表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

約束の金木犀《The Promise of Fragrant Olive》

薄暗い夜道を歩く中、僕はよく通っている公園にたどり着いた。

孤独と空虚に満ち溢れた僕は、木のベンチに腰掛けた。

少し冷たい感覚がお尻に伝わり、体が少し震えた。

すると、僕は目の前に立つ苗木を目にする。

公園の真ん中にあるそのちっぽけな苗木は、その身に似合わない程の香りを放ち、僕を誘う。

か細い枝に成る、その黄色く若々しい花が彼女の笑顔を思い起こさせた。

紅葉が降り注ぐ中、回想にふける僕。

覚悟を決め、僕はベンチから立ち上がる。


「君との約束、果たすよ」


僕は、手に持っている縄を近くの木に掛けた。そこに程よい大きさの輪っかを作り、首元に掛ける。

急に寒さを感じたかと思えば、意識が遠のいていくのを感じた。目を閉じてしまえば、僕の心が灯す小さな蝋燭が消えてしまうような感覚に襲われるが、それに抗うこともできず、僕は瞼を閉じた。


太陽の真下、蝉の鳴き声が耳を劈く中、僕は気分転換に公園へと向う。

期末テストも終わり、全ての科目が終わったかと思いきや、大量の宿題が出されるのが日本である。


一年前に新しくできた公園、よく僕が通う場所である。

ちょっと前までは新緑が茂り、涼しげな空気とともに優雅な一時を味わえたのだが、今は違うらしい。

できたばかりの頃は、人が多く集まっていたが、この頃はそんなに多くない。ちらちらと老人が散歩をしているのがわかるくらいだ。多分、子どもたちは家族揃って大きな公園にでも行っているのだろう。


