第15話 変わりゆく運命
13時25分。中央区 大運河メル・グランデ。
中央区の街中からプゥゥゥゥゥ!と甲高いサイレン音が鳴り響く。
寄せては返す波打ち際の様に建物一階の窓辺まで小さな津波が街中に入っては戻ってと、浸水を断続的に繰り返す。
運河の水面には、崩れ落ちた建物の破片や折れ曲がった鉄骨が浮かび、瓦礫の山が航路を塞ぐように積み重なっていた。濁った水に油が混じり、波に揺れるたび虹色の膜がきらめく。警備艇の船体が瓦礫に擦れ、低いきしみ音を立てる。
「全員無事か!?」
甲板に立つヒイラギの声が、サイレンと水音にかき消されそうになりながら響いた。
「はい。バイクは全機故障ですが無事です。
ただ、アヤは一旦離脱した後、未だ連絡が取れません。
信号からキャッチした追跡履歴の位置では恐らく大聖堂に向かったままです。
目撃された飛行する紫色の光が聖堂方面に向かっていたので、
恐らくはそこへ向かったのだと思われます。」
雨の帳が遮る先。遠くにそびえる大聖堂の尖塔だけが、ぼんやりと影のように浮かんでいた。
「おい……!おい!君!大丈夫か!?確りしろ!」
「怪我をしている。腹に何か刺さったのかもしれない。」
瓦礫から引き上げられて2人の男性に両肩を支えられながら運ばれる背の高い少年。
隣に警備艇の甲板に横たわる青年を揺さぶる。
腹には刺し傷から出血して、破けた服が血で滲んでいた。
「どうした!?逃げ遅れた被災者か?」
隣の船に乗り移って声を掛けるヒイラギ。
介抱する男性は少年の顔を見て思わず「いや…………、確かこの人……。」と呟いた。
「クドウ・カナタ君だ……。」
顔をまじまじと眺めながら言い掛けた言葉が出てこない様子の男性に対して、ヒイラギが代わりに答えていた。
「彼のことだ。昨日の今日でまた事件に関わろうとしていたのかもしれない……。
このまま保護しよう。」
艇のエンジンが低く唸り、瓦礫の間を抜ける水流が船体を揺らす。
「負傷者と被災者はここで分かれて救急搬入とする!
遊撃班はこのまま警備艇で同行!
被災状況を確認次第、大聖堂まで直行し、魚の怪人の保護を優先する!」
「了解!」
隊員たちの声が重なる大雨の中。艇は進行した。
13時32分。中央区 アクア・マーレ聖堂前。
聖堂の中庭から広場へと駆ける2人。
魚の怪人が作り上げた大きな球体を背景に互いの武器を構える。
引き金を3回引き、白い銃から青い光弾が3つ連なって放たれた。
身体そのものを心臓の鼓動の様に上下に震わせる蝙蝠怪人は、
盾型の護拳を目の前で翳す様にして駆け出す。
護拳を反らして宝石の刃に接触した3つの弾丸が着弾すると、
紅紫色の波紋の様な光を放った瞬間――――紅紫に変色した弾が3つ連なって跳ね返っていた。
「反射……!?」
既に眼前まで戻って来た3つの返報。
マゼンタ色に染まって反って来た弾を思わず剣を翳しながら身を反らして避ける少女。
右方に移動することで左肩を掠める寸前で避けた彼女だったが、
駆け寄った蝙蝠怪人はすかさず短剣を翳しながら右手の細剣を突き出した。
咄嗟に翳していた宝石の剣でそのまま細剣の刃を弾き、ギィィッ!と耳障りな音が鳴った。
一歩引き下がりながら青い剣を振るうアヤに対して、
前に構えていた護拳付きの短剣で受け流し、休まず右の細剣で突きを繰り出す怪人。
下がって着地するアヤは右腕の動きを見ながら銃を向け、引き金を2回引く。
突き出しと同時に撃ち込まれた光弾が右の上腕を貫いて自然と右腕が後方に仰け反っていく。
「ぐぉっ……!?」
低く呻いた彼も3歩引き下がって距離をとる。
銃を構えて発砲を見計らったアヤに対して、光弾を反射する短剣を構え続ける蝙蝠怪人。
「成る程。良く見ている。」
睨み合う中、思わず言葉を溢していた。
(魔法少女――――などと揶揄されているが。
これが、今まで戦いに迷っていた少女の本気。侮る理由がない。)
しかし、距離を置いたところで双方にメリットはない。
少女が銃を撃てば反射され、怪人が詰め寄れば至近距離から銃撃と刺突が続く。
繰り返しの攻防よりも突破口を見出すために互いに武器を構えてにじり寄る2人。
(長引くほど負傷する危険が増すのならば……、ここで攻め切る――――!)
