ただ美味いものが食いたいだけ
「くそっ、またフグかよ。」
手袋をしてスポンジみたいな体を掴む。フグの腹に指を沈めながらパクパクと動く口から針を外す。海に放り投げると元気よく泳いで見えなくなった。
バイトのない休日、大学生の俺は金を浮かせるために釣りに来ていた。何より釣りたての魚は買うよりも美味い。一石二鳥だ。
ウキが沈んでリールを巻いていく。糸の先にはまた丸々と膨らんだハコフグが引っかかっていた。
「そういや、ショウタがフグを捌けるとか言ってた気がするな」
最近はフグの調理免許の取得難度はかなり下がっている。暇つぶしにとる奴も増えているのだろう。
フグだったら馬鹿みたいに釣れた。クーラーボックスいっぱいにフグが敷き詰められて満足する。
スマホを取り出してショウタの連絡先を呼び出す。ショウタは一回コールしたところで電話に出た。スマホを手放すことのないやつだ。
「もしもし、釣りに来たんだけどフグしか釣れなかったんだよ。お前フグ捌けるって言ってただろ。今からうちに来てくれよ」
「ヨシミか。おう、いいぜ! 久々にフグ捌きたかったんだよ。今確変中だから終わったら向かうわ」
騒がしいと思っていたらパチンコ屋にいたらしい。まあ今から自転車で帰ることを考えたらちょうどいいだろう。
クーラーボックスを荷台に縛り付けて竿を背負った。真夏の日照りが肌を突き刺して汗が噴き出す。
それにしてもフグなんて食べるのはいつぶりだろう。子供の頃に食べた気はするが、ほとんど記憶にない。美味かったような気はする。
にやける口元をなんとか引き締めながら自転車を漕いだ。
家に着くとドアの前にショウタがしゃがみ込んでいた。
「なあChatmini、あの店遠隔してたんじゃないかと思うんだよ。どう思う?」
『現代において遠隔操作の可能性は限りなく低いと思われます。確率的に大当たりを引けなかっただけである可能性が高いです』
「だけどAIとかを使えばバレないように出来るんじゃないのかなって思うんだよ。なあ、やっぱり遠隔だったんだろ? 絶対遠隔だよなぁ?」
何やってんだこいつ。ショウタは猫なで声でスマホに向かって話しかけていた。
「ずいぶん早かったな。待たせちまったか?」
「うあああああ、聞いてくれよ! 確変に入ったのに大当たりしなかったんだぜ! なんだよこれ、詐欺だろ! 今日は高級中華の予定だったのに!」
どうやらボロ負けしてきたらしい。
「まあタダでフグが食えるんだからいいじゃねえか。とりあえず上がれよ」
クーラーボックスを下ろして蓋を開ける。
「なんだよ、トラフグじゃねーのかよ。高級食材で元を取ってやろうと思ったのによ」
「まあそういうなって。ハコフグだって食ったら美味いんだろ? 美味いことが重要だろうが」
ショウタを嗜めて、クーラーボックスをキッチンに運ぶ。
「せっかくだから捌くところ見せてくれよ! 動画も撮っていいか?」
「いいけどハコフグってテトロドトキシンはないんだぜ? 皮には毒があるから釣りの時には注意が必要だけどな」
「なんだよ、毒がないならわざわざショウタを呼ばなくてもよかったじゃねーか。ただの魚なら俺の方が捌くのうまいだろ」
俺だって一応調理師免許を持っている。フグは捌けないがそれなりに知識だってある。まあ、動画サイトの知識でしかないのだが。
「そう言うなって、今日は俺に捌かせてくれよ!」
そう言われて調理はショウタに任せることにした。思ったよりも手際がいい。甲羅骨に囲まれたフグは他の魚と捌き方が少し違うように見えた。
「あとは任せた! 俺テレビ見てるわ」
「おう! 期待しとけよ!」
