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絆色は血よりも濃し  作者: 八月燿
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落ちた少女

その街は日本の闇、もしくは汚点だ。

 東京の地下深くにある街、労働街。表向きでは政府が就職のできないニートのために造った働くための街だ。しかし真実は、社会の足手まといをその地下街に送り、死ぬまで過酷に働かせる。そしてそれ以外にも二つの特徴がある。

一つは、その街では地上の金持ちを相手に風俗店、賭博、日本では買えない違法品の販売をやっている。

もう一つは非人道的な実験を行っている研究所があることだ。人間のクローン、人体改造、新薬の開発などだ。そのおかげか労働街の科学は地上の何倍も進んでいる。

そんな日本の汚点を隠した街があるからこそ日本は経済的にも、技術的にも他国に負けないでやっていけている。もちろん地上の人間はこのことを知らないで地上でまったり平和に生活をしている。地上にいる労働街に来る権利を持つ者は街のことを地上にいる他者に話してはいけないという守秘義務を負うことになるし、労働街の住人は二度と地上に上ることはできない。ジャーナリストやその他の物好きも労働街のことを調べることは罪になるので誰も触れようとすらしなかった。子供を労働街に送られるような親は大抵ろくな親ではないので二度と会えない子供の心配などしない。しかしその中にもろくでもない子供を寵愛して会わせろ、もしくは労働街から子供を返せと主張する馬鹿な親もいる。そういう親には政府は労働街に送るぞと脅し、そこで大抵は諦めるがそれでも諦めない親もいる。そういう親も労働街に送られ親子共々戻ってこない。


少女の父親は正義感に満ち溢れた政治家だった。政治家として労働街の視察に行きそこの現状を知る。酷いありさまだった。闇や汚点などという言葉すらふさわしくないほどだった。父親はその街をなくすように王と首相に進言する。人口に見合わない日本でどう土地問題を解決する、資金不足の日本が科学技術を大いに発展させるにはどうする、その資金となる金を税以外どうやって増やすのか、全て労働街があってこそ可能なことだ。非人道的だのなんだのの理由で認められるはずがなかった。

王と首相はその父親が労働街のことをマスコミに口外するのを恐れ、その妻と娘も合わせて王直々の裁判にかけられる。父親は家族に火花が飛び散るのを恐れて口外していなかった事情もお構いなしに家族全員有罪になった。

 結果、労働街内情口外罪を下され労働街に家族三人追放された。


  一章


「はっ⋯⋯はっ⋯⋯はっ⋯⋯」

少女は泣きながら労働街を走っていた。後ろから追ってくる男どもにおびえながら初めてのこの暗い街を走り回る。

(痛い⋯⋯)

 コンクリートを裸足で走るのはずいぶんとこたえる。。地上では春なのに太陽がないからかそれとも丈の短い薄くて透けそうな生地の服だからかやけに寒い。逃げ切れる自信はなかったがそれでも自分のために走る。落とされてすぐに身ぐるみを盗られて離れ離れになった父と母が頭に浮かび目に涙があふれる。

「待てやゴラぁー!」

 男どもの声が悪魔の声のように聞こえる。振り返るともうすぐそばまで迫っていた。

(捕まる⋯⋯)


「ヨウ、何か騒がしいよ」

 賢そうな少年が一緒に歩いていた真っ白な少年に話しかける。真っ白というのは文字通り髪が白く、肌も透けるように白いということだ。これは労働街で生まれてからずっとこの街で暮らしてきたという証拠だ。ここまで真っ白なのも珍しいが白くなること自体労働街では珍しいことではない。生まれてから一度も太陽に当たっていないとこういう白い労働街の人間になるのだ。

