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Ep.8 「ネグレのねぐら」

 一夜明けても、ローゼはここにいなかった。付近には、殺されたように眠るネグレがいるだけである。


「ローゼ〜!!」


 大きな声で彼女を呼んでも、小鳥たちがパタパタと羽ばたいていくだけだった。雲一つない空と同じように、私の心はスカスカである。


「そのローゼってのが仲間か?」


 おはよう、と大きな欠伸をしながら話すネグレ。ボサボサな髪に、櫛を差し出そうとしたその時だった。


「澄嶺ー!!!」

「お出ましだな」


 ローゼはあの真っ白な肌を切傷でいっぱいにしながら、低木を掻き分けて出てきた。思わず体重が前へと動き、ぎゅわっと抱きしめる。


「ごめん、ローゼ……」

「いいんです。無事でよかった」


 彼女は柔らかいシルクみたいな手で、私の頭を撫でてくれている。

 ああ、やはりこの温もりだ。

 この熱が人工であろうかなかろうが、ローゼのくれるこの温もりが、大好きなのだ。


「ひゅー、お熱いね」

「なっ!」


「澄嶺、こちらの方は?」

「私はネグレ。この辺の村で姉御分をやってる」

「私はローゼ。澄嶺の……」

「私の、恋人だよ」


 「友達」と言いかけるローゼに割り込んで、訂正する。私はローゼが好きだ。微塵の嘘偽りもなく。

 彼女は「人間を愛する人工知能」。その愛は、恐らくきっと本当である。そう信じたかった。


「ほーん……この世界も、思ったより捨てたもんじゃあねえな」

「というかネグレ、さっき『この辺の村』って言ってたけど……」

「ああ、知らねえか。ここから半日歩いたところに、シンギュラリティを生き延びた奴らの村があるんだ。そこに私は暮らしてる」


「村……!!」


 村、人間が集まって暮らすもの。

 つまり、生存者が沢山……!?


「良かったですね、澄嶺。目的は達成されそうですよ」

「うん。嬉しい!」


 喜びは予定調和になりつつあった。

 それでも、ガッツポーズをしない理由にはならない。私のホワイトアウトした世界に、鮮やかな絵の具が一滴ずつ垂らされているのだ。

 この「村」の情報だけで、私の足は勝手に小躍りをしていた。


「そんじゃあ行くか! ついてきな」


 ネグレの背中について行って、私たちはまた山を登り始めた。


「澄嶺」


 歩き始めて1時間程経ってから、ローゼは小声で私を呼んだ。なにやら微妙な面持ちである。


「どうしたの」

「いや、その……ネグレさんのことを、信用してもいいのかな、と思って」

「いいに決まってるじゃん。私の手当てまでしてくれたのに」

「でもあの姿が少し、怖いんです」


 怖い。

 ローゼのその言葉を聞くのは初めてだった。 

 振り返ると、微かに両の指先が震えている。

 私はそっと彼女の手を包んで、目を見て言う。


「……多分、ローゼは私がいなくて不安だったんだよ。きっとそれが、尾を引いてるだけ」

「そう、ですね」


 新鮮だった。新しい表情を見た。

 彼女の怖がる、萎縮するのをなぜか私は、嫌だと思えなかった。


 悶々としながら歩き続ける。

 途中休憩を取りつつ、夕方まで足を動かした。死にかけのひっくり返った天道虫のような気分だったが、日が沈む頃には辿り着くことができた。


「ほら、見ろよ」


 私たちは今、崖の上にいる。

 足元の盆地には、小さな村が広がっていた。極めて色の濃い橙色に染め上げられた家々たちが、明けの明星のように見える。


「ここが私たちの村『イコイ村』だ!」


 ネグレが自慢気になるのも理解できた。

 ナゴヤ地区でも夕焼けなどはたくさん見てきたが、山に囲まれているというだけで受け取り方が変わるのだ。養殖と天然、黒鉛とダイヤモンドのように、同じものでもこれほど違うのか。


