30.先輩と後輩
かっちり一時間かけて、絵のモデルになった俺達は、ようやく一ツ橋さんから解放された。
「いやー、ありがとう!ありがとう!今日は、何もかも助かっちゃったよ♪そうだ、お礼に、その用事のある子をここに呼び出してあげるよ。その方が、ゆっくり話せるでしょっ♪」
一ツ橋さんは、ホクホクと満足顔で、願っても無い提案をしてくれた。
「あ、あの、じゃあ。相坂を、相坂葵をお願いします。一年生なんですが。」
「あーー、あの子ね!可愛いよね!私も目を付けてるんだよねぇ。あ、でも、あの子、付き合っているっていってたよ、フリーじゃないけどいいの?」
「あ、いいんです!お、俺が相坂と付き合ってるんです!」
「ふーん。そうかぁ、君かぁ~。」
一ツ橋さんは、少し考える素振りをした。
「うーん、了解!音も止んでいるし、ちょっと、隣りに行ってくるから、待っててよ。あ、悪いけど、二人とも、彼女を驚かさないように、まず、私が話しをするからさ、ちょっと、そこの後ろに隠れてもらえる?で、私が合図したら、出てきてよ。」
確かに、いきなり、俺が女装してるのを見て、驚かれて逃げられでもしたら元も子も無い。
ここは、相坂とも知り合いだという一ツ橋さんを頼るしかないか。
一ツ橋さんは、早速、音の鳴り止んだ音楽室へ入って行った。
「大丈夫かな?」
「ここまで来たら腹をくくるしか無いよ。一ツ橋さんの言う通りに隠れておこう。」
そうだ、佐々木の言う通りだ。
俺は、サドに恥を忍んで頼み込み、こんな格好にまでなって女子高に潜入したんだ。今更逃げる事はできない。
ここまでついて来てくれた佐々木にも、申し訳が立たない。
ちゃんと、相坂に謝るんだ。
ちゃんと、相坂に好きって伝えるんだ!
美術室の中は埃っぱい。先ほど簡単に箒をかけたけど、物が多いせいだろうか、光の中にキラキラと大量の埃が舞っている。
ドアの開く音がして、台座の後ろからそうっと覗くと、一ツ橋さんに連れられて、相坂が入ってきた。
ついこの間会ったばっかりなのに、何日も会わなかった気がする。
気のせいか、表情がどことなく暗い。
一ツ橋さんが、相坂と向かい合う。
「葵、顔色が悪いけど、どうしたの?」
「先輩、大丈夫です。ちょっと、寝不足なだけで…。」
「そうかなぁ?」
一ツ橋さんは、そういいながら、手を伸ばし、相坂の垂れている髪をそうっと耳にかける。
「心配だよ。あんたって、中々自分の気持ちを言わないから。よかったら、話しだけなら聞いてあげれるよ。」
「…。先輩、私、またやっちゃったんです…。」
相坂が、いきなり一ツ橋さんに抱きついた。
ちょ、何してるの?
思わず、飛び出そうとした俺の腕を佐々木が掴む。顔を横に振って、動かないように伝えてくる。
でも、なんだよ、これ…。
「先輩、わたし、また、彼を傷つけたんです。」
「うん?彼氏をまた殴ったの?でも、前回は、葵の胸を冒涜したソイツが悪いんじゃない。今回も、何か言われたの?」
「違います。今度は、殴った訳じゃありません!」
「ふーん、でもさ、もういいんじゃない?そんな男こっちから、捨ててしまえばいいよ。だって、葵の胸はこんなに可愛いんじゃない。それを堅いなんて、サイテーだよ!」
一ツ橋さんは、いきなり葵の胸に手をやっている。
何してるんだ?!それは俺のだぞっ!何触ってるんだよっ!