カメラを止めてスマホをポケットにしまう。リビングでテレビをつけると、動画プラットフォームを開く。ハコフグ、と検索すると大量に動画が出てきた。
普段からこういった動画を見ることが多かった。毒性のキノコや魚なんかの調理法は特に興味深い。
とはいえトラフグならともかく、ハコフグの調理法を見るのは初めてだった。
ハコフグはテトロドトキシンがないから肝を好んで食べてきた地域もあるらしい。
「なんかハコフグは肝がうまいらしいぞー!」
キッチンに向けて大声で叫ぶ。ちょうど調理を終えたところみたいでショウタが料理を運んできたところだった。
「知ってるっての、ハコフグなんて皮剥がして煮ちまえばいいんだよ。ほら、結構うまそうだろ」
ショウタが持ったトレイの上には刺身から味噌汁までかなりのバリエーションが並んでいた。
「おー! ショウタやるじゃんか! めっちゃ美味そうだな!」
「だろ? とりあえず食おうぜ! 俺腹減ってたんだよ」
テーブルに料理を並べる。何から食べようか、迷った挙句とりあえず味噌汁に口をつけた。めちゃくちゃ美味い。ショウタは俺の食べっぷりを満足そうに眺めている。
箸が止まらずに片っ端から箸を伸ばす。刺身、味噌焼き、肝和え。こんなに美味いのにどうしてみんなリリースするんだろうか。
「そういやいつの間にフグの調理免許取ったんだよ、実務が必要なくなったとはいえ大変だっただろ」
「え? 俺調理免許なんて持ってねーぞ?」
「お前、フグ捌けるって言ってたじゃねーか」
「いや、動画で見たから捌けるぜって言っただけ……」
「はぁ!? まじかよ! これ大丈夫な——」
言いかけたところで動画の解説が聞こえてくる。
『ハコフグは無毒として昔から肝が食べられたりもしていましたが、地域によってはパリトキシンという猛毒を持っていることがありとても危険です。素人が調理するのは絶対に辞めましょう』
「「…………。」」
「これ本当に大丈夫なのか?」
「……。」
「おい、ショウタ! なんとか言えよ!」
ショウタは箸で刺身を掴んだままフリーズしていた。ちなみにショウタはまだ口をつけていない。
「救急車呼ぶか」
「おいいいいいいい! まじか! 俺死ぬのか!」
「まあ大丈夫だろ、人間そんなに簡単に死なないって」
そう言うとショウタはスマホを取り出した。
「なあChatmini、友達が毒があるのを知らずにハコフグを食っちまったんだけどやばいかな?」
『はい、そのご友人は死亡してしまう可能性があります。すぐに医師、専門機関に相談しましょう』
「お前何Chatminiと喋ってんだよ! 救急車呼んでくれ! というかやっぱ死ぬのか俺!」
「なあChatmini。ちゃんと刺身以外は火は通したし問題ないだろ? 肝もちゃんと湯掻いたし大丈夫だよな?」
『いいえ、パリトキシンは加熱で無毒化はされません。猛毒ですので最近では厚生労働省から肝の食用が禁止されています』
状況は絶望的だった。
「だからChatminiじゃなくて救急車を呼んでくれ!」
結局何も大丈夫ではなかった。俺は胃洗浄をした挙句、病院のベッドでのたうち回って死んだ。流石に能天気なショウタも罪悪感で泣いていた。
別にショウタを恨んではいない。どうせ死ぬんだったら、もっとフグを食べておけばよかった。ただ、美味いものが食いたいだけだったのに……。
美味と書いてヨシミ。俺の名前に相応しい死因なのかもしれない。テーブルに残った料理を思い出しながら、俺の意識は途絶えた。
ふわふわとした意識の中を漂っていた。どこからか鳥の囀りが聞こえる。
俺、死んだはずだよな?
