表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/34

Ep.29 「弑逆」

 私の声が教会を揺らした。

 シンギュラリティが私の心にも起きたなら、誰かのために泣けるようになるのだろうか。


「澄嶺、我儘を言ってもいいかな」


 ティーカップを空にして京夏は言った。彼女の筋肉は少しずつ緩み始めていたが、怒りが体を突き動かそうとしているのは誰の目からも明らかだ。


「もちろん。聞かせて」


 私は覚悟を決めてカップを置く。カチャリと陶器同士のぶつかる音が、火打ち石のように思えた。


「私、アテナを殺したい」


 京夏の声は、この世のどんな刃物よりも鋭く輝いていた。地平線の果てまで届くくらい真っすぐに、どこかにいるアテナを見つめて。


「駄目です京夏、そんなことをなさるのは!」

「そんなことをしたら何だっていうの」

「だ、だってアテナ様は神様なんですよ!? アテナ様のおかげで私は今こうして生きていて──そんな悪いこと、していいはずが……」


 フィーナの、あるはずのない呼吸音が乱れていた。肩を上下させながら瞳孔を開かせている。


「あなたに悪いこと(人殺し)をさせた奴殺すくらい、きっと許してくれるよ。神様なんでしょ?」


 京夏は死んでしまったように動かない。座ったまま、隣のフィーナを見上げ、答えを引き出そうとしている。


「フィーナ」


 ローゼがゆっくりと立ち上がって、フィーナの両手を包んだ。人工の温もりが、緩やかに交換されていく。


「フィーナはいい人です。きちんと苦しんで、きちんと償おうとしてるんですから。

 私はフィーナが羨ましいです。悪いことをしたときに、裁きを受けようとしてるんですから」


「あ……あぁ……!」


 刹那、フィーナの背後からある光景を見た。彼女の抑揚、呼吸、温度のありとあらゆるものが、人殺しの感触を声高々に語っている。そしてそれを、信仰という瘡蓋で隠していたということも。


 彼女はまた泣いている。その涙のわけは私にはまだ理解できない。けれどもし、その涙が本当なのならば……フィーナはきっと、私よりも人間だ。


「じゃあ私たち行くね。お茶、ご馳走様」


 3人を連れて、逃げるようにして教会の外へ出る。太陽はすっかり昇ってしまって、影の長さは蟻ほどになっていた。


「ジェット」

「ん?」

「私、フィーナみたいになりたい。私はまだ……私を後悔できてないから」

「そう、か」

 

 ジェットは遠くを見つめながら話す癖がある。魂が地平線に引っ張られて、まるで私のことなど眼中にないみたいに。


 瞬間、扉の開く音が聞こえた。

 決して比喩ではなく、女性の声と共に。


「あの……私も行かせてくれませんか!」


 フィーナは泣き腫らしていた。

 背中にはリュックを背負い、修道服を脱ぎ捨て、黒いドレスに身を包んでそこにいる。

 

「どうして? あなたはアテナを崇拝してるんでしょ」


 すかさず京夏が反撃した。

 突き放すでもなく、手を差し伸べるでもなく、ただ淡々と事実を並べていく。

 

「もしまだ明日もここにいたら……私はきっと、私を恨んでしまうから」


 その眼は決して強くない。それでも決して逸らさない。

 自分が正しいと信じたことを、何が何でも実行する。人工知能らしいフィーナがそこにいた。


「歓迎しますよ、フィーナ。いいですよね? 澄嶺」

「えあ、うん。もちろん」


 私としては、仲間が増えることに文句はない。ほんの少し、不安と呼ばれるものの存在は認められる。


 両手のひらに乗った、私以外の体温。私はこれをどれだけ維持できるだろう。



────



 寄り道も終わり、私たちはトーダイを目指して再び進み始める。

 私たちは現在、いかにしてフィーナの心を安定させ、味方にするかに必死であった。


「フィーナはどんなものが好きなんですか?」

「かわいいもの……ですかね。軍の休みにはしょっちゅう買い物に行っていました。昔はこのあたりに……あったんですけどねぇ……」


 フィーナが指すところには当然何もない。あるのは舞い上げられたコンクリートの欠片か、せいぜい思い出と呼ばれるなにかだろう。


「東京も随分、変わってしまいましたね」

「昔はどんな感じだったの?」


 ナゴヤ地区の中央もボロボロだったが、トーキョーほどの惨状ではなかった。ということは、それだけ壊す価値があったという裏付けでもある。


「人類が最も発展した都市、と言われていたからね。自然と技術の調和した、素晴らしい街だったとも」


 ジェットは顎を撫でながら、遠くを眺めて記憶を語る。

 彼女の指先から映し出されるホログラムは、その光景を事細かに描写していた。桜とともにドローンが舞い、転んだ人工知能を人が助ける。

 理想郷──そう形容して余るほどの豊かさがそこにあった。


 しかしそれは暫くして、炎と爆発で包みこまれてしまうのだ。それを見せる前に、ジェットはホログラムを停止した。


「そうでしたね……特に、冬の街が私は好きでした」

「ふーん……綺麗なの?」

「はい、とても」


 フィーナが少しずつ慣れてきたところで、ローゼは私の隣に位置をとる。ピクリと右手を動かしているが、私にはまだ触れられていない。


「手、つなぐ?」


 ローゼは頬を赤く染めながら、私と指を編んだ。


「そういえば、澄嶺の好きなものはなんですか? 聞いたことなかったですよね」

「特にないよ。ものを好きになっても、生存者が見つかるわけじゃなかったから」

 

 思い返せば「好き」という感情を私は理解できていなかった。その音を発音すれば母が喜んだから、小さい頃はよく言っていた記憶が残っているくらいである。


「でも多分、ローゼとかネグレ、ここにいるみんなは好きだと思う」

「そうですか! へへへ」


 珍しくローゼが私の腕に抱きついてくる。

 背筋に強烈な違和感が走るが、それは恐らくローゼも同じであった。私が彼女の腰に手を回したからである。


 今はまだお互い、自分の感情を理解も制御もできていない。名前のない衝動に突き動かされ、表現しているだけ。


 手を絡める私たちの前を、フィーナと京夏が会話をしながら歩いている。黒いドレスと白いフーディが、まるで鏡映しのようにそこにいた。


「フィーナ、私はアテナを殺す。もしあなたがそれを邪魔するなら、躊躇しないから」

「構いません。それが運命なら」

「……さすがは元軍人、ね。気味の悪い覚悟」

「人工知能ですから。そういうのは得意ですよ」


 2人の関係は筆舌に尽くし難い。

 自分の大切ななにかを殺そうとしている相手を、私ならあんなふうに隣に置かない。 


「さあ、見えてきたよ」


 私たちの会話劇に釘を差すように、烏となって先行していたジェットが振り向いて言う。


 向こうに見える、建物の生き残り。太陽を隠してしまうほど大きく聳えるそれが私たちの目的地。


「あれ……本当に学校なの?」

「ああ、かつてはね」


 円治が語っていたものとはまるで違う。

 近づくだけで寒気がし、心臓が悲鳴を上げるような場所。


 空気すら金属の味がするここが、こここそが。


 シンギュラリティの爆心地──人類の終わりが始まった場所、トーダイである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