第2話 あの日の夢
「…っぅ…。痛ったぁっ…。」
痛みに目を覚まして思わず身体を起こす少年。久遠彼方。
彼が目覚めた場所は清潔感のある白い壁一面で覆われた病室だった。
病院のベッドで寝ていたようだ。
いつの間にか薄い水色の病衣を着せられていて、
身体の傷には包帯が巻かれている。
「あれ…何だ、これ…?
いつの間に…こんなことに…。」
思わず包帯を巻かれた身体に声を出してしまうと、
ベッドの横から「痛みますか…?」という女性の声が聞こえた。
すぐさま横を振り向くと黒いコートを羽織った金髪の少女が椅子に座っており、
顔を覗き込む様に様子を窺っていた。
「…ん?ええっと?大丈夫です。」
久遠彼方は唐突に呼び掛けられて反射的にぎこちない笑みを浮かべた。
少女の顔や恰好を不思議そうに見詰める。
翡翠の様な綺麗な緑の瞳に金髪の長い髪。
少女は長い髪を左右の中央で纏めた髪型をしており、
膝につばの広い帽子を乗せていた。
「あれ…?その魔法使いみたいな格好………。」
その童話に登場する魔女の様な風貌を見詰めていると脳裏には、
魔法使いの格好の青年の姿が思い浮かぶ。
「なんか…さっき、そんな服を着た人達に変なことされていたような…。」
釈然としない様子にこちらを見る金髪の少女は「はい。私達がその関係者ですよ。」と落ち着いた口調で返事をした。
すると少女は懐から黒い円状の装置を取り出すと「これでやって来られた方ですよね?」と言う。
ゴルフボールの様な形の装置を見せられて「あっ!そうです!それです!それで何か、変な模様みたいなのに吸い込まれて…!」と指を指してしまった。
その反応を見た少女にくすくすと可笑しそう笑われてしまう。
「お元気そうで良かったです。
私、ルル・フィリアと申します。
地球から来られた方ですよね?」
自己紹介をした落ち着きのある少女の言動を見て、
気が動転していたことを自覚すると自身の気持ちを静めて答えた。
「あっ…。はい…そうです。
あの、す…すいません。
名乗りもせずにちょっと、変な質問をしてしまいましたね。
俺は、久遠彼方って言います。
えっと、ルルさん…ですね。
取り敢えず、手当までしてくれてありがとうございます。」
自己紹介をされて思わず自分の名前を名乗ると、
介抱してくれたであろう少女に礼を言った。
すると少女は首を振って「いいえ、無事で何よりです。」と言うと、寝台の横に置いてある棚の上に用意してあったプラスチック製のポットと硝子のコップを持つとポットに入った水をコップに注いで渡す。
「どうぞ。ただの水ですが…。」
「おぉ…!ありがとうございます!」
寝起きに水を貰った彼方は嬉しくて笑みを浮かべながらコップを受け取ると、
直ぐに一杯の水を飲み干す。
「ぷはぁ…。
生き返りました…。これで落ち着いて話が出来そうです。」
ルル・フィリアと名乗った少女は可笑しそうにくすくすと笑いながら、
空のコップの前に両手を広げると「一晩中眠っていましたからね…。」と言う。
差し出された両手を見て「あっ…すいません。美味しかったです。」と、
礼を言いながらルルから貰ったコップを返しながら礼を言う。
「それで…本題に入りたいのですが…。」
そう切り出したルルはゆっくりと口を開いて静かに言った。
「実は、貴方がどうしてここに来たのか。
そして、ここに来るまで何があったのか。
その理由を私達はもう知っているんです。」
脈絡も無いその言葉に彼方は「えっ…?」と戸惑った。
頷いたルルはコートの袖を捲り上げると、
右腕に通ったブレスレットを見せる。
「これに、見覚えがありますよね…?」
まじまじと見詰めたブレスレットには、ハートの形をした透明な宝石には左右に金属で鳥の翼を模した装飾が施されている。
見覚えのあるその装飾を見て「あれ…?」と不思議そうに声を洩した。
真っ先に地球で出会った魔法使いの女性の姿が脳裏に過ったからだ。
思わず自分の首に掛けられた、
全く同じ形の装飾品をネックレスにしていた事を思い出した。
首にあるネックレスとそのブレスレットを交互に見て、