だんだんと意識がまとまってくる。病院のベッドではないようだ。毒に侵されたはずの内臓の痛みも感じなかった。
ぐぅううう、と腹の虫が鳴く。どういうことだ。俺は、生きているのか。
しかし体の感覚はない。指を動かそうとしても動かない。体が存在している感覚はあるのだが、意識とは繋がっていないようだった。
それでも空腹感だけは感じていた。とにかく何か食べたかった。
——毒を喰らって死んでもなおその食欲。望ましい。あなたには毒耐性を与えました。この世界の人々を導き、私に最高の一皿を献上しなさい——
どこからか女の声が聞こえたと思うと、急に意識と体がつながった。思い切って目を開けてみる。
空を覆うほど生い茂った木々。隙間からは青い空が覗いていた。
体を起こして周囲を見渡す。どうやらここは森のようだった。
目の前には樹齢数百年と思われる大木が空に向かって伸びている。
地面との境目に大きな洞があって、中には美しい女性の石像が鎮座していた。
幻想的な光を纏っているように見える。
再びぐぅううう、と腹が鳴った。
状況はわからない、だが生きているというのならこの空腹をなんとかしなければならない。
森だったら何かしら食べられるものはあるだろう。森の中を歩きまわって、片っ端から食べられそうなものを集めた。
湖を見つけて湖畔で食材を広げた。残念ながら糸がないから釣りをすることはできない。
湖面に映った顔は、毒に侵される前の健康な顔色をしていた。
最後に見た自分の顔は、苦痛に歪み、吐くものもないのに胃液を吐き続けて青白い、死体のような顔をしていた。
まあ、なんでもいいか。生きているのなら食う。ただそれだけだ。
食材の中から生で食えそうなものを選んでいく。木の実、草の根、キノコ。本当は肉が食いたかったのだが仕方がない。
それにしても、どれも見たことのない食材だった。ここは俺の知っている世界ではないのかもしれない。
しかし困ったことになった。動画サイトで培った食の知識が通用しない。何が食べられる食材か、全く判断がつかなかった。
キノコは地味な色をしていても、やっぱり危険だろう。
フグの毒を思い出す。もう二度と経験したくはない激痛だった。それでも食欲に勝てないのが人間だ。
木の実の中から一番いい香りのする、真っ赤なさくらんぼに似た食材を選んで湖で洗う。
口に入れるとピリッと刺激があったが、甘くてとても美味しかった。
「お前! 何やってるんだ!」
背後から声が聞こえて振り返る。腰に剣を刺した中年の男が立っていた。
反射的に両手を上げる。やっぱりここは俺の知っている世界ではないらしい。日本なら銃刀法違反で速攻逮捕されるだろう
「ちょっと待ってくれ、俺なんかしたのかな? 森の食材をとったことが問題なら、これ全部渡すから許してくれないか」
慌てて言い訳をする。こういう状況はシミュレートしたことがある。もしアメリカで銃を突きつけられたら、一切抵抗せずにすぐに両手を上げる。
それが生存のための最善手なはずだ。たとえ銃が剣に変わっても同じことだろう。
「そうじゃない、お前さっきチシの実を食っただろう。それはとても珍しい木の実だが、猛毒だったはずだ。体はなんともないのか」
男は俺が手に持った赤い実を指して冷や汗を流していた。
「チシの実ってこの赤い木の実のことか? 甘くてすごく美味かったぞ」
「どうやって食べた! ギルドではまだ誰も攻略していない木の実だぞ。一体どんな調理法で毒抜きをしたんだ!」
「いや、毒抜きってどういうことだよ。この湖の水で洗っただけだけど……」
「なんだと! 水で洗うことで毒が消えるのか? いや、それならこんなに死者が出ているわけがない。この湖の水が特殊なのか?」
男はぶつぶつと独り言を呟く。この木の実を何か別の猛毒の実と間違えているのだろうか。
