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Ep.3 「一人目」

 エンジンの音がビルの足元を駆け抜けた。

 掴みかけた最初の生存者を目指して、私たちは風よりも速く進む。


「ローゼ、あとどれくらい?」

「このまま真っ直ぐ10キロ……15キロです」

「すぐって言ったじゃん!」


 見下ろしてくる死んだビル、剥き出しになって泣く水道管、金継ぎのように繁った苔。彼ら全員が「無駄だ」と囁いているようだった。


「今週の──間──です! 今週のお題──」


 ラジオは今も鳴り響く。

 人の声とも、機械音声とも聞こえるこの声の正体はどんな存在なのだろう。願わくば、それが生命体であるように。


 私以外なら、誰だっていい。



「澄嶺、あの塔からです」

「あれ、か」


 バイクで30分ほど進んだところだった。静まり返った住宅街に聳える骨だけになった鉄塔。苔とツタに身を包んでいるあれが、私たちの目的地だ。


「不思議なところですね……」


 ローゼはそう独りごちた。


「そう? ローゼがいたところと変わらないよ?」

「違うんです。なんというか……ちょっと前まで、人が生きていたような気がするんです」


 周囲を見渡すと、たしかに細部が異様だ。干された洗濯物、立ちのぼるカレーの匂い、埃ののない磨かれた乗用車。

 ローゼが感じたのも無理はないほど、この街からは生気がする。


 しかし、どこにも人はいない。

 烏が3羽、ゴミを漁って鳴いている。


「行きましょうか」

「そうだね」


 住宅街の血管の中を私たちは逆流する。あの鉄塔まではもう少しだ。


────


 鉄塔の足元は、身長の2倍ほどのフェンスで囲まれていた。


「うわ、鍵がかかってる」


 唯一の扉は、内側から閂をかけられて閉まっていた。この門番をどうにかしないと、生存者には会えない。


「どうしよう……」

「私ならフェンスを越えられますよ?」

「いや、なんか気が引けるっていうか……」


 今更だった。


「ローゼ、お願い」

「わかりました」


 ローゼはフェンスの網目に足をかけて、金属が揺れる音とともに登り越える。閂を外すと、扉が悲鳴を上げながら開かれた。


「どうぞ」

「ありがと」


 鉄塔は私たちを見下ろしている。死にかけの巨人は、誰を守っているのか。


「──!?」


 不意に、何かが揺らいだ。

 焚火がふっと消えてしまうような、雪が溶けて染み込むような喪失感があった。

 脳裏に、あの日と同じ痛みが蘇る。


「ローゼ、こっち!」


 あの建物の中からだ。管理小屋の様相をしているが、今あそこは誰かの墓場になろうとしている。


 ドアノブを引く。

 開かない。


「開けて! お願い!!」


 どれだけ扉を叩いてもびくともしない。

 駄目だ。駄目だ。

 指がドアノブから離れない。


「澄嶺、離れてください」

「なんで!?」

「いいから、離れて」


 やけに冷静なローゼは扉から距離をとった。

 ピョンピョン跳びはねて、準備運動をしている。


「そんなことしても開かないよ!!」

「ええ。だから壊すんです」


 ローゼはそのまま勢いよく走り抜いて、扉にタックルをかます。

 空気が割れるような音とともに粉塵が立ちのぼり、扉は倒れた。


 扉の向こうでは、天井から一つの人影が縄に吊るされていた。

 

 心臓が激しく跳ねる。

 この光景は──

 

「やめて!!」


 そう思うよりも早く、私の体は動いていた。懐のナイフは既に右手のなかにあり、彼の命を奪わんとする縄を切り裂いている。それに気づくのにすら、少し時間がかかった。


「はぁ……! いったい何なんだ君たちは!! やっと死ぬ覚悟を決めたのに!!」


 解き放たれた無精髭の男は、私の胸ぐらを掴んで縋るように怒鳴った。気管が締められていたせいか、すぐに咳をしだすのも気の毒だった。


「落ち着いて! 死ぬだなんて言わないで……」

「だから何なんだよ……! 勝手に入ってきて、勝手に救った気になりやがって……」

「わかりましたから、ここ座ってください、ね?」


 近くにあったストールに彼を座らせ、小屋の窓を開ける。意味はないかもしれないが、今はとにかく、閉塞感をここから追い出したかった。


「私の名前はローゼと言います。貴方のお名前はなんですか?」

「まどはる……加藤円治だ」

「円治さん、まずはお話をしませんか?」


 ローゼは驚くほどスムーズに円治を宥めていた。人を愛する人工知能──そう名乗るだけのことはあるようだ。


「……すまない。見ず知らずの君たちに驚いて、その……錯乱してたんだ」

「いいんですよ。こちらは澄嶺。私の友達です」


 友達という二人称が私の首を絞める。

 なるほど、世の中とはこのようにして巡るらしい。


「はじめまして。澄嶺です」

「君もごめん。怖かっただろ?」

「ええ、まあ……」


 奇妙な沈黙が流れている。時計の針を蝕んで溶かすような、尾を引く時間が流れている。


「円治さんは、どうしてその……首吊りだなんて」

「別に、僕がどうしたって自由じゃないか」

「私たちはラジオを聴いてここに来たんです。あのラジオは、貴方が誰かを求めてるってことじゃないんですか」


 自分で思うよりずっと、私の声は大きかった。私は彼を否定しなくてはならない気がしたのだ。私がこれほど頑張って生存者を探しているのに、彼だけが開放されるだなんて間違っている。


「そう、かもね」

「……ごめんなさい」


 彼は座ったまま、地獄の底を覗くように俯いた。


「僕はさ、この街で教師をするはずだったんだよ。大学を卒業して、赴任する小学校も決まって。けど……ははっ……なんで、僕だけ生き残っちゃったのかなぁ……」


 彼の瞳には、この世のどんなものよりも透き通った雫が溜まっている。


 私は、何をどうしたらいいのか分からなかった。ローゼなら上手く宥めて、救えるのかもしれないが、私はローゼではない。


 ふと、部屋の角に置かれたピカピカに磨かれた革靴と、新品のスーツが目に入った。二人だけ過去からタイムスリップしてきたような異質さを放っている。



「なら、私たちに授業をしてくれませんか?」

「え?」

「私たちは前史でいう……義務教育? を受けていませんから。最低限の読み書きしかできないんです。ね、ローゼ?」


 ローゼのほうを見ると、彼女は黙って頷いてくれた。


「私たちには、円治先生の力が必要なんです」

「……馬鹿なことを言わないでくれ。僕はただの死に損ないだ! 子どもも守れなかった僕が『先生』? 冗談もいい加減にしたほうが身のためだ……」


 段々と荒む彼の両手を包み込み、瞳を見つめる。かつて母がやってくれたように優しく、温かく。


「それでも、あの靴とスーツを捨てられなかったったんですよね。それは多分、円治さんがまだ『先生』だからですよ」


 円治は言葉を噛み殺しながらこちらへ目線を向ける。 


「……わかった。給食を食べたら、午後の授業を始めよう」


 円治はどこか笑ったような、笑いきれないような顔で立ち上がった。

 私よりもずっと高い背が、不安定ながらも頼もしくも見える。

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