「これ…!確か女の人から貰ったんです。お守りだとか言っていて…。」と言う。
「はい…!そうです。
これは人の記憶を見ることが出来る魔法の道具なのです。
なので、説明をしなくてはならないのは私達の方なのですよ。」
魔法の道具。記憶を見ることが出来る。
突拍子もない単語に何と返事をすればいいか分からない様子の彼方。
しかし、自分から話をややこしくするわけにはいかず、
理解できる範囲で返事をする。
「えっと…。
ということは、
俺が寝込んでいた間に色んな記憶を見られていたってことですよね?」
思い浮かんだ素朴な質問に「そう考えると…凄く、恥ずかしくなってきたんですけれど…。変な記憶まで見ていませんよね?」と苦笑しながら訊ねる。
両手を前に出して慌てたルルは、
「それは安心して下さい!ちゃんと説明をしますので…!」
と言ってブレスレットを見せながら説明を始めた。
「まず、勝手に記憶を見てしまってごめんなさい。
これはたしかに人の記憶を見るものではあるのですが…。
正確にはその人の人生に影響を与えるような、
感性に訴えるほどの記憶しか見られないのですよ。
本来は人の願いや祈りなどの情念を集めて、
魔法の力で具現化するものなのですよ。
私達はこれをアレセイア…と呼んでいます。」
「なんか…そういえば、男の人がそんな話をしていたような…。」
「はい、その通りです!」
「カナタさんが地球で出会った…。
魔法使いの格好をした男性が集めていたものがこれです。
ですが私達が持っているアレセイアは、
その1部分に過ぎません。
ほんの一握りの願いごとしか叶えられないぐらいに、
小さな力しか発揮できないものなのです。
だから願いを叶えるための前提となる祈りや願望、
その人の欲望となる必要な記憶だけを見ることが出来るものとなっているんです。
つまり、
何でその人はこういう人生を今まで歩んできたのか…というきっかけになる記憶を見ることは出来ても、どういう風に努力してきたのかという様な記憶までは見ることは出来ないのですよ。」
「えっと………それってつまり。
人にとって重要な記憶しか見ることしか出来ないから、
人の私生活の全てを見ることが出来る訳じゃないってことですよね。」
「そうですね。そういうことになります。
だからと言って、
安心して下さい…とは一概に言えないのですが、
カナタさんがここに来た上で説明することに必要な記憶しか知りません。
なのでまずカナタさんには、
なぜ貴方がにこの世界がどういう星なのかという話からさせて頂きます。」
納得した久遠彼方は2度頷きながら「なるほど…。」と返事をした。
「分かりました。それじゃあ、よろしくお願いします。」
丁寧に説明をしてくれるルル・フィリアに、
思わず会釈する様に小さく頭を下げる。
ルルも「いいえ。こちらこそよろしくお願いします。」と返事をして、
お互いに小さく頭を下げると説明が始まった。
「まずこの星は地球ではありません。
スフィアという惑星でして、
カナタさんのいた地球より遠い位置に存在する星なのです。
この時点で地球から来た貴方を混乱させるような説明になるのですが、
この世界は地球とは違い、魔法というものが存在します。
魔法があるお陰で科学技術が大いに発展し、
自然を保護しながら文明の発達へと躍進させた星なのです。」
そう言った少女は手に持った円状の黒い装置を見せながら、
「ちなみにこれは転送装置と呼ばれるもので、重力レンズを応用し固定された場所への量子テレポートを可能としています。」と付け加える様に説明を続ける。
「カナタさんがこの装置でこの世界に移動できた様に、
魔法と科学の力のお陰でこの世界は便利で不思議なものに溢れているという風に理解して頂ければ分かりやすいとは思います。
こういった魔法と科学の混合を魔法科学と呼び、
私達の生活を豊かにしていきました。
そうして私達は宇宙に進出することを試みた結果、
およそ1年前から地球を観測し、
実際に生態調査を行っていたということです。」
「1年も前から…!?
