Ep.31 「第1研究室」
足音すら反響しないこの白い部屋には、プラスチックと花を混ぜたような匂いが充満している。
扉を潜ると、埃の溜まった窓越しに、弱い陽光が部屋全体を照らしていた。
皆が各々部屋を眺める中、私は一人、疑問を抱えていた。
「澄嶺?」
「あぁ……人工知能の研究をしてる割には、生き物が多いな、と」
研究室というのだから、もっとコンピューターや配線が跋扈していると思っていたが、その予想は外れていた。
干からびたカエルや羽根のないカラス、巨大なネズミなどの様々な生物が、机の上にそのままにされている。
入口のような血の惨状よりも、こちらのほうが不気味だった。
「フィーナ、大丈夫そう?」
「はい、人間が死んでるわけじゃないので。
でも……こんなところでこんなことをして、一体何を……?」
その答えを、私は概ね理解していた。
ジェットを一目見てみるが、彼女から返事の視線はない。まあ、返したくもないか。
「ねえ、もしかしてさ。人間にもこういうこと……してたのかな。体をいじって、機械を……」
京夏が、迷いながらそう零した。
空気が止まる。
私たちの呼吸音だけが、1秒を支配していた。
「と、取り敢えず、手分けしてここを調べましょう」
ローゼの声かけに合わせて、私たちはそれぞれ逃げるように探索を始めた。
壁一面に据えられた本棚には、日焼けしたプラスチックのファイルが隙間を作らずに並べられている。
その中の1つを手に取って中を見ると、事細かに実験の内容が示されていた。どれも難しい漢字ばかりだが……つまりは、生物と機械を組み合わせて、軍事に使おうという魂胆だったらしい。
「もしかして、ジェットの故郷はここ?」
ファイルを抱えて歩く彼女を呼び止める。
振り返るも目を合わせることなく、床に吐くようにこう言った。
「……わからない。だとしても、私は私だ」
「そうだね。ごめん、変なこと聞いちゃった」
「謝らなくていい。気になってしまうだろう? 烏になれる幼女など」
冗談のように言うが、そんなはずない。
きっと、私なんかよりずっと濃密で、大変な人生を送ってきたのだろう。もし日記に書くのなら、10倍の厚みはあるだろうか。
「澄嶺、これ見て」
名を呼ぶあげる京夏の方を肩越しに覗き見る。手に収まっているのは、中央にレンズの取り付けられた八角形の金属の塊だった。
「澄嶺、これ知ってますか?」
「知らない……フィーナは?」
「私も存じ上げないです……」
私が問いかける前に、ジェットは首を横に振った。
この八角形は研究室に置かれるくらいには重要なのだろう。趣味のものを置くほどここにスペースはないからな。
となれば、私たちが知らない前史の遺産だということに決まりだ。
「でも、どうやって使うんでしょうね」
「こういうのは、大抵こう使うんだ」
ジェットは京夏から八角形を受け取ると、その下面を叩いた。
「──こそ、──へ!!」
ノイズ混じりの音がその八角形から流れ始める。暫くすると、青い糸のような光が放たれて、男の像を成した。
「ねえジェット、これって」
「ホログラム装置さ。まさか残ってるとは思わなかったが……」
ジェットが八角形を叩く。
ノイズが減る。
もう一度叩く。
像が鮮明になる。
「ここは夢と未来が詰まった理想の学園都市、東京ミライシティ! 心ゆくまでお楽しみください!」
ホログラムの男は誰かに向けて発表をしているようだった。両手を大きく動かしながら笑っている。
「トーキョーは、本当に発展していたんですね」
ローゼは、ホログラムに映し出された光景を見て感嘆した。
空から見下ろされるこの都市には飛行艇が飛び交い、人と人工知能が笑い合い、ドローンが星のように光り、地面にはヒビの1つもない。
私が見たどこよりも、綺麗で美しかった。
「ジェットはこういうところで育ったの?」
「いや、私はここの近郊で育ったよ」
京夏は食い入るようにホログラムの都市を見ている。錆に満ちたカナガワ地区ももしかすると、こんなふうに明るい時代があったのかもしれない。
「でも、ここにいる人たちは全部死んじゃったんですよね……」
フィーナは目をそらしてそう零す。その現実を想像して、誰も何も答えられなかった。
私たちはホログラムの映像を切って、研究室の探索を続けた。どうやらここの研究者たちは上手くやっていたようで、実験品のほとんどが実用化されていた。なかでも烏や鷹などの鳥類型人工知能は生産数が多い。
「……」
ジェットは、展示品のようにされた烏の骨格を撫でている。風が吹けば折れてしまいそうな華奢な指で、ゆっくりと撫でている。
その目は、何も語っていない。
私にあの目はわからない。
だけどきっと、憎しみじゃない。
やはり彼女はここにルーツがあるようだった。
そう気づいても、私が言葉を発することはない。ジェットにとってのジェットとは、烏ではなく人の姿のことだ、と思ったからだ。
「他に目ぼしいものはあった?」
考えを拭うため、他のメンバーに声をかける。
「特にはないです」
「こちらもございません」
「私も」
どうやらアテナがいる場所はここではなかったらしい。時間を無駄にしてしまった気もするが、トーキョーの片鱗に触れられただけマシかもしれない。
「探すものも探しましたし、2階に行きましょうか」
ローゼの声を契機に第1研究室へ背中を向ける。少しだけ肩を落としてしまうが、次の階に期待しよう。
そう思いながら部屋を出ると、突然背中に異様な気配が走った。驚いて振り返っても、そこには何もいない。
でも、目には見えないなにかがいる。
私が今まで無視してきた……いや、気にもとめなかった事実が、ヘドロのようにこの部屋には堆積していたんだ。
生命を踏みにじり、殺しのために使ってきたこの研究室にはきっと……まだ私が踏み込んでいい場所ではなかったのだ。
「……そっちは、幸せだといいね」
今まで死体に掛けたことのない言葉を、私は虚空に吐き捨てた。




