電車を使っていたとはいえ、停まる駅では停まる。降りる人はほとんどおらず、またいくらか人が乗車してくる。
そのうちのひとりが、他にも空いたつり革がたくさんあるにも関わらず、友達のすぐ隣のものに掴まってきた。
「気持ち悪いなあ」と、友達は相手を横目でにらみつける。よれよれで、ところどころ虫が食ったトレーナーを身に着ける、四十絡みの男。髪は、泥の海を泳いできたのか、といわんばかりに、固まった土がフケのようにこびりついていた。つり革を握る手は、一部の座っている人と同じように、傷と黒みが目立っていたし、ちょっと意識を凝らすと、マスク越しにもほんのり臭う。
生理的に無理。彼女がさっさと別の車両へ移りかけて、ふいに鼻の奥がムズムズした。導かれるまま、そのままくしゃみ。マスクをしていても、いつものくせで手を押さえてしまう。
その手を、むずっと横合いから掴まれる。思わずそちらを向いて「ひっ」と声をあげかける友達。
掴んできたのは、すぐ隣のつり革の主だったけど、その顔は左右で目の位置が、上と下に大きくずれていたの。鼻も口も、渦に巻き込まれたかのようにねじれながら、本来あるべき位置から大きく外れてしまっている。
福笑いだったら、まだいい。でも、実際に肉がついていたら、怖さが勝る。
「ようやく見つけた、姫……」
ほぼ垂直に突き立つ口から、漏れた声。その野太い声は、映画で聞く悪役そのもの。
友達は反射的に腕をもぎ放つと、閉まりかけのドアへ一直線。身体を無理やり外へ出そうと、ねじ込んだの。
脱出しきれなかった。右足が強く挟まれ、ホームに敷いてある視覚障害者用の黄色い点字ブロックへ、顔をしたたかに打ち付ける。
電車のドアがいったん開き、「駆け込み乗車はご遠慮ください」の声。
――どう見ても、駆け下り降車でしょう。お馬鹿!
友達は一気に足を引き抜いたけど、痛みにひるんではいられない。
あのつり革に掴まっていた客が、こちらへ降りてこようとする。それだけじゃなく、座席に座っていた者たちも、軒並み立ち上がり、更に他の車両のドアからもちらほらと足がのぞく……。
友達の判断は早かった。目前の柵へ飛びつくと、それを乗り越える。簡素な屋根だけの、がらがらな駐輪場を突っ走って、外へ飛び出したわ。
ここは閑散とした田舎のひと駅。自分の家までは、まだだいぶ距離がある。
しかも日ごろの運動不足がたたって、まだロータリーを抜けていないうちから、息が切れてきた。
タクシーを。そう思って乗り場へ急いだ友達は、折よく停まっていたタクシーへ乗り込もうとして、息を呑む
電車の中で隣り合った男と、ほぼ同じ姿格好の男が、後部座席に座っていたの。それでいてタクシーは発進せず、ドアを開いたまま待っていた。「姫」とまた、不格好な口がうめいた。
踵を返した友達。もしタクシーで追いかけられたら、逃げようがないと、ついタクシーへ目をやってしまい、前方不注意。
どん、と誰かにぶつかり、尻もちをついてしまったの。相手を見上げて、友達は泣きそうになった。
三度目の対峙。車内で隣り合わせ、タクシーの中で待ち伏せて、そして今、正面に。
「姫、姫。そのお声、間違いない。なにとぞ、なにとぞおそばに……」
かがみながら汚らしいその手を伸ばしてくる、不格好な男。友達は尻もちをついたまま後ずさろうとして、ころりと上着のポケットから転げ出たものがあったの。
あのコハクもどき。すでにあぶくがほとんどなくなってしまっていても、友達はずっと身に着けていたもの。
男の視線が、コハクもどきへ逸れた。そこで友達はようやく、あのコハクもどきが変声に関わっていたんじゃ、と思い当たったそうね。
男は離れていく友達を見向きもせず、転がったコハクもどきを拾い上げると、両手で包み込みながら、愛おしげにほおずりする。
「ああ、姫、姫。おいたわしや……今度こそおそばで、永久にお仕えいたしまする」
言葉を紡いだ次の瞬間、男の姿は消えて、彼がいたところには、腐臭を放つ、こんもりとした土の山が残っているばかりだったとか。
「私が掘り出したのは、あの人たちが仕えていた、姫の声を封じ込めたものだったんだと思う。生きている時はもちろん、死んだ後のものでさえも……。
もしかしたら彼らは、離れていってしまった姫を追って、ここにやってきたのかもしれない。そうだとしたら掘り起こしたりせず、何百年も、何千年も一緒にいさせてあげるべきだった」
友達はそう語って、パワーストーンに頼ることは、ぱったりとやめてしまったそうよ。