紅紫色に光る旋風を纏い、翼を広げた蝙蝠怪人。
思わず銃をホルスターに収めて左手でバックルを引き抜くアヤ。
「アンロック!」
咄嗟に口元に近付けて音声を入力した彼女は、ベルトの差込口に再装填をする。
「ACCELERATION」
旋風を纏う怪人に対して、青い稲光を纏う少女。
加速装置の作動によって全身に電光を纏い怪人の真正面まで急接近する少女。
しかし、目の前にいた筈の怪人が一瞬にして姿を消し、背後から巻き起こる風に振り返った。
「……っ!?」
頭上で浮遊しながら身体を捻って蹴りを繰り出す怪人。
「ふぅぅうっ!!!!」
瞬時に背後に浮遊して振り回された怪人の蹴り。
彼女が纏う電光を裂くように蹴りが空を切り、頭上から直撃する瞬間――――。
アヤの姿はそこにはなかった。
青い電子が迸る空間を蹴りが空を切る。
加速装置という瞬間的な移動が生み出した速度の視覚化。電子が残した残像だった。
次の瞬間には怪人の懐に青い閃光が走る。
「間に合わんっ……!」
至近距離から突き上げられた青い宝石の剣が、紅紫の旋風を切り裂く。
真正面に現れた青い閃光。
稲光を纏った剣が脇腹から突き上げられ、
肩口から翼を裂かれた怪人は、紅紫の残光を散らしながら墜ちていく。
加速したことで瞬時に懐に潜り込んだ逆袈裟切り。
「LOCKED FOR RECOVERY」
動作が止まったと同時に、ベルトの宝石が発光を抑えると、
アヤの身体を包んでいた青い稲光がバチバチと飛び散って消え失せる。
「RETRACTION」
落下しながらも片足で地を蹴り、旋風を纏って空へ浮かぶ蝙蝠怪人。
ベルトから停止音声が鳴ったと同時にバックルを装填した状態の宝石のスイッチを押し込むアヤ。
「ELIMINATION」
剣を鞘に収めて、浮遊する怪人を見据えて両手を握り込み構える少女。
そのまま駆け付けて跳び上がる彼女のブーツに備わった宝石が青く眩い光を放つ。
風を纏って浮かび上がった怪人よりも高く跳び上がり、落下する手前で宙返りして勢い付ける。
煌々と双眸を青く光らせて、青白い電熱を帯びた宝石のブーツの右足を突き出した。
「うぉおおおおぉおぁっ!!!!」
宙を飛び立って一時的に彼女の猛攻から逃れようとする怪人と交差する刹那、
青い流星の様に流れ落ちた渾身の跳び蹴りが胸部に叩き込まれた。
「ぐぉぅぅうぅっ!?」
嗚咽の様な苦悶と伴に胸に埋め込まれた紅紫色の宝石に亀裂が入ると、
路面に撃ち落された怪人はそのまま大の字になって倒れ込む。
蹴り付けた胸部に力を押し込めるように踏み蹴って着地した少女。
彼女の行動には既に迷いが無かった。
彼女を突き動かした情動によって迷いが決意に変わった戦いだった。
身体から青い粒子を溢す蝙蝠怪人が徐々に消滅していく輪郭を見詰めると、
仰向けになった彼の震える手が亀裂の入った宝石に触れた途端――――景色は上下左右に揺さ振られていた。
紅紫色の波紋が広がり、宝石は破裂したかの様に衝撃が走った。
広がる波紋に触れた空気や、地面、人や物が。
周囲の空間が歪んで見える程の振動を引き起こしていた。
「うわぁっ!!!?」
衝撃波の様な振動に思わず片膝を着いて倒れ掛かった身体を両手で支えるアヤ。
「重力波を送った。間も無くこの街の中心地点から沈んでいく。
君達に阻まれることを前提に、始めから囮として組織の捨て石にされていたのだ。
