16.彼女の部屋で
「タカナシ君、ごめんね。」
俺の前には、相坂が紅茶をそうっと出してきた。
「え、いや…。」
さっきまでの生死をかけた戦いをしていたリビングでは無く、ここは何度か来た事のある、相坂と初キスをした思い出の場所。相坂の自室だ。
「お兄ちゃんが、タカナシ君の服を破いたりして、殴ろうとしたりして本当にごめんなさい。」
ああ、相坂には、俺が相坂兄にボコボコにされそうに見えたのだろうか。まあ、泣かされはしたが。
実際に、服を破かれはしたが、殴られはしなかった。
呼吸困難にはなったが、キスもバックバージンも無事だ。あれは、本当に脅すだけのつもだったんだろう。
「お兄ちゃんって、凄く過保護なんだ。私が小さい頃は、同級生の男子が来るだけで泣かせて追い出したりしていたから、あの頃と全然変わって無い…。ごめんなさい。」
「いや、いいんだ。俺こそ、勝手に相坂の家に来てごめんよ。」
「……」
あの時、相坂に見られた事に一番に驚いたのは相坂兄だろう。それはもう、効果音が付くほどに、勢いよくソファを横倒しにして相坂の死角に入ると、物凄い形相で俺を睨みつけ、この件は他言無用だと口止めしてきた。
慌てて倒れている俺達の傍に来た相坂に、180度方向転換して、真面目な好青年の仮面を被ると神妙に頭を下げて謝っていた。暴力をふるってすみませんと。
佳音は、俺の千切れたシャツを拾って、茫然と床に転がっている俺をそうっと立たせた。
「……お兄ちゃん、ごめんね。佳音のせいだね…、これ、佳音が先に帰って縫っておくから。」
あのピンポンダッシュのせいで、兄がこんなめにあったとでも思ったのだろう。青い顔をしながら、俺の裸の上半身にチラチラ目をやって、申し訳なさそうに頭を垂れる。佳音は、多分、ただの暴力だとは思っていないだろう。
いやいや、どこの世の中にピンポンダッシュして、家人にレイプされる世界があるだろうか、それは勘違いだと訂正してやるべきだったが、俺にはまだ口を開く余裕がなかった。
ヅタボロの雑巾のようになったシャツを握りしめて、佳音は落ちていたボタンをいくつか拾うと、そのまま後ろを見せて出ていってしまった。
目の前に出された紅茶の湯気を見つめながら、急に口渇を覚え、カップを持ち上げる。水面がガタガタと波打つように揺れている。まだ、手足の震えがとれていないんのだろう。相坂は、気遣う視線を投げてくる。ゆっくりと口に充てて流し込む。レモンを多めに落としてくれているのか、清涼感の強い味が広がって、少しだけ手の震えが落ち着いた気がする。
少しずつ緊張がとれてきた。改めて相坂の部屋を見渡す。約二ヶ月ぶりの訪問。前回と殆ど変っていないように見える。八畳ほどの白みがかったフローリングに、白いベッドと、白い机、背の低い本棚と、チェストが壁側に並んでいる。中央にはキルト地のファンシーなラグがあって、その上に猫足の小さめのテーブルと丸いピンクのクッションがある。本棚やチェストの上には、小さめのぬいぐるみがいくつか置いてある。男が考える女子の部屋の例に出てくるような、全体的に可愛らしい部屋だ。
「…久しぶりだな、ここに来るの…。カーテンとベッドカバー変えたんだね。」
カーテンの色が、薄い水色の花柄に変わっていた。ベッドも、薄い水色とピンクのチェック柄に変わっていた。
「うん、夏だし、涼しいかなと思って。」
「前は、両方ともピンクだったね。」
会話が続かない。相坂は自分の前にある紅茶に手を出すことも無く、下を向いて。両手を合わせて堅く握りしめている。
「そういえば、佳音…。佳音とはどうして一緒だったの?」
「あ、あの。家の前に立ってたの。私が帰ってきたら、家の前にいて、お兄ちゃんが中にいるけど、全然出てこないし、心配だって言うから、ビックリして。佳音ちゃん、凄い心配そうな顔してたわ。」
佳音は、逃げたように見せかけて、顛末をみに戻ってきたんだろう。もしかして、相坂兄のどなり声が聞こえて心配になったのかもしれない。
「そうか、悪い事をしたな。何も言わないままで、帰ってもらったし…。」
「ごめんなさい。…タカナシ君。お兄ちゃんは、ちょっとおかしいの。私の事になると、異常っていうか、過敏で…。本当は、何があったの?」
相坂に二度と会わないように、俺をレイプしようとしたんです。
「相坂に、会うなっていってちょっと、脅されたんだ。相坂は、気にしなくていいよ。お兄さんも謝ってくれたし、だけど、あれだね。…相坂も大変だろ?」
「お兄ちゃんは、普段は県外の大学に居るんだけど、夏休みで帰ってきてるの。日頃離れている分、余計に心配みたいで…。だから、七月になってからは、うちには来てもらわなかったんだ。」
そいえば、夏に入ってから、格段に会う回数が減った気がする。
「これ、この服さ、貸してくれてありがとう。助かったよ、流石に上だけでも裸っていうのは…。」
相坂に渡されて着た服は、よくあるワニのマークが付いている白いポロシャツだ。父親のものだというそれはかなり大きめで、俺の貧相な体が、中で泳いでいる。
「気にしないで。その服も、殆ど使ってないやつだから…。」
「あ、相坂…。あのさ、今日、ここに来たのはさ、先日の件を謝ろうと思って…。」
「謝る?」
ずっと俯いていた相坂が、顔を上げて俺をみつめる。
「謝るような事があったかな?」
「え、だって、怒ってるんだろう?この間の件。俺が不用意な事を言ったから、相坂を傷つけてしまって…。」
「だって、事実でしょ。」
今まで聞いた事のないような、不機嫌な声で相坂が言った。なんだか目が冷たい。
「私の胸が小さくて、その上堅いのは事実よ。事実なんだからしょうがないじゃない!今更、それがなんなの?」
「あ、いや、怒って無いならいいんだよ…。」
「怒る訳ないじゃない?大体、タカナシ君こそ、怒っているんじゃないの?付き合っている彼女の胸が小さくて、満足できないんでしょっ!」
「へっ?」
「いや、そんなこと無いよっ!」
「いいのよ、私わかってるから。タカナシ君が、私と付き合ってくれるのは、たまたま私が告白した時に、付き合っている人が居なかったからでしょ。私と付き合っていても、私よりも綺麗で胸の大きい子に告白されたら、どうせそっちに行くんでしょっ!」
「なっ!そんな事無いよ!俺、そんなにモテナイし、不誠実な男じゃないっ!」
驚いた、相坂がこんなに感情的になるなんて。
頬を赤くいて、非難する目で、俺を真っ直ぐに見詰めている。口を真一文字にして、少し目が潤んでいる。
「あの、俺、何かしたのかな?その、それ以外で…?」
これって、この間のことだけじゃない?俺って、相坂を他にも怒らせてた?
「………。タカナシ君、私の事好き?」




