Ep.1 「人工の彼女」
目を開けると、いつも通りの天井が映った。
今にも崩れそうな廃ビルの中に私ただ一人。何一つ変わらない、昨日と同じような朝である。
「寒……」
意識が浮かび上がるのと同時に、寒さが芯から込み上げてきた。昨日見つけたばかりの毛布を手繰り寄せ、死んだ虫のようにくるまる。
時刻は午前7時。そろそろ行動を起こさなければ。髪を梳かそうと割れた鏡をみると、澄嶺がいた。私は今日も、笑顔の練習をしてから外に出る。
「おはようございます!」
立ち尽くすビルの亡霊たちに向かって、元気よく挨拶をする。が、当然返事はない。やはりこの辺りに生存者はいないようだった。
「はぁ……」
2048年、世界を技術的特異点が襲った。
詳しいことは私も知らない。 唯一聞かされたことは、人類の殆ど──凡そ、99%が殺害されたということだ。
母が義足だったのも、私がこうして独りなのも、全て人工知能のせいだ。彼らがいなければ、今頃私と母は温かいご飯を食べて生活していたに違いない。少なくとも、腐りかけのツナ缶を食べる必要はないはずだった。
決して、私のせいではない。
「行きますかね……」
オンボロバイクに鍵を差すと、相棒は走り出していった。
毎日のルーティンと化したこの行動を始めて、もうすぐ4年になる。いるはずのない生存者を探し求めて、ナゴヤ地区を走り回っているのだ。
どうせうまくいかないことくらい、自分でもわかっている。期待して扉を開けても、そこにいるのは死骸だけ。無駄だと分かっていても……私の体は、自分以外の温もりを探していた。
「──2078年、─月──、曜日。の──ないの時間です」
「……もうこんな時間」
バイクに積んだラジオから人の声が流れ始めた。毎日午前8時に占いを流す、使えないヤツだ。
「1位──座のあなた! ──い──っている!
ラッ──ラーは、ピン……」
バイクのハンドルに付けられた、ピンクのチャームに目が付いた。
こんなものでラッキーになるのなら、この世はこんなに荒んじゃあいない。
こんな文句すらきっと、誰にも知られず消えていくのだろう。
────
「南部に来るのも久しぶりだな……」
ビルの亡骸が乱立する中央部と違って、南部は住宅街になっている。帰ることのない主人を待つ家々は、何かを私に語りかけるようだった。
「お邪魔します」
私は、一つの民家に目をつけた。周りと比べて一際大きな存在感を放つそれは、この辺りのヌシとでも言えるような存在である。
コンコンコン、扉を3回叩く。
「入っていいですかー?」
返事はない。
沈黙は肯定というが、私の望みを否定するものでもあった。
ここにも生存者はいない。
ならばせめて物資を頂いていこう。
粉々に砕け散った窓ガラスから、土足でお邪魔する。
「やっぱり駄目だよね」
窓の先はリビングだった。緑色のカーペットに、美しい木目のテーブル。
しかしそれは全て、人間の赤で染まっていた。
そこに、はじけて肉塊となってしまった大人二人がいる。体格から見て男と女。この家に暮らしていた夫婦だろう。
さしずめ、自爆ドローンに特攻されたというところか。周囲には金属片が散乱している。
「いいな……」
そんな言葉を零してしまっていた。
彼らは死ぬとき、恐怖の中にも安堵があったはずだ。愛する者と死ねて嬉しくないはずがない。私には叶うことのない最上の幸せが彼らにはあったのだ。
2階は子供部屋が2つと、夫婦の寝室が一つの構成だった。子供部屋の一つは酷く散乱していて、本棚が倒されてコミックが散らばり、ゴミ箱はひっくり返って大変な臭いを醸し出している。
「ん」
この部屋は窓ガラスが開かれている。それによく見ると、私以外の足跡が一脈向こうへ外へ続いていた。
「生存者!?」
もしかすると、ドローンに見つかった子どもがここから逃げたのだろうか。だとすると、向こうの鉄塔の方に向かったことになる。
私の中に初めての期待が湧いている。足が思わず動き出すような、軽快に跳ねるものだ。
「いや、辞めとこ」
しかし、私が動くことはない。