お互いに、時間の無駄だったな。
どちらにしても組織からの干渉は免れない……。」
胸に埋め込まれた紅紫色の宝石はドクン、ドクン、ドクリと心臓の鼓動を早める様に、
激しさを増して止まることなく彼の身体を上下に震わせていた。
「早瀬水希は救えない。あれが災害の発端だということを忘れたか?」
粒子を雪の様に溢して身体の輪郭を掠めて消滅していく怪人だったが、
宝石から解き放たれた紅紫色の光が波紋となって残っていた。
「…………まさか!?」
再び目に見える程に空間そのものが歪み、周囲の建物や景色が捻じり曲がった様子が視界を奪う。
視覚が揺れる中。
思わず辺りを見渡すと、波紋が放たれて振動が向かっていく先を眺めた。
「…………ハヤセさん……!」
先程の卵の様に彼女の身体を包み込む形状とは打って変わり、
見る見るうちに肥大化していく水の球体。
その中心で胸元から白い光を放ち、全身に白い電子を纏った人魚の怪人が自分の身体を抱きかかえる様に浮かんでいる。
チカチカと点灯する瞬きと伴に迸る電子が白い発光現象へと移り変わると、
水泡の水面には断続的な波紋が広がる。
まるで水泡そのものが巨大な心臓の様に波紋を広げてドッ、ドッ、ドクン、ドクリと周囲に音を響かせる。
紅紫色の波紋が齎した地響きに伴って地面がミシ、ミシと軋ませる振動音。
冠水して踝まで使っていた水がジャバジャバと水を左右に跳ね上げて激しい揺れと伴に、
増水して膨れ上がる水泡から水流が溢れ出していく。
紅紫色の波紋が大地を揺さぶり、轟音と共に地面が裂けた。
亀裂の入った広場の石畳がガタガタと揺れ、噴水の水が逆流するように跳ね上がる。
「うわあぁあっ!!!?」
立っていることがやっとの衝撃と振動を受けて怯んだアヤ。
聖堂の窓ガラスが共鳴し、カタカタと震えると、
次第の中庭の聖堂が大きく傾き、ステンドグラスが砕け散って光の破片が宙を舞う。
長い階段と開放的な無数のアーチで造られた入り口は崩れ落ち、
天使の石像は瓦礫の下敷きとなって埋もれていく。
周囲の建物が崩れ始めると広がる波紋と伴に地響きを立てて、地面に突き刺さる。
「……ぅっ!」
アヤは咄嗟に腕で顔を庇いながら、降り注ぐ破片の中で必死に踏みとどまる。
その瞬間、膨れ上がっていた水の球体が大きく脈動し、内部から白い光が弾けた。
水泡は破裂するように四散し、アヤの目の前で散った水が雨の如く降り注ぎ、魚の怪人が吐き出される。
「ハヤセさんっぅ!」
アヤは慌てて駆け寄り、濡れた身体を抱きとめる。
震えた身体で上体を起こす怪人。周囲の惨状を映し込んだ瞬間、怪人の声は絶望に染まった。
「……ぁぁ……!ぁあああ!!!!」
歪に捻じ曲がった空間によって崩れ落ちた聖堂。
耳を劈いていた濁流や地鳴りが過ぎ去る様に遠ざかっては、繰り返しの様に向かって来る。
付近で微かに聞こえるのは、瓦礫の隙間をサァァァァと流れる水の音。
怪人の視界はぼやけていたが、すぐ傍で身体を支えるアヤの姿が目に入った。
その奥の背景には、崩れた聖堂の尖塔の影と、割れた天使像の翼が残っていた。
瓦礫の山の中、崩れた聖堂の石材とステンドグラスの破片に囲まれた場所。
まるで、残骸の上に流れ着いた小さな島のようだった。
「……私が……やっぱり……原因なんだ…………。
もう、自分を……制御できないんです!体中で水を引き寄せているような感覚があるんです!