怒りのあまり、声が出そうになるが、佐々木が握っている腕がなんとか、踏みとどませてくれている。
「せ、先輩!」
「いいじゃん、いいじゃん。胸って、触ると大きくなるんだよ。私が、教えてあげたマッサージ、ちゃんとしてる?」
「はい、あのお風呂でしてるんですが、ちっとも大きくならないんです…。」
「まあ、気長にね。まだ成長期だし、これからだよ、一年たてば、私位にはなるよ。」
そういいながら、一ツ橋さんは、葵の手を自分の胸に押し当てさせる。
「…先輩の胸って、柔らかいですね。」
「うーん、まあ、私も一年の頃は小さくて堅かったけど、マッサージしてここまでになったんだよ。だから、葵も気長にね。っていうか、男なんていくらでもいるんだから、そんなヤツ捨てちゃえっ!葵にはもっといい奴いるよ。葵さえよかったら、私なんてどう?」
「もう、先輩は優しいんですね。でも、きっと、タカナシ君みたいに優しい人にはもう会えないと思うんです。」
「うーん、それはどうかな。まだ人生は長いんだよ、好きって言わない彼氏なんてありえないでしょっ!」
「それでも、凄く優しかったんです。」
葵は、一ツ橋さんの胸から手を話すと、顔に充てた。
「私、やっぱり、タカナシ君が好きなんです!」
手の間をぬって出てくる声は、途切れがちで、涙に濡れていた。
「葵…。」
一ツ橋さんが、両手で相坂の体を包むように抱きしめる。
ガタッ!
俺は、堪らず台座の後ろから飛び出て二人の前に立つ。
スカートが大きく捲くれあがったが、そんなこと関係無い。
「相坂に勝手に触るなっ!相坂も、相坂の胸も俺のものだつっ――――!!」
「…えっ?タカナシ君!」
相坂は、ビックリしたように俺を見る。
一ツ橋さんは、呆れたように俺を見ると、腕の中にいる相坂を、ぎゅうと抱きしめる。
「た、タカナシ君?な、何してるの?その格好…!」
俺は、そのまま二人に近づく。
佐々木が、横で頭を抱えているのが見えた。
仕方無いじゃないか、こんな場面を見せられたら。
「これには訳があるんだ!とにかく、そいつから離れるんだ!ちょっと、一ツ橋さん、なに人の彼女を抱きしめてるんですか!相坂は俺のものなんです!」
「うーん?葵~。この変態、振ったんじゃ無いの~?」
相坂は、何が何かわからないと固まったまま、一ツ橋さんの腕の中にいる。
俺は、溜まらず、一ツ橋さんの腕から相坂を奪い返すと、強く抱きしめる。
相坂を取り返そうと、腕を伸ばしてくる一ツ橋さんから逃げるようにして、後ろに下がった。
「触らないで下さい!俺は、まだ相坂と別れたつもりは無いです!相坂を抱きしめていいのは、俺だけなんです!」
「えー、だって君、葵の事好きじゃないんでしょ?」
俺の腕の中にある相坂の肩がビックと揺れる。
「俺は、俺はまだ、好きとか愛とかよくわからないけど、相坂と付き合っていきたいし、相坂を見ると欲情するし、相坂が俺意外の奴と話すと腹が立つし、相坂が俺意外の腕の中にいるのは我慢できないんです!俺の葵に気安く触るなっ―――!!」
「私、人を自分の物扱いする人間て、嫌いなんだよね~。どうみても、変質者は君みたいだし、今から警備員呼ぼうかな~。」
一ツ橋さんが、冷やかな眼差しで俺を見ている。
無理やり相坂を奪いとったのが気に入らないのか、先程よりも目の温度が下がっている。
今、警備員を呼ばれたら、確実に警察行きだろう。
佐々木が慌てたように、俺を見ている。
わかってる。この状況はやばい。すぐにでも逃げないといけないんだろう。
でも、ようやく腕の中に捕まえた相坂を渡す訳にはいかない。
「それ…、本当?」
「あ、相坂…。」
固まっていた相坂が、ゆっくりと身動ぎして、俺の襟元を掴む。
「ねえ、同情とかじゃなくて?本当に、本当?私のことそう思ってる?」
声を震わして、相坂が睨みつけるように俺に言い募る。
今まで、俺は相坂のどこを見てたんだろう。相坂の目は、こんなにも真っ直ぐに俺を写している。
その瞳に写る俺が、女装しているのは無視して、こんなにも俺が好きだと伝えてきてくれる。
そして、俺は、そんな相坂が、
「お、俺、…あ、葵が好き、だ…。俺だけのものにしたいと思ってる。その、ごめん…。」
「私も!私も、純一君が好きなの!大好きなのっ!胸が小さいけど、純一君が満足できるまで、頑張って大きくするからっ―――!」




