第3話 巨大な蜘蛛の巣
バイクに乗った黒い制服の少女がいた。
青いヘルメットから伸びた茶髪の長い髪の少女はバイクを運転している。
水路の通う美しい街並みの中で少女は煉瓦調の舗装路をバイクで通過していく。
客を乗せたゴンドラが進んでく真横を走行する少女は、
遠くの建物に白い糸の様な物が伸びている様子を見ると橋を渡る手前で急停車した。
橋の向こうでは中央に噴水があり、
その辺りには綺麗に植えられた花壇と憩いの場として設けられたベンチが設置されている。
そしてその場所を中心には巨大な蜘蛛の巣が出来上がっている。
蜘蛛の巣を見上げた少女は「………私のせいだ…。」と呟いた。
再びアクセルを回してクラッチを噛み合わせる少女はバイクを動かすと橋を渡り、
中央の噴水の前で止まった。
その奥では4台のパトカーが止まっていたからだった。
既に噴水の反対側では制服を着た人々が光の弾を発射する銃で何発も何発も空に向かって連発している。
その度に蜘蛛の糸は千切れるが、
蜘蛛の巣の中心から新しい蜘蛛の糸が放出されていくと1人の制服の男性は「これじゃあキリがないぞ!」と言った。
「蜘蛛の巣の中心を狙うんだ!怪人を直接狙うしかないぞ!」
他の男性がそう叫ぶと蜘蛛の巣の中心に掛けて集中的に糸が千切れていくが、
何重にも重ねられた糸で出来た蜘蛛の巣は壊れることなく範囲を広げていく。
その度に糸は「バリバリバリ!!!」と音を立てて、
壁に張り付けた糸を強引に弾く様にして引き千切られる。
その時「…やめてえぇえええ!!!やめてよぉおおお!!!!」という声が聞こえてくる。
幼い子供のような良く響く高い声だった。
そこには小さな少年が立っていたのだ。
その幼い少年を見た少女は慌てて噴水から少し離れた位置までバイクを発進させる。
叫び続ける幼い少年は眉をハの字にさせて不安そうに空に向かって、
「こんなことしたら!皆の住む場所がなくなっちゃうよ!沢山の人が怪我するかもしれないんだ!やめてよ!!!」と必死に叫んでいた。
巨大な蜘蛛の巣を張った空には橋を渡った先の建物の屋根や民家の壁に向かって大量の糸を張り巡らされている。
そして蜘蛛の巣の影に映った蜘蛛の怪人は次々と空から蜘蛛の糸を放出して遠くに見える民家の屋根にべっとりと付着させる。
漸くバイクに乗って到着した制服の少女は、
慌ててヘルメットを外してバイクから降りると幼い少年の元へと駆け寄ろうとした。
するとその時、噴水の奥から全速力で走ってきた一人の背の高い少年が幼い少年に駆け寄ると「君!!!ここにいたら危ないよ!!!早く逃げよう!!!」と慌てた様子で言った。
少女よりも先に幼い少年の元へ駆け付ける人物が現れたのだ。
そこに後から走ってきた魔法使いのような格好の少女が背の高い少年の元へと駆け付ける。
ルル・フィリアと久遠彼方だった。
思わずルルを見掛けた少女は思わず「ルルさん…?」と声を漏らした。
ルルは茶髪の少女を見ると「あっ…アヤさん…!」と名前を呼んで駆け寄る。
2人の少女が互いに向かい合うと茶髪の少女は久遠彼方を見ながら「そちらの方は…知り合いですか?」と問う。
頷いたルルも彼方と幼い少年を見ながら説明をした。
「はい…。
彼は、例の事件の被害者でして…。
訳あって地球からこの星まで転送されてきたのです。」
「そうでしたか…。」
短く返事をした少女の視線を向けた先で首を振った幼い少年は「でも…!でも!!!このままじゃ!もっと大変なことになっちゃうよ!!!」と言った。
その返事に久遠彼方という名前の少年は「えっ…?」と不思議そうに呟いた。
彼方は子供の懸命で意固地な気迫に圧倒されてしまったのだ。
そういったやり取りしている間にパトカーが到着して、
2人の男女が降りると銃を空に向かって発砲する。
思わずそれを見た彼方は子供の手を掴んで「…そうならない様に皆、頑張ってくれているから。魔法使いの人達を信じよう…!」と呼び掛ける。
再び到着したパトカーから2人の制服を着た人が降りて光の銃弾を発射し始める。
それはまるで光の雨の様に蜘蛛の糸を1つ1つ引き千切る。
その度に蜘蛛の巣の影に映った怪人を追い掛ける弾丸が、
糸を千切ると住宅や壁が軋んでみしみしと音を立てていく。
思わずその音に警戒して幼い少年の身体を抱くように両肩を支えた彼方は、
辺りの住宅地を見た。
住宅の壁には亀裂が入り込む様子を覗うと、
彼方に支えられた幼い少年が言う。
「でもこのままじゃ!皆の家がなくなっちゃうよ!建物が壊れちゃうよ!
そうしたら…街も人も滅茶苦茶になっちゃうよ!!!!
