街へ
およそ十年前、高校時代の夏を思い出す。教室のエアコンはいつも過剰に低い温度設定で動いていた。腹を冷やした生徒が授業中にトイレに行くのは日常的なことで、馬鹿馬鹿しいのは、そういう連中の一部が冷房の温度を無闇に下げたがることだった。奴らが本当に腹を下しやすかったのかは疑問だが、おそらく腹痛をトイレで一服するための方便に利用していたのだろう。
残暑が続く二学期の教室でも同様の光景が見られた。衣替えを前にして尚もフル稼動するエアコンにうんざりしていたのは、俺だけではなかったはずだ。
そんな印象が強く残っているためか、いまだに俺の季節感では九月は夏だ。だが、日が暮れればどうだろう。普段なら夜は外出しないので、外の気温がどの程度下がるかわからない。少し寒い思いをするかもしれないと思ったが、仕方ない。着込むような服はない。でも、特別な日に何度もトイレに出入りするのは嫌だ。ここ数日の間、そんなことを何度か考えている。
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残暑もなにも、今日はまさに真夏日としか言いようがないほど日照りが強かった。風のさわやかさは秋めいていて、俺の身なりも秋めいていた。パーカーとTシャツの袖を捲くり上げ、不健康な細腕を晒しながら街を歩いた。
せっかく街に出たのだから、思いつく限りの場所に足を伸ばしたい。街では家電量販店や本屋やその他諸々がいちいち高いビルに収まっている。土地が狭くて横に広げれないのなら、上に積み上げていけばいいということだ。俺もそれに倣えば、部屋が広く感じるようになるかもしれない。
人ごみと無闇にスピードを出す自転車は鬱陶しいが、連なるビルを尻目に広い車線が途切れなく続く街には開放感がある。ビルの隙間に有名企業が所狭しと出店し、有象無象の飲食店が趣はあれど埋没した個性で凌ぎを削っている。人間はことごとくくたびれて見えるものの、街には貪欲なエネルギーが満ちている。それは発展だとか競争だとか、そういった人間の営みの形なのかもしれないが、社会から片足を踏み外している俺にはよくわからない。
閑散とした路地裏に入れば小汚い家屋や商魂の欠片も見られないような古びた店が並ぶ。「時代に取り残された」とはこういった空間を指す。廃退的だ。諦めのようなものを感じる。それでいて悪くない。良い意味でトイレのような所だ。
家を昼過ぎに出たので、十八時までいかに時間を潰すか考えた。もう家電量販店を出たので、あとは本屋と楽器屋に行く。ほとんどの時間を図書館で潰すことになるのはわかっていた。結局、十八時まで何も用事はないし、立ち寄る場所も然程思いつかない。
携帯電話が落ちていた。しばらく見ていないような古そうな機種の黒い携帯電話だった。何かがチラつくかと思えば、着信ランプが点滅していた。着信音が鳴っているのかもしれないが、イヤホンで喧騒に負けない音量の音楽を聴いている俺には聞えない。
もし俺がケイタイを落としたら気が気じゃないだろう。警察に届け出ればいいのか、携帯ショップに駆け込めばいいのかもわからない。しかも拾ったケイタイがどんな悪事に利用できるのか、意外に想像がつかないのが恐ろしい。成りすましが容易なメールを使えば、振り込め詐欺が成功しやすいかもしれない。しかし落し物とは、なぜこうも想像力を悪い方へ引っ張ろうとするのか。
俺が足を止めたのは信号が赤になっていたからであって、すでに落し物の横を通過して、もはや後ろの彼方。だが、立ち止まって思い出したことは、携帯電話の持ち主が落とした自分の携帯電話に電話して場所を特定しようとするベタな試みだった。
俺が電話に出るべきかと考えたが、面倒の一言に尽きる。後ろ髪を引かれながらも、俺は青信号を渡った。