「……」


 ローゼは殆ど沈んだ夕日を見て、静かに涙を零していた。瞳、肌、髪、ボロボロになってしまった紺のつなぎまで、全てが今までより色づいていた。この世に、これほど美しいものがあるだろうか。


「うし、あとはここを降りるだけだな。急ぐぞ!」

「ちょ、ちょっと待ってよネグレ!」

「わ、私も行きます!」

 

 私たち3人は、団子のように連なって坂を駆け下りた。今日の一瞬一瞬を切り取って、額縁に飾ってしまいたい。


「おやネグレちゃん、遅かったねぇ」

「おおじぃちゃん。実は、こいつらがな」


 ネグレに続くと、村民らしき好々爺と目が合った。

 彼は私をじっと見つめて、その後泣いた。


「そうかい……外の世界にも、まだ人間がいたのかい……」

「あ、あの……おじいさん?」

「頑張ったねえ。人工知能の奴らがウヨウヨいただろうに。ここなら大丈夫だからね……」


 彼は私と同じくらいの体躯で、私を抱きしめた。安心感と嫌悪感を同時に覚える、奇妙な感触が体を流れる。

 今は、受け入れるのが得策か。


「じぃちゃん離れろって。澄嶺が嫌がってんだろ?」

「いや、すまない。娘に似ていたもんだから」

「それは……そうかもな。おい二人とも、今日はうちで寝ろよ」

「いいんですか? その、ご迷惑とかじゃ……」


 ローゼはやはり、ネグレに対して違和感を覚えているらしい。

 これはチャンスだ。

 どこかでそう思いかけた自分を、とことん嫌になった。


「気にすんなって。困ったときは助け合い、だろ?」

「そうだよローゼ、ここはご厚意にあやかろう、ね?」

「は、はい……」


「んじゃ、行くぞー」


 少し嫌がるローゼの手を引いて、村の中をズケズケと進む。

 周りの村民たちからは好奇、疑心、それに準ずるなにかに満ちた視線を送られた。無論、それには気づかないふりをする。


 一番気を遣っていたのは、ローゼだった。彼女は人工知能。言わば人類の敵。私個人に大きな恨みはないが、この村の人たちはその限りではないらしい。いや、気づくはずもないから、どうせ食わず嫌いの目線だろう。

 他者というのは、どうにも理解し難くて慣れない。


「ほらよ、ここだぜ」


「遠くからだとわからなかったけど……意外と頑丈そうだね」

「ここはシンギュラリティの前も人が住んでたらしい。といっても、廃村だったようだがな」


 ネグレの家は、円治の暮らす寒緋小屋を更に小さくしたような感じった。前史文明でいうところの蔵や倉庫にあたる建物である。

 

「ほら、今日はもう寝ろよ」


 彼女は私たちを中へ通すと、さっと乾いた松葉を床に敷いた。


「ん? これがベッドですか?」

「ベッドといったら、これくらいしかないだろ」


「あはは……」

「そうですよね。忘れてました……」


 こう言った細かいところに、育ってきた地域差を感じる。人に触れてこなかった私、前史文明に触れてこなかったネグレ。私たちは思ったよりも鏡写しの存在なのかもしれない?


「ほいじゃ、おやすみー」

「おやすみ」

「おやすみなさい……」


 懐かしい川の字寝。見上げる天井は随分と埃っぽいが、気にするところではない。


「澄嶺、もう少し寄ってください」

「なんでよ、もう十分密着してるよ」

「もっとです、怖いんですよ……」


 ネグレが左端、私が真ん中、ローゼが右端。

 ローゼが私を引き寄せる度に、私の右腕へ彼女の温度が押し付けられる。私やネグレより、遥かに女性的な体つきをしているのだった。まあ、製造理由を考えれば無理もないか。


「ねえローゼ」

「はい」

「私さ、トーキョーでちゃんといろんなことを知ったら二人で暮らしたいんだ」

「……素敵ですね」

「うん。私にはステキすぎるくらいだと思う。だから今は、3人を楽しもう?」

「それが澄嶺のためなら」


 二人の温もりを密に感じながら、私はまた眠りに落ちる。

 人生の歯車というやつは、思ったよりもスムーズに噛み合うらしい。

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