「どうせ龍商舎の馬鹿どもが商品に逃げられたんだろ。ほっとけよ伊織」

 白い少年が興味なさげに布袋を持ちながら言う。そんな二人の少年が路地から抜けようとした瞬間だった。

「うわっ!」

 賢そうな少年の目の前で何かが通る。それを追うようにして龍商舎のメンバーであろう二人の男が通る。

「なんだろ?」

「娼婦が逃げたんだろ。逃げ切れるわけないのにな」

「でもあの女の子首輪してないっぽいよ」

「⋯⋯調教寸前で逃げてきたのか」

 白い少年が何か迷ったような顔をし始めた。賢そうな少年はそれを毎度のことのようにほほえましく見る。

「助ける?」

「お前ら以外の命は背負いたく⋯⋯ねーな」

 白い少年はそう言いながらも少女が逃げたほうをずっと見る。賢そうな少年はいつものことのように意地の悪そうな顔をする。

「じゃあいこっか。早く燃料集めないとまた風呂が沸かせなくなるしね」

「待て」

 先を急ごうとした賢そうな少年の肩を白い少年がつかむ。賢そうな少年は白い少年に見えないように吹き出しそうになる。

「助けるぞ。俺が上から奇襲してあいつら殺すから伊織は女を頼む」

「はいはい。わかったよ」

 白い少年は脇にある三メートル近くの家を壁蹴りと腕力だけで軽々上るとそのまま少女の向かった方向に走り出す。労働街の家は、労働街では木がないからほとんどがコンクリート製で道路から生えたようにできている丈夫なものだ。屋根も雨が降らないから平で家々の間が狭いから屋根を渡り歩くことができる。

「わーお。相変わらずものすごい力だね」

 屋根に上れない賢そうな少年は下から白い少年の後を追う。


 男の手が伸び、少女が捕まることを覚悟した瞬間、いきなり追ってきた男の頭がなくなり盛大に転ぶ。少女はそこから血が噴き出すまで何があったのか理解できなかった。

「てめ⋯⋯」

 叫んでいた男の仲間の声が止まる。白い少年が男ののどにナイフを突き刺していた。そこから少女が見たことないような大量の血が少年にふりかぶる。雪男か宇宙人を連想させる白い少年は色のせいで赤い返り血が目立ち、表情も変えずに男からナイフを抜くと死んだ男の服でナイフについた血と肌についた返り血をふいてからナイフを腰にしまう。

そんな非日常的な光景を少女はただ呆然としてそれが現実で恐ろしいと気づくまでかなりかかった。昨日までの学校に行っていた日常からかけ離れていて気を抜くとすぐにでも現実逃避してしまいそうだった。

 暗い道からまた一人誰かやってくる。例え何だろうとも少女にはそれが怖くてたまらなかった。

「伊織遅い」

 少女には誰が来たのか暗くて見えなかったがどうやら白い少年の知り合いらしかった。数メートルのところで初めて少女がやってきた人の姿が見えるようになる。それは白い少年とは違い、普通の地上で学生をやってそうな少年だった。

「はぁっはぁっ⋯⋯ヨウが早すぎなんだって」

 賢そうな少年も転がった二体の死体を見ても眉すら動かさない。

「また情け容赦なしにやっちゃって⋯⋯」

「いいんだよ、こいつらは」

 そう言って白い少年は自分が作った死体を蹴る。

「あ、あなた⋯⋯こんな⋯⋯殺して⋯」

 死を覚悟した少女の振り絞って出した非難に白い少年が見るからに怒った顔をする。賢そうな少年が白い少年の肩をつかむ。

「ヨウ、抑えて。この子たぶんここに来たばかりだから勝手がわからないんだよ」

 賢そうな少年が少女に向かう。

「ああしてなきゃ君は娼館に逆戻りだったんだよ。娼館ってわかる? 金で男に貢ぐ女の奴隷みたいな職業の女がいっぱいいる店」

 それを聞いた瞬間少女はぞっとした。しかしそれよりも目の前に死が起きたことの方が許せなかった。

「だからって⋯⋯殺すなんて⋯⋯」

「殺してなきゃ僕らが娼婦を盗んだって、こいつらは仲間を連れて全力で僕らを殺しに来るからね」

 少女はうつむいてしまった。自分が助かるために仕方がなかったことを察したからだろう。正義感が強い少女でも自分を犠牲にしてまでこんな恐ろしい輩を生かしたいとは思えなかった。

「君行くところないんでしょ。だったら僕たちとこない? このままだとまたどこかの娼館に売られちゃうだろうし」

 少女はまだうつむいたまま答えない。少年たちが信用できるかわからないからだった。その優柔不断な態度に白い少年が苛立つ。

「もういい伊織。そいつは知らない男どもに腰振って惨めに死ぬのがお好みなんだってさ。早く燃料取りに行くぞ」

「ちょっとヨウ。待てって」

白い少年が去る。賢そうな少年が慌てて後を追う。白い少年の言葉と男に追われた恐怖が頭の中で最悪なイメージとしてあふれ出す。今頼れそうな人は二人の少年しかいないことにも自覚する。