「ちょっと君が食べた時と同じように下処理をしてみてくれないか。俺にも一つ食わせてくれ」
結局こいつも食いたいだけじゃないか。仕方がなくさっきと同じように湖の水で洗って木の実を男に渡した。
「俺はダンク、近くの街で美食家をしている」
そう名乗るとダンクは握手を求めてきた。欧米か! ここは本当に異世界なんだろうか。
だが少なくとも最初にハンズアップしたのは正しかったということだろう。
俺もヨシミと名乗って手を握り返す。ダンクは妙に力が入っていた。
「よし、食うぞ! 食うからな!」
なぜかダンクはそう宣言する。木の実一つでおかしなやつだ。
ダンクが木の実を口に放り込む。
「どうだ? 甘くて美味いだろ」
「ああ、確かに甘いが口の中がビリビリとしびれれれれ」
ダンクが木の実を吐き出す。何が起こったかわからないが、ダンクは舌が痺れているようだ。
「おい! 大丈夫か! どうしたんだ、毒なんてなかったはずだぞ!」
倒れ込んだダンクに湖で水を掬って差し出す。ダンクは水を口に含んで吐き出した。
「その手の紋章……。女神の加護、か……」
舌の痺れはマシになったようだが、毒をどうにかできたわけではないようだった。
「おいしっかりしろ! どうすればいい、解毒薬はないのか!」
俺がそういうとダンクはふっと笑った気がした。
「俺のことはもういい。俺はもう駄目だ。とにかく、このギルドカードを街の美食ギルドに届けてくれないか。街はこの湖の反対側に進めば、すぐに見つかるはずだ」
差し出されたカードを受け取る。文字は読めなかったが、身分証のようなものだろうか。
「ダンクはチシの実に果敢に挑戦して死んだと、そう伝えてくれ……」
そう言い残すとダンクは息を引き取った。なんなんだこの状況は。
困ったことになった。近くに街があると言っていたが、この巨体を運ぶことはできそうにない。
とはいえ、ダンクの死を誰かに伝える必要はあるだろう。俺はギルドカードを握りしめて、街を目指して歩き出した。
ダンクの言った通り、街はすぐに見つかった。手にはダンクのギルドカードと大きな葉に包んだチシの実を握りしめていた。
だけど流石にダンクが死んだ今となってはこの木の実を食べる気は起きない。
街に着くとダンクが言っていた美食ギルドを探した。通りすがりの親子に話しかける。
言葉が通じるかは不安だったが、ダンクにも通じたように何も問題はなかった。
「美食ギルドならこの道の突き当たりを左に行けば、ナイフとフォークのエンブレムが見えるはずだよ。でもまさか美食ギルドに入ろうってわけじゃないよな? あそこはやめておいたほうがいい。あそこの奴らは正気じゃない」
「そうだよ、お兄ちゃん。あそこは近づいたら駄目だって僕はいつも言われてるんだ。やめておいたほうがいいよ」
なんだかよくわからないが、とても心配された。とはいえ、ダンクの遺言とギルドカードを届けなければならない。
角を曲がると、大きな建物にナイフとフォークが装飾されたエンブレムが掲げられていた。入り口の上の看板を読むことはできないが、美食ギルドで間違いはないだろう。
さっきの親子の言葉を思い出して尻込みする。恐る恐る扉を開けて中を覗いてみた。
思ったよりも普通の内装で、なんだか酒場のような感じだ。キョロキョロと様子を伺っていると、背後から声をかけられた。
「もしかして入会希望? ほら、入った入った! 美食ギルドは誰でも歓迎だよ!」
背中を押されてつい中に入ってしまった。慌てて立ち止まって振り返る。
赤い髪の若い女性だった。ダンクとは違い、細くてとてもか弱そうな女性だった。
「いや、僕は入会希望ってわけじゃ……」
そういって手を振ったところでギルドカードが目に入ったらしい。
「それってダンクのギルドカードでしょ? もしかしてダンクは死んだの?」
なんといえばいいのだろうか。よく考えずに来てしまったものの、まさか殺人犯扱いされたりはしないだろうか。
