Ep.16 「カナガワ地区」
「大丈夫ですか?」
「うん、歩ける」
「あんま無理すんなよ、怪我人なのに」
「ネグレは前見て歩いて、また転ぶよ」
私たち4人は、カナガワ地区を目指して森を歩く。ネグレは「京夏の復讐に協力する」と駄々をこね、半ば無理やりついてきた。
だからこうして、ローゼが京夏の手を引きながら進み、私とネグレが前を歩いて先導するのだ。
今までで初めての、人生の中で最も喧しい瞬間かもしれない。
うるさいのに、満たされている。
「ねえ京夏、カナガワ地区ってどんな感じなの?」
「うーん……いいところだったとは思うよ。でも、工業地帯だったらしいから……」
「沢山いたんだろ? 人工知能」
「うん……」
多くの場合、港町はそうである。
ヨコハマ、ナゴヤ、あとはオオサカも。人工知能はこういうところから、人類を蝕み始めた。
しかし、私の育ったナゴヤでは、人工知能はあまり活発ではなかった。カナガワは……京夏の言うように、彼らの巣窟となっているのだろう。
「澄嶺、カナガワについたら何をしましょう」
「ひとまず拠点、食料の確保は必須だね。できれば、この辺りの地図も欲しい」
「そんなんいるか? 一回通れば覚えるだろ」
「ネグレはね。私は無理だもん」
「私、図書館の場所知ってる」
「なら最初はそこに行きましょう」
ああ、平和だ。
私以外の声が3つもある。三者三様の答えが、私の周りを取り巻いている。
この当たり前の騒がしさが、こんなにもありがたいだなんて。
私は今、これを失う覚悟でここにいる。
そんな折、ネグレは少し歩調を落として言った。
「……なあ京夏、千冬ってどんな奴だったんだ?」
「千冬」という名を聞いた京夏は、明らかに顔を曇らせて、自虐的に笑っている。
「ネグレ、今ここで聞くんですか」
「私たちも知っとくべきだろ」
「だからって、ちょっとは気遣いを──」
「いいよローゼ。話すから」
冬の森、空の下。
私たちは4人は、もう一つのカナガワへと誘われていく。
────
千冬は私の従姉妹だった。あの子はいつも笑ってて、太陽みたいな人だった。
私たちは、苔の生えた廃倉庫で、身を寄せ合って暮らしてたの。
「ねえ京夏ちゃん、ちょっと奥まで行ってみない?」
ある日、千冬は目をキラキラさせてそう言った。
「奥まで? なんでよ、あんな危険なところ」
「なんとお父さんが言うには、独立戦争の前は美味しいものが沢山あったんだって!」
「何年も前の話でしょ」
「でもさぁ、私飽きちゃったよ。毎日山菜とお肉ばっーかり」
「あるだけ有難いよ」
「はぁ……まったく、京夏ちゃんはロマンをわかってないね」
「じゃあ千冬は現実見ないとだね」
千冬は呆れたように足を投げながらソファに腰掛けた。
私だって、美味しいものが食べたいわけじゃない。だけど奥は危険すぎる。
あそこは人工知能の楽園、私たちが入っちゃいけない場所だから。
「ちぇ……絶対楽しいのに」
「じゃあ、ちょこっとだけだよ」
「まじ!?」
「食糧をいただいたら、すぐに帰ろう」
「やった! 京夏ちゃん大好き!」
私は馬鹿だったから、千冬のわがままを断れなかった。この笑顔がもっと見たいと思っちゃったんだ。
「うお……でっかいな……」
「こんなに広いんだね、日本って」
私たちは都会の方、横浜の中でも、一番高い建物に登って辺りを見回すことにした。
足元に広がる街は、遠くからでも分かるくらいの多くの血痕と、崩れた建物でごった返していた。
「なんか、想像と違うね」
「どういうこと?」
「もっと綺麗で、私たちの家と全然違うと思ってたのに」
錆び、苔むし、死んでいる。
大勢の人が暮らしていた街は、もう死んでいる。
「京夏ちゃん、頭引っ込めて」
千冬は突然私の頭を押さえつけて、屋上に隠れるようにして這いつくばった。
「ちょっと、なにするの」
「いいから、あそこ見て」
私たちの真下、一人の男が私たちのいるビルを見上げていた。
「あれ? 生き残りがいたんだ」
「いや、人工知能でしょ」
人工知能は、想像よりもずっとずっと人に近かった。
歩き方、瞳の輝き、食べるもの。
私たちと何が違うのかと聞かれたら多分、私も千冬も答えられない。
「行こ、ばれないうちに」
私たちはビルの隙間を、鼠のように進んでいった。