僕、こんなの嫌だよ!!!
怪人が出る度に皆の住む町で戦争が起きるかもしれないのに…!
そんなの見ているだけなんて嫌だよ!!!!」
訴え続けるその子供は彼方に掴み掛かる様な凄まじい勢いで訴える。
「だって…!!!逃げたって何の意味もないんだもん!!!」
その言葉は彼方にとって胸に突き刺さるほどに決定的なものだったからだ。
「えっ…?」
思わず口籠る様に呟いた瞬間、
彼方という少年の脳裏にはある記憶が断片的にフラッシュバックした。
それは彼が地球で鎧の怪人の嬲られている光景だった。
(「おらっ!!!
おらっ!!!!
強い者が!!!
弱い者を犠牲にするのが!!!
人間の歴史なんだよ!!!
俺たち若者は…!
生まれた時から人権なんて無いようなもんなんだからさっ…!
何も出来ない奴らは黙って俺の思い通りに殺されていればいいんだよ!!!」)
危険に身を置きながらも、幼い少年の不安そうな表情と真っ直ぐに言葉を伝えようとする眼差しを見て思い詰める。
街が崩壊し、辺りには光弾が飛び交う中で自身よりも小さな幼い子供が、
自分を身を顧みずに言葉を伝えようと躍起になっているからだ。
そして幼い子供の背景には再び住宅の壁に罅が入り、
遠くの建物は壁が剥がれて崩落していく。
思わず視線を向けた先の黒い制服の人々は街が壊れながらも、
懸命に銃を撃って平和を維持しようとする。
眉間に皺を寄せて不安を募らせる彼方はその光景を目の当たりにして思い詰めた。
(街が壊れ始めていて…銃を撃っている人が沢山周りにいるのに…。
………確かにこれじゃあ、何の説得力もない…。
でも…、逃げないと巻き込まれてしまうかもしれないのに…!)
周囲の建物が崩落する広場に視線を送る彼方の戸惑いを他所に、
再び幼い子供は必死に呼び掛ける。
「このままだと…!
あの怪人せいでこの街が人を襲いやすいような場所にされて…!
皆が殺されるかもしれない…!はやく止めないと!」
まさにその通りだった。
何故なら彼は1度自分の死を経験しておきながら、
戦場と化した状況に身を投じておいて又もや同じことを繰り返しているのだ。
それは命さえ助かればそれで良いと衝き動かされているだけであり、
その大元は自分本位の考えを押し付けているに過ぎないのである。
つまり、自己満足で多くの命を救うことが出来る筈がないのだ。
根本的な問題解決にならない彼の行動そのものに意味などはない。
もはや返す言葉も見当たらない。
その子供の為になる選択肢が見当たらなかった。
(そうだ…。皆…戦っているんだ。誰かが悲しい思いをしない為に…。)
思わず封鎖されていく広場の中で銃を撃つ制服の人や、
付近の住民を避難誘導する姿を見て唾を飲む。
その光景はまさしく命があれば良いというものではなかった。
たとえ怪人という脅威から命からがら逃げ切れたとしても、
大切な人や居場所は残される筈がないのだ。
人の心に傷だけが残される。
それは根本的な問題の解決にはならない。
暴力や争い事は繰り返しに過ぎないのである。
それを地球という環境で身を持って知った彼方は、
自身がなんと無責任でなんと愚か者なのかを自覚する。
(それに比べて俺は何なんだ?
あの時…力に差があるから抵抗することを止めて。
頭も身体も動かなくなったから生きることも諦めて。
子どもが生きていても仕方ない世界だったから何もかも投げ出して…!
俺は生きていられればそれで良いと思っているだけで…!