「あの⋯⋯!」

 二人の少年が振り向く。白い少年は機嫌が悪そうに、賢そうな少年は心配そうな顔をする。少女はそれにおびえながらも声を振り絞る。

「お父さんとお母さんのところに連れてってください!」

 涙をためて懇願する姿に少年二人が顔を見合せる。白い少年が着ていた黒いパーカーを少女に投げる。

「着てなよ。その恰好じゃ俺たちが娼婦を盗んだって勘違いされちゃうから」

 自分のものではないのに賢そうな少年がほほえましそうに言う。少女は寒さもあり多少血に汚れたそのパーカーを着ないということはできなかった。

「場所は?」

 白い少年がまだ機嫌が悪そうに聞く。少女はそれにおびえながらも答える。

「わからない。私たちが落ちてきた場所。ゴミ集積所みたいな場所で⋯⋯そこで⋯⋯お父さんとお母さんは⋯⋯」

 少女は思い出して涙が溢れそうになる。二人の少年はその様子だけでいろいろ察する。おそらく少女の両親は殺されている。労働街に来る罪人は街の西側にあるゴミ区という地上の人間が落とすゴミと同じところから落ちてくる。しかしそこは労働街という名なのにたくさんいる浮浪者の住処だ。そいつらは地上から来た人間を追剥ぎしてそいつらを肉として食う。若い娘が落ちてきた場合は娼館に売るのだ。おそらくこの少女は珍しいケースだが家族で労働街に落ちて、身ぐるみを全てとられ両親は浮浪者どもの食糧に、少女は娼館に売られたのだ。

「ゴミ区か。ちょうどよかったよ。僕たちもそこで燃料を取ろうとしていたんだ」

 賢そうな少年は同情を表情に出さないで声をかける。

(骨だけでも見つかればラッキーだな)

 白い少年は心の中でそう考える。

「そういえば君の名前は?」

「⋯⋯一志花音」

 少女がためらいがちに言う。

「僕は坂上伊織。この白いのはヨウ。俺は一六歳。ヨウは一六歳くらい」

「私も一六歳」

 花音は相手が同い年だと知ると気が少し緩んだ。しかしヨウの紹介でいくつかおかしな点を感じたがそれを聞く勇気はなかった。

「行くぞ。足音が聞こえる。誰か来ると面倒だ」

 伊織と花音には何も聞こえないが伊織はヨウの五感の鋭さを知っている。ヨウが何か来ると言ったらきっと何か来るのだろう。周りが敵だらけのこの街ではそれがいいものなんてことは決してない。

「わかった。行くよ花音」

 こんな状況でも男子に名前で呼ばれ少しドキッとした花音は二人の少年の後を追いかける。


 ゴミ区に着くまでに花音は自分のこれまでの境遇を話した。父親が労働街廃止を訴えたこと、それで労働街に落ちたこと、そのまま浮浪者に襲われ家族バラバラになり花音は娼館に売られたこと。

「大変だったね。それにしても花音のお父さんって政治家なんだ。すごいね」

「うん。でも⋯⋯王様に意見したら落とされちゃって⋯⋯家族全員で⋯⋯お父さんは間違ってたの⋯⋯?」

「間違ってねーよ」

 花音が顔を上げる。自分に問いかけた質問に意外にもヨウから否定の言葉が来た。

「この街に来てすぐどんだけ腐ってるかわかっただろ。お前の親父は自分の正義に従ってそれをなくそうとした。少なくとも俺はお前の父親を尊敬する」

 そんな言葉に花音は励まされた。そして大好きだった父親を疑い始めていた自分に嫌悪感が生まれる。

 途中で大きな階段を下りる。階段を下りただけなのにそこはまるで違う世界に見えた。景色は変わらないが道端で倒れている人が出てきた。中にはヨウと似たように真っ白な人もいる。

ヨウが頭を黙々と歩く間に伊織から労働街についていろいろな話を聞く。

「労働街って円柱が三つ下から大中小に重なってできている。大の部分が三層、中の部分が二層、小の部分が一層って呼ばれている。三層はいわゆるスラム街。二層は娼館やら店やらがあって主にそれを経営しているやつや一層に労働しに行くやつらが住んでいる。一層は研究区と地上からのエレベーターと浄水所があるんだ」

「浄水所?」

 ヨウと違って親しみやすい伊織に花音はもう問題なく話すことができた。

「そう。この街って水の音がうるさいでしょ」

「うん」

 ここに来てから花音は絶えず流れる水の音を聞いている。まるで川がすぐそばにあるような感覚だ。

「この街は地上の下水をエレベーターの隣の管から送って浄水して東西南北四方に大きな川と複数の枝のようになっている小さな川になって流れているんだ。僕たちはこの四方の川が主流、枝のようになっている川は副流って呼んでいる。主流はこの街の唯一の美点で浄水されたきれいな水を住人が飲み水やら風呂やらでいろんなことに使ってる。ただし一層の住民、主に研究所の所員だけどさ。あいつらが二層、三層の住民のことを考えずに使ってるから二層の主流は一層に比べて多少汚い。また二層の奴ら、僕たちもなんだけど三層のやつらのことなんて考えてないから三層の水はまたさらに汚い。副流はこの街の下水役割を果たしていて街中の地面の下を流れている。その流れの上に家々が立っている」