私がいる限り……全部、海に沈んでしまう……!」
呆然と眺めながら徐々に自身を責め立てる震えた声。
彼女の指先がアヤの胸元を掴み、必死に懇願する様に言った。
「それでさっきも!助けに来てくれた魔法使いの人達が!流された!
今なら間に合います!私を殺して下さいっ!!!!」
思わず怪人の手を両手で握り、必死に首を振ったアヤ。
「それは違います!貴女のせいじゃない!
貴女は私達と会った時から街の危険を知らせてくれました!
貴女は自分の意思で人を傷付ける人じゃないことぐらい分かっています!」
事情を知った上で説得される怪人は真っ当な見解に押し黙った。
落ち着きを取り戻しつつある彼女の手をそっと離したアヤは念を押すように伝える。
「聞いてください、ハヤセさん!
私は通報を受けて冠水した街の中でハヤセさんのことを待っているアメリアさんを保護しました。
喫茶店に現れた貴女を見た後、ハヤセさんの不自然な経歴から怪人であることを想定して捜査していることを伝えました。
それでもアメリアさんは、例え、ハヤセさんが怪人だったとしても信じていたいと言っていたんです!」
語りながら離された自身の手を見詰める怪人は、その鱗を纏った身体を見渡しながら徐に呟いていた。
「…………私が……怪人でも……。でもどうして、そこまで……。
怪人は……この世界で、数々の事件を起こしてきた犯罪者です。
その中で私も街中に被害を出して……。自分の力を制御できなかったのに。
アメリアさんは……良い人だから、そんな簡単に信じてしまっただけで……!
周りの人達はそうは思ってはいないと思います!
きっと私がいることで、悲しい出来事を思い出させてしまいます……!」
真っ直ぐに彼女の目を見詰めるアヤは深くはっきりと頷くと、
「確かに人から信用されることは簡単なことではありません。」と答えた。
「アメリアさんは確かに真っ直ぐな心を持った良い人です。
ハヤセさんのことを、自分の好きなことで人を幸せにすることが出来る凄い人だと、言っていました。
それでも貴女は自分の夢で誰かの居場所を作ってきたから人だから信頼されているんです。
お互いの夢を分かち合おうと約束したのは、アメリアさんが単純に良い人だったからではありません。
ハヤセさんが、怪人としてではなく、人として生きているから信じられるんです!」
鱗で覆われた両腕を降ろして「人として…………。」と思い詰めたように呟いたハヤセ。
そうして再び思い返したように顔を上げてアヤにぽつりと自嘲気味に笑って伝えた。
「そうだ。私……アメリアさんと約束していたことがあったのに。
どうして忘れてしまっていたんだろう…………。
あの人は、夢に向かって真っ直ぐに向き合っている人なのに…………。
それなのに私は……人として生きることを諦めて、
大切な人達のことも忘れてしまっていたんですね…………。」
怪人としてではなく、人として生きていたことを思い返す彼女の仮面からぽろぽろと涙が静かに零れ落ちていく。
それを見たアヤは真剣な顔付きを緩ませて優しく微笑むと、彼女が嗚咽を漏らす前に語り掛ける。
「人と人が分かり合うことって、周りの人達の為に自分が向き合って生きていくことから始まることだと、私は思います……!
私達はその為に貴女を助けに来たんです。
だから、心配して待っている人の為にも諦めないで下さい!
そして、アメリアさんとの約束を果たす為に、また夢を叶えて下さい!