「あ、えっと、ダンクは湖でこの木の実を食べてしまって、俺に美食ギルドに伝えるようにってこのギルドカードを渡してきたんです。ダンクはチシの実に果敢に挑戦して死んだと伝えてくれって言われたんですけど」
できるだけ自分が悪くならないように考えながら言葉を紡ぐ。仲間が死んだとなれば、知らない人間を犯人扱いすることだってあってもおかしくはない。
「チシの実? まさか、チシの実があったの!」
「いや、そうじゃなくてダンクが死んだっていう話で……」
なんだか話が噛み合わない。赤い髪の女性は目を輝かせている。
「チシの実があったのか! もうないのか? 俺にも食わせろ!」
酒を飲んでいた男が声を上げる。ギルド中の人たちが俺に注目していた。
この猛毒な木の実はどうやらかなり希少なものだったらしい。とはいえダンクが死んだばかりなのに食わせろって、何を考えているんだ。
「いや、そうじゃなくてダンクが死んで、湖に死体があるんです」
「誰かダンクの死体の回収に行ってくれ! 俺はチシの実の攻略に入る」
男が何人か席を立ってギルドから出ていく。ダンクの死体を回収しに行ってくれたらしい。
俺が安堵して立ち去ろうとすると、入り口はさっきの女性に塞がれていた。
「あの、俺はこれで。遺言とギルドカードを届けにきただけなので」
「待ってよお兄さん。その手に持ってるのはチシの実でしょ? ちょっと私にも分けてよ」
珍しいとはいえ猛毒だ。そう簡単に渡していいものなのだろうか。
とはいえ渡さなければ出してもらえる雰囲気ではなかった。葉に包んだチシの実を渡す。
「すごい量じゃない! よくこんなに集めたわね。どこで採ったかも教えてもらえないかしら」
「腹が減って適当に集めただけでどこで採ったかまではわからないんです。すみません」
ついつい謝ってしまう。入り口を塞がれて軟禁されている今、それも仕方のないことだろう。
「いやいや、謝らないでよ! それよりこのチシの実はもらっていいの? 流石にチシの実は値段がつけられないんだけど」
食べたら即死するような木の実だ。値段がつかなくて当然なのかもしれない。
「もちろん差し上げますよ。というかダンクが死んだっていうのにそんな木の実どうするんですか?」
「もちろん毒抜きをするのよ! どんな食材も美味しく食べられるようにする、それが美食ギルドなんだから!」
「いや、食べてすぐ死ぬような猛毒の木の実は食材ではないんじゃないですか?」
「何言ってるの、美味しいものはみんな食材よ! 何かしら食べる方法があるはずだわ!」
何言ってるの、はこっちのセリフだった。
「確かに甘くて美味しかったけど、流石に食べてすぐ死ぬ人を見た後では食材とは呼べないと思うんだよなあ」
「ちょっと! あなたチシの実を食べたの? どうやって! どうやって食べて生還したの!」
独り言のつもりだったが、どうやら聞こえていたらしい。興奮しすぎていてちょっと怖い。
余計なことを言ってしまっただろうか、実際湖の水で洗ったと説明してダンクは死んだ。どう説明すればいいのだろうか。
「いや、あの。ただ湖の水で洗って食べただけで、ダンクは同じ食べ方をして死んだのでなにがなんだかわからなくて」
「どういうことよ、あなた何か特殊体質とかなんじゃないの? もしかして毒を食べ続けて特殊な訓練を積んでいたりとかするの?」
特殊体質、と言われて思い当たる。
——あなたには毒耐性を与えました——
ダンクが死に際に言っていた女神の加護。目が覚める前に聞こえたあの声の正体がもし女神のものだったとしたら。
気が付かなかったが、左手の甲を見ると美食ギルドのエンブレムと同じ模様が浮かんでいた。
「あなた! それ女神様の加護じゃない! そういうことなのね」
何がそういうことなのかはわからなかったが、ギルド中の人たちが獲物を狙う獣の目をしていた。