「なんで家の下にその副流があるの?」

「それは家に着けばわかるよ。見たほうが早いしね」

「わかった」

「ちなみに階段下りる前までいたところは僕たちの拠点がある二層の南と西の主流の間の地区、二層南西地区。僕たちが今いるのは三層の南と西の主流の間の地区、三層南西地区ね。ゴミ区は三層南東区のことだからこことあと三層東北地区からしか行けない。一層と二層の間には関所があって通行証、まあ持っているのは研究所の職員か地上の金持ちだけなんだけどそれがないと行き来できない。二層と三層は関所がないから行き来自由なんだけどゴミ区だけは絶壁に囲まれているから隣の区、三層東北区か南西区からしか行けないんだ」

 花音は改めて周りを見渡した。異臭もすれば人も倒れているスラム街の三層は二層よりも格段にひどい景色だった。ふと倒れている白い人が目に入り声を小さくする。

「あの白い人たちって⋯⋯」

「生まれも育ちも労働街ってことだ。生まれてから一度も太陽に当たらないとこういう姿になる」

 ヨウから答えが返ってきてドキッとする。わざわざ声を下げていった意味がない。

「ヨウは目もよければ鼻もいい。耳なんて動物なんかよりも鋭いから気を付けて」

「人を化け物みたく言うな。それより着いたぞ」

 着いた目の前には大きな川がありそれをまたぐ橋のように上りの階段がありその先に巨大なコンクリート製の壁とそこにつく扉があった。ヨウと伊織はその川で血を落としたり飲んだりしている。

「ここが南の主流だよ。だから飲んでも大丈夫」

花音はさっきの話を聞かされはじめは抵抗があったもののここまで長時間歩いたり走ったりしていたため渇きが尋常でなく、飲まずにはいられなかった。

壁にある扉は人の出入りが激しい。みんなヨウや伊織が持っているような布袋をパンパンに膨らませて持っている。

「あの人たちは何を持っているの?」

「ん? ああただの燃料だよ」

「燃料?」

「この街って暗いでしょ。一応電気はあるんだけど一層や二層の金持ちの家しか通っていない。だから火は僕たちにとっての大事な明かりなんだ。でも何もなければ火は起こせないでしょ。だからああやってゴミ区に薪代わりになる燃えやすいものを取りに行くんだ。新聞とか雑誌とかをね」

 先ほどの二層は黄昏の明るさだが三層はもう夜の暗さだ。街にある松明の数のせいだろう。一層違うだけでここまで差があると落差がうかがえる。遠くのこの街で一番高い場所、一層では二層三層に光が漏れるほど明るい。

「急ぐぞ。燃料も集めにゃならんが今日は花音の両親も探さにゃならん」

「⋯⋯そうだね」

 ヨウの言葉に伊織はバツの悪そうな顔をする。花音も気分が暗くなる。ヨウだけが平然としていられた。ヨウはそのまま急ぎ足で進みゴミ区の扉を開けた。

「うわっ⋯⋯」

 開けた瞬間花音は鼻をふさがずにはいられなかった。それもそのはず中はゴミ区の名にふさわしいほど臭かった。中は堀になっていてそこにはまんべんなくゴミが積もっていた。紙、コンビニ弁当のパック、魚の骨、空き缶、空き瓶、燃えるゴミ燃えないゴミ関係なしに散らばっていた。そしてそこにいる人はゴミを布袋に詰める比較的服装の整った格好の人とただぶらぶらしたりゴミの上で寝ていたり火を焚いてその周りでしゃべっているだけの何年も同じ服を着ているような人の二種類がいた。

「においは慣れろ。あとここでは俺の傍を離れるな」

 ヨウの何気なく言ったその言葉に思わずドキッとする。

「死にたくなければな」

 しかしその後に付け足された言葉のせいで一気にその気持ちは落ち着く。そんなヨウは目を凝らしてあたり一面を見渡す。絶壁に囲まれたせいで一層から漏れる光も届かず、ちらほらいる浮浪者の焚き火だけでは伊織と花音にとって暗くて見渡すには不十分な明るさだがヨウには十分だった。そして一つのポイントに目をつける。

「何か見つけた?」

「ああ」

 伊織と花音が見えない先にヨウはゴミで溢れる堀に降りて向かう。二人も後から続く。ヨウが向かった先には一人の浮浪者が焚き火の傍で温まっていた。ヨウは迷わず声をかける。