貴女の居場所を守る為に!」
静かに励ます彼女の言葉に顔を上げた人魚の白い仮面には涙が頬を伝った。
「……魔法使いさん…………。
……私は――――」
言葉が途切れる人魚。彼女等の会話を遮る様に徐々に強まる震災は、
待った無しに左右に激しく揺らして脅かす。
「うぁぁあっ!?」
驚きと恐怖に声を上げて身体を揺れ動かす怪人の赤い瞳には、崩れ落ちた聖堂の残骸が映り込んだ。
その視線の先では遠くの海岸線から黒い水の壁が立ち上がっていた。
「ぁ……!あんなに大きな津波が来たら、もう……!」
彼女の震え声を掻き消すようにゴォォォォオオ……ッ!!!!と地面を割るような轟音が伴った。
最初は霞のように見えたそれが、瞬く間に形を持ち、巨大な水の塊となって押し寄せてくる。
それを見詰める怪人はアヤを見て訴え掛けるように言った。
「魔法使いさん!どのみち私はもう、身体を動かせません……!
私1人なら水の中でも何とかなります!だから逃げて下さい!」
漣の様にサァァァァァアッ!!!!と大粒の海水が雨の様に降り掛かって来ると、
空気そのものが震え、広場に冠水した水がバタバタバタ!と水を弾き、叩き付けられていく。
波頭が崩れ落ち、白い飛沫が風に乗って再び彼女等に海水が降り注いだ。
「……今は兎に角、ここを離れましょうっ!!!!」
ずぶ濡れになりながら思わず叫んだアヤは次々と押し寄せてきた波の激流を見て、怪人を強引に抱き上げて立ち上がる。
崩れゆく聖堂を背に、彼女は広場に向かってひたすら走った。
広場の割れて砕けた石畳がガタガタと揺れ、水が地割れに入り込んでは跳ね上がる。
聖堂の窓ガラスがカタカタと震える音を共鳴させ、やがて視界の端に黒い影が迫る。
それは既に氾濫した川のような激流から、巨大な水の壁へと瞬く間に変化していた。
――――ザァァァァァァァァッ!!
アヤはハヤセを抱きかかえたまま、聖堂の中庭を駆け抜けた。
しかし次の瞬間、既に覆いつくしていた第二波が、まるで空を覆う闇のように広場全体へと迫り来る。
まるで瞬き一つで曇天の昼から夜の帳に閉ざされてしまったかのような暗闇。
「魔法使いさんっ!!!!もう駄目です!間に合う筈がないっ!私の事は放って逃げて下さい!」
空という背景を覆いつくす程に巨大な水の壁が頭上から押し寄せて来る。
既に波に飲まれて崩れ去る聖堂の瓦礫と伴に流れ込んでくる濁流の壁。
「逃げません!貴方をアメリアさんに会わせるまでは!」
建物を呑み込む程の巨大な水の壁がとうとう広場全体を覆い尽くす。
木片や石材の瓦礫と伴に濁流が膝上まで流れ込んできた。
アヤの視線の先には、入り江の石階段に乗り上げられていた筈の水上バイクが流されていく様子を見詰めていた。
(ハヤセさんを助けるまでは……!諦める訳にはいかない!
助け出す為に、ここまで来たのだから!)
やっとの思いで聖堂付近から離れて広場を駆け抜けるアヤ達を押し流し、
激流と降り掛かる津波がついに覆いつくした。
「ハヤセさんっ!確り掴まっていて下さい!」
冷たい衝撃が全身を打ち据え、強制的に水の中に引きずり込まれた2人。
一方的に押し流す激流に吞み込まれた体は意思とは無関係に宙へと持ち上げられ、
次の瞬間には荒れ狂う水流に叩きつけられる。
(このままでは、この人まで死んでしまう……!)
水に濁る景色の中。抱き留められる怪人にはアヤの苦悶する表情が目に映っていた。
塩辛い水が口と鼻に流れ込み、肺の奥から空気が強引に奪われる。
(また、私のせいで…………!また!私の夢が誰かを貶めてしまう……!)