俺は…自分の考えを押し付けようとしているだけだ…。)
呆然と壊れていく壁、指示を出しながら周りと連携をとる人々の姿を見詰めていると、幼い少年は「お兄ちゃん…?大丈夫?」と心配そうに声を掛ける。
思わず不安そうな顔の子どもを見た久遠彼方は、
はっと意識を取り戻した様子でその曇り顔を見た。
(自分と同じ思いをして欲しくない。
そう思うのなら、この子に俺と同じ事をさせちゃ駄目だ…。)
悩みを抱え込む久遠彼方は幼い少年の両肩に手を置きながら目を見て言った。
「…ごめんね。街が壊れるのに逃げてる場合じゃないよね。」
不安そうな表情を浮かべて小さく頷いた幼い少年を確りと見て彼方は「…そうだね。それを皆に伝えよう。」と言って2度頷く。
そこにその2人のやり取りを見ていた茶髪の少女が歩み寄ると、
「あの…そういうことでしたら、ここは私達に任せて下さい。」と呼び掛ける。
2人が茶髪の少女に視線を向けると近づいて屈んだ少女は幼い少年に、
「教えてくれてありがとう…!攻撃を止めて貰えるように私からお願いするから、貴方は一度お家に帰ってこの事を知らせに言って貰えるかな?」と話の終止に頼み事をするかの様に言った。
「きっと…お父さんとお母さんも心配している筈だよ!」
魔法使いと呼ばれる制服を着たその少女を見た彼方は同調する様に、
「ここはお姉さんに任せよう。」と言った。
理解を得られた幼い少年は「うん…。分かったよ。お姉ちゃん!ありがとう!」とどこか不安を残しながらも笑顔を浮かべて礼を言った。
彼方は「良かったなぁ…!」と言って小さな頭を撫でると、
「君の名前は?」と訊ねた。
幼い少年は「タクヤ。」と返事をする様に名前を言うと彼方は、
小さな手を握って立ち上がりながら「タクヤ君か!よし…!それじゃあ今のうちにここを離れよう…!」と言って手を引きながらその場を離れていった。
その様子を見ていたルルは「アヤさん。すいません…。私も失礼しますね!」と言って後を追い掛けようとする。
2つの背中を見送る茶髪の少女は、
「地球にも…心を大切にしようとする人がいるんですね。」と徐に言った。
「…ええ。
きっと、皆が皆…自分勝手な人ばかりじゃないのだと思います。」
頬を緩ませながらそう言ったルルは「では、また!」と言葉を残して2人の少年の後を追い掛けた。
続々とパトカーが到着する度に制服の人々が一斉に空に向かって銃を発砲すると、噴水の真上を中心に張り巡らされた糸が弾け飛んだ。
すると伸びていたゴムが千切れて弾け飛ぶ様に糸が一斉に切れると、
建物の壁や屋根に接着した部分に振動が伝わって建物に「ビキビキビキッ!」とひびを入れていく。
その音が噴水を囲うように聳え立つ高い建物から「バキバキバキッ!ベキベキベキッ!」と四方八方に弾ける様な音が鈍く広がった。
その様子を覗っていたアヤと呼ばれていた茶髪の少女は、
辺りを見渡しながら大きな声を出して言った。
「皆さん待って下さい!!!!
建物が壊れはじめてきています!!!!
市民を巻き込む危険があります!!!!
一度攻撃を中止して下さい!!!!」
その声が噴水の広場全体に響き渡ったと同時に周囲の建物が、
「ガラガラガラッ!」と音を立てて崩れる。
それに伴って「キィキィ!キィキィ!」と鉄筋が軋む音を立て始めた。
銃を撃っていた制服の人々にもその大きな音と声が伝わってくると、
一人の制服の女性が辺りの建物が一斉に壊れている様子を見渡して言った。
「確かに…その通りだよ…。
こんなことを続けているだけじゃあ!
ただ被害が大きくなって、
最終的には街で怪人と戦争を起こさないといけなくなる…!」
そう言った女性の言葉に制服の人々は銃を下ろしていくと、
各々に「他に何か方法はないのか…。」と声が飛び交う。
「でも…そんなことを言っている間に、
犠牲者が増えてしまうかもしれないし…。
そもそもあの蜘蛛の巣をどうにかしないと攻撃が当たらない…。
やっぱり…被害者が増える前に倒すべきなのか…?」
狼狽える細身の男性が蜘蛛の糸を張る怪人を見ながらそう言うと、
若い男性が躊躇する男女を交互に見て首を振って返事をする。
「いいや………。それじゃあ駄目だ…!
こんなやり方じゃあ…怪人は倒せたとしても、
大勢の人の命や心が傷付いてしまうだけだ…!
俺達は軍隊じゃない!
この世界の人間として…!
人の心を守るために戦うんだ!」
するとそこへパトカーから降りて駆け付けてきた中年の男性が若い男性の肩を叩きながら「そうだ!その通りだ!」と声高らかに言う。
叩かれた肩の方向を見て中年の男性の顔を見た若い男性は「警部…!」と呼んだ。
頷いた中年の男性は「すまない…。出動に遅れてしまった。」と渋みのある声で言うと辺りを見渡しながら大きな声で呼びかけた。
「作戦は変更だ!良く聞いてくれ!
今までは撃退で済ましてきてしまったが為に、
被害者を増やしてしまっていることを重々承知の上で言う!
やられる前にやるなどという考え方が当たり前になってしまったら、
我々は戦争をすることが目的になってしまう…!
しかし!我々の目的は戦争をすることではないだろう。
我々は国や街で戦争をするために戦っているのではない!
人の心を守るために戦っているんだ!
多くの人の心が傷付かない為にも!
我々は決してこの街を戦場にしてはならない!
その為にも街への被害を最小限に抑える為に!
奴をあの蜘蛛の巣から誘き出す作戦を用意した!
あの蜘蛛の怪人は蜘蛛の巣から糸を放出する時には、
必ず巣の僅かな隙間から糸を出すことが分かっている。
その瞬間を狙うためにも現在至急要請中の蜘蛛の巣を溶解する弾薬と
狙撃魔法銃を用いて応戦して貰う!
全員!
配置完了次第、武器まわりを確認し、
狙撃魔法銃の到着まで各班に分かれて広場の通路に待機してくれ!」
まるで演説のような説明と指示が終わると黒い制服の一同は「了解!!!」と声を揃えて各々の班に分かれて噴水が中心にある広場に入る通路を塞いだ。