「おっさん、ちょっと聞きたいことがあるんだが⋯⋯」

 浮浪者は一瞥しただけでまた火をじっと見つめる。

「今日、地上から家族ぐるみで落ちてきた奴らについて何か知らないか?」

 一瞬浮浪者の肩がぴくんと反応する。

「知らねえな。失せろガキ」

「嘘が下手なんだよゴミ野郎」

「ひっ⋯⋯」 

ヨウの蹴りが浮浪者の顔面の側面を撃ち抜いた。花音は自分が蹴られるわけでもないのに短い悲鳴を上げる。あまりにも見事な蹴りで浮浪者は数メートルほど転がる。ちゃりんと音を鳴らした小さな布袋が浮浪者から落ちる。浮浪者が必死になって拾おうとしたそれをヨウが先に素早く拾う。

「てめえっ」

 それを取り返そうとした浮浪者はヨウに飛び掛かるが今度は拳で地面にたたきつけられる。そして浮浪者を踏みつける。

「うごっ⋯⋯」

ヨウは平然とそうしているだけなのに男はもだえるだけで立ち上がれない。その体勢のままヨウは布袋の中身を見る。

「札と小銭がかなりあるな。八千円くらいあるか? なんで浮浪者のてめえなんかがこんなに金を持っているんだよ」

「うるせー俺の金だ! とっとと返せ!」

「はぁ⋯⋯」

 もだえる男にヨウは大きなため息をつく。そして袋に手を突っ込む。

「吐かないとお前の金がなくなるぞ。はい千円」

 そう言って袋から取り出した千円札を自分のズボンのポケットに入れる。

「ふざけるんじゃね⋯⋯」

「二千円」

「おい⋯⋯わかった⋯⋯言うから⋯⋯言うからそれ以上は⋯⋯」

「三千円」

「し、死んだよ! 娘はどっかの馬鹿が連れて行ったが父親と母親は身ぐるみはがされて食われたよ!」

 花音の心臓が止まりそうになる。薄々わかっていたことだが聞かされると悲しみがあふれてくる。

「食われたってどういうこと?」

 花音が伊織に小さな声でわかる。伊織は言いにくそうにして「後でわかる」とだけ答えた。

「死んだ? 食われた? お前も殺して食ったんだろ!」

 ヨウは一回足を上げるとまた勢いよく下げ、再度浮浪者を踏みつける。

「うごっ⋯⋯」

「で、骨はどこだ?」

「骨? なんで骨なんか⋯⋯」

「はい四千円」

「は、吐き出し口だ。そこに放置してあるはずだ⋯⋯」

「はず⋯⋯? はい五千円ー」

「う、嘘じゃねえ。あそこですぐ焼いて食ったんだから骨はその辺に捨ててあるはずだ⋯⋯」

 ヨウは黙って足を退ける。そして袋を男の傍に落とす。

「もうちょっと優しくやりなよ。花音がヨウに怯えているよ」

「優しくなんてできるか。こんな奴に⋯⋯」

「うわぁーーーー‼」

「ひっ⋯⋯」

 起き上がった浮浪者はおびえて尻餅をついた花音に向かって飛び掛かる。だが突然横から現れた拳が浮浪者をカウンターの要領で吹っ飛ばす。そのまま浮浪者はボールのようにバウンドをし、のびてしまった。

「はぁーっ。馬鹿すぎてため息が出る。大丈夫か花音?」

 またヨウに助けられ、声までかけてもらうが花音は恐怖のあまりうなずくことしかできなかった。ヨウは花音の腕をつかむとそのまま引っ張り立たす。

「行くぞ」

 今度ヨウが向かった場所は花音に見覚えがあった。絶壁に囲まれたゴミ区の中で唯一天井に伸びている大きなパイプだ。電車すら通れそうなその穴から一志一家は落ちてきたのだ。

「見つけた」

「うわ⋯⋯。これはひどいね」

 伊織はそのあまりにもひどい光景に思わず目をそむけそうになる。花音もヨウと伊織が見ているものを見てみる。

「きゃ、きゃあああぁぁーーーーーーー‼」

 悲鳴が響き渡る。そのまままた尻餅をつき目から涙があふれる。三人が見たもの、それは二人の人間の頭、花音の両親の頭だった。死の着前に恐怖を見たままの顔だった。周りには血の跡、そしてその上には理科室で見たような骨が散らばっている。

「なんで⋯⋯こんな⋯⋯」

「ゴミ区に住んでいる奴らは仕事すらないんだよ。だからこのパイプから落ちてきた地上の人間を売ったり、食ったりしているんだよ。だから地上から落とされたばかりの何も知らない奴は大抵ここで死ぬことになる」

