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Ep.30 「継いでいく」

 どうして、目の前の烏は泣いているんだろう。

 どうして、私の生まれ育った街はこんなにぼろぼろなんだろう。

 どうして、この体は痛むのだろう。


 爆発の音、降りしきる瓦礫、焼けた皮膚。呼吸するだけで意識が殴り飛ばされそうになる。


「翼、いいかい。よく聞くんだよ」

「嫌だ。聞かない……」

「今から私は君の体と1つになる。

 かといって、君の体には特に変化はない。せいぜい空を飛べるくらいさ。

 私は君の中で、全身全霊をもって君を治療する。安心しなよ、もう痛くないからね」


 そう言うと、烏の形の人工知能はバラバラに自壊し始める。よく見れば緑に輝いていた綺麗な羽も、もはや散り散りになって私の体を包み込んだ。痛みも傷もなくなっていく。


 痛くない。苦しくない。けれどこの痛みだけが残る。


「じゃあ……ジェットはどこに行くの?」


 声が揺れる。動けない。

 問いかけてもジェットは答えてくれなかった。もう私と完全に同化してしまったんだ。

 ねえジェット、もっとたくさん遊びたかったよ。また病院から連れ出してよ。

 どうして、もうここにいないの。


 違う。今日から私が──


 「ジェット?」


 トーダイを前にして震えるジェットの手を握る。彼女はいつにもなく、その小さな体躯を強張らせていた。


「ああ、すまない、澄嶺。久々なんだ……この感覚は。昔を思い出してしまった」


 遠くを見つめるジェットもともに、中央に時計を据えたあの建物へと一歩ずつ近づく。

 靴の底が粘着くように重たいが、それでも私は、人工知能の感情の源泉を知りたい。知らなくちゃならないんだ。


────


 私たちを出迎えてくれたのは腐敗臭、濁った赤、鼠の群れだった。


「ゔぉ……ぉぇ……!」

「大丈夫ですか、京夏」

「仕方ないさ。これが東京の姿だ」


 人の死体が床を埋め尽くしている。原形を留めた者のほうが珍しいような凄惨な状況。

 ナゴヤで見慣れていたはずなのに、どうにも不愉快だった。


「あぇ……あ? ま、また私は……コロした? アテナ様ぁぁ……!」

「フィーナ!?」

「いやだ……もう! やめて……タスケテ……」


 どうしてこうなることを考慮していなかった……!

 フィーナは「死」に敏感なのだ。

 私や京夏以上に、この光景を嫌悪しているのだ。


「移動しましょう。フィーナ、大丈夫ですよ」

「あぁ……!?

 はい、はい……ありがと、ございます」


 ローゼはフィーナの目を隠しながら、手を引いて進む。エントランス近くの用務員室に入ると、少しばかりの静寂が訪れた。


「申し訳ありません、取り乱してしまいました……」

「こちらこそごめん。配慮が足りなかった」

「無理はしないことだよ」

「いえ……」


 どうしたものか。

 入口でさえこれなのだから、奥はもっと酷いだろう。


 ここにフィーナを置いていくのか? 

 できれば彼女の意思を尊重したいが……壊れてしまってはそれを叶わなくなってしまう。


「ねえフィーナ、やっぱり──」

「フィーナ、私の目を見て」


 私が言い終わるよりも前に、京夏がフィーナの肩を掴んだ。

 言葉以外のなにかで、互いに通じ合っているように見える。


「あなたの気持ちはよくわかる。この世は見たくないものばかりだよ、本当。

 でも行かなくちゃいけないの。罪を償いたいんでしょ?」

「はい」

「なら私を守って。あの死体みたいにならないように。私もあなたを守るから」


 私とローゼは、見合わせながらこの会話を見守った。

 京夏の言葉の裏にはいつも千冬がいたのに、今回ばかりは違ったからだ。打算も目論見もない、ただの心というやつがあった。


「承知しました。それを新たな命令と見なし、全力でお守りします」

「うん、よろしく」


 京夏は笑う。フィーナも頷く。

 周りに死体ばかりのこの環境で、私たちは少しだけ安心を得た。


「優しいんだね」

「そんなんじゃないよ。私のせいで誰かが死ぬのは……もう見たくないから」


 握られた拳は、一度離してしまったものを二度と失うまいとしていた。


「守る。ね」

「ジェットも誰かに守ってもらったことがあるんですか?」

「ああ。何回もね」


 ジェットは美しい羽を一瞥して、また何事もないようにそこにいる。


 落ち着きと勢いを取り戻した私たちは、1階から順番に探索することにした。

 私の想像と違い、入口から離れると死体の数は減っていった。


「みんな、逃げようとしたのかな」

「どうせ死ぬのにね」


 進めば進むほどに、建物は清潔に……いや、普通になっていった。30年たった今でも色褪せない、人類の栄華が示されている。


「ジェット、この部屋はとても広くて……下り坂、なんですね」

「ああ。講義はこういう場所で行われていたんだよ」

「へえ……知らないことばかり」


 慣れとは恐ろしいもので、あれほど恐ろしかったトーダイも少しだけ観光気分になっていた。どこからか聞こえる低音も、私たちの足音も、もはや意識の外へと捨てられてしまっている。


 もちろん、フィーナは思いやるし、警戒は続けたままだ。何かに誘い込まれている可能性も否定できない。

 でもやはり、知らないことに触れたい好奇心──人間の根源的な欲求には逆らうことができなかった。


「次が最後の部屋になるねぇ」


 1階を巡り終えて、ここに辿り着いた。

 提げられた看板には「第1研究室」の文字。


「行きましょう、澄嶺」


 私は息を吸い込み、大きな音を立てながらドアノブを捻った。

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