僕はいつも座るベンチに向かう。すると、そこには先客がいたようだ。

小柄な体に大きな瞳、透き通った髪の毛を持つ少女がベンチを占領している。

何故、公園にあるようなベンチが少女一人に占領されるかって? それはもちろん、彼女が横になって寝ているからである。

小さく寝息を立てていた彼女は、近寄った僕の足音に気づいたのか、むくりと起き上がった。


「あら、こんにちは」


目をこすりながら、可愛らしい声でこちらに挨拶を交わした少女。

彼女は少しベンチの左側へと寄ると、右手でぽんぽんと開いている方を叩いた。


「座っていいの?」

「勿論」


木漏れ日が刺す、周りよりも少し涼し気なベンチで、足を揺らす音だけが聞こえてくる。

特に喋ることなんてない。

そんなことを思っていると、彼女から僕に声をかけてきた。


「ねえ、君もよくここに来るの?」

「ああ、学校から帰ったらいつもここに来るんだ。夏休みだから今日は早めってわけ」

「なるほどね」


時折吹く風が木々を鳴らし、気持ちがけが涼しく感じる。

口を閉じ、下を向く僕だったが、彼女の方を見てみると、彼女は木々が奏でる演奏を感慨に浸っていた。


「どこの学校行ってるの?」


僕は勇気をだして言ってみた。

すると彼女は思いもよらない言葉を放った。


「行ってない」


その言葉には少し寂しげな気を感じた。

しかし、彼女の顔は変わらず笑顔だった。


「学校行ってないのが、そんなに変なことかな?」

「そういうわけじゃないんだけど…… もしかして、複雑な事情とか?」

「えー、どうしても言わないとダメ?」

「いや、特にそういうのじゃないんだけど」


彼女はベンチから飛び出し、握っていた麦わら帽子を頭にかぶった。


「じゃあ、内緒で」


彼女は立ち上がり、少し風を感じた後、もう一度座り直した。

今度は僕が立ち上がり、ある場所へと向かう。


「どこへ行くの?」


彼女がそう答えると、僕は無言で立ち去り、自販機で二本の緑茶を買った。

ベンチの方へと戻ってみると、彼女は「あ、戻ってきた」と言わんばかりの顔をしていた。

隙を突いて、彼女の頬にペットボトルを当てると、可愛らしいで悲鳴を上げた。


「ありがとう」


渡したペットボトルを一目散に開けた彼女は、ひと目を気にせず豪快にそのお茶を飲んだ。


「そんなに喉が乾いていたの?」

「当たり前じゃない、ずっとここで寝てたんだもの」


改めて彼女の方を見てみると、白色のワンピースが少しだけ透けていた。

自分もそろそろ家に帰ってシャワーでも浴びよう。


「暑いし、そろそろ帰ろうかな」


僕はそう言うと、彼女は嫌そうに言った。


「えぇー、もう帰っちゃうの?」

「今日は暑いし、また明日来ようかな」

「じゃあ、約束ね? 明日絶対に同じ時間にここで集合ね」


輝く彼女の目に、僕は否定できなかった。


「はいよ、じゃあまた」

「また明日!」


大きく手を振る彼女の姿は、何故か少しさみしそうに見えた。


しかし、次の日、彼女は公園に来なかった。

何か急用でもあったのかな? 僕はそう思った。

そしてまた次の日、今日もこの公園へとやってきた僕は空席のベンチへと座る。


「今日もいないのか……」


そうつぶやくと、後ろから茂みの揺れる音がした。

僕は振り返らずにいると、急に目の前が暗くなった。


「さて、私は誰でしょう?」

「『彼女』でしょ?」

「大正解!」


僕は後ろに振り返ると、そこには笑顔の彼女がいた。


それからと言うものの、僕は毎日この公園に通っていた。

彼女が来るときは必ず次の日も来るようにと約束を交わしていたが、決まって約束を破るほうは彼女であった。

そして、気づけば僕は、彼女の虜になっていた。

彼女の笑顔には釣られて僕も笑顔になれるし、彼女の振る舞いは僕の疲れきった心を癒やしてくれた。

時折見せる寂しげな雰囲気には、少々気にかかることもあるが、あまり気にしていない。


ある日のことだった。

彼女が唐突に「金木犀」を見てみたいと言い出したのだ。

僕は金木犀が何かすらも知らなかったので、彼女に聞いてみるが、彼女はいい匂いがする花だとしか知らないらしい。


「金木犀か……」


僕はその日家に帰ると、一目散に金木犀のことを調べていた。


9月中旬から10月下旬まで咲く花。

独特な匂いを発し、昔は香水の原料としても使用されていたらしい。

中国の方では実も成るらしいが、輸入されてくるものには成らないらしい。


次の日のことだった。

珍しく2日連続で公園にやってきた彼女は、いつもよりも笑顔で、それでいて元気な声で話しかけてきた。


「金木犀がこの公園に植えられる予定なんだって!」


思いもよらない事にはしゃぐ彼女。

それを見て僕は笑みを浮かべていた。


彼女の言っていることは嘘ではなさそうで、時折見かける老人たちも金木犀の植木が植えられることに楽しみを覚えていた。


一週間後、無事に金木犀はこの公園にやってきた。

植えられた当日には彼女は来なかったものの、次の日には金木犀の前にしゃがみこんでいる彼女の姿があった。


「ねえねえ、いつ咲くのかな? 楽しみだね」

「多分、あと一週間もしたら咲くんじゃないかな?」

「じゃあ、今日から毎日水あげない?」

「多分毎日係の人があげてると思うから、あげすぎると腐っちゃうんじゃないかな?」

「そっか」


にこやかな表情で鼻歌を歌いながら、彼女は肩を揺らしていた。


これから毎日、彼女とこの金木犀を見るのだろう。そう、思っていた。

しかし、不幸は突然訪れるのであった。


次の日、公園へ足を運ぶと、看護婦の服を着た人物に腕を引っ張られている彼女の姿があった。

必死に抵抗している彼女であったが、僕がいることに気づくと笑顔を作った。

その瞬間、彼女は看護婦に掴まれていた手を振りほどき、僕に抱きついてきた。


「実は前から内緒にしていたことがあるの。実は私、病人なの。それでね、毎日、隙きを見計らってここまで来てたんだけど、遂に見つかっちゃってね…… もう私、ここには来れないかもしれない」

