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14.哀情

それは篠宮君と私がいつもと同じように、くだらない話をしながら下校していた時に起きた。


私達が帰りの電車が停車するホームに行くために、渡り通路を目指して階段を登っていた。

篠宮君は先に階段の一番上に辿り着いて、私を振り向いて今日も夜に電話をするからと言った。

無邪気そうに微笑んでいる彼の後ろに、黒い服を着た男がいたのを見てしまった。


彼は酷く暗い目で篠宮君を見ていた。

私は男の様子に一瞬で全身の総毛が立った。


そうして彼が篠宮君に何をしようとしているか分かった途端、体は勝手に動いていた。


慌てて走り寄る私を不思議そうな顔をする篠宮君。

その背後からゆっくりと男の手が回って。

全てがスローモーションに見えた。


バンッと強い衝撃が伝わってきて、

篠宮君の腕を掴んでいたわたしごと、階段の一番上から転がり落ちて行った。


天井や、

窓の外の景色、

黒い男の姿の断片、

篠宮君の色素の薄い髪、

世界はくるくると回転しながら、やがて止まった。

コンクリートの階段に打ちつけた体のあちこちがじわじわと痛み始める。


目に滲んだ涙のせいで歪む視界で、慌てて篠宮君を探すと近くにいた。

ゆっくりと広がる血の中心で気を失った様に目を閉じて横たわる彼の姿は人形のように見えた。


私が篠宮君の様子を確認しようとした束の間、

黒い服の男がカツン、カツン、カツン、カツン、

と靴の音を立てて余裕を見せつけるみたいにゆっくりと階段を降りてくる。


私はゾクゾクとした寒気を感じて、反射的に篠宮君の体を抱え込んだ。

そうして気が付く、階段を落ちる時に凄い音がしたのに誰一人として来ない。

駅員さんが来ても良い状況で、興味本位の野次馬すら来ないのは絶対におかしい。


思考を巡らせていると、篠宮君が腕の中で呻き声をあげた。

そうして微かに瞼を震わせると、鞄に手をやって紙に包まれた物を取り出した。


ふと、顔をあげるとすぐ近くで男が私を注視しながら手を伸ばしてきた。

悲鳴を上げる暇もなく喰い込む様な強さで腕を掴んできた。


その瞬間、ぐらりと景色が歪んだ。

教育熱心な母親に押し潰されそうに育った男。

毎日、学校と塾の往復で育った彼は遊び方も知らなかった。

猛勉強の果てに志望大学に合格し、自由なキャンパスライフを待ち望んでいた。

しかし、入学する前に男は最初に遭ったホームで転落して帰らない人になってしまう。

そうして、そこから彼の長い孤独が始まった。

誰に話しかけても答えてくれない。

振り向いてくれない。


そんな中で私だけが男を見つけた。

まるでモノクロームの写真の様な中、私だけが色づいている。

そんな彼の記憶の海に揺すられていたのは、ほんの少しの間だった。


篠宮君が男に何かを投げつけたからだ。

私から手を離して、低い声でもんどり打つ彼は憐れみを誘った。


「私は人を傷つける方とは一緒に居られません。貴方の寂しさを癒す方は別の人です。」

篠宮君はそう淡々と言った私を静かな眼差しで見ていた。

そうして、男に連れて行かせまいとするように私の手首を掴んだ。


私達の様子を見ていた男は目線を逸らして暫し俯いた。

そうして、何かが抜け落ちた顔をすると姿を消した。


それからが大変だった。

蹲っていた篠宮君と私にすぐ駅員さんが近寄ってきて、救護室に連れて行かれた。

不幸中の幸いだったのが、人が集まる前に対処してくれたということだ。

特に篠宮君はもう止まったとは言っても頭から血が出ていたので、一応病院に行く事になった。


また後で、彼とは軽く手を振って別れた。

何だか、酷く疲れた。

体のあちこちが痣になっているのだろう。

じわじわと鈍い痛みが襲ってきた。

私は電車に揺られながらも軽く目を閉じた。


おとこはむひょうじょうだった。

わたしはおとこをしずかにみつめた。

どれぐらい、じかんがたったろう。

かれはきゅうに、せをむけるとひとりであるきはじめた。

わたしはそのうしろすがたをみえなくなるまでみつめていた。


私が自室でダラダラしていると篠宮君から電話が来た。

彼は個別の着信音にしているのですぐに分かる。


「伊都橋さん?篠宮だけど。」

彼の声が私は好きだ。

聞いていると落ち着く。


「ええ、私。怪我は大丈夫だったの。」

「うん。こんなもの掠り傷だよ。」

そう言って篠宮君は笑った。

多分、私に気を遣わせないようにしているんだろう。

こう言った時に何て言えばいいのだろう。

ごめんなさいじゃなくて…。


「ありがとう。助けてくれて。」

「終わらせたのは伊都橋さんだろ。」

「それでも。」

私は囁くような声でありがとうと続けた。

彼は照れたようで黙ってしまった。


暫くの沈黙の後、私は呟いた。


「あの人、可哀相だったね。」

「あんな目になったのに。」

「確かに怖かったけど。」


それでも。

私と彼は似ていた。

だってー。


「ずっと独りだったんだもの。」


その言葉は湖に落ちた雫の様に篠宮君の何かを揺らしたようだ。

その気配が電話越しに伝わってくる。


「僕と同じだね。」

「え?」

そう言った彼の言葉を私は聞き逃してしまったのだ。

一瞬の内に篠宮君の雰囲気は切り替わっていた。


「ねえ、明日何処かに遊びに行かない?」

「いいわよ。何処に行く?」

丁度、明日は休日で二人で遊びに行く計画を立てながら、

私は何を着ていくかを考えつつも期待に胸を膨らませていた。



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