空気を吐き出しながら呼吸困難の状況下で視覚を暗転させたかのように、彼女の上下感覚は明らかに失われていた。
(もう嫌だ!自分の夢が、誰かを犠牲にしてしまうのは……!
私の幸せが、また誰かの不幸に繋がってしまうのは!)
水と身体の抵抗に翻弄されながらも、見るからに混濁した状態のアヤは必死にハヤセを抱きしめて離さなかった。
(紗夜……!貴女もこんな思いをしながら……無理して生きていたの……!?
私や新人類の人達が幸せに生きる姿を見て……!
ずっと手に入る筈の無いものを我慢しながら!
私だけが夢を叶えている姿を見て、ずっと自分を押し殺してまで一緒に働いてくれていたの!?)
脳裏には炎に巻かれる中、腕の中で意識を朦朧とさせる紗夜の姿が過った。
そして目に映る白髪の少女はハヤセ抱き付いて離れることがないように藻掻き苦しむ表情が重なる。
(「人と人が分かり合うことって、周りの人達の為に自分が向き合って生きていくことから始まることだと、私は思います……!」)
自分の身を挺してまで救い出そうとする姿を見て、彼女に言われたばかりの言葉を思い出していた。
(紗夜…………。私は今……、貴女と似た境遇に立たされている筈なのに。
私はまた、自分だけ生き永らえる状況にいる……。
そしてまた、自分の為に誰かを犠牲にしようとしている。)
思わずしがみ付く様に怪人も確りと腕に力を入れて掴まっていた。
(でも今度は!私も向き合いたいと思えた!
貴女が抱えていた苦しみにも、もっと向き合えていたのなら!貴女が死ぬこともなかったかもしれない!
アメリアさんとお互いの夢を約束したみたいに。
私が持っていた夢や幸せの中で、貴女が望んでいたものを分かり合おうとしていたのなら!
今度は貴女の夢で、別の誰かに居場所を与えることが出来ていたかもしれない――――!)
全身から力が抜けつつあるアヤの身体を支える魚の怪人。
双尾を揺らして水の流れに抗いながら水上を目指し浮上し始める。
水中で届く程の強い光が射し込み、水面を出る直前、全身から再び白い電子が迸る。
そして彼女の首飾りの宝石が白く発光した瞬間――――。
波を押し返すように四方へと水流を逆流させていった。
「うわっ!!!?うわぁあああああ!!!?」
水の流れそのものを割きながら唐突に発狂するハヤセの姿は光に包まれていた。
海そのものを割り、水中から広場の煉瓦が剥き出しになり、
路上に立った先の視界は2つに裂けていた。
左右にそびえる水の壁。向かって来る津波は巨大な水の回廊として形作っていた。
全身から白い電子を帯びて人魚の輪郭は次第に透けていた。
まるで水に溶けるように淡く半透明になっている。
噎せ返るアヤを路面に降ろして、白く発光させた目を再び波の狭間へと向けていた。
「げほっ……!けほっ……。ハ、ハヤセ……さん?」
息を整えながら起き上がろうと立ち膝で見上げるアヤ。
しかし、そこには人魚の怪人の姿は無かった。
「その姿は…………!?」
背中から真っ白い翼のような光の粒子を形成し、頭上には光の輪が浮遊している。
胸元から腰にかけては結晶体の装甲が優美に連なり、
そこから流れ出す光の布が幾重にも重なって裾を形作る。
纏ったドレスの布地は半透明で、浮遊しているかのように常に揺らめいている。
ベールで覆われた顔から表情を見せることはなく、
結晶質の素肌は全身の奥底から発光しているかのような光を放っている。
姿だけではなく、人が変わった様にまるで反応をせず、
ハヤセ自身の意志が何者かに奪われているかのように手を掲げた。
その瞬間――――荒れ狂う水はピタリと動きを止めていた。
まるで時が止まったかのように。
光の天使が海そのものを従えているかのような光景だった。
