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14.ウサギと亀

 なんで俺はここにいるんだろうか?

 さっきまで、俺は相坂の家の前に居たハズなのに、いつの間にか、俺は相坂の家にあがって、リビングのソファに座って、目の前にはコーヒーがある。

 俺の前にはニコニコと笑みを浮かべて、俺を見つける相坂の兄。口元も目元も弧を描いていて、まるでスマイルマークなんだけど、その瞳の冷たい事、冷たい事。その氷点下の視線から、憎しみが、ビシビシ伝わってきているんですが。

「あ、あのお兄さん…。その、相坂はいつ頃帰ってきますか?」

「うーん、もうそろそろじゃないかな。気にせず、待っててよ。それとも…、僕と二人だと、居心地が悪いのかな?」

 とっても、親切で優しげな声なんだけど、相坂兄の瞳から出るブリザードのような光線が、俺の体を凍らせて微動だにもできない。リビングは、ほどよく冷房が効いていて、外の猛暑が嘘のようで、とっても居心地がいいはずなのに、寒さで凍死しそうなんですが、主に心が!

 テーブルを挟んだ斜め向かいに座ってる二人の前にあるホットコーヒーからは、とうに湯気は消えていて、今飲んだらアイスコーヒーになっているんじゃないかと思う。

 以前、相坂から大学生の兄がいるというのは聞いていた。平日の昼間から家に居るということは、これが件の兄なんだろう。スマイルマークの表情は、ブリザードが無ければ、親切なそうな好青年にみえる。身長が高いので、ソファに座って組んでいる足先が、俺の前まで来ている。多分、児島と同じ位と思われる。

 顔は、やっぱり兄妹なので相坂に全体的には似ているが、目鼻立ちが相坂よりもはっきりしている。相坂よりもシャープな目元が知的でクールな印象を与えている。イインチョーとは違う、本当の秀才君といった感じだ。自慰なんてしたことありません。恋人ではなくて、婚約者ならいますという感じ。

 自宅前で、待ち伏せしていた俺を、家に上げて、お茶まで出してもてなしてくれる。気配りできる人なんだろう。だが、俺は何故だか罠にかかった獣の気分だ。まんまと、相手のテリトリーに入りこんでしまった小動物。

 その秀才君のスマイルマークから出ているブリザードは、憎しみで冷え冷えしている。これは、やっぱり妹の彼氏への殺意とかだろうか?

 相坂の両親は不在という事で、今この家に居るのは、俺を憎んでいる相坂兄(推測)と俺の二人。もし、兄が俺をどうこうしようと思ったら可能な環境だ。背後には、キッチンがあるから、凶器も簡単に入手が可能だ。こんな事なら、刃傷沙汰にも慣れてそうなサドにも附いてきてもらうんだった。

 リビングのTVの真上に配置されている時計の針に目をやるが、さっきから止まっているんじゃないのかと疑ってしまう程に歩みが遅い。今、4時前だから、家に上がってからまだ三十分程しか経っていない。早く、相坂は帰ってこないかな。俺、このままだと命が無くなるかもしれないです。

「さっき、家の前に居たのは妹さん?」

 多分、佳音の逃げる後ろ姿を見かけたのだろう。それでなくても、家の前で騒いでいたんだ、呼び鈴を押さなくても、玄関前に人が来ている事に気付いていたんだろう。

「あ、はい、たまたま家の前で会って、妹が騒がしくてすみませんでした。」

「いや、僕にも妹がいるから、気持ちはわかるよ。気にしないで。お兄さんを心配して付いて来てくれたんだろう?優しいじゃないか。」

「いえそんな。」どうして、こう、周囲の佳音に対する評価と言うのは高いものなんだろう。身内から言わせれば、みんな見た目に騙されているとしか思えない。

 目の前の冷えてしまったコーヒーに手を伸ばす。苦くて飲みずらいが、相坂兄にミルクや砂糖を要求はできない。顔に出さないようにしながら、チビチビと飲む。ああ、缶コーヒー飲みたいな。

 再び、相坂兄と俺との間に沈黙が流れる。時計の音が大きく聞こえてくる。また、時計に目をやるが、さっきからまだ5分も立っていない。もう何十分も経ったきがするのに。

 壁に掛った時計には、短針に亀、長針に兎の小さい人形が付いている。さっきから兎は、亀を追いかけているのに、全然追いつけていない。普段なら可愛いなと愛でる余裕もあるが、今は眠りこけている兎を、叩き起したくなる。


「妹は、君と付き合ってどの位になるんだい?」

 沈黙に耐え切れなくなったのか、相坂兄が口を開いた。

 会話を続けようとする気があるということは、まだ殺害する程には憎まれていないという事だ。緊張が少しだけ緩んだ。

 最悪なケースまで思い浮かべていたので、一先ず胸を撫で下ろす。

「えっとぉ…、もう半年になります。」

「…そうか、葵も、高校生になって段々とお洒落にも目覚めたようで、家族としては色々考えてしまうんだが…。君と付き合うようになったのが切っ掛けなんだろうね。…、失礼だが、君の名前はなんていうんだったかな。」

「あ、はい、あの高梨十一です。」

 家にあがる前に玄関先で、一度自己紹介をしたが、相坂兄も緊張していたのだろう、忘れているようだ。俺は、再度自己紹介をした。

「そうか、高梨君は、学校はどこに通っているんだい?」

 キタヨコレ!やっぱり、来た!身内による身辺調査とかそんな感じ。

「第一高等学校です。」

「ああ、あそこか、確か男子校だったね。」

 相坂兄の表情が少し緩む。とりあえず第一関門は突破かな。一応は、地域では名の知られている進学校。本当は、夏休みに補修の勉強の不出来な俺だが、好印象を持ってもらえたら、それだけで頑張って入った甲斐があるというものだ。

「葵の高校とは、少し離れているね。お互い勉強も難しいだろうし、二人で会う時間は中々とれないんじゃないかい?」

 相坂は最寄りの駅から二駅離れた女子高に、俺は、自転車で通える範囲にある男子校に通っている。付き合いだして僅か一ヶ月で、実質離ればなれになってしまったが、毎週末はデートするし、短いながらも毎晩メールもしている。相坂兄からみたら、お付き合いにも満たない交際かもしれないが、俺達は満足している。まあ、これから、更に関係を深めていきたいと俺は思っているんだが。

「いえ、週末はいつも会っていますし、携帯もあるので大丈夫です。」

 僕達、清くて美しい交際をしていますので、安心して下さい!お兄様!

 相坂兄は、目を閉じると手で顔を覆うようにして下を向いてしまった。

 おや?なんだか、色々考えているようだ。

 やっぱり、相坂兄は妹の彼氏という存在を認められないとかなんだろう。相坂は二人兄妹って言ってたから、余計に妹に初めてできた彼氏という害虫に戸惑っているに違いない。

 なんだ、ただのシスコンか。なら、仕方ないよな、あんな目で命の危険を感じてしまう程に見られるのも。俺だって、憎らしい妹の佳音に、彼氏ができたらって紹介されたら苛めちゃうと思うし。

 これから時間をかけて認めてもらえればいいし…。

 会話が途切れて、また時計を見上げる。時計の針がさっきよりも歩みを早くした気がする。寝坊していた兎も起き出したようだ。

 そろそろ相坂も帰ってくるだろう。後は、相坂にちゃんと謝罪をして許してもらって…。

「…どこまで行っている?」

 はい?

「妹とは、どこまで進んでいるんだ?」


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