 ヨウと伊織はそれぞれ二つの頭のまぶたを閉じるとそのまま持っていた布袋に骨と頭を詰める。

「何して⋯⋯」

「お前は墓も作らない気か」

 ヨウのきつい言い方でやっと自分のしなければいけないことに気付く。しかし花音は二人を手伝うことができなかった。いくら両親とはいえ頭と骨だけになった両親は触ることができなかった。そんな自分を情けなく、そして最低だと思った。

詰め終わった二人は袋をサンタクロースのように持ち直す。ヨウは黙って花音に手を差し出す。花音はまだ涙を流しながらその手をつかんだ。その手はこの冷たい空間でとても暖かく安心させた。


二層南西区、そこに二人の家はある。造りはコンクリートで他の家と同様屋根が平らだが他の家と比べて大きい。その家の少し離れたところにコンクリートの地面が砕かれ、土が丸出しになっているスペースがある。そこにはいくつかの盛り上がった土の上に石が置いてあった。どうやらそこが墓地らしい。

まだ空いている土のスペースにヨウと伊織はスコップで掘るとその中で布袋に入っていた花音の両親を埋める作業を黙々とやった。穴を掘る作業は花音も手を使って手伝ったが埋める作業はできなかった。平気で頭や骨を触るヨウと伊織を見ていると何とも複雑な気持ちになった。

「悪いな、こんな墓で」

 盛った土の上に石をのせながら放ったヨウの言葉は空に消える。両親にかけてくれただろうその言葉は花音にとって少し嬉しかった。

「本当はこんな小さな石じゃなくて木で十字架でも立てられればいいんだけど木だと盗まれちゃうんだよ」

 伊織が花音に目もあわさず言った。二人がそこで目を閉じ、手を前に合わせる。それを花音も真似する。必死にこらえようとした涙がまたあふれてくる。今までの両親との思い出が浮かんでくる。花音に愛情を注いで育ててくれたお母さん。仕事熱心だが決して花音のことを忘れないお父さん。

「ありがとう。ごめんね。お父さん、お母さん」

 その後ヨウと伊織は別の墓に行き、そこでまた手を合わせる。そして今度はヨウだけでまた別の墓に参る。花音はその二つの墓の前で誰が眠っているのかはわからないが手を合わせる。ヨウを待つ間、墓地を出たところで花音はその二つの墓は誰のものなのかを伊織に問う。

「さっきのは僕たちの仲間の墓だよ。で、今ヨウが参っているのがヨウの母親の墓」

 急に花音はヨウにシンパシーがわいた。同じ境遇だからヨウは花音にここまでしてくれるのだと彼女は感じる。いや、例えヨウがそうでなくてもヨウはぶつぶつ言いながら他人の両親の墓づくりを手伝っただろう。

「母親の墓に参るときだけヨウは弱そうな顔をするよ。覗けたらラッキーだ」

「うるせー。俺だって母親の前でくらい感傷に浸る」

 ヨウが墓地から出てくる。その顔には若干悲しみが残っていた。それは、花音が今まで見たツンツンとしたヨウでは考えられない一面だった。花音はその一面に驚きと同情を覚えた。


 ヨウと伊織の家が大きいのもそのはず一階はバーになっていた。店名は『white fur』、白い毛という意味で地上だったら明らかにお酒を出すお店だ。その入り口の前には見るからに年老いた犬が寝ていた。その老犬は決してきれいではないのに花音うっとりした。

「こいつはタミコ。一応うちの番犬なんだけどおばあちゃん犬だから寝てることが多い」

「撫でても大丈夫?」

「大丈夫。昔は荒かったんだけど今ではすっかり牙が抜けちゃったから」

花音はタミコの背中を優しくなでるとタミコは目を覚ます。ヨウがその犬をじっと見つめると犬はのそっと起き上がり花音を見つめ匂いをかぐ。

「口の悪いババァ犬だ」

「なんだって?」

「花音からは俺たちと違っていい匂いがするだってよ」

 はてなを浮かべる花音に伊織が面白そうに説明する。

「ヨウはね、動物と会話っていうかなんて言うか意思疎通ができるんだよ」

「えっ⁉」

「嘘じゃないよ。ヨウ、ちょっとタミコに挨拶させて見せてよ」

 ヨウは老犬をじっと見つめる。すると老犬は花音に向かってお辞儀するように頭を下げた。花音はその光景に目を丸くする。

「本当だ⋯⋯。なんで?」

「まあいろいろとな」

「他の動物とも話せるの?」

「話すじゃなくて意思疎通な。言葉で会話しているわけじゃない。お互いの目が合わないとお互いの考えていることがわからない。一応どんな動物でもできるが哺乳類以外は大抵頭が悪くて会話にならない。まともに人間的な会話ができるのはゴリラとチンパンジーとシャチくらいだな」