「じゃ、遺言は伝えたので、俺はこれで」
さりげなく立ち去ろうとしたのだが、入り口を塞いでいる女性がどいてくれる気配はなかった。
「歓迎するわ、美食ギルドにようこそ! 私はミカ。よろしくね」
またしてもアメリカンスタイル。差し出された手を掴むか悩んで顔を見ると、ミカは有無を言わせないとばかりの笑顔を浮かべていた。
逃げることはできそうにない。渋々ミカの手を握る。
「俺はヨシミです。お手柔らかにお願いします」
何がお手柔らかになのかはわからないが、少しでも釘を刺しておきたかった。道案内してくれた親子の忠告を聞かなかった自分を殴りたい。
「あっはっは。敬語なんてやめてよね。これからは仲間なんだから! 遠慮は無しでいきましょ」
バンバンと肩を叩かれる。細身に見えてミカの力は思った以上に強かった。
「引き留めて悪かったわね、お詫びに食事でもご馳走するわ。美味しいお店を紹介してあげる」
握手をしたまま手を引かれる。
「おい、ミカ! まさかチシの実を独り占めしようっていうんじゃないだろうな?」
そう声を上げたのは、さっきチシの実の攻略をすると言っていた男だった。体格はダンクにも劣らない。モヒカン頭のせいでむしろダンクよりも大きく見えた。
「まさか〜、そんなことするわけないじゃない。ほら、ダッカ、受け取りなさい。これでいいでしょ」
ミカはチシの実を一つダッカと呼んだ男に投げて渡す。
「いいわけねえだろ! さっさとこっちのテーブルに広げて見せろ。そんなにガメてどうするつもりだっていうんだ」
男の言う通りだった。葉に包んで持ってきたので、10個くらいはあったと思う。こんな猛毒の木の実を大量に手に入れて、毒薬でも作るつもりだろうか。
俺が疑わしげな視線を向けているのに気がついたのか、ミカは慌てて言い訳を始める。
「言っておくけど悪用なんてしないからね! ただ発酵させたり酢漬けにしたりいろいろ試してみたかったのよ。チシの実を試せることなんてほとんどないんだから仕方がないでしょ!」
ミカは観念した様子で、ダッカのテーブルに向かう。チシの実を広げると、ギルド中で歓声が上がった。
「すげえ数だな! これ、どこで採ったか覚えてないのか?」
「空腹で夢中で食材を集めたから覚えてないんだって、あんた話聞いてなかったの?」
「おう、そうだったか。悪かったな、新入り。チシの実の寄付に感謝するぜ!」
実際は俺とミカで会話していただけだったので、聞いていなくてもダッカは何も悪くないだろう。
とはいえ、このダッカという男も見た目の割に悪い男ではないようだ。またしても差し出された手を俺は握り返す。
このアメリカンスタイルには慣れなければいけなさそうだ。
「ところでヨシミよ、チシの実はうめーのか。どんな味なんだ、加護持ちのお前は生で食えたんだろう」
ギルド中の視線が集まる。なんと答えたものだろうか、不味いと答えればこの人たちは食べるのをやめるのか?
とはいえ嘘がバレたらタダで済む雰囲気ではなかった。
「えっと、甘みが強くて美味しかったよ。でもピリッと痺れる感じがして、俺は平気だったけど、ダンクは食べた瞬間に舌が痺れて喋りづらくなったみたいだったんだ」
「美味いのなら意地でも毒抜きを成功させないといけないな。麻痺毒か、ダンケの死体の回収は終わったのか? 死因はなんだ。呼吸困難か、心不全か。」
思った以上に専門的な知識はあるらしい。美食ギルドというよりも、毒食ギルドという感じなのだろうか。
ダンケの死体はまだ回収が終わっていないらしい。あの巨体だ、運ぶのも一苦労だろう。
「問題はこのチシの実を誰に分けるかが問題だな。チシの実が欲しいやつは手を挙げろ!」
ギルドには20人近くいたが、ほとんど全員が手を挙げていた。というか、全員がこの猛毒の実を食べたいのか?
