Ep.6 「卒業」
篠原さんが死んだ。
彼女と過ごした時間は、多分1日にも満たない。だが、私の過ごしてきた16年間よりも遥かに濃密だった。それ故に……今まで人や機械の死体など、文字通り腐るほど見てきたのに、だ。
「澄嶺、どうかしましたか?」
「あぁいや、なんでもないよ」
「無理して食べなくてもいいからね」
「ありがとう……ございます」
管理小屋の中で鍋を囲んでいても、脳を支配するのはそれだけだった。獲れたてで、臭みの一切ない鹿肉ですら、私の意識を引っ張ることはできないようだった。
ここ最近の私は変だ。
今まで悩むことなかったことで悩み、今まで出さなかった結論を出している。
面倒だと思った。
もし、ラジオの発信源を特定しようとしなかったら。もし、あの日授業を受けて篠原さんと出会わなかったなら。こんなことにはならなかったのだろうか。
「澄嶺、おやすみなさい」
「あぁうん、おやすみ……」
そう挨拶をしてから1時間が経っても、やはり寝られぬままでいた。円治は今も授業の準備をしている。
「ねえ、澄嶺ちゃん」
ふと、彼は立ち上がって言った。
「ちょっと二人で、お話しない?」
「え、はい」
二人、寒空の下を歩き、別の小屋へと移動した。多分星が綺麗だったのだろう。
小屋に通され、机に向かい合って座る。
面接のようなものが始まろうとしていた。
「すごく……ショックなことがあったんだよね?」
「……」
「ありがとう、大丈夫だよ」
察してくれたのか、円治は静かに黙ってくれた。
そういえば、彼はヒゲを剃っている。髪もきれいに整えられていて、見た目だけで言えばベテラン教師だろう。
そのベテラン教師が今、目の前にいる。もし最初に出会ったのがローゼでなく彼だったなら、私はどうなっていたのだろう。
「澄嶺ちゃんは、これからどうしたい?」
「え?」
「今は僕のわがままに付き合ってくれてる。本当に感謝してるよ。けど、澄嶺ちゃんもいずれ『大人』になるし……そろそろ、やりたいことをやってもいいんだよ」
「やりたい、こと……」
あるはずがなかった。
私はただ衣食住の揃った環境が欲しいだけである。それ以上は、傲慢だ。傲慢は身を滅ぼす──ちょうど、前史人類文明のように。
「そう、やりたいこと。好きなことをね」
普段通りの私ならどう答えるか。
私はなぜこんなに苦しんで、不愉快なのか。
「死んだんです」
「え?」
「私の、慕っていた人が……死んだんです」
心の奥から喉を伝って、本心が音となった。
膝を握る両手に力が入る。
爪が肉を刺して、少し血が滲むのがわかる。
「それは……残念だね」
「いっぱい頑張って……いろんなことを乗り越えた人が……あんなふうに……」
脳裏に映るのは、粉々になった篠原さんの姿。あれだけ楽しそうに話して、愛おしそうに夫を見つめていた彼女が、なぜあのように死ななければならないのか。
「あ……」
気がついた。
人も人工知能も、本質は変わらないのだ。
それが本当かはまだわからない。だが胸の奥で何かが燻っているのを感じる。
私はどれだけの肉塊を見ても何も思わなかった。なのに、ただの『金属片』を見て心を苦しめている。
自分の首を、自分で絞めている。
だからって、どうすればいい?
何をすればいいか常に分かるのなら、シンギュラリティなど起きちゃいなかったはずだ。
それでも、やらなきゃいけないことがある。
ローゼのため、篠原さんのため、私のため。成し遂げなきゃいけないことが。
「私は……人工知能のことをもっと知りたい、知らなくちゃ駄目なんです。もっと理解しなくちゃ……
そうしなきゃ、ローゼが死んだときに悲しめなくなるのが……怖いです……」
視界が潤んで揺れている。
泣いているのに気がついたのは、円治が私の頭を撫でてくれているのを感じてからだった。
「わかった。話してくれてありがとうね」
「もう……なんで円治さんが泣いているんですか」
「泣いてないよ! 泣いてない」
管理小屋、二人。
3倍近く年の離れた私たちの静かな声が、誰もいない街に響いている。
「はぁ……どう、すればいいんでしょう」
「人工知能について知る、かぁ……」
「図書館にでも行けばいいんでしょうか」
「いや、そういう教育施設は殆ど壊されてると思う。行くとしたら……東京、かな」
トーキョー。聞き馴染みのない音節を、濁しながら円治は言った。まるで、それを口にするのも憚られるみたいに。
「そこに行けば、わかるんですか」
「たぶん、資料の母数は名古屋と桁違いだと思うよ。あそこは人工知能研究の最先端だったから」
希望の光とまでは行かないものの、ある程度の方針が見えてきた。義務感とも喜びとも言えぬ感情が絡み上げてくる。
「でも……その分、危険もある。シンギュラリティの発端は、あそこだから」
世界を滅ぼした元凶が、トーキョーにいる。そこに行くということはつまり、この世界に反旗を翻すということになる。
「それでも、行きます」
「そっか。取り敢えず今日はもう寝よう。随分と疲れているようだし」
彼に肩を支えられながら、就寝場所へ戻る。寝息をスースー立てるローゼを起こさぬよう、そっと寝袋にくるまった。
私の意識が闇に沈むのに、そうそう時間はかからなかった。
────
「……わかりました。私も一緒に行きます」
朝、ローゼに昨夜の一切のことを話した。彼女は少し俯いてから、力強い返事をしてくれた。
「そう言うと思って、こんなものを用意しました!」
円治がやけに明るくそう言うと、背中から大きくて豪華な紙を2枚取り出した。
「円治さん、これは?」
「『卒業証書』だよ。これを貰うと、卒業──つまり、もう授業を受けなくていいってこと」
「でも、それって……」
ローゼが不安そうに言う。
それは私も感じていたことで。
「そう。ここいるのはこれで最後ってことになる」
沈黙が場を支配する。
……が、円治に対して特段重い感情を抱いていない自分に驚いた。抱いているのは、私の側にいてくれた感謝と、道を示してくれた敬意だ。
「じゃあ澄嶺ちゃん、前へ」
「はい」
こうして、3人だけの小さな卒業式が始まった。
卒業式というのはこうして卒業証書を貰って、互いの未来を祈る儀式らしい。本当ならピアノと一緒に歌を歌ったりするようだが、生憎そんな設備はここになかった。
それでも、人生の中で最も気がいい冬の日であることは、疑いようがなかった。
たとえそれが、前史の真似事だとしても。
「円治さん、お世話になりました」
「そんなことないよ。寧ろ、お世話になったのは僕の方で……」
「いえ、円治さんがいたから気づけたことも多くありましたよ」
「そう? ならよかった」
風が吹いている。
葉の落ちた桜の気の隙間から、透き通るような青い空がよく見えるこの日に、私たちは『卒業』をする。
「それじゃあ二人とも、元気でね」
「はい! 円治さんもお元気で」
「ありがとう、ローゼちゃん。澄嶺ちゃんをよろしくね」
「任せてください!」
バイクに跨って、彼の声を背中で受け止める。
「二人ともー! ありがとうー!!」
走り出した私たちに向かって彼の声がどこまでも響いていた。




