Ep.34 「晩餐」
エントランスでは、窓を貫く橙色の光が血の匂いを払拭していた。
「私たちにシンギュラリティを起こす」とかっこつけたセリフを吐いたものの、結局私はどこへ行くでもなく、ジェット達の帰りを待つのみだった。
同じように階段へ腰掛けるが、数時間前とは座り心地が違うように思える。
「澄嶺、運んであげましょう」
「あ……そうだね。せーの」
血を拭いて綺麗になった死体たちを、なるべく涼しい場所に運んでやった。ここなら静かに眠れるだろう。
「可哀想」
「珍しいですね、澄嶺がそんなことを言うなんて」
「……この人たちにも、私にとってのローゼみたいな人間がいたのかなって思ったら、つい」
死んだ彼の表情は、少なくとも私が言葉で表せるものではないように思える。後悔、絶望、ほんの僅かな期待。私の知らない感情ばかりが折り重なって、こんなにも深い皺を作っているのだ。
「いいことですよ。澄嶺が新しくなることは」
「ローゼはうれしい?」
「とても」
「じゃあいいことだね」
同情、または共感。
枯れ果てていた心には、静かながらも逞しい小さな芽が生え始めていた。
────
「今戻ったよ」
「おかえり。3人とも遅かったね」
「かなり遠くまで行ったから」
「ええ。かなり……体にきます」
月が少し昇りかけてきた時半、3人は大きなリュックを抱えてトーダイへと帰ってきた。髪が乱れているのを見るに、外は随分風が強かったようだ。喜ばしい帰還である。
「おや、2人とも……」
ジェットは、顎を撫でながら私とローゼをまじまじと見つめる。初めて会ったときのような、品定めをする目だ。そしてその後、口角を上げた。
「私たち、なにか変でしょうか?」
「さあ?」
「いや、2人とも『大人』になったのだな、と」
それを聞いたローゼが、即座に顔を赤くし始める。どうやら大人になることは恥ずかしいことらしい。
あの恥ずかしさも……いや。そんなことはどうでもいいと決めたじゃないか。
「それで、食糧はどんなもの?」
逃げるようにしてローゼは京夏へ話しかける。
重たそうなリュックを床に下ろすと、彼女は中のものを並べ始めた。
「かなり多いから期待してよ。
ツナ缶、豆、腐りかけのコーンと……これ」
京夏は、高らかに一つの缶を天へ掲げた。
「みかん……!」
「そう。ついに見つけたの」
赤子を抱くような京夏のあの表情。それが思い出と呼ばれるものだと、私はなんとなく理解できるようになった気がする。
「さあ、夕ご飯にいたしましょう。では私は調理を」
「あ、フィーナ。私も手伝うよ」
「あら、ありがとうございます」
火を起こすため、私たちはトーダイ校舎の外に出た。今夜は星が綺麗だ。粉々にされた宝石が北風に運ばれて、空一面にばら撒かれている。
「フィーナ、何つくろう」
「ツナとコーンを炒めるくらいしか、できることがありませんね……こういうときに、お米があるといいのですが」
「米か……食べたことないや」
「……それも、無理はないですね」
フィーナは瞳を曇らせる。
それほどまでに便利な食材なのだろうか、その米というものは。
ツナ缶を開ければ、金属が曲がる音と共に海の香が鼻を突き抜けた。私たちがツナをこよなく多用するのは、油があって腹持ちがよいからである。
「久しぶりに嗅ぎました、この香り……」
「教会では何食べてたの?」
「なにも。食欲がわかなかったので」
鍋に投下されたツナが、油を跳ねさせながら熱を帯びていく。そこにコーンを追加すれば、甘い匂いが風に舞った。
「でも、これだけ大所帯だと食糧の管理も大変になりそうだね」
「もし足りなくなりましたら、私の分から減らしてくださいね」
「そんなことしないよ。フィーナも大切な仲間だし」
そんなことを話しているうちに、満遍なく日が通った。完成である。私は……特に何もしていないかもしれない。
「3人ともー、出来たよ!」
呼べば、腹を空かせた少女たちが続々とやってきた。
「おや、美味しそうじゃないか。出先で食べる分には丁度いい」
「いい匂いですね……!」
「フィーナって料理出来たんだ」
「まあ、軍で多少やっていたので」
真ん中に鍋を据えて、5つのいただきますを同時に響かせる。口の中を満たすささやかな甘さと塩味が、全身を喜ばせた。
「ローゼ、なんか距離近くない?」
気がかりだったのは、私の隣に座るローゼだった。いつも以上に密着してくるのだ。
「ええ〜? 別にそんなことないと思いますけど」
「2人とも……! 目の前でイチャコラしないで」
口いっぱいにコーンを詰め込んだ京夏が、今にも飛び掛ってきそうな目線でこちらを見ている。
「あ、すいません」
「そういうことするなら、私たちがいないところでして」
少しばかり説教を食らってしまったが、それすらもスパイスになってしまうほどに、この晩餐は眩しいものだった。
今日だけで、どれだけのことが起きただろう。
フィーナと出会い、トーダイにたどり着き、ローゼと一線を越え……自分でも驚くくらい、一足飛びに物事が進んでいる。
「いつか、ネグレに話してあげたいな」
自然と、空に向かってそんな言葉が出てくる。
「きっと喜んでくれますよ、ネグレなら」
そう返すローゼの瞳孔には、星月夜が圧縮されていた。もう一度キスしたくなりそうになるのを堪えて、食事を続ける。
こんな日々が前史では日常だったはずだ。この気持ちは所謂、妬ましいと呼ばれるものなのだろうか。
いつまでもローゼと暮らせる──そんなものは幻想で、十中八九私が先に死ぬ。それでも、今はこの永遠を噛み締めていたいのだ。




