Ep.22 「導かれし者たち」
昼下がり、雨上がり。
光芒がビルと繋がって、水たまりが苔舟を浮かべている。
その鏡面の上を一つの黒が駆け抜けていった。
「こっちだって」
「京夏、お前猫の声わかるのか?」
「わかるも何も、感じるでしょ」
「へぇ〜……」
私たちは黒猫が歩く方に従ってゆっくりと進む。時折彼女が振り返るのは、案内人としての自覚を感じさせるものだった。
「ローゼ、飼い主さんいると思う?」
「澄嶺がいると思ったから私はついてきてるんですよ」
「そういうことじゃなくってさぁ〜」
路地裏に入ると、温かな日は一瞬にして錆びた匂いで上書きされる。横歩きをしないと通れないくらい細い通路を、黒猫はトテトテと突き進んでいった。
「あの子は不思議だね」
「どこが?」
「いやほら、なんというかさ……生きてないみたい」
京夏は私へ振り向いて、怪訝な顔でそう言った。
「……きっとまだ疲れてるんだよ。飼い主を見つけたら、さっさと帰ろう?」
「そう……なのかな」
あの黒猫の所作は生物そのものではないか。足が投げ出されてから着地するその瞬間まで、一秒たりとも違和感はない。
いやむしろそれが逆に、違和感なのかもしれなかった。
「ニャー」
「ここみたいですね」
路地裏のド真ん中。カタツムリの一匹も立ち入らないような薄くらいところで、黒猫は静止した。
その扉には「OPEN」と書かれた腐りかけの看板が提げられている。コールタールで塗りたくられたような、焦げ茶色の風貌。
「ねえ、本当に入るの?」
「入るよ。生存者がいるかもしれないんだから」
私はその、ネジの弱まったドアノブに手をかけて、ガチャリと捻った。
────
カランカラン。錆びかけの呼び鈴が空を叩く。ドアを潜ると、外観とは懸け離れた小綺麗なバーが私たちを出迎えてくれた。
「おや、珍しいお客さん──しかも4人か」
カウンターの裏手から、低くくも温かな声が聞こえる。その声の足音が、こちらへ近づいてくる。
「ようこそ。我がアトリエ──」
「いやっ!!」
彼の言葉を遮って悲鳴が聞こえた。京夏のだ。彼女が叫ぶということはつまり。
「ネ、ネグレ、銃は?」
「置いてきたよ。落ち着けって、猫飼うやつが人殺しなわけないだろ?」
「で、でも……」
「すまない、驚かせてしまったかな」
「いえ……京夏は少し、人見知りなんですよ」
「いいんだ。人間であれば、人工知能を怖がるのも無理なはないだろう」
店主と思しき男の人工知能は、なにごともなかったかのように黒猫を撫でている。
彼の出で立ちは、この死んだ街には似合わないほど綺羅びやかなものだった。
ワイシャツのようなものに深紅のベストを重ねていて、銀髪はオールバックで纏められている。もし私にローゼいなかったら、惚れたいたかもしれない。
「君たちはどうしてここに? あまり人目につくところじゃあないと思うんだが」
「その黒猫が、私たちの拠点に迷い込んできて。それで、飼い主を探してたんです」
「はっは、そいつぁどうも。こいつは俺の大事な相棒でね」
彼が猫を抱き上げてその額に口づけをした。
人工知能のくせに、やけに色気のある野郎である。
「そっちのお嬢ちゃんは大丈夫かい?」
「だ、だ──」
「俺はグリス。よろしくな」
グリスと名乗った彼は怯える京夏に優しく近づいて、握手を求める。溌剌な笑顔は彼女に刺さったようで、震えつつもその右手を伸ばして、触れた。
「私、京夏」
「京夏さん、よろしく」
グリスは慣れた手つきで京夏の立ち上がりを補助する。その後またカウンターに戻り、両手をついてこう言った。
「さあ、ご注文を聞こうか。お嬢さん方?」
「それよりも、このあたりに生存者はいませんか」
格好つけるグリスのセリフを遮って私は言った。元来の目的は黒猫の飼い主探し。つまるところの生存者捜索である。
「いや、いないね。100%いない。断言してもいいさ」
「な、なんで」
「ここは神奈川。東京のすぐ近くなんだから居るはずもないさ」
グリスは棚からウイスキーを引っ張り出すと、それを雑に水割りにしてコップに注いだ。この小さなバーに、嗅ぎ慣れない匂いが充満する。
「澄嶺、もう目的は果たされましたよ。帰りましょう」
呆れたように言ったのはローゼだった。
……そうだな。ここ最近トントン拍子に上手くいっていたせいで忘れてしまったのだ。
人生の本質は、期待しないことである、と。
「お、なんだ? 帰っちゃうのか? せっかくなんだからもう少し居させてもらおうぜ」
「居てどうするのよ」
「そりゃあ初めてくるところなんだから、ワクワクしてもいいだろ」
