13.ピンポンダッシュ
サド先生のご指導により、俺は早速、相坂の家の前で待ち伏せをすることにした。電話やメールで確認が取れない以上、確実に相坂と出会える場所は自宅だろう。
数回訪れた相坂の家は、街の中心から離れた郊外の住宅街にある。俺の家からは、自転車で十五分程離れたそこは、中学校を中心に丁度両端に位置している。相坂の家は、緩やかな坂の上に方に建っている。広めの土地に大きめな家が並ぶそこは、豊かな家庭がちょっと無理して家を建ててている、という感じの新興住宅地域だ。
俺がまだ小さかった頃は、ここは鬱蒼とした丘が広がっていた。確か桜か梅かが群生していて、つくしかなにかを両親と獲りに来た覚えがある。今では、すっかり様変わりして、群生していた木は見当たらず、変わりに一面に、にょきにょきと色んな形の家が立ち並んでいる。
立ちこぎで休まずに漕ぎ切った自転車を壁につけると、俺は、荒い息を落ち着かせる。足が少し震えている。
息が落ち着くと、玄関から二メートル程離れた鉄製の門扉の前で、改めて相坂の家を眺める。真新しいソレは、デザインナー建築とかいうのだろう、二階建てにしては高くて白い建物は、全体としては縦に長い長方形のような印象だが、所々流線型のカーブを描いている。白くみえる壁もよく見ると、細かい模様が入っており手間暇が窺がえる。屋根にあたる部分は焦げ茶色で、中央が吹き抜けになっており、その周囲にソーラーパネルが張り巡らされている。庭も広めにつくられていて、よく手入れをされた芝生が広がっている。チラシの見開きに出てくるようなお洒落な家。これで、白い犬がいたら完璧だよな。
まだ夏休みを中ば過ぎたばかりで、一番暑い時期だ。白い学生服は、汗ですっかりと濡れている。頭からも汗が滴って、気持ちが悪い。タオルの一つでも持ってくればよかった。ポケットに入っていた、いつ入れたのかわからないハンカチで汗を拭く。汗は、拭けば拭くほど出てくるようだ。気温はとっくに三十度を超えている。もしかして、四十度はあるのかもしれない。
さて、呼び鈴を押してみようか、このまま家の前で待ってみようか。
相坂は、吹奏楽部に入っている。その練習のために、夏休みも平日は、普段通りに学校に通っていることで、遊べるのは土日位だと言っていた。時刻は三時を少し過ぎたばかりだ。多分、最寄りの駅から家まで徒歩五分はかかるとして、学校から帰ってきているかは微妙だ。
このまま家の前で、相坂が帰ってくるのを待ち構えていてもいいが、近所の人に不審者と思われても嫌だ。先程から、帽子や日傘をさした近所の人達がチラチラと、俺を見ながら通り過ぎていく。
家に居る可能性もあるから、まずは在宅かを確認するべきだけど、相坂意外の家族の人に会った時にどうしたらいいのか。
炎天下に頭を焼かれ、脳が上手く機能しない。
相坂の家の前で、挙動不審に、呼び鈴に手を離しては近づけるを繰り返していると、いきなりの腰への衝撃。慌てて後ろを振り返る。
「か、佳音っ!お前どうしてここに?!」
犯人は佳音だった。
「お前、なんでここにいるんだ?まさか、俺のあとをつけてきたんじゃないだろうな?」
「まさか!今日は、友達のサチと一緒に市民プールに遊びに行って来たとこだよ。そしたら、お兄ちゃんが人の家の前で、ピンポンダッシュしているから止めてあげようとしたんじゃない!感謝して欲しいな、まったく。」
佳音は、水着セットが入っていると思わしきビニールバックを、グルグルと勢い良く振り回している。凶器は、どうやら水に濡れて重量の増した水着一式のようだ。
そういえば、数年前に市民プールが新築移転となり、この住宅地の中心にできたというのをニュースでやっていたな。ならば佳音は、プールのために、遠路はるばると自転車で十五分かけて来たというのか、帰りも汗をかくのに。子供は元気だ。
「そんなに振り回すな。危ないだろう!大体、誰がそんな子供の悪戯をするかっ!俺は、高校生だぞっ、ここは知り合いの家で、用事があるから呼び鈴を鳴らそうとしていただけだ。」
「ふーん、私には、臆病風に吹かれながらも、なんとかピンポンしようとする腰の引けた不審な高校生に見えたけど。それが、私のお兄ちゃんだって気付いた時は、憐れすぎて、自分が可哀想になっちゃたよ。」
佳音は、ヤレヤレと大袈裟な身振りで頭を振って肩をすくめて、死にかけのセミを見るような侮蔑の眼差しを向けてくる。
夏休みに入ってから毎日のようにプールに行ったり、友達と遊びに出かけている佳音の肌は、健康的な小麦色に焼けている。今日は、トレードマークのお馬の尻尾はほどいている。水気を含んで重たげな髪を肩まで下ろして、レースのリボンの付いた麦わら帽子を被って、肩には水気を取るためだろう、大きなクマの模様が入ったタオルをかけている。ノースリーブのワンピースは、淡い青と白のストライプ模様で、裾がふわりとなっていて、丈はやや膝より上で短めだ。そこから伸びる長くて細い足は、カラフルな水色のサンダルが彩っている。
こんなに口が悪く無かったら、もう少し妹を庇護してやろうという気持ちも出てくる程に、見た目は充分に可愛い。
口を開けば、憎らしさ倍増だ。
「お兄ちゃんは、もう少しお淑やかな妹が欲しかったな。」
「な、何よっ!それ!私は、親切に注意してあげただけなんだから。大体、ここって誰の家?岡田君の家じゃないでしょ。」
「なんで、ここに岡田が出てくるんだよ。ここは、相坂…。と、とにかくお前には関係無いから、早く帰れよ。」
「ははーん、彼女の家なんだ、ここ。そういえば、昨日の夜、お兄ちゃんなんか叫んでたよね。彼女さんと喧嘩でもしたんでしょ。」
「う、煩いなっ!お前には関係無いっ!」
思わず、掴みかかろうと手が出てしまった。しかし、相手は元気に毎日走りまわっている子供だ。サッと避けると、今度は俺の背後を通り抜け、前に回って、そのまま相坂の家の呼び鈴を押した。
ピーンポーン♪
ショックで動けなくなっている俺を、佳音がニヤニヤ見る。
「勇気の無い馬鹿兄貴のために、私が人肌脱いであげたよ♪感謝してよね」
佳音は、そういうと傍に置いてあった自分の自転車に飛び乗ると逃げていった。
「お、お前がピンポンダッシュだろぉっ!」
ガッチャっと、背後でドアの開く音がした。
後ろを振り向くと、相坂の家の玄関が空いて、一人の男がこっちをみていた。
「どなたですか?」




