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9.受容

美しい歌声が放課後聞けると皆の間で噂になったのは、私に異変が起きたのと同時期だった。

最近、私は記憶が抜け落ちる事が続いていた。

しかし、生活には困らないレベルなので独りで抱え込んでいる。

それでも不安な事には変わらなくて、憂鬱な雰囲気が私を包んでいた。


記憶が無くなるのは放課後の時間帯だ。

ホームルームが終了して、気が付いたら夜になっている。

喉も掠れる様にして痛く、私は自分自身の身に異変が起きている事を認めざるを得なかった。


「伊都橋さん、ちょっといい?」

「いいわよ。」

振り向くと篠宮君が険しい顔をしていた。

あれだけ避けていれば仕方がないかと私は静かに納得した。

今日は下校時間になったのに、珍しい事に意識を保っている。


私も彼と話したかったので、その呼び出しに応じた。

場所は人気のない教室で、とてもスタンダードな選択と言える。


夕焼けの光が差す教室で私と彼は向き合った。

色素の薄い彼は赤く染まっていて、綺麗だと刹那見惚れた。


「篠宮君、私も話がしたかったの。まず、この間は迷惑を掛けてごめんなさい。」

「僕もごめん。チャンスを逃したくなくて焦り過ぎた。」

彼は緊張していたらしく、大きく息を吐いた。

私は言葉を探しながら告げる。


「もう謝罪はもらっていたもの。避けていたのはそれが原因じゃないわ。

私は奇妙な物が視れるせいで色々あったから、ずっとこの事は秘密にしていたの。

だから、それを知っている人とどうやって接したらいいか分からなくて…。」

「戸惑ってたんだ。」

篠宮君は私の心情を見透かす様な眼差しでそう言った。

それから密やかに不器用だねと続けた。


「伊都橋さんが向こう側を嫌いでも、その体質がある限り関わるのは避けられないよ。」

彼はそう言って憐れむような目で私を見詰めた。

その眼差しに私の心臓は酷く痛くなった。


「分かっているわ。いつまでも逃げられないことぐらい。」

「そうだね。」

そう言うと篠宮君は私の肩に手を置いた。

すると私は急に力が抜けて、へたり込んでしまった。


「伊都橋さんに憑いているのは、コーラス部の部長ですね。貴方は事故に遭って昏睡状態になりました。

未だに、体は病院のベッドにあります。彼女から離れて下さい。」

彼は冷たくて厳しい命令するような声で告げた。


「彼女は出来ることをしてくれるといったわ。今は周りの目を気にしないで、自由に歌を歌えるの。

それを人に聞いてもらえる。離れるなんて絶対に嫌。」

血の様な絶叫だった。

私の口から私の物ではない言葉が次々出る。

私の手が私の髪を掻き毟るのを膜に覆われた遠く離れた世界で視ていた。


「実力行使に出ますよ。」

「やめて。」

私は絶叫する。

だって彼女が余りに可哀相だ。


恐らくはコーラス部の部長の物だろう記憶を見たのだ。

冷たい家庭で育った中、寂しさを紛らわすために小さくハミングを歌ったのが全ての始まりだった。

努力家で才能もあった彼女は2年生なのに部長を命じられるまでに至る。

そこから始まる、想像を絶する妬みに掛けられる重いプレッシャー。

何度目かになる水浸しの楽譜を見た彼女の心は折れたのだ。

彼女にとって歌は自分を支える大事なものだったのに。

その喜びがゆっくりと褪せていく悲しさ。

そうして彼女は事故に遭った。


目を醒ましたくないと思っても仕方ない。

それでも。


「先輩、私は貴方の歌がとても好きです。心が癒されたとすら思いました。

こんな歌を歌う人はきっとすごく優しい人なんだろうと思って…。

それだけじゃ駄目でしょうか。」

歪む視界の中、必死にそれだけを告げると私の意識は暗転した。


おんなのひとがいる。

かのじょはこまったようにわらっていた。

かなしそうなかおをしていなかったのがうれしかった。

なんでこんなにうれしいんだろう。

かのじょはわたしにてをふって、せをむけてあるきはじめた。

わたしはかのじょにえーるをおくるようにおもいっきりてをふった。


ふと、夢から醒めると外はすっかり日が暮れていた。


「私って意識を失ってばかりね。」

そう呟いて、体に掛けてあった篠宮君の物らしきジャケットの裾を掴んだ。

私が疲労感から大きく溜息をつくと彼が振り返った。


「良かった。気が付いたんだ。」

「ええ、ジャケットを貸してくれてありがとう。」

そう言って手渡すと、彼は心配そうな顔をしつつ受け取ってくれた。

私のまだ青いだろう顔色を伺う様な眼差しで見てくる。


「君は凄いね。先輩は体に戻ったと思うよ。」

「私は遮二無二になっていただけよ。後先考えて無かっただけ。」

私が首を振って言っても篠宮君は納得してくれなかった。

むしろ、却って賛嘆の表情で私を見た。


「それでも、僕だったら彼女を傷つけざるを得なかっただろうから…。」

そうぽつりと零した彼はとても寂しそうだった。


篠宮君にも今の職業に着くまで、葛藤があったんだろうか。

私の様に妙な物が視えることで嫌な目に遭ったこともあるんじゃないか。

良くも悪くも目立つ容貌をしている彼はテレビに出ている事も相まってとても目立つ。

同じ能力を持つと言うだけで私に執着している彼にふと孤独の影を垣間見ることができた。

クラスの中ではうまく溶け込んでいたようだけど、その中で本当に気を許せる人はいるのだろうか。


私は自分で精一杯で彼を気遣えなかったことを恥ずかしいと思った。


「ねえ、伊都橋さん。いざという時は役に立つし、傍に置いてくれない?

多分、僕には貴方が必要だ。」

そうして差し出された篠宮君の手を私は取った。

私達はその後、最終下校時刻ぎりぎりになるまで話をしていた。

ようやっとお互いの中で相手の事を受け入れられたのがこの日だったように思う。

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