プロローグ 喫茶店
異世界スフィア。
50年前の大規模な戦争によって国々が海に沈んだ。
人工地震による地盤沈下によって海面の水位が上昇してしまった惑星。
その為、メルフィオナと呼ばれる街には至る場所に水路が通っている。
夜。その街にあるスタードロップという名前の喫茶店があった。
流れ星のような絵が店の吊り下げ看板に描かれている。
店内は狭く小さい。席も少ない。
だが、窓際のカウンター席から街の水路を眺められる店だった。
しかし、現在は夜。店内の時刻は23時21分。
店前のスタンド看板はclose。閉店時刻は過ぎている。
店の中には明かりが付いており、
茶色のエプロンを付けた1人の黒髪の女性がせっせと働いている。
肩まで伸ばした黒い髪の毛と黒い瞳が特徴的な女性で、
手動式のコーヒミルを専用のブラシで掃除していた。
カウンターに6つほど置かれたミルを1つずつ丁寧に掃除している。
店内にいる従業員は女性1人のようだ。
するとそこに「良い、香りだねぇ……一杯貰いたいところだ。」と男性の声が忽然と聞こえた。
思わず女性は「えっ……!?」と驚きながら振り返ると、
厨房奥には蝙蝠の様な姿を模った鎧の怪人が立っていた。
「あ、貴方は……!」
思わず女性は手からミルとブラシをシンクに落とすと、2歩引き下がって身構えた。
「何しに来たんですか……?魔法使いを呼びますよ……!?」
女性は動揺しながらも気を張った様子で怪人にいう。
すると怪人は一瞬にして、ソフトハットを被ったグレーのスーツ姿の男性へと変わった。
口元と顎の髭が特徴的な男性の姿へと一瞬にした変化したのだ。
「まあまあ……、落ち着けって。」
男は両手を前に出しながら言いながら、勝手にカウンターの席に座る。
「久しぶりに話でもしようじゃないか?ええ?」
勝手に寛ぎ始める男性に女性は警戒をしながらじっと睨み付けて言った。
「貴方たちと話す事なんてありません。出て行って下さい……!」
激しく警戒する女性の意見を無視する男性は、
店内を見渡しながら「それにしても、まあ……。」と呟いて言った。
「異世界での生活に随分と溶け込んでいると言ったところだなぁ……。
国の給付金で店まで構えて、長年続けているとは大したものだ。
夢を叶えられて良かったなあ?」
「ええ。お陰様でね。それで?何の用なんですか?
早く出て行って下さい。」
「まあ、そう邪険にするなよ?
2階の窓の鍵、簡単に開けられたぞ?
この世界の連中は気にしなくても、俺達には警戒しておかないとなぁ……。」
男は可笑しそうに笑いながら付け加える様に言った。
「なにせ……ゲーム感覚で平然と人を殺すような、頭の可笑しい奴だっているんだからな。」
その言葉に彼女は目を見開いて感情的に怒った。
「それは貴方たちのせいでしょう!?
この世界の人達は優しい人しかいないのに!
貴方たちが可笑しな実験をするからこうなっているんじゃない!!!!」
「まあ、否定はしないが俺から手を出してはいない。
俺は自分から手を出さない主義なんでね。」
「同じでしょう!?
そういう風に仕向けている貴方は!それ以上に最低だわ!!!」
激しい剣幕で怒鳴る女性に男性は帽子で目元を隠しながら、
「今更男に最低と言ってもねぇ……。」と呟く様に話を続けた。
「その様子だと、今日あった事件のことも知っているんだろ?
街に蜘蛛の巣を作って暴れていた奴。殺されたんだ。
だからもう……俺がここに来た理由が分かるよな?」
「分かる?何が?
まさか、貴方が人の命の大切さを語るつもり?
あんな……!まだ社会を知らない様な子どもまで利用して!
人としてどうかしていると思わないの!?」
「いいや?別に利用なんかしていないぞ?
あいつが勝手にやったことだ。寧ろ俺は止めたんだ。
それなのにあいつは俺の忠告を無視してまで願いを叶えたかったそうだ。
だから俺は関係ない。寧ろ個人の主張を尊重してやっただけさ。
人事担当者としての立場を弁えた。当然だろう?」
身を引きながら女性は「最低……!」と呟いた。
「そんなの責任転嫁しているだけじゃない!
貴方のような大人がいるから世の中が可笑しくなるんでしょう!?