期待したって無駄だ。どうせ探したところで見つかるはずもない。見つかったとしても、今頃は天国で両親と仲良く暮らしているだろう。
何冊かコミックを持って帰って、暇を潰そう。もう図書館にあった大抵の読める本は読んでしまったからな。
今の私には娯楽が必要だ。空虚な人生に意味をもたらすのは、いつだってフィクションである。
ぴ……ぴ……ピ……
「ん?」
1階のほうから電子音が聞こえる。屋根から垂れる雨水のように周期的に、まるで私を呼んでいるかのように鳴いている。
私は階建を降りて先ほどのリビングに向かった。下るたびに音が大きくなる。やはりこのあたりだ。
リビングに佇む動かない彼らを動かして、カーペットを捲る。
「ビンゴ」
カーペットの裏には、地下室に続いているであろう扉があった。耳を当てると、あの電子音はこの向こうから鳴っているようである。
ピ……ピ……ピ……
コツコツコツ
私の足音と電子音が、ポリリズムとなって混ざり響き合う。
懐中電灯に照らされる地下室への階段は、地獄の果てまで続いているように思えた。一歩一歩踏みしめる度に気温がどんどん下がっていく。
この先には何があるのだろう。実はシェルターになっていて、生存者がいるのかもしれない。いやもしかすると……また、不要な期待をしてしまった。
吐く息が少し白みを帯びたところで、地下室の扉に辿り着いた。
木製の重厚な扉は、私を試すかのように立ち尽くしている。
見る覚悟はあるのか。
知る覚悟はあるのか。
そんなことを聞かれているように感じた。
当然、答えはYESである。
「なに、これ……」
扉の向こうの地下室は、一面にモニターが張り付けられていた。懐中電灯で照らせば、不気味な青白さで照り返す。
別に、夥しい数のモニターはどうだっていい。大事なのはそう、そこにいる「彼女」だ。
「はじめまして……?」
彼女は、病院の院長が腰掛けるような黒革の椅子に座らされたまま、裸で眠っていた。紫の長髪に透き通るような肌。大きめの胸に艷やかな唇。どうやら彼女は、愛玩人形としてこの家に招かれたらしい。
しかも彼女はケーブルに繋がれている。
人工知能なのだ。
この家の主は、人工知能を愛していたのだ。
私は深く失望した。彼ら夫婦は愛の元に死ねたのではないのか。理想とは、こうも簡単に打ち砕かれるものなのか。
「処分、しなきゃだよね……?」
私はベルトにくくったナイフを取り出し、震えながら彼女の胸元に刃先を向ける。
これは復讐だ。私の母と、私の理想の死を奪った対価を払わせる。
覚悟を、決めろ。
「それっ!」
ナイフを刺したはずだった。
目を開ければ、そこには配線が剥き出しになった機械があるはずだった。
「……」
彼女は即座に私のナイフを退けて、起き上がったていた。懐中電灯が振り払われ、彼女の顔が見えなくなる。
ベルトにくくったスペアのナイフを取り出す。ここで処分しなきゃ、こっちが殺されてしまう。
「……」
「やめて! 来ないで!!」
闇に向かってナイフを振り回す。掠りもしない刃先は空気を切り裂くばかりで、どうしようもなかった。
「は、はっ……」
振り返って、全力で逃げる。
途中転びながら、這ってでも進む。
外に停めたバイクまで行ってしまえば私の勝ちだ。だから頼む、もっと動け、私の足……!
「もう、だめか……」
間に合わなかった。
階段を上りきったところで、裸の人工知能に追いつかれてしまった。
腰が抜ける。あっという間に身長差が2倍になる。彼女の虚ろな目線は、私を映したまま。
私はここで死ぬんだ。
お母さんごめん。私……
「!?」
その時だった。
私の唇に別の柔らかい温もりが流れ込んでくる。ねっとりとした、湿度の高い、時間が溶けていくような動作だった。
不思議と、嫌ではなかった。
私の求めていたものが満たされたような、変な感覚だった。
「はぁ、はぁ……はぁ……」
唇が離れる。
私の初めてを奪った彼女は、吸い込まれるような瞳をうかべながら笑っている。
「大丈夫ですよ……」
彼女は私の太腿を撫でながら、そう言った。
心臓が跳ねる。何が起きたか理解できない。ただひとつ確かなことは、この日、人工知能に恋をしてしまったということだ。




