Ep.5 「死んじゃう?」
円治と出会って1週間が経過した。毎日起きて、ご飯を食べて、授業を受けて寝る。夢のような、幸福な生活ができていた。
「こら澄嶺ちゃん、聞いてる?」
「あ、ああ……すみません」
考え事をしていると、円治先生にコツンと頭を打たれた。
人間とは不思議なもので、あれだけ羨ましかった、前史に似たこの生活にも飽きてきた。今はもう、円治への奉仕精神で授業を受けている節があると思う。
つくづく私は、面倒で傲慢な人間らしい。
「円治さん、私、今日は授業受けたくないです」
「……そっか。ごめんね、僕のために」
「あっいや、そういうわけじゃなくて……」
嘘である。
嘘をつく相手がいるというのに嘘をつくのもまた、傲慢だと思った。
────
両手を伸ばした柿の木は、すでに裸になっていた。看板の剥げたスーパーに風が響いていく。
「はぁ……」
私は今、一人で街を歩いている。
「休憩をする」と言って授業を抜け出してきたのだ。少し申し訳ないが、別に悪いことをしたわけではない。寧ろいい気分ですらある。
私はようやく、わがままを言う相手を見つけることができた。
「しょん……!」
「ん……?」
不意に、物音が聞こえた。まるでこう、老人がくしゃみをしているような。
「へっくしょん!!」
「はぁ!?」
いや間違いない、たしかに聞こえた。あの柿の木の家のほうからだ。
「はは……!」
走る私の口からは、既に笑みが零れていた。二人目だ。二人目。
ああ、ローゼと出会ってから、何もかもがトントン拍子に上手く進んでいる。流れが来ているんだ。今まで一人孤独に、夜の寒さに耐えてきたのがついに報われたんだ。
「あの! 誰か、いませんか!」
息を絶え絶えに顔を上げると、そこにはいた。
「おや……珍しいお客さんだねぇ」
青電子の瞳、金属質で光る体、電子音。
おばぁちゃんのふりをした、人口知能がそこにいた。
「はぁ……」
全身の力が抜けて、ドサッと崩れ落ちる。もう力が入らない。運動神経は特別高くないんだよ、私は。
「あらあら、どうしたんだの。さあ、おいで」
彼女は、私の背中をさすりながら家へと招いてくれた。
家の中は随分と整っていた。本当に綺麗だ。家具は壊れていないし、塗装も剥げていない。錆びていないシンを見るのは幾年ぶりだろうか。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫です」
居間の中央に据え付けられた炬燵に足を通す。温かかった。
「あの、ここにはやっぱり……他に生きてる方はいないんですか」
「ごめんねぇ……いないのよ、もう」
彼女は寂しそうに呟きながら、金色の棚の上の写真に目を向けた。
「あの、その方は……」
「ええ、主人よ。今はもう、死んじゃったけどね」
私はそれを聞いてようやく、あれが「遺影」だと知った。だが一つ、違和感が残る。
「良雄って言うの。若い頃は凄くイケメンでね。よく嵐のライブに連れて行ったものよ」
「嵐……?」
「昔いたアイドルのことだよ。櫻井くんが格好よくてねぇ」
「あ、あの!」
話を続けようとする彼女を制止する。
喉からはみ出そうになる好奇心を、もう抑えることができなかった。
「人工知能と人間って、結婚できたんですか……?」
「まあ……気になるわよね」
そっと彼女はそう零した。そして、金色の棚に飾られたもう一つの写真を、手に取って見せてくれた。
「この女性は?」
「私よ。死ぬ前の」
風の音が聞こえる。
理解が追いつかなかった。もしくは、理解したくなかったのかもしれない。
「私はね、良雄さんより早くに死んだの。その記憶をこの体に移植してできたのが『私』」
彼女は、なんてことないように続ける。
「1秒でも長く彼のそばにいたかった。だからそうしたの。当時はお金がなかったから、少し古い機体なんだけどね」
彼女のメタリックな肢体を見る。
確かに、ところどころ動きが悪そうな箇所や軋む箇所が見受けられた。
「大変でしたね……」
「ええ、大変だったわ。けれどね、それ以上に幸せだったわよ? 好きな人の側に、人生2回分いられたんだから」
彼女は泣いていた。
液体がこぼれずとも、泣いていることはわかった。彼女はまだ、人間なのだ。
「すいません、こんなことを聞いてしまって」
「いいの。老人は、若い人になんでも教えなくちゃね」
「じゃあ……死ぬときって、どんな感じでしたか……?」
恐る恐る言う。
私がずっと避けてきたものは、果たしてどのようなものなのか。それが分かれば私はもう、頑張らなくてもいい。
「わからないわ。だって私死んでないもの」
「え?」
「『私』は、私が死ぬ前に記憶をコピーして、この体に入れたの」
「コピーなんてできたんですか!?」
「技術の進歩は凄いわよ」
「いや、え……? じゃ、じゃあそれって、『あなた』はあなたじゃないってことですよね?」
思わず身を乗りだす。
さっきから、頭が混乱しっぱなしだ。もう、何がなんだか……
「そう思ってもいいわよ。『私』は私。私も『私』。これでいいじゃない」
いつの間にかお茶を準備しながら、彼女はそう言ってみせる。まるで、自分に刷り込むかのような言い草だった。
「嫌じゃないんですか? 自分が、誰かの模倣品だなんて」
「ええ。それで夫の側にいれたから」
彼女は少し黙った後、笑って言った。
溜飲がすっと下がっていく。
隠していたものを、強く優しく突きつけられたような気がした。私は負けたんだ。私のつまらない意地なんかより、彼女の夫に対する愛のほうがずっとずっと深かったのだ。
「あなたは、死ぬのが怖い?」
「もちろんです」
「なんで?」
「それは……その」
その問いには今も、答えられないままでいる。何のために生まれて、何のために生きるのか。自分でもわからない。わかろうとしたくない。気づいてしまったら、そのために生きるしかなくなってしまうじゃあないか。
「私も死にたくない。でも、いつか死んじゃうのよ。だから生きるの」
「どういう、ことですか……?」
「それは、自分で考えることだねぇ」
お茶を啜る彼女はやはり、私の何倍も生きてきただけの貫録を感じさせた。
「あの……お名前、聞いてもいいですか?」
口をついたのは、そんな言葉だった。
彼女が今は、雲のような存在にに見える。移ろって、いつか消えてしまいそうな気がした。その存在を、心に留めておきたかったのかもしれない。
「名前……そうね。私の名前は篠原明。よろしくね」
私たちは、見えない握手を交わした。かたく、かたく。私は彼女から、学びたいことが多くある。
会話は、空が橙に染まるまで続いた。
「それじゃあ篠原さん、今日はお邪魔しました。急にすみませんでした」
「いいのよ。転ばないように気をつけてね」
「はい」
私は影をのっぽに伸ばす鉄塔に向かって、いい気分で歩いた。明日の授業は頑張れそうである。
後日お邪魔すると、篠原さんは庭で死んでいた。そこにはただ、粉々になった彼女の足パーツがある。