じゃあ…地球で変な怪人がいたのも、その調査が原因なんですか?」
頷いた少女は「はい…。」と言って真面目な顔をしながら言った。
「その怪人と一緒の居た男性の行動が原因で事件は起こりました。
彼の名前はロック・チャイルドといいまして…。
この研究所の一員で地球の調査隊員の1人なのですが…。
彼は地球の経済社会であまりにも異常な格差が広がっている事を知り、
魔法の力で世界を平等に変えようとしたのです。
それをきっかけに、秘密裏に地球人と接触し、
魔法の力を地球人に使わせていて………。
あの鎧の姿をした人もその力の影響を受けてしまったのです。
……………………。」
ロック・チャイルド。
脳裏に過る男性が白いドレスの女性の炎に焼かれた後、
怪人の姿も元に戻っていた。
あの男性が消えたことで、
魔法の力が使えなくなったと考えて理解は追い付かせる。
そう考えた彼方が出来事を整理しているとルルは思い詰めたように俯いていた。
「ルルさん…?」
反応せずに思い詰めた様子の少女に彼方は再び、
「ルルさん…?あの…大丈夫ですか?」と呼びかける。
その声にはっと顔を上げて反応した少女は「ごめんなさい…!少しだけ考え事をしてしまいました…!」と謝った。
「本来であれば魔法なんてものの存在ですら何も知らない…、
全く無関係のカナタさんを巻き込んでしまっていて…。
カナタさんには精神的な負担を掛けさせてしまっているのに、
自分たちの心配をしてしまいました。
すいません…!話が逸れてしまいましたね!」
「いやいや!寧ろ大事な話ですよ!
もしかして…もう既に地球人が魔法の力でなにか悪いことをしたんですか?」
「いいえ…。
そうだとは断定できないのですが、
ちょうど半年ぐらい前から怪物のような姿をした人間が、
人を襲う事件が多発している様でして…。
私達はその存在を公式に怪人と呼んでいるのですが…。
勿論、カナタさんが地球で遭遇した鎧の怪人とは別でして、
動物の様な生物的な姿をしているのです。
特に小さな子供を持つ家族ですとか、
努力で大きな成果を上げた人々が狙われるケースが多いんです。
今までそんな前例が無かったので、
もしかしたら………全部彼が起こしたことなのかと思ってしまいまして…。」
話を聞く限りでは、
どうやら地球で見た鎧の怪人とは別のものが暴れているという。
彼方は次から次へと語られる非現実的な話に、
戸惑った様子で生返事をすることしか出来なかった。
「動物のような…人間…ですか……。」
「怪人に関しては情報が不明瞭な点も多く、
あくまでも憶測でしかないので…。
今のところは可能性として留意しておいて下さい。
それよりも今は、
カナタさんの事が最優先です。
一先ず。
地球で起こった一件については、こちらで起こした問題なので任せて下さい。
ここの研究員が1人で地球に向かってロックさんを探しに行ったことや、
カナタさんを地球に転送したことにもちゃんとした理由も、
我々の方での計画にそって行われていることなのです。」
その言葉に彼方は何処か安堵した様子を見せた。
「あっ…。そうだったんですか…。」
この世界の人達は、今回起きた事を想定して動いているのだ。
そう理解すると彼方は自分の為に、
説明する時間を設けて貰っている事に対して謝る。
「すいません…!
ルルさんは俺のことを考えて順序立てて説明をしてくれていたのに…。
驚いてばっかりで、まともに話を聞いていなかったです。」
そう言って軽く頭を下げた彼方に対してルルは首を振りながら微笑んで言った。
「いえいえ!説明不足だと思うのは当然なのです!
私達には地球人とは違った価値観や倫理観がありまして…。
まずはカナタさんに安心して話を聞いて貰うことが最優先なのですよ。
ただ、価値観については………。
地球人であるカナタさんには受け入れ難いような…深刻な話になるので、
後々説明しますね。」
「えっ………?は、はい…。」
説明をしていたルルは次第に何処か悲しそうな表情を浮かべていた。
優しそうな微笑みを価値観の違い1つで表情を曇らせていた。
それは何処か悲しそうで、ばつの悪い顔だった。
感情が入り交じった複雑な表情で話を一区切り付けるようにルルは言う。
「そうですね…一先ず、
きちんとしたお話をする為にも私の研究室に移動しましょうか。」
衣服に着替えて廊下に出た。
辺りを見渡すと薄暗い病院の廊下の様な光景が広がっている。
先導するルルに彼方は置いて行かれない様に後ろを歩くと、
思わず質問の続きをする。
「そう言えば…ルルさんはこの研究所の研究員なんですか?」
「はい。
…と言っても私は魔法学園の管轄下にある研究員なのですよ。
ここは学園付属病院の地下にある医療魔法科の研究所なのですが、
医療魔法科の研究所以外にも…学園に在る魔法科学研究所と言う魔法を応用して魔法の武器や新しい魔法を生み出すのが私の仕事なのです。」
廊下を渡った先にあったエレベーターを利用して地下から1階へと向かう。
エレベーターを降りた先の病院の大きなロビーに出ると、
真っ直ぐにロビーからそのまま外に出た。
外に出て見た景色は青い空。晴天だった。
水路が見えた。街の中に通っているようだ。
ふと見上げた青い空の中で、
一筋の太い糸の様な物が病院の壁に付着している様子が窺えた。
「ん…?」
思わずその白い糸を目で辿って伝っている場所を見た。
遠くに見えた場所には噴水らしきものを中心とした広場があり、
その真上には巨大な蜘蛛の巣の様なものが出来上がっていた。
遠くの空に巨大な蜘蛛の巣が出来ていたのだ。
「ルルさん…あれ、何ですか?」
「……………!