水の動きはその意志が形作る様に海は裂け、
彼女等を呑み込むはずの津波は道へと変わり、
次第に広場に向かって来た津波という水の壁そのものが浮かび上がっていく。
それはまるで、空を覆う水の塊が蒸発して雨雲の中へと返っていくように。
映像を逆再生しているかのように水の滴が空に向かう途中で消えていく。
その光景にアヤは思わず街の様子を眺めた。
街を覆いつくしていた筈の津波さえ水の塊として浮き上がり、
雨粒のような水の玉が空に向かって消えていった。
次第にゴォォォ……と籠った音のように続いていた海鳴りが遠ざかり、
地響きが徐々に耳鳴りへと変わって束の間の静寂が訪れる。
「…………揺れが……。地震が、止まった……!?」
軋むような音を止める地面はまるで息を吐くように消えていく。
「貴女は……いったい…………。」
彼女が声を掛けた存在はハヤセ・ミズキそのものであるとは言い難かった。
空間と溶け込んだような半透明な光の布。煌々と放出される翼や光の輪。
光と結晶が構成された明らかに物質ではない神秘の身体。
地に足を着けているのか、浮遊しているのかさえ曖昧な存在だった。
足元が隠れる程の長いドレスの裾からは大地そのものを震わせるように白い波紋が広がり続け、
大気中で蒸発する前に空中で残った水の塊はゆっくりと下降して今度は滝のような大雨が降り注いだ。
バタバタバタ!と一気に叩き付けるような雨脚が強まり、
頭上から水を被る状態で立ち尽くしていたアヤは堪らずに「ぅっ……!」と小さく呻き声を上げる。
両腕で頭を庇う様に首への負担を抑えながら再びハヤセを覗き見ると、彼女の姿は再び光に包まれていた。
独りでに首飾りの宝石が白い光を放って繋いでいた鎖が砕け散ると同時に纏っていた光も弾け飛ぶように消失していく。
そして光の中からふらりと現れたセミロングの黒い髪の女性。
ハヤセ・ミズキが両目を閉じた状態で倒れ込んでくる。
「…………ハヤセさん!」
そのまま受け止めたアヤは彼女が気を失ったまま僅かに呼吸している様子を見て安堵すると、浮遊していた宝石は再び青く変色してハヤセの胸元まで静かに降下していく。
入り江から見えた大運河の海岸線には警備艇が近付いていた。
「アヤ!!!!大丈夫かぁ!!!?」
甲板から大声を上げて冠水した波止場から向かって来るヒイラギ。
「警部!無事だったのですね!」
「ああ。アヤの追跡信号を辿ってアクア・マーレ聖堂に向かっている途中、
津波に呑まれたが、突然水が浮上して転覆を免れた。
あの時、海そのものが割れて遠くから光の天使のような怪人が見えていたが、
やはりハヤセ・ミズキさんの御蔭なんだな?」
「はい。私にも詳しいことは分かりませんが、津波を雨に変えた後、
地震が治まった瞬間にハヤセさんが元の姿に戻りました。
そのまま気を失って倒れてしまったので、疲労の蓄積や麻痺弾の影響も大きいと思います。
直ぐに病院へ向かいましょう!」
アヤの報告と提案に大きく頷いて肯定するヒイラギと、
船から次々と降りてきた魔法使い達がハヤセ・ミズキを運んでいく。
膝上まで水位が増した水面にザアァァァァ!と雨粒が波紋を重ね重ねに広がり、
津波を退けた奇跡の代償として絶え間ない豪雨に晒された水上都市メル・フィオナ。
冠水した路面に無数の大粒の雨が叩きつけら、
ばちゃばちゃと跳ね返る荒波の水音が、街全体を覆い尽くす。
嵐に見舞われた街は災害から免れ、魔法使い達は人を救った。
怪人と戦う為ではなく、人を救う為に戦った魔法使い一同。
彼等、魔法使いの本分である人の心を守る戦いは初めて実を結んだ。
そしてここから始まり、形作られていく。
定められた運命を自らの宿命に変える為に。