「へぇー」

 動物が好きな花音にとってその能力はのどから手が出るほど欲しい。同時にヨウは人間なのかという疑問が出てくる。白かったり五感が鋭かったり動物と話せたり人間離れしている。最後に二人はタミコを撫でると正面から入り花音も続く。カランコロンとどのお店でも聞こえるドアの開閉音が聞こえる。

「お兄ちゃんおかえりー」

 中は静かに飲みたい人たちが行くような薄暗いバーだ。それもそのはず明かりは店内にある蝋燭と暖炉しかない。そしてその中にはヨウと同世代くらいの子供が四人いた。各々がお店で作業をしていてその中のモップを持って掃除していた一人がヨウの前までやってくる。ヨウを「お兄ちゃん」と呼んだその子も白い髪、白い肌だった。白い人は労働街では珍しくない。しかしその子は左目に眼帯をしていた。

「帰った。新しい仲間」

 ヨウはそう言って花音を示す。眼帯の子は効いた途端嬉しそうにした。他の作業をしていた三人も花音に注目する。

「久しぶりの仲間だー。私の名前はテン。一四歳くらいでヨウお兄ちゃんの妹だよー。あなたの名前は?」

「一志花音です。一六歳です」

 花音はテンだけではなく全員に名乗った。そして頭を下げる。

 カウンターで皿洗いをしていた少女が手を止め、テンのすぐそばまでやってくる。

「初めまして、雪下結衣ですたい。えっと⋯⋯アームストロングさん? よろしく」

「キャノンじゃない花音だ。大砲つながりで間違えるな。悪い。こいつ記憶力がちょっとあれなんだ。決してボケてるわけじゃないから目をつぶってやってくれ」

 ヨウが説明する。しかし今の結衣の発言には違和感を覚えた。全く故意が感じられず、本当に素で言っていたように見えた。ヨウはああいったが花音は結衣という少女がわからなかった。

「えっと私かな。私は櫻井風音。一七歳、ここで一番のお姉さんでこのバーのマスターってことになってるの。えっと最後に⋯⋯」

 カウンターで何かを調理しながら答えた背の高い女性が答えてそして最後に言いにくそうにテーブルで皿をふいている少年を見る。少し幼くそしてヨウとテン兄妹ほどではないが白い少年は童顔の顔を懸命にこわばらせているように見えた。そしてちらちら花音をちらちら見ながら新入りに興味があるのを隠してテーブルを拭いているように見えた。

「あの子はナギ。一三歳くらい」 

 花音は今の紹介にデジャブを感じた。

「って設定で本名は水瀬凪。一三歳ぴったりでお兄ちゃんのことマジリスペクトしてるんだよー」

「せ、設定じゃないよ。素だよ素!」

「凪君お兄ちゃんはそんなしゃべり方じゃないよー。花音ちゃん、凪君はね、お兄ちゃんのこと尊敬しすぎてお兄ちゃんのしゃべり方とか真似ようとしてるんだよー」

「テンっ! ばらすなよぉー」

風音が紹介しテンが補足をする。ヨウはものすごく嫌そうな顔をしていた。そして凪がいじけるのを見て面倒そうな顔をした。

「俺たちは全員親がいないんだ。だからみんなでこのバーを切り盛りしながら暮らしている。そして花音も今日から僕たちの仲間だ。地上から来たばかりで慣れないことも多いだろうけどがんばろう」

 伊織が花音に微笑み、ヨウは一瞥をする。他のみんなも歓迎の目で見る。流れでここまで来てしまったけど仕方ない。花音にはこうするしかなかったし、両親のように殺されなかっただけまだましなのかもしれない。それどころか娼婦になりかけたのを助けてくれる仲間まで見つかったのだ。花音は悲しみを振り切る意味も含めてまた頭を下げる。

