Ep.10 「ナガノ地区にて ①」
弥富さんの手紙を預かってから一夜明け、私たちは出立の準備をしていた。準備と言ってもここは都市部でないため、形式的な荷物の確認作業だけである。
「本当に行くんだな」
ネグレは私の後ろから、答えの分かりきった質問をした。私はそちらを向くことなく、淡々と返答をする。
「うん。なんとかなるでしょ」
「死にかけても文句言うなよ」
「言わないよ。慣れてるから」
一方ローゼは既に準備を終えていて、村の子どもたちと遊んでいるようだった。人間と打ち解けるスキルにおいて、彼女に勝るものはいないだろう。
それを気にせず、ネグレの質問は続く。
「なぁ、澄嶺」
「どうかした?」
「私は村の連中に比べて、外の世界をよく知ってるつもりだ」
「だろうね。シズオカ地区まで来るくらいだったし」
「だからさ、聞かせてくれよ」
ネグレの声が、神妙になる。
「お前にとって……『他人』ってなんだ?」
準備をしていた手がピクリと止まった。
私は立ち上がって、彼女の方を振り返る。
「どういう意味」
「そのまんまだよ。お前は初対面の私にテクテクついてきて、初対面の弥富のお使いを手伝って……もっとこう、警戒するだろ」
「そうなの」
「ああ。普通は──」
「普通って何」
一言一言が、喉に引っ掛かった。
「え?」
「この腐った世界で独りぼっちだったなのに、普通なんかわかるはずがないでしょ。周りに愛されて育った、ネグレにとっての普通が」
私は苛立っていた。
彼女の言葉のどれかが私の心を逆なでしたのは確かだったが、どれがそうしたかまでは判別できない。
その割には、冷静にこの状況を俯瞰しているのもおかしな話だが。
「……」
「ごめん。そろそろ行くね」
立ち尽くすネグレを背に、麓を目指して歩き出す。私の伸びた影が、ネグレに重なっている気がした。
────
「へぇ、ここはナガノ地区と言うのですね」
弥富さんの言う麓の街とは、シズオカ地区の反対側の方だった。盆地に広がるこの様相は正に、地方都市という感じである。
イコイ村からは随分遠く、時刻はもう午後4時である。
「改めて考えるとさ」
「はい」
「この中から奥さん探すの……無理じゃない?」
「ええ、恐らく」
これほど広い街からたった一人の女性を捜すなど、スーパーでお気に入りの缶詰を探すよりも遥かに難しいことに思えた。
そうは言っても、引き受けた以上はやらなくては。私は価値ある存在でなくてはならないのだ。
「行こうか」
街はほとんどが住宅街だった。ナゴヤ地区に比べて民家はかなり原形を留めていて、この辺りが優先的に狙われたわけではないことを示していた。
「うっ……」
「どうしたの? あぁ……」
ローゼが鼻を塞いだのは、この死骸の臭いのせいか。私としては慣れ親しんだ、懐かしさすら覚える匂いだ。
「澄嶺、どこに行きましょうか」
「ひとまず役所だね。住所を見つける」
人捜しについての造詣が深いわけではないが、思いつく最適解はこのあたりか。
役所を見つけ、旧弥富邸、及びその付近の捜索。思ったよりも道のりは短そうだ。
「どうぞ」
「なに?」
ローゼの呼ぶ方を見ると、彼女が左手を差し出していた。不思議とニコニコ笑っている。
「どうしたの?」
「澄嶺は、きっとこうしたいですよね」
依然として、左手は差し出されたまま。私はそれを右手で掴んで笑う。
「お見通しか」
私たちは手をつないで血の海を歩く。この街で体温があるのは唯一、この二人だけだった。
────
「あっと言う間に夜だね」
「ですね」
歩き続けて半日。街は途方もなく大きく、私たちの足では到底辿り着ける距離ではなかった。
バイクがあればすぐに辿り着くのに……今頃、トンネルで留守番を続けているのだろう。
「今日はここにお邪魔しようか」
私は近くの民家に目をつけ、コンコンコンと3回扉を叩く。当然返事はない。昔の私ならこれに落胆したが、今は寧ろ、この静寂は望ましいものだった。
「失礼しまーす」
「今のも挨拶ですか?」
「まあ、一応ね」
窓をかち割ってリビングにお邪魔する。内装も至極一般的な民家で、カタログを転写したような雰囲気だった。
