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山上徹也の初公判に寄せて

作者: エンゲブラ

2022年7月8日、奈良市・近鉄大和西大寺駅前で発生した安倍晋三銃撃事件。犯行に及んだ山上徹也の境遇や、犯行動機の判明から、事件は一気に物語化を遂げた。


この事件を語る時、九割以上の人間が「感情論」を展開する。


「許しがたいテロリズム」と「カルト教団と政界との癒着を明らかにした英雄」という、事件そのものに対する評価とは、また別の「事件を利用した自己主張」の道具として、この事件は語られてきた。


実際、犯行当初から山上徹也は、すべての罪状を認めており、三年超に及ぶ初公判までの期間は「事件とは直接関係のない部分との調整」に費やされてきたと、個人的には考えている。


この国の刑法における殺人罪では、懲役五年以上の有期刑、無期懲役、死刑までが刑罰とされるが、果たして本事件は、どれくらいの刑が「妥当」なのか?


判例上の量刑判断基準では ――


「犯行の動機が身勝手か」

「計画性・残虐性が高いか」

「被害者の社会的影響が大きいか」

「遺族の処罰感情が強いか」

「世論の厳罰感情が強いか」

「犯行後の反省・謝罪があるか」

「前科の有無」


―― などが評価対象となる。


全項目でチェックが入れば、おそらく死刑は間違いない。山上には前科がないが、過去の事例を参照にすると、前科がなくとも死刑宣告はありえる。


ここで個人的に一番気になるのが「遺族の処罰感情が強いか」である。安倍夫人による言葉が、死刑か、そうではないかの分水嶺となるというのは、大いに予想がつく。


ただ、各項目のスコアが十点満点であったとしても、配点を超えて「被害者の社会的影響が大きいか」「世論の厳罰感情が強いか」が、過大評価されることも予想がつく。そのため、やはり死刑とされる可能性が、現段階では極めて高いと考えられる。



―― さて、ここからは感情論の話だ。


「被害者の社会的影響が大きいか」にせよ、「世論の厳罰感情が強いか」にせよ、つまるところ、やはり感情の話が、この事件の判決では大きなウエイトを占める。


他の項目に対する評価も、今回の事件に関していえば、この部分の流れによって、いくらでも過大に、あるいは過小に評価されてしまうことが予想される。そして、それは十中八九、過大に罪を問われる方向に針が振れることとなるだろう。


事件当初「許しがたいテロリズム」という言葉を多くの国会議員たちが口にしていた。ひとりやふたりなら「言葉を知らない人間」による勇み足とも思えたが、その数からして、彼らはおそらく確信犯であったのだろう。


この事件に関していえば、「テロリズムの定義」には該当しない。テロとは「政治的・宗教的・思想的目的を達成するために、実行される暴力行為」のことをいい、逆恨み的怨恨によって引き起こされた本事件を、テロと呼ぶのは不適切である。


しかし、彼らはさかんにテロを声高に叫んだ。

様々な思惑によって。



―― 感情論②。山上を英雄とする説。


宗教と政界との強力な癒着を白日の下に晒した銃弾。

物語としては、こんなところか。


事実、180名にも及ぶ自民党議員が、統一教会と何らかの繋がりがあったことが判明し、維新や立憲などでも、接点のある議員が多数いたという、大収穫祭となった。


安倍氏が、統一教会の関連団体=天宙平和連合(UPF)の祝典にビデオ出演しているという話は、事件前から有名で、これが山上が安倍氏を標的とする原因ともなっている(ちなみに現在来日中のドナルド・トランプも、三度ビデオ出演しており、その見返りとして約3.5億円ほど受け取っているとされるが、これは、いったい誰からの紹介であったのか)。


統一教会からの安倍政権へのサポートは、無償の選挙協力という形でも発揮されていた。統一教会から提供されるサポート人員を安倍氏が各陣営に差配しており、安倍氏が党内で絶大な影響力を持つ背景となったとも言われている。


こういった背景は、事件以前からもマスコミの中では、公然の事実であった。しかし、単体のメディアが、ここに切り込んでいくことはリスクも高く、事件の背景として、全体で一気に掘り起こす機会をメディアも待ち構えていた。その契機となったのが「山上の銃弾」であり、彼を英雄とする根拠であるが、これも非常に情けない話だ。


―― 安倍氏が生きている間は暴けないというのは、数十年に渡るジャニーズの闇とも構造が酷似する。メディアの黙認という共犯関係によって、作り出された暗部とも言える。



事件に戻る。


山上徹也という男の犯行の動機。

心情的には、彼への同情の念は禁じ得ない。

犯行の対象が、母親から集金を行っていた教団の関係者であったなら、十分に情状酌量の余地があり、刑期も短く済んだかもしれない( いや、その場合、安倍氏も存命ということにもなるので……)。


しかし、その標的を安倍氏にしてしまったのは、やはり間違いであったと言わざるを得ない。祖父の代から繋がりのある教団であったとはいえ、彼は「単なる広告塔」に過ぎず、教団の本体というわけではなかったからだ。


母親が、安倍氏のビデオ出演にいたく感動し、何度も山上にそれを言い、統一教会の素晴らしさを説いていたとでもいうのだろうか?―― だとしても、やはり安倍氏は本丸ではなく、教団の看板のひとりに過ぎない。たとえ、教団と政界を密接に癒着させる触媒であったとしても、主役ではない。


本来の標的は、韓国の教祖の妻であったようだが、来日が無くなり、代わりに安倍氏が、自らの近くに唐突に現れた。―― だから撃った。というのは、事件単体で考えれば、動機としては弱いともいえる。


想像するに、山上の精神は、非常に損耗していたことが伺える。精神的な疲れからくる思考の短絡化が、ここに発生しており、「動機の身勝手さ」で高い評価値を付けることにもなるだろう。


ただ、自作の銃とその試射の行為を「事件の計画性」とするのは、個人的にはどうかとも考える。計画の基盤は、韓鶴子などを対象とする襲撃のために練られ、安倍氏の奈良への訪問は、直前の変更による偶然によるものだからだ。安倍氏が現れたから、襲撃したというのは「行き当たりばったり」の犯行であり、検察の主張も、的がズレていると個人的には考える。



陪審員裁判制なら、筆者はおそらく「無期懲役」を妥当とするだろう。しかし、現在の集団ヒステリー社会の機運から考えれば、十二分に「死刑判決」も考えられる。


読者のみなさんは、どう考えるのだろうか。

事件単体を感情的にではなく、客観的に評価する場合、それでもなお「死刑」を妥当と考えるのか、否か、聞いてみたいところである。


量刑の判断基準として、ひとつ個人的に納得のいかない部分がある。


それは「被害者の社会的影響が大きいか」の部分であり、ここが本事件の量刑の最大の争点となってもくるだろう。しかし、その基準は「安倍氏の生命の重みは、一般市民のそれとは比べ物にならない」という思想にも近い。裁判において、そこが量刑の多寡に大きな比重を占めてくるのだとすれば、法そのものの歪みであるとも、個人的には感じてしまう。



山上の母による「私が母でなければ…」という言葉は、二重に山上を殺してもいる。一聴すると、それっぽい言葉にも思えるが、これは事件が「無意味」であったことを示唆する。息子が事件を起こしてもなお、彼女は母であることよりも、信者で居続けることを宣言しているようなものであり、それはさらに山上を深く絶望させるに相応しい「とどめの一撃」とも言える。

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