美食ギルドを正気じゃない、と言っていた親子の言葉は比喩でも誇張でもなかったらしい。
「じゃあ全員どんな攻略をするつもりか聞かせてもらおうか」
ダッカがそういうと、みんなが口々に毒抜きの方法を挙げていった。煮る、焼く、漬ける、発酵。漬けるにしても塩漬け、酢漬け、酒漬け。多種多様だった。
異世界なのに塩や酒があるのか、地球とほとんど変わらない。かなり知識が応用できそうだ。
それにしても煮る、焼くっていうのは短絡的すぎやしないだろうか。
ハコフグの毒がフラッシュバックする。
「流石に煮たり焼いたりしたところで毒抜きにはならないんじゃ……」
「何言ってやがる! 大抵のもんは火を通したら無毒化できるもんなんだよ!」
いかにも荒くれといった風体の若い男が声を上げる。
「まあ試してみないとわからんからな。よし、ゲラー。お前いってみるか」
「おう! 任しといてくださいよ! まさか人生でチシの実を食える日が来るなんて思ってもみなかったぜ!」
そう言ってテーブルにランプと鍋を置くと、ミカが呪文を唱えてランプに火をつけた。
今のは魔法だろうか。本当なら魔法に驚くところだろうが、この異常な人たちに気押されて、魔法なんてたいしたことではない気がしてくる。
「それでゲラー、煮るのか焼くのか、どーすんだ?」
「そうだな、やっぱりうまく食わないと意味がねーからな。果物なら濃縮して旨みが増す焼き一択だろう」
そういってゲラーと呼ばれた男は鍋に直接チシの実を放り込んだ。
ギルド中に甘い香りが充満する。突然横にいた男が一人膝をついてしゃがみ込んだ。続けて何人も立っていられなくなってしゃがみ込む。
「おい! 早く換気をしろ! 毒が充満しているぞ!」
俺は慌てて叫び声を上げる。動ける男たちが慌てて窓や扉を開けに走った。
このギルド、本当に大丈夫なんだろうか。
「そろそろいいんじゃねーか? 甘い香りがめちゃくちゃ美味そうだぜ!」
ゲラーは周りの様子なんて全く気にしていない。目の前のチシの実しか目には入っていないらしい。
というか本当に食べるのか?
まあ魔法があるっていうのなら、もしかしたら蘇生魔法みたいなものでもあるんだろうか。
「じゃあ食うぜ! 男ゲラー、チシの実を焼きで攻略してみせるぜ。もし死んでも、これがチシの実攻略の足掛かりになることを祈ってるぜ!」
もし死んでもってこいつは本当に死ぬ気で食おうとしているのか?
慌てて止めようとしたが、既にチシの実を口に放り込んだ後だった。
「美味え! 美味えよこれ。今まで食ったことのない濃厚な甘みと芳醇なかおおおおおおおりいいいいいい」
「おい! ゲラー!」
倒れそうになったゲラーをダッカが慌てて支える。焼いただけではやっぱり毒が消えることはなかったみたいだ。
俺は慌ててギルド内を見渡して水を汲んでコップを渡す。ダンクは死んでしまったが、それでも舌の痺れは軽減できた。少しはマシになるかもしれない。
「おう、ありがとうよ、新入り。こんなに美味いもんを食って死ねるなら、俺は本望だ」
それを聞いたギルドの人たちは、口々にゲラーを称賛する。
「お前の死は無駄にしねーぞ! 俺は塩漬けで攻略してみせるぜ!」
「ゲラー、焼きだけでチャレンジするなんて男だったぜ!」
こいつら何を言ってるんだ?
だけどゲラーは満足そうな表情で息を引き取った。全くノリについていけない。
呆然としていると、ミカが声をかけてきた。
「イカれてるって思った? 言っておくけどみんな死にたくて食べてるわけじゃないの。ただ、美食のためなら命なんて惜しくない、誰かがやらなきゃいけないなら自分がやる、それだけなのよ」
「いや、誰かがやらなきゃいけないって、この街はそんなに飢饉に苦しんでいるのか? そうは見えなかったけど」
とは言え、フグの毒で死んだ俺の言えたことではないのかもしれない。
それに日本には、ゴマフグの卵巣の糠漬けなんていうイカれた料理も存在している。毒抜きが成功するまでに、いったいどれだけの犠牲があったのだろう。
ゲラーは男たちによって運ばれていった。ギルドの人たちも、決して死を軽くみているわけではなさそうだった。口々にお前の死は無駄にしないと叫んでいる。
「ダッカ、翼竜の卵の強酸漬けって今ある? ヨシミに食べさせてあげてよ。流石にこのままじゃイカれた集団だと思われても仕方がないわよ」
「そうだな、おい、誰か強酸漬けを持ってこい! ちょうどいいやつが一つあったはずだ」
そう言われて持ってこられたのは、人の頭くらいの大きさの卵だった。強酸漬けというだけあって、卵の殻は溶けて無くなっていた。
ミカが魔法を使って、大量の水で卵を洗っていく。薄青色のゆで卵といった感じだ。
切り分けられた卵が、ギルドの全員に配られた。これ、俺も食べないといけないのか?