見下ろしていたビルを見上げるような位置までたどり着くと、この世界が思っているより彩り豊かだと理解できた。この街の主人は多分、苔と鉄だ。
「見てよ京夏ちゃん、これ!!」
横浜を暫く進むと、看板が禿げてしまったスーパーマーケットを見つけた。
中を探索する千冬は宝物を見つけたみたいに、辺りを走り回っていた。
「程々にしなよ? 持って帰れるのも限度があるんだし」
「いいじゃんいいじゃん。ねえ見て、『みかん』だって」
「みかん? まだ完成してないのかな」
「開けてみればわかることだよ」
「あ、ちょっ」
千冬が『みかん』を開けると、プシュっという音がした。それとともに、爽やかだけど甘ったるい、変な匂いがした。
「うわ……なに、このオレンジ色のでろんでろん」
「まさか千冬、それ食べる気? 変なにおいするけど」
「ん〜、じゃんけんで負けたほうが食べるってのは?」
「……しょうがないなあ」
「さいしょはぐ、じゃんけんホイ!」
結果は、千冬の惨敗。
「うげぇ、まずそ」
「自分で言ったんでしょ、早く食べてよ」
千冬は心底嫌そうに、口へみかんを放り込んだ。噛みしめるのも嫌そうだったけど、途中から表情が変わった。
「案外いけるよ、これ!」
「嘘でしょ、どうせまた美味しくないものを食べさせる気なんだ!」
「違うって、ほんとだよ! ほら!」
「むごっ!?」
千冬が無理やり、私の口にみかんを詰め込む。柔らかくてブヨブヨした気味の悪い甘酸っぱさが、いっぱいに広がった。これは……
「悪くないかもね」
「でしょ」
私たちは互いにグータッチをする。
背負ってきたリュックサックに、ありったけの缶詰を詰め込む。みかん、もも、かにぱん、とにかくありったけ。
「よし、こんだけあれば大丈夫かな」
「大漁だね」
「ねえ〜、こんだけあれば、3日は生きていけるよ」
帰路につくと、否が応でも話に花が咲く。初めて食べた、みんなは知らない『みかん』の味。久々に食べた甘味は、最高のものだった。
「千冬、今日はいい日だね」
「でしょ? ほら、来てよかったじゃん」
「結果論でしょ、もう来ないから」
「ねえ京夏、やっぱりもう少しだけ持って帰らない?」
千冬は今更、そんなことを言った。
「しょうがないなぁ……すぐに戻ってきてよ」
止める理由はあった。
帰る理由もあった。
「ありがと。すぐ戻っ──」
「え?」
千冬が倒れた。
なぜ?
撃たれていた。足だ。足元を撃たれたんだ。
だれに?
「人間……を、二人……確認……!」
倒れた千冬の向こう側には、ビルの上から見下ろしたあの人工知能がいた。
私は走り出していた。
右腕を撃たれたが、もはやその痛みは私を止められなかった。
「……! お前がッ! 千冬をッ!!!!」
「人、間……二人……」
殴り続けた。拳の皮が擦りむけても、骨から異音が響いても、ひたすらに殴り続けた。
人工知能が機能を停止するのに、どれだけの時間がたっただろう。
「千冬……千冬!!」
「大丈夫、まだ歩けるから……!」
「大丈夫なわけないじゃん! 止血するから早く!!」
「……無理だよ、京夏ちゃん……」
千冬は、右を指し示した。
絶望するには簡単だった。
あの野郎が助けを呼んだんだ。辺りを埋めつくすほどの人工知能が、そこにいた。
「千冬、背負ってくから乗って!」
「無理だよ。どうやって生きて帰るのさ」
「関係ないよ! 私たちは二人で生きるの!!」
ゾロゾロと彼らがやってくる。
勝ち誇ったように、銃口をこちらに向けてゆっくりと歩いてくる。
「お願い京夏ちゃん。逃げて」
「嫌だよ……嫌だよ……」
「しょうがないじゃん。元からこういうことになるって覚悟はしてたし」
「ねえ……千冬!!」
「早く行って。私からのお願い……」
「千冬ッ! 千冬ッ!!」
私の足は千冬と逆方向、私の心と逆方向に進み始めた。
何度も振り返った。振り返って手を伸ばした。けれど千冬は笑ってた。
せめて私を殴ってよ。
あの時みたいに足をぶらぶらさせてさ、またいつもみたいに寝ようよ。
ねえ……千冬!!
「はぁ……はぁ……」
私が千冬の温度を感じないくらいまで走ったとき、嵐のような銃声が聞こえた。
千冬は、私を逃がして死んだ。
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