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ソイラテベンティとアメリカーノトールー十年の誤読ー  作者: fudo_akira


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2024年 ― 冬、指輪、そして分岐点

この物語は、

「間違っていると知りながら続いた関係」が、

どこで決定的に道を違えたのかを描いています。


恋の話であり、同時に、

人生を壊さずに生き直すための選択の記録です。

冬は、考える季節だと思っている。

 何かが終わるからではない。

 終わらせないために、余計なものを削ぎ落とさなければならない季節だからだ。


 十一月の終わり。

 朝の空気が、急に硬くなった。


 キッチンの窓を少しだけ開けると、乾いた冷気が一気に流れ込んできた。

 ユキは湯気の立つマグカップを両手で包み、娘の背中を見ていた。


 ダイニングテーブルには、大学案内の冊子が積み重なっている。

 学部別、大学別、受験方式別。

 色も厚みもまちまちで、統一感がない。

 けれどそれは、娘の未来がまだ一つに定まっていないという証拠でもあった。


「今日は模試だっけ」


 声をかけると、娘は軽くうなずいた。


「うん。帰り遅くなる」


 それだけ言って、コートを羽織る。

 受験生らしい緊張感は、まだない。

 だが、何も考えていないわけではないことを、ユキは知っている。


 だからこそ、この一年が大事だった。


 受験は来年だ。

 まだ時間はある。

 だが、準備を始めるには、今が限界だった。


 ユキは「直前で頑張ればいい」という考え方を、信用していない。

 人生は、いつも準備している人から順番に、静かに選ばれていく。

 取り返しがつかなくなってから慌てるのは、感情で生きている人のやり方だ。


 娘を送り出し、玄関の鍵を閉めたあと、スマートフォンが震えた。


 たくまからだった。


『今度の土曜、少し遠出しない?』


 文末に、いつものように絵文字はない。

 だが、少しだけ気合の入った文面だと、ユキにはわかった。


 遠出。

 この言葉が示す意味を、彼はあまり深く考えていない。

 ただ「いつもと違うこと」をしたいだけだ。


 ユキはすぐに返信しなかった。

 最近は、即答しないことが増えている。


 忙しいからではない。

 迷っているからでもない。


 考えてから返す必要があることが、増えただけだ。


 十二月。

 街は浮き足立ち始める。

 イルミネーションが灯り、店先には赤や金の装飾が溢れる。


 人は、この季節になると「来年」を簡単に語る。

 まるで、来年が無条件で続くもののように。


 その日、たくまが選んだのは、都心から少し離れた指輪工房だった。

 観光客向けではない、小さな工房。

 予約制で、職人が一組ずつ対応する。


「ここ、前から気になってて」


 たくまは、少し得意げだった。

 自分が「ちゃんと考えている男」だと示したい時の顔だ。


 ユキは、嫌な予感を覚えながらも、何も言わなかった。


 工房の中は、暖房が控えめで、金属の匂いがした。

 作業台の上には、細いリングや工具が整然と並んでいる。


「お二人で、ペアリングでよろしかったですよね?」


 職人の言葉に、ユキは一瞬だけ視線を落とした。


 ペアリング。

 言葉としては軽い。

 だが、ここに来た理由は、それだけではない。


 たくまは、ユキの方を見た。

 探るような目。

 確認するような目。


「ユキ、さ」


 作業が始まる前、彼は低い声で言った。


「10年だもんね、せっかくだしね。」


 その言い方で、すべてがわかった。


 指輪は、物ではない。

 これは、未来の提示だ。


 ユキの胸に、ざらりとした違和感が広がった。

 嬉しさではない。

 恐怖でもない。


 ただ、ズレている、という感覚。


 今、このタイミングで、未来を差し出されることが。


 ユキの頭の中には、娘の受験予定表が浮かんでいた。

 模試の日程。

 志望校の選択。

 再来年の一月、二月。


 人生が、現実として続いている感覚。


 その横で、たくまは「気持ち」の話をしている。


「形にしたいんだ。ちゃんと」


 形。

 彼にとって、形とは、安心の証明だ。


 だがユキにとっては、責任の確定だった。


 この人は、まだ「二つ持てる」と思っている。

 人生も、関係も。


 ユキは、工具を手に取りながら、静かに息を整えた。


「たくま」


「うん?」


「私ね、今は……」


 言葉を選ぶ時間は、もう十分あった。


「今は、未来の話をする時期じゃないと思ってる」

 声は低く、感情は乗せなかった。


 たくまの手が、一瞬止まった。


「どういう意味?」


 彼の声には、苛立ちよりも戸惑いが混じっていた。

 理解できない、という顔。


 ユキは、作業台の上の銀色を見つめたまま話すのをやめた。


 娘の受験がまだ終わってない

 わかってない

 わかってたら、今、指輪は出てこない

 あなたは、現実を一つにする覚悟がまだない


 たくまは黙ったまま。

 だが、その沈黙は、考えている沈黙ではない。

 納得できない沈黙だった。



 その言葉が、彼の胸に刺さったことは、表情でわかった。


 だが、理解には至らない。


 彼は「選ぶ」ことを、まだ感情で捉えている。

 好きか、好きじゃないか。

 失いたくないか、どうか。


 ユキはもう、その段階を越えていた。


 この日、完成した指輪はめ二人は中華街へ向かった。

 帰り道、思い出のハマスタを通り関内まで二人は会話を楽しんだ。

 街は相変わらず華やいでいる。


 別れ際、たくまは言った。


「良かった、指輪作れて」


 ユキは、うなずかなかった。

 否定もしなかった。


「知ってる。でも、それだけじゃ足りない」


 それが、彼に伝わることはなかった。


 家に戻り、コートを脱ぎ、キッチンの椅子に座る。

 ユキはしばらく、動けなかった。


 悲しいわけではない。

 怒っているわけでもない。


 ただ、分岐点に立っていることを、はっきり自覚した。


 もう、戻れない。

 でも、今すぐ終わらせるわけでもない。


 冬は、終わらせる季節じゃない。

 続けるために、選別する季節だ。


 ユキはスマートフォンを手に取り、娘の模試結果を確認した。

 現実は、待ってくれない。


 その夜、たくまからのメッセージは来なかった。


 ユキは、それを少しだけ、ほっとしながら受け止めた。


 この静けさは、別れの予兆ではない。

 決断へ向かうための、助走だった。

この物語に、

救いのある終わり方は用意していません。


あるのは、

「選ばなかった人生」と

「それでも続いていく日常」だけです。


それでも、

誰かの人生を壊さずに立ち去ることも、

ひとつの強さだと、私は信じています。

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