Ep.7 「シズオカ」
トーキョーへの旅路は、時速45キロ。
私たちはナゴヤ地区を脱出しようと、東へ進んでいた。現在は中継地点、シズオカ地区を目指してトンネルを進んでいるところである。
真っ白に光って何も見えないトンネルの向こう側は、まるで私の未来を暗示しているようだった。
「これで、良かったのかな……」
バイクのエンジン音に掻き消されるくらいの小さな声で、私の心がポツリと漏れる。それが置き去りにされる様が、今の自分によく似ていた。
「澄嶺、シズオカ地区はどんなところなんでしょう」
「さぁ私もあんまり知らないや」
円治から聞くところによれば、前史文明ではお茶やエンジンの製造で繁栄したというが……果たしてシンギュラリティ、独立戦争を経た今はどうなっていることやら。
六分の期待と四分の不安を胸に、バイクは進む。
「すごい……」
トンネル抜けると、海国であった。
綺麗というより神秘的な、美しいというより蠱惑的な、とにかく、この世のどこよりも不思議な場所だった。
「ここは……」
「凄いですよ澄嶺! 街が、沈んでいます!」
目の前に広がる光景──前史文明の亡骸が全て海の底に沈んでいる。
太平洋の右手が山を全て掴んでいってしまったように湾が抉れていて、どこまでも三日月型の海岸が続いていた。海はなによりも青く、山はそれよりも碧い。
私はその雄大さに、呼吸が止まるような感覚を覚えた。こんなに広い世界で、独りぼっちだったのだから。
ただ一つ、問題がある。
「これ……どうやって向こうまで行こう」
ガタガタに削れた入り江状になっているこの辺りは、到底バイクが入れるような路面がなかった。
つまりこれから、トーキョーまでは徒歩ということになる。
「はぁ……」
肩が落ちる。
一念発起して行動した後に壁が迫りくると、思いの外ダメージがかさむらしい。
「しょうがないですよ。取り敢えず行きましょう、ほら」
ローゼはもうバイクから降りていて、山に入ろうとしていた。既に行く気満々のようである。
彼女の紫の長髪と真っ白な肌がこの土地と混ざり合い、芸術家が作品を仕上げた後のパレットのように見えた。
「わかったから、ちょっと待ってて」
私はバイクをしっかりトンネルの真ん中まで動かして、鍵を抜いた。もうかなりオンボロで、錆だらけ泥だらけだ。
「今までありがとう。ちょっとお留守番しててね」
言葉をかけるが、当然返事はない。しかし、この中途半端に剥げた塗装は、少し誇らしそうに見えた。
ここからはこの身一つで歩かなくてはならない。どれだけ道が荒れていようとも、たとえ道がなかろうと、私はこの足で、進まなくてはならないのだ。
山の中を無理やり進むたび、シダ植物か私の肌を突き刺す。もうどれだけ歩いただろうか。手元の時計を見る元気すら、既に枯渇状態だった。
「澄嶺ぇ……ご飯にしませんか……」
「そうだけど……もう冬だし……」
食糧の備蓄をせずに来たことを後悔しつつ、へとへとになりながら斜面を登る。暫くすると、少し開けた、比較的広い平らな土地に出ることができた。
「あ、あれは!」
「澄嶺!?」
私の目に飛び込んできたのは、木に巻きついた一つのツル植物。黄色く色づいたあのハート型の形……間違いない、零余子だ。
「ローゼ、海水汲んでくるから火起こししておいて!」
「任せてください!」
焚き火台と麻紐を託して、斜面を下る。この辺りは山と海が隣接しているから、塩分に困らなくてよい。お昼はごちそうだ。
海まで急ごう。
「綺麗だな……」
海岸まで辿り着くと、やはりそこには大海原。ナゴヤ地区と同じものを見ているはずなのに、広さがまるで違うようだ。
「あ……」
寄せては返すさざ波の中に、一つの白い何かが漂着した。骨だ。人骨、それも腕の骨だ。当然だが、街の沈没に巻き込まれた人々もいたはずなのだ。
もし篠原さんならばどう思うだろう。私と違って、何か憐れみや悲しみを感じたのだろうか。
不意に、気配が近づいてくるのが分かった。
「澄嶺、それは?」
背後からローゼの声がした。少し息があがっている。
「……骨だよ。ここに住んでた人たちの。もう体は、随分と遠くまで流されてしまったろうけど」
「それは澄嶺にとって大事なものですか?」
「え?」
「それは……澄嶺にとって守りたいものですか?」
「ん? あぁ……いや、多分違う」
「なら早く来てください。もう火が起こせたので」
彼女は急かすように森のなかへ消えていった。私は骨を浜辺に捨てて、その背中に追従する。
今はローゼだけだ。私の側にいてくれるのは、ローゼだけなのだ。
「正しさ」なんてものは、この腐った世界ではなんの価値もないはずだから。
───
「なに、今の音」
「枝が折れた音です」
「もう……驚かせないでよ」