自分が思考停止している事を、少しは自覚したらどうなの……?」
静かに怒りを表す女性に男性は「ふふっ……!」と鼻で笑いながら言う。
「そもそもの原因として、忠告を無視して遊び惚けていたから、ややこしいことになっているだけだろう?」
「ややこしいもなにも……!貴方たちのせいじゃない!
貴方たちが!路頭に迷った人達を騙して!!!!
あんな……!あんな化け物みたいな姿にするから!!!!
だから皆!おかしくなってしまったのでしょう!?」
嘲笑う男の言葉に突如動揺した様子を見せた女性に、
男性は帽子を深く被りなおして口元を怪しく笑わせながら話す。
「いいや。先に宣告を受けておいて何もしていないお前もおかしい。
こんな世の中になっている状況で逃げも隠れもせずに、
成るようにしか成らないと思っていたのなら能天気なことだな。
全く……勝手に単独行動して暴れる奴はいるわ。
勝手に漫画だか小説だかの世界だと思い込んで人殺しまくる奴はいるわ。
呑気に喫茶店で平和呆けしている奴はいるわ。
引き止めている側のこっちの身にもなって欲しいものだ。」
「何それ!? そんなの自分が都合の良いような言い訳をしたいだけでしょう!?」
「言い訳?
言われた事も出来ないような無能なだけに留まらず……。
自分の都合だけで周りを考えない奴が良く言う。
今の立場と状況を理解するべきだ。」
揚げ足を取って動揺させる男は更に挑発的な発言をすると、
女性は地団駄を踏んで「いい加減にして!!!!」と叫んだ。
「人のことを騙すだけじゃなく、人の人生まで狂わせて!人権を踏みにじる様な事をして!
おまけに自分のことばかり棚に上げて!!!!
人のことを何だと思っているの!!!?」
その様子に再び笑った男はゆっくりと椅子から立ち上がりながら言った。
「まあ、たとえ何だと思っていたとしても、この世界で決められていることだ。
計画通りに動けないのなら野垂れ死ね、という考え方なのだろう。
この世界に踏み込んできた時点で既に人生は狂っていたのさ。
だからお前等がいくら権利を主張したところでもう遅い。」
不気味な笑みを浮かべて語っていた男は急に冷淡な顔つきになると、
「いつまでも現実から逃げられると思うなよ?」と静かに言い放つ。
すると男の身体は瞬時に変化して再び蝙蝠の様な姿の怪人に変わった。
思わず女性は後退りをすると、怪人はゆっくりと歩み寄る。
「……世の中が急速に変化する度に人間も変化に追い付こうと社会に適応してきた。
だから新人類なんて言う体のいい人間ロボットが社会を下支えする必要が出来てしまった。
だが、出来損ないの失敗作達はどうなった?お前達に居場所なんて用意されていたのか?
この世界にも、逃げ場所なんてなかっただろう?
結局、お前達は何処へ行っても、運命さえ変えるなんて出来ないんだよ。」
そう言った怪人が数歩手前まで接近すると、女性は両手を口元に添えて叫び声を上げた。
「誰か助けてぇええ!!!!
怪人が!!!!怪人が現れました!!!!
魔法使いを呼んでくださいっ!!!!」
しかし、辺りは静まり返るばかりで一向に人が来る気配もない。
怪人は腕の翼で隠されていた片手を出すと、そこには赤い宝石の様なものが握られていた。
それは林檎の形をした赤い宝石だった。
「無駄だ。俺の音波の前ではどんなに大声を出しても外には届かない。
聞こえたとしても呟いている程度の音量だろうな。喉を傷めるだけだ。」
怪人はその宝石を女性に近付けながら言う。
林檎の宝石を凝視した女性は驚愕した様子で言った。
「それは……!あの時、私を……、化け物にした……………!」
宝石に怯える女性は囲われたカウンターテーブルから、バックルームに繋がる扉へと移動しようと引き下がる。
「いいや、これは模造品だ。」
そう言った怪人は女性の腹部に宝石を近づけた。
「まあ、安心しろ。この世に何の未練も残さない様に無意識に死ぬんだ。
自分の感情や心を傷付ける事なく死ぬまで暴れるだけだ。
お前等にとって理想的な死に方だろう?」
「理想…………的……?」
しかしその話を聞いた途端、女性は眉間に皺を激しく寄せて、
「ふざ……っ!ふざけるなぁああ……っ!!!!」と歯を軋ませながら叫んだ。
その時だった。
怒りに身を任せる様に怒鳴った女性の身体は一瞬にして変化すると、女性の身体から水飛沫が上がった。
「っ……!?」
突如噴き上がった大量の水に思わず蝙蝠怪人は一歩身を引いて、翼で身体を守る様に覆った。
すると目の前の女性は全身から流水を発生させて、水に覆われると瞬く間に人の身体は怪人へと姿を変化させていた。
青く半透明の鱗の様な美しい鎧を身に纏い、口の形状がない白い仮面から赤く発光する眼光で蝙蝠怪人を見据えている。
そして旗袍のような形状の装束を身に纏い、スリットから2本の尾が揺れていた。
魚の尻尾の様な長い双尾が腰辺りから伸びている。
身体の表面から凄まじい勢いで水を止め処なく発生させており、
店内は瞬時に冠水し、カウンターの上にあったミルやブラシは流されて床に溢れた水に落ちる。
思わず2歩引き下がった蝙蝠の怪人は踝まで水に浸かった足元と、
目の前に姿を変化させた双尾の人魚を見て言った。
「ほお…………これは凄い。だが、このまま俺と戦うつもりか?
