18.妄執
篠宮君の家のインターホンを鳴らすと彼自身が出迎えてくれた。
撮影が長引く事を想定して学校を休んだが予定より早く仕事が終了したのだそうだ。
今は、解放感と疲労によって家で寛いでいたらしい。
彼のお母さんは気鬱で寝込んでいるのだと説明された。
篠宮君はこれが自分が招いた事態ではないかと溜息を吐いた。
「篠宮君、あの、そのことなんだけど。」
「うん?」
私の勘違いであればと思っていたが、そうではなかったようだ。
この家に居ると深海にいる魚の様な息苦しい気分になる。
「お母さんが言っていた女の幽霊は本当にいるんじゃないかと思うの。
だって、出演していた番組の最後で貴方に絡みついていたもの。」
それを言った時の篠宮君の表情は忘れられない。
飼い主に暴力をふるわれた猫の様に目を見開いて凍りついたのだ。
それから彼はすぐにどの番組かを確認すると、慌ててパソコンの動画サイトで再生し始めた。
ゆっくりと番組が再生され始める。
途中まで早送りにしてもらって、最後の部分で止めてもらった。
最早、見間違いでも何でもない。
頭を下げた篠宮君に何処か陰気さを感じさせる肌の白い女性が纏わりついていた。
「この女の人よ。」
そう私が声を上げると篠宮君は首を捻った。
そうして、何処に居るかが分からないと続けた。
「ここよ、視えるでしょう?」
そう私が言うと、彼は目を凝らしていたがある時点で焦点があった。
そうして大きく息を吐くと、手でその淡い色の前髪をぐしゃぐしゃにした。
そのまま動かなくなってしまった篠宮君に、
如何してしまったのかと困惑しながらも声を掛けると顔は上げずに話し始めた。
「最近、僕が不調だと言う事を知っているだろう?
出来るだけ考えないようにしていたけれど、段々と力が弱まっているみたいなんだ。
以前だったら、幽霊が視えないなんてありえないことだったのにそれすら危うくなっている。」
「どうして。」
私が掠れる様な声でそう尋ねた。
同じ能力を持っている事は彼と私の重要な共通点なのだ。
最初に私に篠宮君が興味を持った所で、それが彼から失われてしまうとなると…。
「分からない。けど、多分成長期だからじゃないかな。この手の特殊な力は大人になるにつれて、
強くなることもあれば、弱くなることもある。伊都橋さんは前者のタイプで、僕は後者のタイプなんだ。」
顔を上げて、私と目を合わせて淡々と語った彼は隠しきれない苦みを感じさせた。
それから、自分から消えていく力をより強い形で持ち続けて行くだろう私への嫉妬も。
篠宮君は知らない。
私が平凡な家庭を持つ事に憧れていたのを。
この能力がある限り、普通の人と結婚するのはまず無理だ。
自分の夢を諦めつつも、ずっと彼が傍に居てくれたら平気だとすら思っていた事を知らない。
「私はー。」
声を張り上げて、何と言おうとしたのか分からない。
バタンと凄い音を立てて、彼の部屋のドアが開けられたからだ。
振り返ると、彼のお母さんがいた。
浮世離れした美しさは健在だが体は随分とやせ衰えていた。
碌に梳かしていないだろう髪は何処か幽鬼めいた印象を他人に与えていた。
体はふらふらと揺れ動いていて、表情は酷く虚ろだった。
何も見ていない様な彼女の目にあった途端、全身に寒気が襲った。
明らかに尋常じゃない様子の母親を心配したのか、篠宮君は母さん?と言って駆け寄った。
「離れて!」
私がそう叫んだのと、彼が片腕で思いっきり突き飛ばされたのは同時だった。
篠宮君は部屋の四隅に置いてあった本棚に体を叩きつけられ、痛そうに呻き声をあげて蹲った。
彼の母親は私の両腕を強い力で握り、顔を酷く近くまで寄せた。
そうして、上から下まで検分するみたいにじろじろ見られる。
「あのこじゃだめだった。だいじょうぶかともおもったけど、ぜんぜんだめ。このおんなもいや。
もっとわかいこじゃなくちゃ。どうせならきれいなこがいいでしょ。あなたならゆるせる。」
そうして彼女は歯が見えるぐらいにんまりと笑った。
その顔は元の雰囲気の欠片もないぐらいグロテスクなものだった
「ここは貴方の居ていい場所じゃない。」
薄ら寒い気持ちになった私は、彼の母親に重なって見えた女性の肩を力一杯引っ張った。
その時の感触は忘れる事ができない。
腐乱死体を掴んだような、ズブズブと指先が沈んでいく様な感覚がした。
そうして髪の長い女が彼の母親の体から一気に出てきた様子は不気味の一言に尽きた。
気持ちが悪くなり、立ち眩んでいる私を女は注視していた。
そうして、恍惚とした表情を浮かべると急にその病的な白い指で掻き抱いてきた。
「あなただったのね。」
その言葉を最後に、私は急速な眠気に襲われ、意識を失った。
ここはすごくさむくてくらい。
だれかたすけて。
おねがい。
私が目を開けると篠宮君が覗きこんでいた。
慌てて起き上ると、質問をしようとして咳き込んでしまった。
彼が水を持ってきてくれて、それを呑むことで人心地がついた。
「あの女の人は…。」
「消した。」
「消したって?」
「あの女の人に先はないってこと。」
そう言った篠宮君は祓う事も出来るって言ったろ?と続けた。
「だって貴方は…。」
「うん。でもどうにか上手くいった。自信はなかったんだけどね。」
そう言って、微笑む彼の何処か冷たくて知らない人に見えた。
気がつくと、すっかり夜も更けていた。
お母さんは別室で休ませているのだと言う。
私が慌てて暇を告げると、そこに彼の父親も帰ってきた。
お父さんは私の事が眼中にないように篠宮君に微笑みかけた。
「栄司、久しぶりだな。元気にしていたか?最近調子が上手く出ないようだが、気にするなよ。
周りの言うことは放っておきなさい。お前は特別なんだから。」
そう言って、彼の事をうっとりと眺めるお父さんの様子は異様だった。
目が何かに魅入られてしまった様に陶然としている。
その何かは、多分現実とは遠いものだ。
篠宮君はそんな父親に顔を手で挟まれ、されるがままになっている。
私は居た堪れなくて、軽くお辞儀をすると退出した。
自室のベッドに入り、目を閉じても彼等親子の様子ばかりが目に浮かんできた。