「なんだよ急に…… そんなこと言われても」

「今まで私と付き合ってくれて本当にありがとう。短い間だったけど、本当に楽しかった」


かすれた声で話す彼女、僕の服はびしょびしょに濡れていた。

不安な気持ちが湧き上がり、僕は唐突に答えた。


「また、会えるんだよな?」


すると、彼女はくしゃくしゃになった顔で満面の笑みを浮かべ言った。


()()()また、会える日が来るよ! そしたらまた二人で、ここの金木犀の木の前で集合だね!」


その日の夜は、何も考えることができず、ベッドの上で横たわっていた。

すると次の日、ある人物が僕の家にやってきたのだ。昨日の看護婦さんだった。

どうして僕の家がわかったのかは知らないが、どうやら彼女が病室に僕を招待したいらしい。


慌てて準備をして、用意されていたタクシーに乗った。

降りる際にはお金を払おうとしたが、看護婦さんに拒否されてしまった。これも全て彼女のおごりだそうだ。


しばらくすると、タクシーは目的地についた。そして僕は建物の中に入った。

久しぶりに匂う、独特な香り。

今までほぼ毎日会っているはずなのに、これから彼女に会うのだと考えると、胸の鼓動が高鳴った。


看護婦さんとは病室の前で別れた。どうやら僕達を二人だけにしてくれるらしい。

そっと病室のドアを開けると、薄暗い廊下が太陽の光に照らされた。

個室の一角に、『彼女』の姿があった。

懐かしい彼女の寝顔。そのあどけない表情に、少し胸がドキドキした。

小さく寝息を立てていた彼女は、近寄った僕の足音に気づたのか、むくりと起き上がった。


「あら、こんにちは」


目をこすりながら、可愛らしい声でこちらに挨拶を交わした彼女。

彼女はベッドから起き上がると、右手でぽんぽんと開いている方を叩いた。


「座っていいの?」

「勿論」


静かな病室で、足を揺らす音だけが聞こえてくる。

特に喋ることなんてない。

そんなことを思っていると、彼女から僕に声をかけてきた。


「ここに来てくれてありがとう」

「それは、君に呼ばれたからね」

「そっか」


いつもの様ににこにこと笑う彼女。

そこにはいつも感じられていた寂しそうな雰囲気がなかった。

その笑顔に僕も笑顔で返した。


「君ならいつでもここに来ていいからね」

「うん、でも家から結構遠いし…… ていうかどうやって公園まで毎日来てたんだ?」

「そりゃ、タクシーに決まってるでしょ?」


毎日タクシーを使えるほどのお金がどこから湧いてくるのだろうか。僕は不思議とそう思ったものの、いつも着ていた服からなんとなく察しがついた。


その後僕と彼女は辺りが暗くなるまで話した。

今まで起こった楽しい出来事や、悲しかった出来事、少し恥ずかしかった出来事。全てを話した。


時間も時間だったので、ようやく帰ることを決めた僕。

僕は彼女の面と向かって話した。


「早く元気になれよ」

「勿論!花が咲くまでは死ねないしね!」

「冗談でもそんなこと言うなよ」

「そうだね」


夜の静寂に聞こえる、小さな笑い声。

月明かりを後ろに、嬉しそうな彼女。

彼女に手を振り、病室を出る。

タクシーに乗る直前、窓から彼女の姿が見えた。

そこにはなんとも言えない光景があった。


笑顔で泣いている彼女の姿。

それは僕と永遠の別れを告げるような気がした。


一週間後のことだった。

天気が良かったので、近くの花屋さんで小さな金木犀の植木を買い、彼女の元へ行くことにした。

タクシーを呼び、病院へと向かう。

病院へ着き、彼女の病室へと向かおうとした。その時だった。

近くにいた看護婦さんに呼び止められたのだ。


そして、僕は告げられた内容に絶句した。

そう、彼女の()だ。

最後に彼女とあった一日後の朝のことだったらしい。

朝食を運んできた看護婦さんが、眠りながら静かに息を引き取った彼女の遺体が発見された。

担当の意思によれば、既に彼女には余命の宣告をしており、彼女もそれを理解していたらしい。


静かな病院に、鉢の割れる音が響いた。

それと同時に、僕の顔が大量の涙が溢れ、病院から走り去った。


僕は何も考えずに走り続けた。どこまでもどこまでも。

すると、頭のなかにある一つの約束を思い出した。

僕は迷わずホームセンターに向かい、残り少ない手持ちのお金で必要なものを買った。


タクシー代も電車代もなくなってしまった僕は、ふらふらとある場所へと向かう。

薄暗い夜道を歩く中、僕はよく通っている公園にたどり着いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