あれは………。あれが、怪人です。
蜘蛛の能力を持った、怪人の仕業です。」
怪人と言う単語に思わず動揺した彼方。
先程この世界の脅威になっているという話を聞いた矢先に、
眼前に出現しているのだ。
「怪人…!?
それってさっき説明していた人を襲うやつらのことですよね!?
大丈夫なんですか…!?」
前方には既に白と黒の車が数台止まっている。パトカーだ。
その下から拳銃で光の弾を空に向かって発砲している。
空中に作り出された蜘蛛の巣の上で怪人が移動する度に、
パトカーから降りた黒い制服の人々が銃を発砲している。
「あれは…パトカー?警察が対応しているんですか!?」
頷いた少女は「…はい。」と躊躇いがちに説明をした。
「正確には…魔法使いが対応しにいっています。」
「魔法使い………?
あの蜘蛛の巣に光の弾…みたいなのを撃っている人達のことですか?」
「そうです…。
この世界には警察機構に魔法使いが在籍しているので、
こうした魔法でしか解決できない事件には出動要請が下されます。
本来なら…。
この世界のことを説明してから改めて知って欲しかったのですが…。
兎に角…私達は周辺住民に避難を呼びかけてからここを離れましょう。」
黒い軍服の様な恰好の人達が、魔法使いで警察という存在知って、
彼方も現場から離れようとした。
するとその瞬間、
真上に伸びていた糸が「バリバリバリ!!!」と音を立てた。
「何だ!?」
何かが破裂する様な音に思わず彼方は空を見ると、
ルルは「どうやら蜘蛛の糸が…千切れたようです!」と身構えながら言った。
空からは千切れた蜘蛛の長く大きな糸がばさりと落ちて地面を叩き付けると、
病院の壁に張り付いていた糸の付着部まで振動を起こして壁に亀裂を入れた。
「な、何で病院の壁が…。」
「この糸は接着剤の様に空気中の僅かな水分を触れる事で、
固形化する性質なのです。
つまり魔法使いの方々が撃っている高熱の弾丸で、
簡単に溶解させる事が出来るのですが…。
そのせいで、熱で溶けた糸の中の成分が熱劣化を起こして、
粘着力が強すぎる接着部を破裂させることがあるみたいなのです。」
落ち着いた口調で少女の説明を聞いて、
噴水の広場から空の蜘蛛の巣に向かって撃ち出されている光の弾を見た。
「それじゃあ、固まった糸を千切る事で街の建物が壊れてしまうんじゃあ…。」
するとその時、噴水の広場から「…やめてえぇえええ!!!やめてよぉおおお!!!!」という声が子供のような幼い声が聞きこえてきた。
「…っ!!!」
子どもの声だ。
噴水の真下にで銃撃戦が繰り広げられているというのに、
子どもが制止するように声を上げているのだ。
「ルルさん!俺!ちょっと様子を見てきます!!!」
彼方は思わず駆け出していた。自然と一目散に。
何故なら、彼には夢があったからだ。
幼き日に憧れたある少女の生き様に共感して、
人間らしく生きていたいという夢を抱いているのだ。
だから彼は走った。
脳裏に過る絵本を描いて夢を語る少女の記憶を焼きつけながら走るのだ。
ルルは少年の突拍子もない行動に「カナタさん!?」と呼び掛ける。
「待って下さい!今近付いたら危険ですよ!!!」
その声が背中に受けても尚、彼は走る。
全ては人間として心の儘に生きる為に。