「ローゼは2階を調べてきて。私は1階を漁る」
「任せてください!」
仕事を任されたのが嬉しかったのか、ローゼは笑みを浮かべながら2階へ駆けていった。
さて、私も仕事を始めよう。
1階はリビング、風呂場、キッチン、そして小さな物置という間取りだ。優先すべきは物置──私にとっての宝箱である。
「重たっ!?」
階段の下を活用された物置の扉は、蝶番が軋んで思うように開かない。押しても引いてもどうにもならないので、私はその場に座ることしかできなかった。
「はぁ……」
溜息を天井に投げる。
今私のやっていることは多分、前史なら法で裁かれるのだろう。きっと牢屋に入れられて、働かされるのだ。
それでも3食があるだけ現代よりマシかも知れないが。
私は覚悟を決めて立ち上がる。
助走をつけて、開かない扉に体当たりをかましてやるのだ。
「そぉれ!」
ドスンと言う大きな音ともに、左肩へ反作用が返ってかる。
「いてて……」
「大丈夫ですか!? 大きな音が……」
「大丈夫ー!」
階上からのローゼの声へ軽く返答して、物置の扉を引っ張る。すると扉は、あれよあれよと言ううちにボロボロ崩れ落ちてしまった。虫にでも食われていたようだ。
「どれどれ……お」
物置のなかに有象無象が仕舞われている。その中で特に私の目を引いたのは、工具セットだった。
「大当たり」
私は心の中で小さくガッツポーズをした。
開けてみると、ドライバーやレンチ、カナヅチなど様々な工具がところ狭しと詰まっている。どれも殆ど錆びていないのを見るに、この家の主は物いじりが好きだったようだ。
リュックサックの中の工具と、発見したものとを入れ替える。思えば、彼らとも5年ほどの付き合いになるな。
今までありがとう。軽くそう思いながら、その場を立ち去って2階に上がるのだった。
「ローゼ、そっちはどう?」
「澄嶺、これは……」
ローゼが目を逸らすのは、首を吊って死んでいる子どもの死体だった。年齢は15歳……はっきりとは分からないが、私と同年代くらいだろう。
私も生まれる時代が違えば、彼のように死んだのかもしれない。
「普通なんかわかるはずがないでしょ。周りに愛されて育った、ネグレにとっての普通が」
私は、私がネグレに放った言葉を反芻する。彼女の言う普通には、子どもが自殺をすることは含まれるのだろうか。
「澄嶺ぇ……」
「気分が悪い?」
「はい……」
「そっか。じゃあ片付けよう」
「え?」
「邪魔だし。ローゼは1階にいていいよ。そこにはなにもないから」
「わかりました……」
彼を支える麻紐を切ると、ボトリと一つの人間が振ってくる。一応ポケットなどを弄ってはみるが、目ぼしいものはなかった。
彼を引きずって他の部屋まで運ぶ。慣れた行動のなかでふと、思い出される顔があった。メタリックで、液晶も少しひび割れてしまった彼女の顔が映った。
私が次にする行動は別に、私がしたかったわけではない。恐らく篠原さんなら、彼の死を悲しんで偲ぶのだろうと思ったからそうするだけだ。
彼の顔を布で隠して、両の手を合わせる。この行為に意味があるのかは知らない。でもきっと、長く前史に根付いただけの理由があるはずなのだ。
彼も私と同じように、好きな人がいたのかもしれない。
彼も私と同じように、目標があったのかもしれない。
ならば私は、彼の分まで生きる責務があるのではないだろうか。今日は珍しく、死体が饒舌である。
「終わったよー。ご飯にしようか」
「はーい」
階下のローゼに呼びかけて、葬儀を終える。感じたことない感覚を体に抱えながら、私たちは昨日と同じ缶詰を食べた。
「ローゼ」
「どうしましたか」
遺された布団の中で、私はローゼに問いかける。
「私っておかしいのかな」
「澄嶺は、おかしくありたいですか?」
「そうは思わないよ。けど……」
答えるよりも先に、眠気は私の意識を闇に引きずり込んだ。もはや答えようとしたことすら覚えていない。
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