普段なら気にならない粗末な雑音がとても気になる。夕方の暗く深い森は、1センチメートル先でも永遠に感じるようだった。
「澄嶺、もう寝ませんか?」
「大丈夫。まだ、動ける」
「でも顔が赤いですよ? 膝枕しましょうか?」
「後で、ね……」
足を前に出せ。止まるな。
トーキョーに行くんだ。もう引き返せないのだから、行くしかないのだ。
「はぁ、はぁ……」
「澄嶺?」
変な意識だ。
視界が揺らぐし、浮かんでは落ちるような感覚がある。まるで水と間違えてアルコールを飲んでしまった時のような……指先の感覚がなくなっていく。地面を踏みしているかどうかすら……
「澄嶺!?」
私の意識は、その声を最後に沈んだ。
「いってて……」
全身から土の臭いと石の硬さを感じる。どうやら私は転げ落ちてしまったらしい。どれだけの時間がたったのだろう。天頂にはもう、まん丸の月が笑っていた。
辺りからパチパチと焚き火の音が聞こえる。きっとローゼがそこにいるのだ。このまま星を見上げて、眠ってしまうのもありか。
「おい、礼もなしかよ」
聞き間違いだろうか。私の声でもローゼの声でもない、円治のような低い声が聞こえた。
気絶していたから無理もない。取り敢えず今日のところは眠ろう。
「だから! 礼もなしかって言ってんだよ、へっぽこ!」
聞き間違いではなかったらしい。
つまるところ、生存者か人工知能かの二択。鬼が出るか蛇が出るか……
覚悟を決めて、懐のナイフに手をかける。
「うわぁ!? 急に激しく動くな! びっくりするだろ……」
焚き火の明かりを下から受けるその人物は、生き物だった。青の長い髪を縛った女性だった。
痛む体に鞭を打ち、必死で駆け寄る。二人目だ。まだこの世に、生存者は残っていたのだ。
「よかった……見つけた……!」
「おいおい急に抱きつくんじゃあない、離れてくれ……」
「す、すみません」
注意されてようやく、慌てて離れる。
ため息をつく彼女の服装は不思議だった。
晩秋の夜だというのに、着ているのは毛皮のコートと着古したインナーだけ。よく見れば、髪を縛っているのもただのツル植物だ。
もしかすると、彼女も人工知能なのではなかろうか。篠原さんのように如何にもメタリックなボデイをしているわけではないが、ローゼと似た種類の可能性も……
「ほら、そこ」
まじまじと観察していると、彼女は火の側にぼすっと腰かけて、対岸を指さした。指示に従ってそっと座ると、月明かりに照らされた奇妙な対談が始まる。
「あ、あの。手当……ありがとうございます」
「気にすんな。死なれると困るのはこっちだからな」
「そんでお前、何者だ? 村のやつじゃないだろ」
「澄嶺と言います。トーキョーを目指してたんですけど、仲間とバラバラになっちゃって」
「ほーん……」
彼女は火をじっと見ながら、興味の無さそうなふうに聞いていた。
「一応聞くがお前よ、人工知能じゃないよな」
「……どうしてそれを聞くんです」
「聞かれたら困るって顔だな?」
「ちが……!」
「人類をめちゃくちゃにした人工知能が、一丁前に人の形してると腹立つよなぁ?」
姿形は何一つ変わらない。変わらないのに、彼女は私の喉元に槍を突き立てているようだった。
質問はすでに、尋問へと変わっている。
「だいたい、どうして東京を目指してるんだ? あそこが人工知能の坩堝ってのは全人類誰でも知ってることだが」
「そこに、私の知らなくちゃいけないことがあるんです」
「へぇ……? そりゃまたなんで」
「大事な人を……悲しむため、です」
言いたくもないことをなぜこうも連連と述べねばならないのか。夜の寒さも相まって、拳を握る手に力が入っていく。
「わ、私は……確かに、怪しいかもしれないけど……人間です!!」
「まぁそう怯えんなって、お前が人間だってことは知ってるぜ」
「え?」
彼女はいつの間にか私の背後に移動して、背中をどんどんと叩いて笑った。
警戒心が高まる。こんな経験初めてだ。本当の意味で私は、獲物と見なされている。
「お前の手当をしたとき、血が滲んでるのが沢山見たからな。さっきのはただ、ちょっとからかっただけさ」
「はぁ……怖がらせないでください。どうなるかと思った……」
「悪い悪い。気が合うか確かめたくってな」
まるで私を品定めするかのように、私を見つめながら彼女は離れていった。
背中からバタンと倒れる。
もう疲れた。動きたくない。1日でいったい、どれだけのことを経験させられればいいのやら。
もう……寝たい……
「おーい、ってもうお眠ちゃんだな」
「私はネグレ。よろしくな、すみれちゃん」
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