「大丈夫よ、少なくとも女神の加護を持つヨシミが死ぬことはないわ」
とはいえ薄青色をしたゆで卵は、お世辞にも美味しそうだとは思えなかった。黄身と呼ぶべき部分はパステルブルーの毒々しい色をしている。
美食ギルドの面々は慣れているのか、ご馳走だといって早々に平らげていた。反応を見るにかなり美味しいらしい。
だんだんとパステルブルーの卵が美味そうに見えてくる。半分に切り分けて、気合を入れてから口に放り込む。
見た目通り、といえばいいのだろうか。青々とした爽やかな香りと濃厚な旨み、なんとも形容し難い酸味はつけていた強酸の影響だろうか。
今まで食べた中でも、一番といっていいほどに美味かった。感動で涙が出そうになる。
「これ、すごく美味いな!」
俺がそういうと、ギルドの全員が誇らしそうに笑った。
「この卵を食べるために34人の死者が出たわ。毒抜きが成功するまでに20年近くの試行錯誤を重ねて、やっと今の強酸漬けが完成したのよ」
そういったミカも誇らしそうだった。
「そうだぜ、だけど誰も犠牲者だなんて思ってねえ。みんな美味いもんを食って死んでいったんだ。やりたいことをやって死ぬ、それ以上の幸福はないだろう」
ダッカはそういうと、壁の文字を指さした。もちろん俺には何が書いてあるか読むことはできない。
「なんだよ、文字が読めねーのか。あれはな、死は美食より安いが、死なずに食えれば一番良い。そう書いてあるんだよ」
死は美食より安いが、死なずに食えれば一番良い。心の中で咀嚼する。
ある意味ではそれは真理なのかもしれない。
美味いものを食わずに生きるか、美味いものを食って死ぬか。そして、美味いものを食って生きるか。
それが正しいと言い切ることは出来ない。手元の皿に目を向ける。だけどパステルブルーの卵を食べて感動した俺には、それを否定することはできなかった。
もう一口、卵を口に放り込む。今度は噛み締めて、惜しむように味わった。34人の死者の上に成り立った料理。今まで食べた中で一番美味い料理だった。
——私に最高の一皿を献上しなさい——
目が覚める前に聞こえたあの言葉を思い出す。この世界にはパステルブルーの卵すらも超える、さらなる美食が眠っているのだろうか。
俺は決心して顔を上げる。
「俺もこんな料理を作ってみたいな」
そう呟くと、みんなが歓迎の言葉で迎えてくれた。毒抜き料理はこのギルドの誇りなのだろう。
俺もその誇りの一部になれるのだろうか。ワクワクが止まらなかった。
「よっしゃあー、俺はチシの実を塩揉みで試してみるぜ!」
誰かがそんな声を上げた。毒があるからこそ、魅力がある食材もあるのかもしれない。
「塩揉みはあああだだだだだめめめめえええええだああああああたあああああ」
塩揉みは駄目だったらしい。
「ジャジー! お前の犠牲は無駄にしねえぜ!」
「塩揉みが駄目なら次は酒漬けだな!」
本当に俺はついていけるだろうか。自信がなくなってきた。
もしかしたら、阿鼻叫喚とでも言える日常が始まるかもしれない。だけど、さっき食べたパステルブルーの卵の味だけは一生忘れないだろう。
テーブルの上のチシの実を一つ摘んで口に放り込む。ピリッとした刺激と、濃厚な甘みが口いっぱいに広がる。
「おい! 新人だけずりーぞ! 俺にも食わせろ!」
「いや、やめとけって。俺たちは生じゃ食えねーだろ!」
そんなやりとりを見てみんなが笑っていた。ここにいる人達はみんな、ただ美味いものを食って笑い合いたいだけなのかもしれない。