この騒ぎの後、お前の正体が世間に知られたらどうなる?
折角、異世界に来てまで叶えられた夢も。
このカフェも。仲良くなった住民との人間関係も。
お前が世間を騒がせている化け物と同類だと知られれば、
その全てを失うだけじゃすまされないことぐらい分かっているのだろう?
2度とこの世界では人間として扱われることはないだろうな。」
相も変わらずに煽り文句で脅しに掛かる蝙蝠怪人に対し、
女性は腰から棒状の物体を瞬時に三叉槍へと変化させる。
「それでいい。この世界の人達が傷付かないのなら。」
そしてその槍の穂先を蝙蝠怪人に向けて言い放つ。
「この世界はぁ…………!
この街の人達は……!私の夢を叶えてくれた!私に居場所を与えてくれた!
身寄りのない私を支えてくれた優しい人達がいる大切な街だもの!!!!
大切な人達がいるこの街を滅茶苦茶にされるぐらいなら!
ここで貴方を止める……!貴方を殺してでもぉ……!絶対に止めるっ!!!!」
意気込む双尾の人魚に蝙蝠怪人は「ふふふふっ……!」笑いながら言った。
「この世界に随分とご執心のようだな。
だが、お前は勘違いをしている。」
「勘違い……?」
「そうだ。
お前は俺達がいる限り逃れられないと思っているようだが、こちら側としてはどうでもいい。
俺は言ったよな?お前達は何処へ行っても、運命さえ変えるなんて出来ない、と。
この世界に来た連中の中で、お前は誰よりも人としての生活に馴染んでいた。
何も考えずに。いつまでもこの平穏な日々が続くと信じて。
この日が来ることを知っておきながら、
自分達には関係がないと思い込んで、人としての生活を続けた。」
「何……?それが何なの!?ぐだぐだ言ってないで結論から話せば!?」
戸惑った様子の人魚が槍の刃を揺らすと、鼻で笑うと蝙蝠怪人は赤い宝石を発光させながら言った。
「分からないのか?
考えることを忘れたお前等はなぁ!
その時点で他人から支配される為に、自分の運命を他人に預けているって事なんだよ!!!!」
「………っ!」
その言葉に人魚の怪人は動揺した様子を見せて返す言葉さえも失ってしまう。
「ふははははっ!!!!
地球で自分の居場所を奪われて、異世界で人生をやり直そうとしていても!
結局、お前の人生は!誰かに自分の人生を任せているに過ぎないってことなんだ!!!
だからお前は勘違いをしているのさ!
この時間そのものが!お前の為の人生じゃなかったってことなんだよ!!!」
それを見て笑い出した蝙蝠の怪人と赤く発光する林檎の宝石を見て狼狽える人魚。
「っ……!ぅぅ…ぅ……くぅっ…………。」
だが既に全身に纏った水を溢れ出すことで冠水した水面は川の様に一方的な水流が引き起こされていた。
目の前で嘲笑う蝙蝠怪人にたじろいでいる間に激流は彼へと向かっていく。
当然、周囲の食器や客席用の椅子やテーブルを押し込んでいくと、とうとう店の扉は耐え切れずに押し開かれた。
「…………くぅぅっ……!」
ザバリと波打つ音を立てて視界に入り込んだ水流が扉から外へと流されていった。
歯止めの利かない光景に、感情を抑えることは疎か、彼女は店が壊れていくことに耐え切ることが出来なかった。
「ぅぅぅ……っ!うわああぁぁあああっ!!!!」
そうして大声を上げて槍を突き出していった彼女は、水上を走る様に凄まじい水の流れを利用して、一直線に疾走した。