京夏とネグレは、後ろで軽く言い合っていた。この2人は変なところで反りがあわないな。
「私もちょっと残りたい。ローゼと京夏は先に戻ってて」
「わかった。暗くなる前には戻ってね」
「澄嶺……」
「ローゼごめん。これが最後の我儘だから」
「……はい」
2人はベルの音に見送られながら、路地裏へと出ていった。
今ここにいるのは人工知能、猫、青い流星、そしてちっぽけな人間1人だけである。
「なあグリスさん、あんたはどうしてこんな狭いとこで住んでんだ?」
ネグレが頬杖をしながら彼に問いかける。子どもが寝る前に、読み聞かせをしてもらうような目線だ。
困ったような顔をしながらもグリスは答えた。
「単純な話さ。ここが生まれ故郷なんだよ」
こんな狭いところで? とネグレは疑問に思っているようだが、つまりグリスはここで働くために作られた人工知能ということだ。それを鑑みれば、このバーとの異様ともいえる見た目の相性にも納得がいった。
「じゃあ俺からも質問させてくれ。どうしてお嬢さん方はこんなところに来たんだ? 危険だって知ってるだろ」
「それは生存者を探すためで──」
「じゃあ、どうして生存者が欲しい」
「?」
「欲しい理由も分からず欲しがってちゃ、手には入らんだろうな」
彼はまたウイスキーを飲んだ。頬は少しずつ赤くなっているが、それでもその表情は私の奥を見つめていた。
「私は……4年前に母が死んで、一人ぼっちで生きてきて……だから、寂しくて」
「本当に、それだけなのか?」
「……お母さんが死んだとき、すごく悲しかった。もう頭も撫でてくれないし、一緒にご飯も食べれない、って。じゃあ私が死んだとき、誰がそう思ってくれるの?」
呼吸が途切れ途切れになって苦しい。
どうやら酒というものは、空気によく溶けて人を呑んでしまうようだ。
「だから、他人が欲しいんだな」
「……多分」
「そうか。じゃ、もうそろそろ見つかりそうだな、その生存者ってやつは」
「どうして。人生でまだ、2人しか自力で見つけたことないのに」
「どうして自分がそれを欲しいか、納得さえできりゃチョロいもんさ。俺はそうやって生きてきた」
気がつけば、ウイスキーの小瓶は空になっていた。
「そっちの青いお嬢さんは?」
「いや、私はただの付き添いだよ」
「付き添いでこんな狭いところまで来るんだな」
「お人好しなもんでね」
2人の波長は少しずつ重なっているように見えた。豪快というか、爆発的というか。大雑把な感じが少し似ているのだ。
「じゃあそんな2人に、俺から餞別だ」
グリスは奥から重厚な箱を取り出し来て、私たちに中身を見せびらかした。
「これは俺の妻が集めてたものでな、持て余してるからお嬢さん方にやるよ」
箱のなかに入っていたのは、植物や花を模したアクセサリーだった。ブローチ、イヤリング、ブレスレット、指輪の数々。姿形の異なる小さな結晶に私たちは見惚れてしまっていた。
「本当に貰っていいのか? 奥さんがなにか言うんじゃ」
「……あいつならきっと、全部あげるだろうよ。でも俺はまだ引きずってるからな、一つずつだけだ」
私とネグレは、まるで星空を眺めるかのようにアクセサリーを吟味した。
こっちの向日葵のようなブローチも可愛らしいな。
しかし私の目線を引きつけたのは、隅で地味に輝くものだった。
「私、これにします」
「ふーん、アネモネか。いいセンスだ」
私が選んだのは、白いアネモネ小さくを象った指輪だ。ささやかながら美しい。
「私はこれを貰うよ。ありがとうな」
「へえ、これまた珍しいものを」
「暗いところでも目立つだろ?」
ネグレは、黄色い鐘状の花のヘアゴムだった。彼女のポニーテールを作っているのは何の変哲もないツタであったが、今ではそれは黄金色の星をぶら下げている。
「ありがとうございます、いろいろと」
「いいんだ。相棒を届けてくれたお礼だからな」
「それじゃ、気をつけてな。気が向いたらまた来なよ」
「ニャー」
一匹も一人に見送られて、私はバーを出た。気がつけばもう太陽が西に向かっていっている。
もうすぐ年開け。この冬だけで、私の人生は随分と様変わりしてしまったな。
「帰るか」
「そうだね」
私とネグレは、夕日に背を向けながら拠点へと歩きだした。
────
2人が出ていってから暫く。
黒猫の内部機構を整備しながら、グリスは通話をしていた。
「ジェット、聞こえるか? ああ俺だ。生存者を見つけた──嘘じゃねえよ。俺のバーに来たんだよ。そいつらの内、2人に目印をつけといた。もし東京に来るようだったら……すまんが、対処を頼む」




