表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/14

Ep.4 「はじめと」

 昼下がり、管理小屋。スーツに身を包んだ無精髭の男、円治は壁にかけられたホワイトボードの前で礼をした。


 私たち二人は長いデスクに向かって席に座り、彼を見つめる。今までしたことのない視線の向け方に、私は少々戸惑いつつあった。


「二人とも、はじめまして」

「はじめまして」

「はじめまして」


 円治は先ほどまでとは打って変わって、なにやら明るい雰囲気である。いや、暗さを無理やり照らしていると言うべきか。子どもの前では泣かないということが、大人の条件なのだろうか。


「今日から二人の担任になる加藤円治、52歳です。よろしくお願いします」

「52歳!?」


 人生で出したことのない、喉の天井を擦るような声が出る。


「ま、円治さん、52歳なんですか……?」

「言ってなかったっけ?」

「そ、そんなふうには見えなかったので……」


 無精髭、精気のない顔。私の彼に対する第一印象は67歳だった。思っていたよりも彼は若い。いや、私の3倍以上の歳なのだが。


 彼はコホンと咳払いをして、話を戻した。


「今日は割合について勉強します。プリント配りますね」

「割合……?」

「ローゼちゃんは知らないようだね。澄嶺ちゃんはどう?」

「なんとなくは知ってます。10%とか、5割とかですよね」

「そうそう。じゃあ話は早そうだね。それじゃあホワイトボード見てください……」

 

 それから、円治の授業が始まった。彼は日焼けして黄色くなった研究プリントを何度も確認しながら、ホワイトボードに説明を書き込んでいく。その姿はさながら、2時間も待ってようやくテーマパークに入場できた子どものようだった。


「よし、これで割合の初授業は終わりです。ありがとうございました」

「ありがとうございました」 

「ありがたうございました!」


 授業が終わると、しばらくの間『放課』と呼ばれる休憩時間があるらしい。

 ローゼはラジオがえらく気に入ったようで、今もまだ弄くっている最中である。


「先生、すこしいいですか?」

「どうしたの?」


 休み時間に、聞きたいことがあった。 


「シンギュラリティの前って、どんな感じでしたか?」

「……」


 彼は困りつつも、言葉を選んでゆっくり答えてくれた。

 

「こんなふうに、毎日授業を受けて、部活して、ご飯食べて寝て……以外と、今と変わらないかもね」

「変わらない?」

「うん。僕らの真ん中は、きっと変わらないんだ」


 それを聞いて私は、変な感情になった。自分の欠けたところに光が当てられ、白昼の下に晒されているような感覚。

 なるほど、これを人は「羨ましい」と言うようだ。


「もう一つ、先生。なんでこの街は、こんなに人の匂いがするんでしょうか」

「あぁ……えっとね、あれは先生がやったんだ」

「え?」

「いやだから……まあ、いろいろあったんだよ」


 円治は取り繕った顔でそう言った。

 私は彼の心の奥を知っている。知っていたはずなのに、聞いてしまった。

 だからそっと、無視してあげよう。


 窓の外、コンクリートの割れ目の枯れ枝から、一つの若芽が萌えようとしていた。


────


 夜。月が静かで良い夜だ。

 私たちは川の字のようになって寝袋にくるまっている。私が右端、ローゼが真ん中、円治が左端だ。彼は今、昼の様子が演技だと思えるほど、安らかな表情で眠っている。


 だが、私は眠れなかった。今日はいろいろありすぎたのだ。初めて見つけた“生存者”に、初めての授業。疲れというには贅沢な体験だった。


「ふぅ……」


 深い溜息を天井に投げても、自分に返ってくるだけ。私の心に、重たいなにかが渦巻いていた。


 ふと思い立ち、寝袋を脱いで扉を開けた。外に出ると、皮膚を細かく突き刺すような寒さだった。晩秋も深まり、冬の足音がすぐそこまで聞こえてきている。


 鉄塔の足元に腰掛けて、体重を預けた。ひんやりとした骨組みが体温を奪ってくる、この感覚が心地良い。


「なんで、止めたんだろう……」


 私の心を引っ張るのは、やはりそれだった。あの時、私は必死になって円治を止めた。まるで狼に狙われた鹿のようなスピードで、彼の首を絞めていた縄を断ち切った。


 別に、彼は死んでもよかった人間だ。私とローゼはただ驚くだけで、特に変わらない日を送ることもできたはずだった。


 じゃあ、なんで止めた?


 単純に言えば、自分の前で死なれるのが嫌だったのかもしれない。いくら見慣れた死体と言えども、その光景を直に体験するのは憚られるだろう。


 違う。私は目の前で鳥が死のうが鼠が死のうがなにも思わなかった……はずだ。人間も変わらない。


 気になるのは、あの時感じ取った死の香り。

 ああ、だからか。

 拠点に帰ったとき、母が死んでいたことを思い出したんだ。だから必死になって止めたんだ。円治に死んでほしくないとか、そういうんじゃなくて、ただ自分の悲しみを掘り起こされたくなかっただけなのだ。そう、思いたかった。


「ははっ……」


 私は失望した。自分が思いの外薄情だったから。けれど同時に安堵もした。これならきっと、もしもローゼが私より先に死んでも、上手く生きていける。


「どうしたんですか、澄嶺」


 もの思いに耽っていると、ローゼが寝ていた小屋から出てきた。少々髪が乱れているが、紫色の長髪が月明かりに映えている。


「円治さんは?」

「まだ寝てますよ。スヤスヤです」


 ローゼもまた私の隣に腰掛けて、同じように座った。


「今日は星が綺麗ですね」

「そうだねぇ……あ、オリオン座」

「オリオン座?」

「あの大きなな三つの星があるでしょ? それを中心にした砂時計のことだよ」

「ほんとです! ありました!」


 見上げる星座は、黒洞洞たる夜の帳に張り付いて、私たちを見ている。

 二人で星々をなぞるだけで、この時間が輝いているように感じた。


「澄嶺、お昼のとき星はどこに行ってるんでしょうか? 昼は星が見えないんです」

「昼間も同じ場所で光ってるよ。ただ太陽の光が強すぎて見えないだけ」

「そうなんですね」

「うん。こっちからは見えなくても、星からはきっと見えてる」


 いつでも見守ってくれている──そう言いかけて辞めた。自分ですら自分を見失うのに、星に私が見えるはずがない。

 ロマンチシズムに乗っかって、口からでまかせを言ってしまうのが私の悪い癖だ。


「澄嶺、手を繋ぎませんか?」

「い、いいけど……どうして?」

「なんとなくです。強いて言えば、寒いからでしょうか」


 冷たくなった右手が、ローゼの左手と密着する。

 穢れて救いようのない地上にも、一つの星座が浮かんでいるらしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