「よろしくお願いしますっ」

「うん。まあなんでもこのお姉さんに頼りなさないな。ところでヨウ、さっきから龍商舎の動きが激しくなってるんだけどひょっとして何かした?」

 ヨウがバツ悪そうにする。それを見かねた伊織は、

「実は花音を助けるとき龍商舎の組員二人やっちゃった。見られていないから問題ないと思うけど一応気を付けて」

「それでお兄ちゃん、ゴミ区の異臭に混じってなんか血なまぐさいのか。あれ? でも土の臭いもするー。伊織君も花音ちゃんも⋯⋯」

 テンがヨウ、伊織、花音を順に嗅ぐ。まるで犬のような仕草だ。どうやらヨウの妹だけあってこの子も五感が鋭いらしい。

「まあいろいろとな。早く風呂⋯⋯」

 ヨウが何かを思い出したように動きが止まる。

「どうしたのお兄ちゃん? っていうかなんで布袋そんなに潰れてまるで何も入ってないような⋯⋯」

 ヨウがまたバツ悪そうな顔をする。

「まさかお兄ちゃん、燃料忘れたの?」

 それを聞いた瞬間風音が絶句する。ヨウはゆっくりとうなずいた。

「バカー! また水シャワーじゃないのよー!」

 風音がショックのあまり野菜を切るスピードが速くなる。凪もショックそうな顔をしているが言葉が出なかった。

「だ、大丈夫。俺は水シャワーのが好きだぜ」

「凪君、お兄ちゃんは温かい風呂の方が好きだし、『だぜ』なんて使わないよー」

「あたしは別にいいぞい。水シャワー好きだし」

「結衣は丈夫だからいいだろうけど私は毎回凍え死にそうになるんだからねっ!」

「落ち着けって。明日はちゃんと取ってくるから」

「信用できませんっ。明日は伊織と凪で行って」

「わかった」

「凪、伊織もいるから大丈夫だとは思うけどヨウ君の真似とか言ってわざと忘れたりしたら⋯⋯」

 風音の眼光が凪を撃ち抜く。

「⋯⋯はい」

「話は済んだか。じゃあ俺と伊織は水シャワー浴びてくるからその間に風音は花音に服貸してあげてくれ。明日買い出しに行ってくるから」

「済んだって⋯⋯。はぁー、わかった。花音、こっちおいで」

 風音が料理の手を止め二階に上がる。花音はヨウに借りたパーカーを返してからそれに続いた。二階は大きな部屋が二つ、男子部屋と女子部屋らしい。そのうちの女子部屋に二人は入る。中は大きい本棚に五つのタンスと二つのベッドと三つのハンモック、まるで貧乏宿のような部屋だった。風音は一つのタンスから服を何枚か取り出す。

「これ着て。私のだから少し大きいかもしれないけど。靴は代えがないから明日買うまで我慢してね。でも花音、調教間際でヨウに助けてもらったなんて本当ラッキーだったわね」

「調教?」

 風音は何も答えなかった。しかし花音も意味は大体わかった。もしあそこで逃げ出せていなかったことを考えるとぞっとする。身ぐるみを剥がして首輪を持って近づく、一生もののトラウマだ。改めて着せられた自分の格好を見る。地上で着ていたら写メを取られSNSにのせられるくらいきわどい。スカートは走れば見える、服は透けるくらい薄い。

 渡された服を見る。そうしたら風音の優しさに触れた気がしてまた涙があふれてくる。風音の前で泣かないようにこらえていたがそれもできなかった。

「ど、どうしたの花音?」

「帰りたい。帰りたいよぉー」

 風音があまりにも優しく安心したせいで本音が飛び出し、涙があふれたのだ。もらった服に顔を押し付ける。そんな花音は何かに包まれる。それはまるで母親のように温かい。

「大丈夫。ヨウを信じなさい。ヨウにできないことはないんだから」

 風音や凪やテンがヨウを尊敬する理由はわかる。彼がいたから花音は男たちから逃げられ、両親の遺体を見つけ、墓を作り、仲間ができたのだ。花音もヨウに出会えてよかったと思い始めていた。


 ヨウは伊織と共に一階の風呂場で体を洗う。主流から運んできた水のタンクからシャワーが出て排水溝である家の下を流れる副流へと流れている。タンクの横には大きなドラム缶、下に火を焚けば立派なドラム缶風呂だ。その横には副流に続く洗濯用の穴、仕切りがあってその奥はトイレ用の副流につながる穴だ。これが副流の上に家が建っている理由だ。一層なんかは研究員が住むマンションが多いので地上のバスルームと変わりないが二層三層のバスルームはみんなこんな感じだ。バスルームが立派であることだけが労働街の家の取り柄だといっても過言ではない。

(帰りたい。帰りたいよぉー)

 ヨウの鋭い耳に二階からの大きな泣き声が聞こえた。ヨウの動きが止まる。

「どうしたのヨウ?」

 隣で頭を洗う伊織が手を止め問いかける。

「いや、なんでもない」

 ヨウは何事もなかったように体を洗う。ヨウは改めてここにいる仲間、花音を含めた全員を守り抜こう、そう心に誓った。


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