20.洞窟
こうして、私と篠宮君は学校帰りに山に向かう事になった。
途中のコンビニエンスストアで必要最低限の食料などを買い込み、学校から電車で2時間ほど離れたその場所に向かった。
道中は二人とも、無言で黙々と行動していたように思う。
ちなみに母親に外泊すると言う話を携帯電話ですると、そう。と了承され、そのまま切られた。
篠宮君のお父さんは滅多に家に帰ってこないらしく、そもそも許可を取る必要がないのだと言う。
そこで彼の父親の異様な光景を思い出し、ふと寒気を感じた。
電車から降りて、寂れた駅の改札口を出る。
段々と辺りが暗くなってきて、心細い気持ちになる。
幸いなことに山は駅からバスを使って、それ程掛らない場所にあった。
民家が少なくなっていった先に人から忘れられたように、その奥深い山があった。
「どう?」
「うん。何か、ザワザワしている。」
私が囁く様な声でそう言うと、篠宮君は黙って頷いた。
ここの山は確かに奇妙な印象を受けた。
誰も居ないのに、沢山の人達が小さな声で話してくれる様な気配がする。
あそんでくれるの?
そんな声が聞こえた様な気がして、私は辺りを見回した。
しかし、足を止めている間に篠宮君はどんどん先に行ってしまう。
随分先に言った彼は、立ち竦んでいる私を見てこう言った。
「もし、怖いなら帰ってもいいよ。」
そう言い残すと篠宮君の後ろ姿は小さくなり、闇に溶けて行ってしまう。
私は彼を見失わない様に慌てて追いかけて行った。
「今日は何処に泊まるの?」
「この先に洞窟があるから、そこで一泊する。」
振り返って欲しくて、私は声を掛けるが篠宮君は背中を見せたままだ。
私は諦めて、歩きにくい山道で転ばない様に注意することに専念することにした。
暫く歩くと、確かに洞窟があった。
野宿をする事は初めてなので不思議な気持ちで辺りを見回していると生温かい風が吹いた。
真っ暗な洞窟の中を懐中電灯を点けて躊躇なく進む彼を追いかけながら、私は息の詰まるような暗闇に身を浸して行った。
幾つもの人の気配を感じながら、気のせいだと自分に言い聞かせ進んでいく。
心臓の鼓動が速くなりそうなのを無理やり抑え込んで平静を保つのに尽力する。
そうしなければ、この中で一晩を過ごすことをすることは到底出来そうになかった。
ある程度奥まった場所まで来ると、篠宮君は腰をおろして食事にしようかと言った。
正直な所、学校に行った上に山登りもしたので疲れていたのだ。
私は鞄の中からクリームパンを取り出すともそもそと食べ始めた。
口の中に広がる甘い味を噛み締めていると、ふと彼と目があった。
篠宮君は手の中の焼きそばパンをそのままにして、じっと私を見ている。
「な、何?」
「いや、ウサギみたいだなって思って。」
「ウサギ!?」
今まで動物に例えられても猫ばかりだった私は素っ頓狂な声をあげた。
それを聞いた彼は堪え切れないと言う様に笑い始めた。
それは久々に見る篠宮君の笑顔だった。
そうして、彼の笑いが鎮まるとぽつりと呟いた。
「ごめんね。こんな事に付き合わせて。」
「でも、どうしても一緒に来て欲しかったんでしょう?」
篠宮君は酷く何かに怯えているように見えた。
けど、何にそんなに怖がっているのだろう。
「僕はこの能力をどうしても失うわけにはいかないんだ。」
そう言った、彼の横顔は整っていて彫像のように見えた。
私がそのまま黙っていると、篠宮君は息を吐いて向き直った。
「何も聞かないんだね。」
「貴方を傷つけたくないの。」
そう言った私を篠宮君は遠くにいる人を見る目で見た。
彼はそうしてそんな目で私の事を見ているのだろう?
「伊都橋って本当に優しいよね。見知らぬ人間どころか、幽霊にだって同情するし。
僕に付きあって、こんな所まで来るし。僕とは全然違う。」
「貴方も優しいわよ。」
「違うよ。」
篠宮君の叩きつける様な否定に、私は驚いた。
彼は淡々と話しを続ける。
「僕が他人に気を使えるのは余裕のある時だけだ。それは優しさとは違うだろ?」
「それでも、私はその気遣いが嬉しかったわ。」
そう言って、篠宮君の腕をつかんだ。
すると彼は大きく息を吐き出して脱力した。
「父さんと一緒に居る所を見て、驚かなかった?」
「…少しは。」
「あの人はおかしい。元々、母さんと親しかった人らしい。遠い親戚で兄妹みたいなものだったんだって。
世間知らずだった母さんが妙な男に引かかって苦労しているのを見かねて相談に乗ったらしい。
その話の中で息子が時折妙な物が視えると言って困っていると言うのを彼に相談したんだそうだ。
母さんが義理の父さんに結婚を申し込まれたのはそのすぐ後だよ。」
「もしかしてお父さんは…。」
「うん。知らないし、知りたくもないけど重度のオカルトマニアだったらしい。
けど、苦労していた母さんにとっては渡りに船だったし。反対はできなかったよ。
それに周りから疎まれていたこの力を才能だと言ってくれて、とても大事に育ててくれた。
だから、父さんに失望させるのが凄く怖いんだ。」
そう、話した篠宮君の横顔には子供時代からの寂しさが透けて見えて、
もっと早くに出会えれば良かったのにと思わずにはいられなかった。
それでも時間は戻らない。
彼が負った傷も私が負った傷も、
月日が流れ癒える事があっても跡は残り続ける。
それは神様にだってどうしようもないことだった。
こうして篠宮君の話に集中していた私は、
こちらを凝視する幾つもの視線に気が付かなかったのだ。




