6.露見
それが起こったのは、私が学校の図書館を掃除していた時だった。
私の学校では席の近い者同士がグループを組んで、授業終了時に掃除をする。
勿論、隣の席の篠宮君も同じ班になっていて、一緒で良かったと言われてしまった。
それはともかく、これはどこの学校にも見られる普通の制度でこれと言って不満なんてない。
けれども、図書館の掃除をするのは出来るなら避けたかった。
しかし、今回は運が悪かったようで掃除の担当地区として指定されてしまった。
そこは真夜中の墓地にも似た鬱々とした暗い雰囲気があった。
それは他の生徒も感じるのか、休み時間にも利用者は殆どいない。
大体、陰気な司書の先生が独りでぽつんと座っているのがいつもの光景だった。
その時私は閉架書庫の中の掃除を一人で担当していた。
紀代乃岡学園は卒業生の寄付が多額なおかげもあって、書籍の量は多い。
敢えて独りでいるのを選択したのは、もし妙なものが見えて変な行動を取ってしまった場合に
皆に奇異の目で見られないようにと言う、私なりの工夫だった。
私が箒で床の埃を集め終えて、塵取りを取りに行こうとした時だった。
足が何かに引っ張られて、思いっきり転んでしまった。
痛みをこらえつつ足首を見ると、小さな子供の手が書棚の下から掴んでいた。
隙間は数センチしかなく、子供が入るわけないのだ。
私は服の中にドライアイスを入れられた様な強烈な寒気を感じた。
みし、みし、みし、
小さな紅葉の様な手で足首を音が出るぐらい強く握りしめられ、小さな悲鳴を上げた。
更に別の書棚の下からも手が出て来て、手首を拘束され身動きが取れなくなる。
それから、ズルリと這うように出てきた、
まだ小学生低学年ぐらいの肌が青白い女の子と目が合った。
彼女は可愛らしい顔立ちをしていたが、生気がごっそりと抜け落ちていた。
こつん、こつん、
女の子は足音を立てながら、一歩づつ近づいてくる。
そうして目の前まで来ると静かに立ち止まり、私を見詰めた。
どれぐらい時間が経ったのか分からない。
一瞬だったかもしれないし、とても長い時間だったような気がする。
彼女と私は大恋愛中の恋人同士の様に二人だけの世界で見つめ合っていた。
ふと、女の子のマッチの棒を連想させる細い腕が動いた。
彼女は私の首に手を添えると、ゆっくりと力を込め始めた。
抵抗しなかったのは、女の子が余りにも寂しそうだったからかも知れない。
薄れゆく意識の中で最後に見たのは、
心底嬉しそうに微笑む彼女の表情だった。
ながいあいだずっとひとり。
だれにはなしかけてもいっしょにあそんでくれない。
すきなひとができてもみんなわたしのことをおいていくの。
さびしくてかなしくてそばにいてくれるひとがほしいだけなのに。
どうしてそれすらかなわないの。
おねえさんもひとりわたしもひとりならずっとそばにいられるのに。
もうねむれないよるをひとりですごすこともないのにどうしてだめなの。
おしえて。
ふと、私が目を覚めるとベットの上にいた。
独特の消毒液の匂いが鼻について、ここは保健室だと気が付いた。
丁度、保健室の先生は席を外していた。
とても都合が良い。
私は体を起こすと、刃物を目で探し始めた。
残念ながらはさみ程度しか見当たらず、別の方法を採る事にした。
ふと目をやると、窓が大きく開いていてピンクのカーテンがひらひらと揺れていた。
確か保健室は5階で、全体的に余裕を持った造りになっているお陰で高さとしては十分だろう。
私は女の子の元に行かなくてはと言う、意識に支配されていた。
ベットから出て行き、体を立ち上がらせる。
一瞬、目眩がしたが大した問題じゃない。
窓に足を掛けて、飛び下りればいいだけ。
とても簡単なこと。
さあ、すぐに…。
ガラリと音がした。
私は一瞬体を竦ませて、そちらを見ると篠宮君がいた。
彼が保健室のドアを開けて入ってきたのだ。
「伊都橋さん、どうかしたの?」
どうかした、どうかした、どうかした。
その言葉が私の頭の中で鳴り響いた。
その音は反響を立てて大きくなり、私をその場で蹲らせた。
そう、どうかしていた。
私はさっきまで何を考えていた?
篠宮君が気分が悪いと思ったのか、背中を擦ってくれる。
私の中にこのまま一生蹲っていたいと言う強烈な願望が浮かんできた。
それは気分が悪くなるような熱を孕んだ、強い欲望だった。
「伊都橋さん、大丈夫…じゃなさそうだね。」
「心配掛けてごめんなさい。元々風邪気味だったの。」
何でも私は掃除の最中に体調不良で倒れたと言う事になっているらしい。
意識を失っている私を保健室まで運んでくれたのが篠宮君なんだとか。
ホームルームは既に終了しているらしく、鞄も持って来てくれた。
篠宮君に大きな借りを作ってしまったと、胸中溜息をついた。
顔を上げると、彼が食い入る様な眼付きで私を見ていた。
いや、私と言うよりもこれは…。
彼の手が私の首をなぞる。
「伊都橋さん。これ、人の手だよね。何があったの?」
「それは…。」
私は俯いて、言葉を詰まらせた。
何て言えば、彼を納得させられるのだろう。
急に図書館で倒れて、手形の様な痣が首に残っていても不自然じゃない理由。
思考は焦れば焦るほど、空回りしてばかりで答えはどうしても見つからなかった。
「答えられないなら、質問を変えるよ。」
そうして、篠宮君は私に向かって綺麗にほほ笑んだ。
それは美しかったが、その表情の下にある動物めいた獰猛さは隠せていなかった。
「君、霊が視えるでしょう。」